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「葵と杏葉」
葵と杏葉・藩主編

葵と杏葉藩主編 第四話 南蛮船・其の壹

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 天保元年四月、斉正は無事佐賀城への入城を果たした。佐賀城名物の蓮の花はまだ咲いてはいなかったが、その青々とした葉は清々しさを感じさせるのに充分である。
 斉正が佐賀城に入った翌日、早速お国入りに付随する儀式、そしてそれに引き続き盛大な宴が催されることとなっていた。新藩主初のお国入りとあってその歓迎はとことん盛大な、裏を返せば江戸育ちで初めて佐賀へやってきた新藩主がどのような人物か品定めするための催しと言っても良いだろう。斉正は本当の意味で佐賀の家臣から『藩主として相応しいかどうか』の洗礼を、この場で受けることになる。



 佐賀藩は非常に複雑な歴史を持つ。以下その複雑なお家事情をかいつまんで説明したいと思う。


 元々佐賀藩は龍造寺家の支配下にあったのだが、天正十二年の龍造寺隆信敗死によって事情が一変した。隆信亡き後、その遺児である政家の補佐役として実権を握ったのが重臣の一人、鍋島直茂であったのだ。

 下克上のこの時代、この時点で直茂が佐賀を乗っ取っても誰も文句は言わなかったに違いない。しかし直茂は律儀に政家を補佐し、龍造寺家を守り続けた。だが、直茂の忠義も空しく元々病弱だった政家は天正十八年豊臣秀吉によって隠居させられてしまったのである。
 家督は政家の長男・龍造寺高房が引き継いだのだが、高房がまだ幼少だったこともあり直茂がその後見人として引き続き国政を行う事になった。
 安定した江戸時代ならいざ知らず、家督と国政の実権が異なる状況が続くのは極めて異例である。龍造寺氏という主君がありながら鍋島氏は豊臣秀吉、そして徳川家康から事実上大名として取り扱われるようになってしまったのである。

 龍造寺氏に代わり朝鮮出兵もこなし、事実上大名の扱いを受けていた鍋島氏にさらなる転機が訪れたのは、慶長十二年のことであった。この年に藩主・龍造寺高房、その死の一ヶ月後、息子の後を追うようにして父・政家も死去してしまったのである。
 高房には遺児・伯庵、実弟・主膳がいたが、直茂の命で伯庵が出家するなど事実上ここに龍造寺本家が絶える。そして鍋島直茂の息子・勝茂が幕府公認の下、龍造寺家の家督を引き継ぐ形で佐賀藩三十五万七千石を手にし、名実ともに大名となったのである。
 勝茂はまず龍造寺家から鍋島家への速やかな政権移行に従事し、龍造寺家臣団と鍋島家臣団の整理を行い、各家臣から起請文を改めて提出させた。後に伯庵が『所領を返すように』との訴えを幕府に起こすものの、龍造寺家から鍋島家への継承は、他家の同様な例と異なりほとんど血を見ずに成功したと言っても良いだろう。
 だが鍋島氏に実権を握られて憤慨し失望した高房が妻を殺害し、自らも死のうとしたが果たせずそのときの傷がもとでのちに亡くなったという噂がまことしやかに流れたり、勝茂の一子が突然死したことなどから、この権力委譲が『佐賀の化け猫伝説』として巷間に流れ、勝茂は歌舞伎や講談では主家を乗っ取った悪役とされてしまっているのは余談である。



 しかし、皮肉なものでこの平和理に終わった権力の委譲が後々鍋島家を苦しめることになる。旧家臣団と鍋島譜代の家臣団のいずれにもほとんど粛清が無かったために、石高のほとんどは家臣団への知行分となってしまったのだ。その為藩主の直轄領が六万石程度しか残らず、藩政当初から財政面において苦しい局面に直面する。
 それに追い打ちをかけるように幕府からの長崎御番の任命、そして参勤交代による出費がかさなり慢性的な赤字体質に陥ってしまったのだ。このため佐賀藩では一貫して干拓など増収政策に取り組み、直轄領を十万石近くにまで増やしたのだが、それもシーボルト台風で半分近くが壊滅状態に陥ってしまい現在に至る。



 以上のようなややこしい経歴を持つ佐賀藩だけに有力家臣、親戚筋の挨拶だけでも将軍のそれのように長々と続く。三支藩の領主――――――斉正らと一緒に帰ってきた蓮池藩の鍋島直与、茂義の親友でもある小城藩の鍋島直堯、斉正の実兄でもある鹿島藩鍋島直永を始め有力一族の挨拶が延々と続く。

「鍋島宗家親類からの挨拶を始めさせて貰います」

 進行役を務める青年が、親類格四家の当主を促し斉正の前へ進める。まだ二十歳を超えるか超えないか位の若さに見える青年だが、その立ち居振る舞いは堂々としており、まるで一国一城の主のようである。

「向かって右から白石鍋島家二万石当主・直喬。その隣が神代鍋島家一万石当主・賢在・・・・・・こちらは殿の実の兄君にあらせられます。その隣が村田鍋島家六千石当主・茂生。そして最後が龍造寺村田家当主・政矩にございます」

 青年の紹介の後、前に出てきた四人は恭しく一礼する。

「うむ」

 斉正は重々しく頷いたが、一度聞いただけでは誰が誰だかよく判らない。とりあえず実の兄という神代賢在の顔だけは覚えておこうと必死になるが、挨拶はまだまだ続く。

「親類同格の挨拶をさせていただきます」

 斉正とほとんど同い年と思われる青年は斉正の混乱を余所に粛々と挨拶を進行させていく。だが、四家あるはずの親類同格なのに出てきたのは三人だけであった。
 
「諫早家二万六千石当主・茂喬。多久家二万二千石当主・茂澄。武雄鍋島家二万一千石当主・茂順でございます。もちろんお判りだと思いますが全て龍造寺一門の出になります。」

 須古鍋島家八千二百石の当主がいない――――――斉正は気がついた。当主が病に倒れたのか、それとも出席できない別の理由があるのか判らないが、進行役の青年はその事には一切触れず今度は家老格の家の者を紹介してゆく。

「右から横岳鍋島七千五百石、神代鍋島六千二百石、深堀鍋島六千石、倉町鍋島五千石、姉川鍋島五千石、太田鍋島四千二百石となります」

 ここまで来ると何が何だか判らない。少なくとも親類同格の当主までは顔と名前が一致するものの、家老格のものに至っては斉正も諦めた。これからの付き合いで徐々に覚えていけばいい、これだけの人数を一気に覚えられる筈もない――――――そう開き直る事しか今の斉正にはできない。しかしこの儀式の進行をしている青年の正体だけはどうしても諦めきれなかった。

 普通なら身につけているものや席次で大まかな判断ができるのだが、何せ進行役である。席次も何もあったものではない。また青年が着ている杏葉紋の入った裃は、この場にいる半数以上の者が身につけている。さらにその発言も進行役に徹していて自身の事を一切口にしないのだ。これは意図的にそうしているとしか思えない。
 なかなか自分の素性を明かさない青年に斉正はやきもきしたが、さすがにこの場所で言い出すことは憚られる空気が流れいたのである。松根に調べさせたくても今は少し離れた場所にいて耳打ちすることさえ叶わない。

(先程親類同格の紹介で須古家が紹介されなかったから、たぶん須古関係の方なのかもしれないな)

 とは予測できるのだが、どのような立場なのか――――――領主なのか、それとも世継ぎなのかさえ判らない。粛々とこなされる挨拶を受けながら、斉正は横目でちらちらと青年の様子を観察した。
 背格好は自分と同じくらいかそれよりも少しばかり背が高いように思われる。決して美男、と言うわけではないのだが、きりりとした知的な顔立ちと、全てのものを射貫くような強い視線が印象的だ。そして何よりもその弁舌――――――藩主初のお国入りという大舞台において若年ながら進行を務め、一度も口籠もったり言葉を噛んだりしないのである。ただ者ではない・・・・・・斉正が感心したその時、不意にある一つの名が頭に浮かんだ。

(もしかして・・・・・・須古家当主、鍋島茂真!)

 鍋島茂真。今まで一度も逢ったことはないが江戸にまでその噂が流れていた異母兄のことを斉正は思い出す。斉正より一つ上の、藩きっての秀才の話は恩師である古賀穀堂からもよく聞かされていた。
 そして万が一盛姫との婚礼前に斉正に何かあった場合、斉正の身代わりとして茂真を立てようとした勢力があったと酔っぱらった茂義から聞いたことがあったのだ。普段なら酔っぱらっていても絶対にそういう類の事を口にする茂義ではないが、相当腹に据えかねていたのだろう。
 たった一度であったが、茂義を苛立たせるほどその話は佐賀国許では本気で囁かれていたのかもしれない。本人を目の当たりにしてその噂が本当だったことを斉正は感じ入った。その時である。

「・・・・・。以上、挨拶を終わりにします。ところで殿、私が何者だかお判りになりますでしょうか」

 突如青年は知的な顔に不敵な笑みを浮かべ、自分の正体を明かしてみろと藩主である斉正に言い出したのだ。いくら藩内の儀式であっても新藩主に対して非礼この上ない。謀反に限りなく近いその行動に辺りがざわざわとざわめき出し、茂義も立ち上がり今にも青年に殴りかかりそうな勢いである。
 しかしそのざわめきの中、斉正はただ一人平然とし、そしてにこやかな笑みを浮かべるながら青年に負けじと爽やかに言ってのけた。

「お初にお目にかかります、兄上。いえ、多久領主鍋島茂真殿とお呼びした方がよろしいでしょうか?噂は江戸にまで届いております」

 鋭く切り込む茂真と対照的な、全てを包み込む斉正の言葉にその場が安堵に包まれる。そしてそれと同時に一部家臣の悔しげな舌打ちもどこからか聞こえてきたが斉正はあえて無視をした。

「・・・・・・さすが穀堂先生が見込んだだけはありますな。先代の如きうつけだったら私も思うところがございましたが」

 そしてその場に立ち上がると声高に宣言したのである。

「我、鍋島安房はここにて新藩主・鍋島斉正を主君として認め、この命ある限り忠誠をこの杏葉紋にかけて誓う!以後、我を担ぎ上げ藩主に奉ろうとする輩がおれば容赦なくその首切り落とすから心するように!」

 広間に朗々と響く、人を惹きつける美声が斉正の、そしてその場にいた人々の心を打つ。この儀式の後で茂義から聞くことになるのだが、江戸育ちの新藩主を快く思わず、幼い頃からその頭脳明晰さを謳われた茂真を藩主に担ぎ上げようとする勢力があったというのである。
 さすがに将軍家の姫を妻に娶っている異母弟に代わって、というのはさすがに問題ではないかと茂真は思ったが、下手をすると斉正を暗殺しかねない取り巻き達を納得させるため、そして斉正がどのような人物か試すために先のような真似をする事になったのである。
 まさに不動明王の如き茂真の怒声に関係者らしき数人ががたがたと震えているのが斉正にもはっきりと見て取れた。

(たぶんさっきの舌打ちも彼らなのだろうな)

 とは思ったものの、それはあくまでも茂真を崇拝するがあまりの勢いだろう。

「兄上、なにもそこまで脅かすことはないでしょう。そもそもこちらにいる方達はどんな馬の骨が藩主になるか判らなかったのですから、目の前にいる賢い藩主の息子にすがりたくなる気持ちも判ります。特に我が藩は先年の大風によって多大な被害を被っておりますし――――――」

 斉正はいきり立つ兄を宥めながら改めてその場にいる家臣たちに向き直る。

「確かに私はこの度藩主になったが、佐賀の実情についてはこの場にいるそなた達の方が詳しかろう。藩を立て直すにしても現状を把握せずには何も出来ぬ。皆の者、これから宜しく頼む」

 茂真の剛の脅しに対して斉正の柔の許し――――――まさに兄弟ならではのあうんの呼吸とでも言って良いだろう。六年後、茂真は満を持して請役に就任し、『武将・鍋島茂義』と並び『智将・鍋島茂真』として二十五年間の長きにわたって弟・斉正を補佐してゆく事になる。



 斉正がお国入りを果たしてから五日後、斉正は我慢に我慢を重ねていた事をまだ佐賀城に残っていた兄・茂真に尋ねた。

「兄上・・・・・・あの、長崎はどのようなところでしょうか?」

 茂真には『兄とは言え家臣の一人なのだから藩主らしい言葉を使うように』と言われつつも、つい目上に対しての言葉を使ってしまう。茂真もしばらくはしょうがないかと二人きりの時に限り目を瞑ってくれている。

「もしかして『南蛮船』が目当てでしょうか、殿?」

 茂真は江戸在住の直孝と違い藩主である斉正に対し礼を崩すことはないが、鋭い刃のような指摘をしてくるのでどきりとさせられる。

「あ、いや・・・・・・今年は佐賀の長崎御番ですので、どんな様子かと・・・・・・」

 浪速のこともあり、南蛮船がどんな仕組みなのかと一刻も早く知りたいという気持ちがあったが、さすがにそこまでお気楽な発言は出来ない。しどろもどろになりながら斉正は言い訳をする。だがその点に関しては茂真の方が一枚も二枚も上手であった。

「請役から殿の船好きについては聞いております。お気になさらないで下さいませ」

 茂真はにっこり笑い長崎行きの許可を出すと不意に真顔になる。

「ただし、今回だけは乗物ではなく馬でお願いできますでしょうか」

「それは構いませぬが・・・・・・何故?」

 江戸からの強行軍でさすがに乗物――――――駕籠移動はうんざりしていただけに、茂真の提案は願ったり叶ったりである。だが何故慣例を犯してまで乗馬を勧めるのか理解できない。

「殿には・・・・・・乗物の窓越しではなく本当の佐賀を見て戴きたいのです。大風から一年半以上経とうとしているにも拘わらず、未だ復興がままならぬ現実を。お見苦しいものも多々目にするかも知れませんが、これから佐賀を治める者として心して望んで戴きたい」

 つまり、長崎行きを兼ねた領民視察をしろと言うのである。城に籠もり、領民達を見ることが無かった父・斉直に反感を持っていた茂真だけに、弟にはそうであってほしくないという願いからであった。

「判りました。それならば大歓迎です」

 斉正は兄の申し出に頷いた。

「兄上のお心遣い、感謝いたします。どうやら私は浮かれすぎていたようです。船は勿論楽しみにしておりますが、それ以上に・・・・・・佐賀の現実をこの目に焼き付けましょう」

 そして次の日、さっそく必要最小限の供と茂義、茂真を引き連れ斉正は長崎に向かった。



 茂真に言われて覚悟していたつもりだった。しかし現実は斉正が思っていたものより遙かに悲惨極まりないものだったのである。
 本来萌葱色をした稲穂が覆っていなければならない田圃はところどころむき出しで、小石や岩、それに何だか判らないがらくたのようなものが放置されている。人々の着物も継ぎの無いものを着ている者は一人もおらず、どう見ても掘っ立て小屋にしか見えない家や倒れたままの家々から炊事の煙が上がっていた。
 まるで数日前に被害に遭ったように斉正には思えたが、シーボルト台風から既に一年半以上経過しているのだ。それなのにこの復興の遅さは・・・・・・斉正の心はずきんと痛む。そしてさらに追い打ちをかけるように茂真が斉正に耳打ちをした。

「見た目も悲惨ですが、内情はもっと悲惨です。農地の質入れや売却が増加しております。田畑を手放して小作人になったり、日雇い仕事で食いつなぐ者達がこの一年半で一気に増えてしまったんです」

 鋭い視線に憂いを含ませながら茂真は続ける。

「本来農民達の物であるはずの田畑が商人地主に買い占められ、百姓は下働きの如くこき使われながら加地子料(使用料)を取られてしまう。年貢と合わせると本当に生きるか死ぬかのぎりぎりの所なのです」

 こんな疲弊しきった百姓達から自分は年貢を取らねばならぬのかと斉正の心はさらに痛む。そしてそれと同時に今、自分が藩主としてやるべき事が僅かながら見えてきたような気がした。

 百姓地の復興、そして開拓――――――当たり前すぎると笑われるかも知れない。しかしその当たり前のことさえ今の佐賀は出来ないのである。馬の歩を進めながら斉正はその決意を心にとどめた。



UP DATE 2010.03.03

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藩主編も第四話、話が進まないわりにはブログの容量ばかり食っていく気がするのは気のせいでしょうか(笑)。でもようやく歴史小説っぽくなりつつあります。軽めのお話が好きな方には申し訳ないんですけどね~。拙宅はがっつり肉食系でいかせていただきます(笑)。ちなみに前半の佐賀藩の成り立ちなんですがWikipediaの記載を『鍋島家目線』(ここ強調。龍造寺家目線だと化け猫騒動になります。)でざっくりまとめたものですので実はあまり詳しくなかったり(^^;前半読み飛ばしちゃった方もお時間がある時に挑戦してみて下さいませね~v

今回久しぶりに新キャラ登場です。茂義と入れ替わりに近い形で請役に就任し、以後二十五年間斉正の右腕として働くデキル男・茂真登場です。佐賀藩校・弘道館の責任者でもあり相当頭は良かったようですね。茂義が『動』とするなら茂真は『静』、まるで助さん格さんのよ~な存在の二人ですが、たぶん二人そろってのシーンは少ないかと(笑)。それぞれ優秀な人材ですので単独でお仕事をする事が多いのです。そういう意味では今回は貴重かもしれません。
そして『南蛮船』の間はあまり色っぽい話はなさそうで・・・・・それほど遠くない未来にちょっとした女性がらみの騒動ははいるので今しばらくお待ち下さいませ。

次回更新は3/10、23:00~を予定しております。


《参考文献》
◆Wikipedia 佐賀藩
◆Wikipedia 鍋島勝茂
◆改革ことはじめ(16)

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