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「紅柊(R-15~大人向け)」
甲午・春夏の章

桜ひとひら・其の壹~天保五年三月の変化

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あと十日程で綿入れから袷に変わる時期に差し掛かっているのに、江戸の街はやけに寒かった。綿を抜くどころか街を歩く人々は襟巻きをし、手を袖に突っ込み背中を丸めている。
 それは山田道場でも例外ではなく、例年なら冬場でも薄っぺらい道着一枚で稽古をしている五三郎でさえ綿入れの道着を着込んでいる程だ。暑がりの五三郎でさえその調子であるから、他のものは何枚も道着を重ねたり、足袋や股引を着込んで寒さに耐えている有様であった。これは本来武士として許されない事なのだが、普通の道場と違い殆ど試合形式の稽古を行わない山田道場ならではのお目溢しである。
 だが、そんな寒さでも春はやってきている。寒さに打ち震えながら咲いていた彼岸桜が散り、山桜がようやく満開になった。そしてぽってりとした八重桜がちらほらと愛くるしい花を咲かせ始めている。そんな桜達の花弁が舞い落ちる中、山田道場の門弟たちは黙々と稽古に励んでいた。



 丁度日輪が中天に差し掛かった頃、稽古の終了を告げる吉昌の声が庭中に響く。

「じゃあ、今日の稽古はこれまでとする!居残り希望者も暮六つの鐘が鳴ったら帰宅するように!」

 普段特に何もなければ、日が暮れた後も松明を燃やして稽古を続ける山田道場である。それだけに、この時間で稽古を切り上げるのは極めて稀だ。

「あれ?お師匠様、今日は練兵館の斎藤さんがいらっしゃるんですよね?稽古の様子を見るんじゃないんですか?」

 尻っぱしょりに股引という、武士にあるまじき姿で稽古をしていた五三郎が吉昌に尋ねる。

「ああ、今日は稽古ではなく別件で来るらしい。向こうの希望で大先生と為右衛門、四兵衛には立ち会ってもらうつもりだが。」

 それだけ告げると吉昌は口を噤んでしまった。どうやら部外者に聞かれると厄介な案件なのかもしれない。となると、あまり居座っているのも問題だろう。

「どうする芳太郎?俺はちょっと残って稽古していくつもりだけどよ。」

 五三郎は隣にいた芳太郎に尋ねる。その問いに対し、芳太郎は一寸名残惜しそうな表情を浮かべた。

「本当は稽古を続けたいところだけど、家中の務めが山積みになっているから今日はやめておくよ。来月までに片付けないと御徒頭に怒鳴られる。」

 その表情からするとかなりの量の仕事を溜め込んでいるらしい。それが家督を継ぐものとしての責務だと理解できるが、試し切りの稽古との両立は本当に大変だと思う。

「そうか。じゃあ仕方ねぇから猶次郎でも相手にして・・・・・。」

「仕方ないとは何や。ひとをおまけみたいに扱ってからに。」

 五三郎の一言に苦笑いをしながら猶次郎が二人に寄ってくる。その手にはすでに箒が握られていた。

「ほんまはわても稽古を続けたいところなんやけど、父親と兄貴が二人揃って風邪をひいてしもうて、代理で家中の仕事をせなあかん。」

 心の底から残念そうな表情を浮かべる猶次郎に対し、五三郎は怪訝そうな表情を浮かべた。

「こんな時期にか?もう春も終わりに近いのに。」

「わてもそう思うけど、春とは思えへんこの寒さやろ?家中の誰かが風邪を引いてしまうとすぐにうつってしもうて、元気なのは外に稽古に出ているわてだけや。せやから二人が元気でもこき使われる可能性は大やなぁ。」

 そんな猶次郎の話に同調したのは五三郎ではなく芳太郎であった。

「へぇ、豊岡の家中でも風邪が流行っているとはね。実は川越の家中もなんだ。だから仕事が多くなってしまって・・・・・困るよな、あれは。」

「そういや利喜多も寝込んでいる、って言っていたな。新見の家中は全然大丈夫だけどさ。」

 海に面していて江戸の街中でも特に温かい芝に藩邸があるためか、新見藩では全く風邪が流行っていなかった。

「ま、何とかは風邪を引かない、って言うけど新見の家中全員に当てはまるわけじゃないだろうし。」

「言ってくれるじゃねぇか、芳太郎よ。あとで覚えていやがれ・・・・・しかしそうなると、俺一人のために胴を引っ張りだすわけにゃいかねぇよな。」

 去年の飢饉の影響か、仕事や食料を求めて江戸にやってきたはいいがそこで力尽きて亡くなってしまうという者も多い。身元が判ればともかく、判らないものは無縁仏として弔ったり山田道場に運び込まれたりする。なので若手の稽古用に使える胴が多くなっているのだが、さすがに独り占め、という訳にはいかない。

「仕方がねぇ。今日は幸の代わりに刀の手入れでもしておいてやるか。」

 幸の代わり、という五三郎の言葉に鋭く反応したのは案の定猶次郎である。

「そう言えばお幸はんは?ここ最近お見かけせぇへんけど・・・・・。」

「残念ながらあいつは風邪をひくほどやわじゃねぇ。え~と、今日は紀州様の奥向きの花見の宴に呼ばれている、って言っていたな。ここんところ毎日『花見』と称して飲んだくれていやがる・・・・・どこの家中もおなごは元気だからな。」

 五三郎の悪態に、他の二人も思わず深く頷いてしまった。春も本格的になってきた三月ともなると、上巳の節句を皮切りに花見や寺社参り、観劇にとおなごたちが動き出す。そんな動きに合わせて、幸も大奥を始め各大名家、旗本家、吉原と呼び出されては宴に付き合わされるのだ。

「紀州様か・・・・・下手すると潰されかねないぞ。あそこの奥向きは奥方を筆頭にうわばみだらけだって聞いている。」

 まるで怪談話でもするかの如く小声で話す芳太郎に対し、猶次郎も同様に小声で返す。

「その噂、こっちにも流れとるで。何でも今年の正月、戯れに藩主の紀州様がが奥方と飲み比べをしたら先に潰された、ゆうて・・・・・うっとこの殿も怯えはってた。」

 幸もこの春で十六になっている。間違いなく酒を勧められるだろうし、断ることも不可能だろう。五三郎は今日も幸がへべれけになって帰宅する事を覚悟した。



 稽古場の片付けが終わり、皆がそれぞれの藩邸に帰っていくのと入れ替わるように丁度斎藤さん―――――練兵館道場主・斎藤弥九郎が山田道場にやってきた。

「おう、五三郎か!おめぇも残っていたのかよ!」

 背中をバシバシ叩きながら斎藤が豪快に笑う。ただでさえ大柄な上に『力の斎藤』と言われるだけあってその腕力は並大抵ではない。五三郎も決して小柄な方ではないが、それでも斎藤と並ぶと見劣りをしてしまう。

「痛ってぇ!勘弁して下さいよ、弥九郎さん。俺は幸坊の代わりに剣の手入れをするために残ったんであって、別に弥九郎さんの話を聞くために残ったんじゃ・・・・・。」

「刀の手入れ?幸坊だって放ってるんだろ。そんなモン、後でいい。おめぇも俺の話に付き合え!」

 斎藤は五三郎の左肩をがしっ、と掴むと強引に客間へ連れて行こうとする。

「え、いいんですか?」

 てっきり若手に聞かれてはまずい話だとばかり思っていただけに五三郎は驚愕した。

「どっちにしろ山田さんから門弟に伝えてもらうんだ。別に構わんさ・・・・・山田先生!失礼つかまつります!」

 斎藤は五三郎の肩を掴んだまま客間の襖を開けた。

「山田先生、ご無沙汰してます。正月、英龍の所でお会いして以来ですよね。」

 人懐っこい笑みを浮かべながら斎藤は畳の上にどっかと座り込む。そしてそれに引きずられるように五三郎も斎藤の隣に崩れるように座り込んだ。

「ええ、確かに・・・・・それよりあなたがわざわざこちらに足を運ぶなんて珍しい。一体何があったのですか?」

 笑顔を見せる斎藤とは対照的に吉昌の表情は真剣そのものである。そして次の瞬間、斎藤の表情も不意に険しくなった。

「実は三十五代目江川太郎左衛門、というよりはその息子の英龍からの伝言でして・・・・・奴が直接動くと少々厄介な事になるのでそれがしが代理として来ました。」

「なるほど。で?」

 斎藤弥九郎と江川英龍は撃剣館の兄弟弟子という間柄で、斎藤が道場を開く際、英龍から幾許の援助をしてもらっているという間柄である。つまり直接の家臣ではなく、弥九郎に伝言を頼むというのはそれなりに神経を使う話がなされると考えて良い。吉昌以下、改めて背筋を伸ばして話に耳を傾ける。

「実は・・・・・韮山の代官所で役人一家が殺される、という事件がありましてね。」

「何と・・・・・!」

「その生き残りの娘が江戸に流れてきたかもしれねぇ、って話があるんですよ。英龍としてはその娘を探しだして事情を聞きてぇ、って言っているんですが・・・・・。」

「弥九郎さん、それは無理でしょう。いったい江戸にどれだけの人間が流れてきているか承知なのですか?」

 斎藤の話に対し、思わず為右衛門が声を上げてしまった。江戸の街で行方知れずの娘を探しだす―――――それは海辺の真砂の中から一粒の珊瑚玉を探せというよりも厳しい話だ。

「勿論ですよ。だから事あるごとに頼んでいるんです。もしかしたらどこかに引っかかるんじゃないかって。もし甲州訛りのある娘がいたら練兵館に届けて欲しいんです。」

「それだって大変でしょう、弥九郎さん。現に鶴充和尚の代わりに読経してくれている若い坊さんだって甲州訛りのある大黒を囲った、って的場さんが言っていたし・・・・・痛っ!」

 さらに喋り続けようとする五三郎の頭を為右衛門が平手で叩く。

「余計なことを言うな、五三郎!・・・・・どうやら行き倒れらしいです。ただ、その大黒が居るおかげか近隣の治安が良くなっているとも定廻りの旦那が言っていますので、迂闊な行動をすると奉行所に睨まれますよ。それでなくても甲州訛りの娘は花街を探せばわんさか居るんじゃないですか?」

 話を逸らそうとする為右衛門だったが、斎藤は全く為右衛門の誘導には乗らなかった。

「行き倒れの大黒・・・・・か。今度、髻塚の法要はいつあるんですか?」

 上目遣いに鋭く睨みつける眼光は、六代目山田浅右衛門でさえ一瞬怯む力強さを持っている。その眼光に気圧されるように吉昌は口を開いた。

「いや、まだ決まってはいないが・・・・・。」

「奉行所に睨まれるような行動や、娘を無理やり韮山に戻したりするような真似は絶対にしません。ちょっと事情を聞きたいだけなんで・・・・・今度、その若い坊さんを紹介してもらえませんかね。」

 『力の斎藤』と言われている割に、繊細な部分がある斎藤である。直接娘のところに押しかけるのではなく、吉昌、そして娘の内縁の良人らしい若い僧侶を通じて娘との接触を試みようとしているのである。その態度に吉昌を始めその場にいた全員が警戒心を解いた。

「承知しました。それにしてもここ最近甲州街道近辺はかなり荒れているようですね。」

 吉昌の何気ない一言に、今度は斎藤の顔が曇る。

「ええ、この前も西丸御小姓組の酒井さん配下の知行で身元が判らない金持ちの死体が上がった、と言っていましたよね。あれもどうも甲斐の者らしくって・・・・・相当派手な甲斐絹の羽織を着ていたらしいですよ。渋好みの江戸っ子は絶対に袖を通さないような代物だったとか。」

「身元さえ判らないのに何故金持ちと?」

 前畑四兵衛が怪訝そうに尋ねる。

「備前祐定の脇差に六十両もの金を持っていたそうです。ですが、金品は盗まれていなくて・・・・・もしかしたら博徒の親分かもしれませんね。万が一、博徒同士の権力抗争だとさらに厄介ですよ。」

 斎藤が大仰な溜息を漏らしたその時である。

「ろくだいめぇ~!たらいま、かえりましたぁ~!」

 玄関の方から、明らかに酔っ払っていると思われる素っ頓狂な女の声が聞こえてきた。その声に斎藤意外、全員の表情が強張る。

「やっぱり!紀州様の奥方様に潰されやがって!」

 五三郎は毒づくと、誰よりも早く声のする方へ駆け出していった。



UP DATE 2013.3.5

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季節は春の終わりに近づいているのに、景気も世情も寒々しい江戸の街です。

今回は先月の話を引き継いで甲州街道の治安の悪さをメインに据え置こうかな~と思っていたのですが、どうも登場人物たちがそれを許してくれそうにありません。本当は『金持ちの男、謎の変死』という史実を元に話が書きたかったのに・・・(;_;)ま、仕方が無いので流れに任せようかと開き直りますv(近日中にまた清充&梅の話を書く予定ですのでその時にでも♪)

一方元気の無い男達に代わり呑んだくれているのが女達(爆)武家の女性の年始挨拶というのは花見の時期でも問題なかったようですので、花見がてらご挨拶に行っていたようです。
そして今回登場した紀州徳川家、この時期ちょうど家茂の生母が紀州徳川家に中臈として入ったというネタを探し出しましたvしかもなかなか豪快な方だったようで、家茂の生母として大奥に入ったあと、朝っぱらから酒宴をしていたという(^_^;)そんな美味しいネタを放っておくはずもなく、次回(ほんの少しだけ)その話も出したいと思います。(この時点で14~15歳、幸より年下なのでそこそこの飲みっぷりになると思いますが、ご正室も呑んだくれ設定ですので^^;)

次回更新は3/12、へべれけに酔っ払った幸に翻弄される五三郎の話が中心となりますv



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