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「葵と杏葉」
葵と杏葉・藩主編

葵と杏葉藩主編 第六話 南蛮船・其の参

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 物心ついた頃から斉正が待ちに待っていた日がとうとうやってきた。本物の南蛮船が長崎に停泊している――――――それを見に行くことが叶うのである。
 『ご身分を弁えて下され』と説得する国家老達を無視して馬に飛び乗り、四月には丸々四日かかった道のりを二日と半日という強行軍で長崎に向かったのだ。さすがに藩士達は疲労困憊だったが、その中で唯一元気だったのが斉正である。

「あれか・・・・・・あれじゃな!あれが南蛮船か!」

 夕日に照らされる長崎港に浮かぶその姿を見た時、斉正は思わず息を呑んだ。遠目からもはっきり判るほど――――――以前見た唐船さえ及びもしないほど大きな船が停泊していたのである。

「なんと美しい・・・・・・」

 錦絵や図面でこそ見たことはあったが、本物はもちろん初めてであった。ピッチというタール系塗料で塗られた船体は黒々としており、太い三本のマストが立っている。フォアマストもメインマストも帆はたたまれていたが、広げたらさぞ美しいだろう。船の後方には阿蘭陀国旗がはためいており、その船が明らかに阿蘭陀国籍の南蛮船であることを証明していた。

「茂義、もう少しあの船に近づくことはできぬかのう」

 確かに遠目からでもすばらしさは充分に伝わるが、より近くで見てみたいと思うのが人情である。

「そうなると、長崎奉行の許可が要るな・・・・・・どちらにしても挨拶に出向かなきゃならないんだし、そのついでに申し込んでみるか」

 見るだけなら・・・・・・そう茂義は思っていた。だが、事態は長崎奉行所で思わぬ方向に転がっていったのである。



「ダメに決まっているでしょう!一体何を考えているんですか!先代は先代で一度も長崎に来ないかと思ったら今度は今度で・・・・・・全く最近の若者はなっておらん!」

 長崎奉行・大草高好の一喝が斉正に降りかかる。しかし斉正も負けてはいない。傍に控える松根が止めるのも聞かず自分より二倍は年上と思われる大草に言い返す。

「何故いけないんですか!ちょっとくらい良いじゃないですか!こちらにいる船長だって良いと言って下さっているんですよ!」

 隣に座っている阿蘭陀船の船長を指し示し、長崎奉行の説得を試みる。しかしその一言は効果を示さず、むしろ長崎奉行の感情を逆なでする効果しかもたらさなかった。

「通詞もろくな事を翻訳しないで・・・・・・変な希望を持たせるから面倒なことになるんだ!とにかく『南蛮船に大名が乗り込む』などという前例は一切無いのだから諦めなさい!」

 大草が顔を真っ赤にして怒るのも無理はない。何と斉正は『停泊している南蛮船に乗船させろ』と言い出したのである。江戸が鎖国に入ってからというもの『大名が外国籍の船に乗り込む』という前例は一切無い。そのような無謀な事を長崎の治安を任されている長崎奉行たるもの許すわけにはいかなかった。



 事は四半時前に遡る。長崎奉行所の玄関でたまたま奉行所に用事があるという阿蘭陀船の船長と出くわしたのだ。国や立場が違えど『船が好き』という共通点――――――そもそも船が好きでなければ命を賭けなければならない船乗りになぞならない――――――を持つ二人、すっかり意気投合して『船に乗る』という話になってしまったのである。
 しかしそこに立ちはだかったのが『慣例』であった。前例のあるもの、そして追放刑までは独断で裁許出来るが長崎奉行の手にあまる重要問題や、先例のない事項は、江戸幕府老中に伺い決裁を求めなくてはならないのだ。
 もちろん斉正の行為は『先例のない事項』に当たる。しかし江戸に伺いをたててすぐに帰ってきても約三ヶ月はかかり、その間に阿蘭陀船が出港してしまう可能性は非常に高いのだ。それだけに斉正は食い下がるが大草もまた譲ろうとしない。

「とにかく!絶対になりませぬ!ただでさえ長崎奉行はフェートン号事件で佐賀藩に煮え湯を飲まされております。代替わりしようとも許されぬ事ではありませぬ!」

 フェートン号事件――――――その一言に斉正は言葉を詰まらせる。これを持ち出されると斉正としては辛いものがあった。この事件の責任を取って数名のものが切腹をしているのだが、そのうちの一人が当時の長崎奉行・松平康英なのである。聞いた話だが遺書には佐賀藩の怠慢への抗議も書かれていたらしい。

「・・・・・・判りました。では江戸からの返事を待ちましょう」

 未練たらたら斉正も仕方なく諦め、立ち上がった。その時である。はらり、と斉正の袖から書簡らしきものがこぼれ、長崎奉行の目の前に転がっていったのだ。

「佐賀公、なんぞ落ちましたぞ」

 そう言って大草が何気なくその書状を拾った瞬間、今まで怒りで赤く染まっていた顔が急激に青ざめ表情が強張った。書面こそ見えないもののその書状には微かに浮かぶ葵の紋――――――透かしが入っている事に大草は気がついてしまったのである。そしてその表情の変化を斉正は見逃さなかった。
 父親と違い比較的『聞く耳』を持っている斉正だが、否、それだけに大好きな船に関しては譲れない。長崎奉行の動揺振りに隙を見いだした斉正はさり気なく懐に手を伸ばした。

「ああ、申し訳ございませぬ。我が妻からの手紙を落としてしまいました。愛しい妻からの手紙故、事あるごとに取り出して読み返しておるのですが、こういう場所ではきちんとしまっておかねばなりませぬね。失礼いたしました」

 『我が妻』という言葉を特に強調しながら取り出したのは盛姫から貰った煙草入れであった。こちらも手紙同様に葵の紋が入っている代物であり、少なくとも一大名が普段使いをするようなものではない。
 それなのに賜り物として大事に保管しておくならいざ知らず、このような場所に持ち出しているとは、とりもなおさず斉正と盛姫夫婦が形ばかりの夫婦ではなく、かなり仲の良いことを示していた。そしてその背後には将軍家の影もちらつく。明らかに長崎奉行に対する威嚇であった。

「国子、もとい妻も私が南蛮船を見聞するのを楽しみにしておりましたものを・・・・・・」

 どうやらこの長崎奉行は『権威』にとことん弱いようである。そこにつけ込み斉正は公の場所であっても本来許されない『徳川家出身の妻への呼び捨て』という暴挙に出たのである。明らかに『虎の威を借る狐』であり、背後に控えている茂義や茂真、そして松根は呆れ果てていたが、目の前にいる大草には効果てきめんであった。傍から見ても気の毒なほど狼狽し、がたがたと震えている。あともう一押し――――――斉正は言葉を続けた。

「今の時期に報告を出せば、八朔の儀に間に合いますのに・・・・・・つくづく残念でございます。妻は特に御台様の覚えが目出度く・・・・・・」

 とどめは薩摩出身の御台所であった。薩摩藩は九州一の大藩であり、長崎奉行もその力を無視することはできない。斉正自身薩摩藩主の甥に当たるが、それだけではない繋がりを出されてしまっては敵わない。

「判りました!許可を出せば良いんでしょ許可を!しかし何があっても知りませぬぞ!」

 とうとう大草は降参の白旗を上げてしまった。それを斉正の背後で見ていた茂義、茂真、そして松根は溜息を吐く。家中ではごくごく当たり前のことだが、この『船道楽』が長崎奉行までに被害を及ぼすとは思ってもいなかったのである。

「姫君様はああいったことに利用するために若殿に煙草入れを譲って下さったわけではないのに。どう説明したら良いんでしょう」

 最初にぽつりと呟いたのは松根であった。三人の中で一番盛姫やそれ以上に恐ろしい風吹と顔を合わせなければならないだけに、胃の痛みを覚えてしまう。

「姫君様だって判っておろう。何せ新婚初夜に酔っぱらって一刻も『おふね』の話で絡んだんだぞ。これくらい織り込み済みだろう。風吹だって理解してくれるさ」

 心配げな松根とは対照的に達観した、というよりむしろ諦めに近い表情でこう言ったのは茂義だ。そもそも風吹との関係も新婚初夜の事件に端を発しているだけに、盛姫以上に風吹は理解を示すだろうと茂義は踏んでいた。

「これに味をしめなければいいんですけど・・・・・・」

 江戸にいる斉正の妻・盛姫のことは詳しく知らないが、噂話に『徳川家の血を引いているとは思えない、どちらかというと腰の低い姫君』とは聞いている。それだけに斉正が葵の御紋を乱用するような事があってはならぬと茂真は心配した。

「いや、少し味をしめてくれた方が何かと都合が良い。でないと各家の権力争いに飲み込まれかねないだろう。姫君様だってそれを見越してあの煙草入れを貞丸に渡したはずだ・・・・・・が、まだまだ『おふね』でしか利用できなさそうだよなぁ」

 茂真の一言に二人は大きく頷いた。斉正の珍しい我儘に振り回される形ではあるが、警備の上において相手を知るのは悪くない。三人も気を取り直し、斉正に付き従い南蛮船へ乗船することにした。



 次の日、斉正は茂義ら数人の上級家臣を引き連れて阿蘭陀船に出向いた。大名がわざわざ自分達の船を訪れてくれる――――――そう聞いたオランダ船側は大歓迎を持って斉正一行を出迎える。長崎奉行の役人が乗り込むことはあっても大名が乗り込むことは今までなかったのだ。もちろん斉正と意気投合した船長自らが一つ一つ丁寧に船の中を案内してゆく。どれもこれも初めて見るもので、全てにおいて斉正は驚かされたが、特に驚いたのは武器であった。海賊船対策のため数門の大砲が船に乗せられているのである。

「まるで軍艦のようですね」

 斉正がそういうと阿蘭陀船船長は大きな声で笑い出した。

『これくらいで驚いてはダメですよ。軍艦はこの船よりもっともっと大きいし、大砲も五十門ほど乗せていますし大砲の飛距離もこれなんかと比べものになりません』

 通詞によって翻訳されたその話を聞いて斉正は愕然とした。そんな船が日本を襲撃したらひとたまりも無いではないか。阿蘭陀船長は斉正の表情からその事を読み取り、言葉を続けた。

『大砲を使うのは話し合いをしても無意味な荒くれ者に対してだけです。大抵は話し合いで事は済むし、空砲の一発二発で相手が驚いてしまうこともある。敵でも味方でも一番価値があるものは知恵――――――敵の知恵が自分達を助けてくれることだってあるんです。知恵さえあればどんな劣悪な状況だって生き延びることが出来ますし、より良い生活をすることだって可能なのです』

「どんな・・・・・・劣悪な?」

 それはまるで今の佐賀藩のようではないか――――――斉正の表情が真剣味を帯びる。その表情から斉正の真意を汲んだのだろう、船長も熱っぽく、そして丁寧に斉正に話し出した。」

『嵐に出くわすことも、風のない日が続いて食料が底を尽く事だって我々船乗りにとっては日常茶飯事です。だけど今まで生き延びてきた――――――これこそが知恵のなせる技なんです。あなた方の国は我々を警戒して少しずつしか『西洋の知恵』を取り入れようとしませんでしたが、あなたならこの国の良いところを残しつつ、もっと我々の知恵を利用する事ができるでしょう。私はあなたのような若い世代に期待します』

 船長のこの言葉は斉正の心にすっ、と染み渡っていった。

(そうだ・・・・・・私はなりふりなど構っていたらいけないのだ)

 佐賀藩を立て直すには既存の知恵だけでは無理だろう。今まで禁忌とされてきた知恵をも受け入れ、利用しなければ今まで同様ずるずると借金ばかり増えていくだけだ。今までの質素倹約の他に取り入れることが出来る新しい知識――――――それをこれから模索していかねばならぬと斉正は決意した。

 この年から晩年のかなり遅い時期まで、斉正は毎年南蛮船に乗ることになる。船が好きと言うこともあっただろうが、それ以上に新しい知識を直接見聞しようという意欲からであった。また、この乗船により人生が変わってしまったのは斉正だけではなかった。一緒に乗船した茂義もまたその先端技術に魅せられた一人である。
 とある事件をきっかけに茂義は自領武雄に籠もり西洋技術導入の先鞭をつけることになるのだが、それもこの乗船での出来事がきっかけだったと言っていいだろう。たった一隻の南蛮船への乗船――――――この事が佐賀の命運を左右する大きな出来事だったと斉正が自覚するのは十数年後、佐賀の財政が立ち直った時である。



 そして七月の終わり――――――。

「ふふっ、茂義や松根の困った顔が目に浮かぶようじゃ」

 斉正のやたら長い手紙を読み終えて盛姫はくすくすと笑った。斉正の『報告書』はかろうじて八朔に盛姫の手に届いたのである。その熱っぽさに盛姫は微笑まずにはいられなかったが、その表情もすぐに曇ってしまった。

「例のことは一言も書いておらなんだ・・・・・・妾に気を遣っておるのじゃろうな、貞丸は」

 丁寧に手紙を折りたたみながら、盛姫は深いため息を吐く。

「姫君様・・・・・・」

 風吹も辛そうな表情をする。この手紙を運んだ使者は盛姫にもう一つの知らせを持ってきていた。藩主に側室を侍らす許可を願い出た、三支藩藩主および家老格数名の連名による嘆願書である。
 いくら藩主が望んでも側室を侍らす場合には正室の許可が要る。御国御前と言われる国許での側室の場合はその限りでない場合もあるが、さすがに徳川からの嫁に気を遣ったのだろう。物々しい嘆願書が江戸黒門に届けられたのである。
 その中には何故か茂義の武雄藩や茂真の多久藩などの龍造寺系親類同格の名前は書かれていなかったが、これも複雑なお家事情からなのだろうか。だが、皮肉にも盛姫にとってそれは救いであった。

「仕方・・・・・・ないのじゃろうな」

 そう言いつつも盛姫は悔しさに唇を噛みしめ、手にした斉正からの手紙を強く握りしめた。



UP DATE 2010.03.17

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『南蛮船・其の参』です、が・・・・・オタク大爆発です(笑)。いちおう建前上は『長崎御番のため』という事になっているのですが、好きじゃなければ毎年毎年長崎まで出向いて船には乗らないでしょう(爆)。この時はオランダ商船ですが後に軍艦にも乗船することになりますし、晩年に娘に出した手紙の中にも『船に乗って楽しかった』云々という内容の手紙があるとか・・・・・これを『乗りオタ』と言わずに何と言おう(笑)。
そして話の中では葵の御紋をちらつかせて無理矢理許可を貰っていますが、もしかしたら史実はもっとトンデモナイ方法で許可を貰っていたかも知れません。Wikiで調べたところ前例がない事柄に関しては老中に伺いを立てなくてはならないそうなのですが、これってまさに『前例がない事柄』ですよね。もしかしたらすでに老中から許可を貰っていた可能性もあるかもしれません。(または徳川家との婚姻関係を前面に押し出すか・・・・・調べれば調べるほど『特別扱い』が多い人です・笑)
ラストにちらっと出しましたが次回から側室問題が勃発します。さぁ斉正君の貞操は無事守られるのでしょうか(爆)。そして次回から始まる『白粉と薬匙』中で後の奥医師・伊東玄朴も登場させる予定ですv

次回更新予定は3/24。23:00~ですv


《参考文献》
幕末維新と佐賀藩  毛利敏彦著  中公新書
Wikipedia 長崎奉行
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