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「紅柊(R-15~大人向け)」
甲午・春夏の章

菖蒲の子・其の貳~天保五年五月の黎明

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「夕食時に済みません、後藤です!瑞江さんいますか!」

為右衛門が真っ先に助けを求めに駆け込んだのは寿江の幼馴染で親友の瑞江の家だった。

「おう、後藤さんじゃないか。どうしたんだ、血相変えて?」

 玄関に出てきたのは瑞江の良人である池畑小文吾である。どうやら瑞江は手が離せないらしい。

「うちの奴が産気づきまして・・・・・男じゃどうしていいか解らなくて・・・・・。」

 息を切らせながら事情を説明する為右衛門に、池畑は納得し奥にいると思われる瑞江に声をかける。

「おい、瑞江!後藤さんのところの細君が産気づいたそうだ!子供達は俺が寝かしつけておくから手伝いに行ってやれ!」

 すると奥の方から前垂れをしたままの瑞江が出てきた。

「為さん、寿江ちゃんが産気づいたって・・・・・おしるしは?」

「お・・・・・おしる・・・・・し?」

 瑞江の言っていることが理解できず為右衛門は面食らった表情を浮かべる。

「いや、ただ・・・・・ものすごく痛がっているし、脂汗もひどくって・・・・・。」

 理由も解らず瑞江に助けを求めに来たらしい―――――瑞江と池畑は顔を見合わせ頷いた。

「判ったわ。為さん、うちの人と手分けして女達を集めてちょうだい。私は先に寿江ちゃんの様子を見ておくから。」

「忝い!寿江は一番奥の北の間にいるのでお願いします!」

 為右衛門は瑞江夫婦の気遣いに深々と頭を下げた。



 男達より一足早く寿江のもとにやってきた瑞江は、寿江に駆け寄り声をかける。

「寿江ちゃん!大丈夫!」

「み・・・・・瑞江・・・・・ちゃ・・・・・ううっ!」

 激痛が襲ったのか、寿江は瑞江に強くしがみつき苦しげに呻く。暗くてよく判らないが、間違いなく破水しているだろう。

「もうちょっと待っていてね。為さんが帰ってきたら力綱をかけてもらうから。」

 寿江の身体を抱きしめながら瑞江が囁いたその時である。

「瑞江さま、お待たせしました!」

 玄関の方から女達の賑やかな声が聞こえてきた。そして手に手に薄浅葱色の力綱や産籠を持って次々に北の間に入ってきたのである。そしてその後ろから為右衛門も顔を覗かせる。御様御用を任される偉丈夫であっても、さすがにおなごばかりのこの雰囲気には気圧されてしまうらしい。

「ああ、丁度良かった!今力綱をかけなきゃ、って思っていたの。お咲ちゃん、ありがとう!為さん、これをあそこの金輪にかけてちょうだい。これに寿江ちゃんを掴まらせるからしっかり縛ってね!」

 瑞江が指差すその先には、父親の五左衛門に命じられて付けておいた真新しい金輪があった。その時は何の為に付けるのか皆目判らなかったが、ようやくこの為のものだったかと理解し、為右衛門は渡された薄浅葱色の力綱を金輪に引っ掛け、縛り上げる。

「はい、ありがとう!あとはおなごの仕事だから為さんは別の部屋で待っていてね。」

「おい、産婆は?」

 為右衛門は産婆が来ていないことを訝しく思い、瑞江に尋ねた。その瞬間、女達の間から失笑が漏れる。

「為さん、お産婆さんが必要になるのはまだまだ先よ。そうね、暁七ツか・・・・・初産だから明け六ツ半くらいでも大丈夫かもね。」

「そんなにかかるのか!まだ暮れ六ツ半にもなっていないんだぞ?」

 てっきり夜半には子供が産まれてくれるものだと思い込んでいた為右衛門は愕然とした。

「あら、そんなものよ。ねぇ、みんな?」

 瑞江の言葉に全員が頷いた。どうやらかなり長丁場になるらしい。為右衛門はがっくりと肩を落とす。そんな為右衛門に追い打ちをかけるように、瑞江はさらに恐ろしいことを言い放った。

「あと、万が一のことがあったら産科医の先生を呼ばなきゃならないんだけど・・・・・明日の昼になっても生まれないようだったら、いつでも増上寺裏の観斎先生呼べるようにしておいてね。」

 この時ばかりはいつにない厳しい表情で瑞江は言うと、為右衛門を閉めだした。

「おい、産科医なんて縁起でもない・・・・・。」

 縁起でもない―――――為右衛門がそう思うのには理由がある。この時代、健康なお産であれば産婆の手助けだけで出産は済む。だが、難産で母子供に命の危険が及ぶ場合、または出産の途中で子供が死んでしまった場合に産科医の出番となるのだ。
 勿論彼らも医者であるから出来る限り母子ともに生かそうとするが、彼らが呼ばれる時には時すでに遅く子供が死んでいる事も多いので、必然的に母親の命が最優先となる。
 さらに産科ような特殊な技術を持つ医師は極めて少なく、文政三年時点で江戸の医師千五百人中、産科の技術を持った医師は専門医七名、兼任三十七名しかいなかった。天保年間ではもう少し多くなっていたが、それでも五十名には届いていない。

「寿江、頼む・・・・・頑張ってくれ!」

 為右衛門は北の間の隣にある仏間に陣取ると、そのまま仏壇に向かって手を合わせた。



 父親の五左衛門が明日の登城準備から帰宅したのは、女達が北の間に閉じこもって間もなくの事であった。

「そうか、ようやく始まったか。」

 普段厳しい表情を浮かべている事が多い五左衛門が、この時ばかりはさすがに目に優しい色を浮かべている。

「そういえばお前の時もこれくらいの時間に陣痛が始まったな。」

「そう・・・・・なのですか?」

 硬い表情のまま為右衛門は父に尋ねる。

「ああ、お前の時は冬場だったから、あちらこちらから火鉢を集めて母子の身体を冷やさぬようにしたものだ。今日は暑いくらいだから、むしろ風を通したほうがいいかもしれないがお産には悪くない気候だろう。」

 五左衛門は穏やかに微笑むと為右衛門に風呂敷鼓を渡した。それは玄関に置いたままだった為右衛門と寿江の夕食だった。

「寝て待つならともかく、寿江が心配でおちおち寝てはいられないだろう。間違いなく一晩がかりのお産になるのだから、今のうちに食べておけ。先は長いぞ。」

「父上・・・・・母上の時は、どれくらいの時間がかかりましたか?」

 風呂敷包みを受け取ったものの、食事をする気は起きなかった。為右衛門は青ざめた表情のまま五左衛門に尋ねる。

「そうだな・・・・・暁七ツ半、くらいだったか。確か藩の勤めに出なければならない時間直前に生まれて、仕事に遅れたのを今でも鮮明に覚えている。冬場の夜は長いから、かなり時間はかかったと思う。」

「そうですか。」

 冬場と夏場では夜の明け方がかなり違う。五左衛門の経験―――――すなわち自分が生まれた時よりも半刻くらい遅くなるものと見込んでいたほうが良いだろうと為右衛門は腹を据えた。

「ま、あちらの家は安産の家系だし問題無いだろう。儂はこれから祐筆殿のところに行って向こうの両親を呼んでこよう。」

「済みません、父上。」

 父親に使い走りをさせてしまう非礼を為右衛門は詫びる。

「気にするな。ようやく授かった子だ・・・・・お前がここで待っていた方が寿江も安心するだろう。」

 五左衛門はそう言うと立ち上がり、寿江の両親を呼びに仏間を後にする。それと入れ替わるように五三郎が帰ってきた。そして父親と何か二言、三言会話を交わした後、為右衛門がいる仏間に入ってくる。

「兄上、大丈夫ですか?すでに疲れきった顔をしていますけど。」

 冗談半分に五三郎が兄に声をかけるが、為右衛門はそれどころではなかった。

「大丈夫な筈無いだろう!寿江があんな苦しげな声を上げているっていうのに・・・・・。」

「そうですか?俺にはそうは思えませんけど。」

 五三郎はけろっ、と言い放つ。

「三年前の飯塚さんちの充世さんの時のほうがひどかったじゃないですか。御徒長屋中に響き渡る悲鳴を上げて・・・・・飯塚さん、後日近所に詫びていましたよ。それに比べたら義姉上はかなり大人しいほうだと思いますけど・・・・・兄上?」

 さらに厳しい表情になってしまった為右衛門に対し、五三郎は恐る恐る声をかける。

「大人しいって・・・・・寿江の奴、弱っているなんてことは無いだろうな?やっぱり早めに産婆を引っ張ってきたほうが・・・・・。」

「考えすぎですよ。だったら瑞江さんが出てきた時にでも義姉上の様子を聞けば・・・・・。」

 その時である、北の間に面した襖が僅かに開き、瑞江が顔を出したのだ。これ幸いにと為右衛門は瑞江ににじり寄る。

「瑞江さん!寿江は大丈夫ですよね?弱っていたりなんて・・・・・。」

「ちょっと為さん、静かにしてもらえません?寿江ちゃんが為さんの声を気にしちゃってお産に集中できないじゃないの!」

 どうやら為右衛門の声が襖越しに寿江に聞こえているらしい。寿江と同い年、つまり一回りほども年下の瑞江に叱り飛ばされ為右衛門はしゅん、と項垂れた。その時である。

「寿江が産気づいたって?」

 義父の榎本麒一郎の声が玄関から聞こえてきた。寿江の両親が五左衛門に連れられてやってきたのである。三人はすぐに為右衛門達がいる部屋にやってきた。

「あ、寿江ちゃんのお母上!丁度いいところに!寿江ちゃんが為さんの声を気にしちゃっていたところだったんで、顔を見せて安心させてやってくれませんか?」

 寿江の母親の顔を見るなり、瑞江はにっこりと笑ってお産を手伝ってくれと頼む。

「あら、瑞江ちゃんもうちの子のお産手伝ってくれていたの?ありがとうね。それにしても寿江は変な所で神経質なんだから・・・・・旦那の話し声なんて無視しておけばいいのに。」

 寿江の母親は我が娘の繊細さをぼやきつつも自前の襷を手早くかけ、するり、と北の間へ入っていった。何せ寿江の母は八人も子供を成した大御所である。下手な産婆よりよっぽど頼りになるのだ。その空気の変化は襖越しに男達にも感じられた。

「為右衛門、そんなに心配そうな顔をするな。」

 義父の榎本麒一郎は持ってきた貧乏徳利を置きながら為右衛門を元気づける。

「こればかりは女の仕事だ。男は何もすることが出来ないんだから腹を据えて待っていろ。朝には元気な男の子が産まれるさ。」

「何故・・・・・男子と?」

「勘さ。お、済まないな、五三郎!」

 人数分の盃を持ってきた五三郎に礼を言いながら榎本は盃に酒を注ぐ。

「八人も子供ができると何となく解るものさ。腹の中であれだけ暴れまくるのは十中八九男の子だろう。」

 笑いながらそう言うと、榎本は為右衛門の盃を差し出した。

「生まれてくりゃ父親の仕事はごまんとある。だが、今はただ寿江を信じて待つだけだ。」

 榎本の言葉に為右衛門は黙ってうなずき盃を受け取った。自分はまだまだ人間として、そして人の親として未熟すぎると為右衛門は痛感する。

「そうですね・・・・・俺も寿江を信じます。」

 為右衛門は大きく息を吸うと、盃の酒を飲み干した。



 長い夜もいつかは明ける。芝備中新見藩藩邸の御徒長屋にも黎明の光が差し込んできた。結局誰一人眠ることなく朝を迎えてしまった。さすがに待っている方も疲労の色が濃い。そんな中、一人だけちゃっかりと睡眠を取った五三郎だけがやけに元気だった。

「父上!兄上!榎本さん!端午の節句らしい、良い天気ですよ!」

 雨戸を開けながら五三郎が皆に声を掛けた、その時である。


オギャア!


 元気の良い声が家中に響き渡った。そして襖の向こう側の気配も途端に慌ただしくなる。

「おい!男か?それとも女か?」

 榎本が待ちきれず襖越しに声をかける。その声に反応して襖を開けたのは榎本の妻だった。その瞬間、濃い血の匂いが為右衛門の鼻腔をくすぐる。

「もう、昔っから旦那様はせっかちなんだから。生まれた子はね―――――。」

 榎本の妻が言いかけたその言葉に、男達は思わず固唾を呑んだ。



UP DATE 2013.5.14

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長い長い夜を超えて、ようやく生まれてきてくれました、為右衛門の子供v初夏場の一晩で生まれてきてくれたということは、初産としてはかなり安産だったのではないでしょうか。お陰様で江戸で50人ほどしかいない産科医に頼らずに済みました(*^_^*)
(産科医の本家は上方だった為か、人口の多さに比べ極端に少なかったそうです。)

それにしても為右衛門の動揺ぶり・・・・・(^_^;)寿江やわが子に何かあったら、と思うといてもたっても居られなかったのでしょう。一回りも若い妻が可愛くてしょうがないというのもありますが、元々愛情深い人なんです^^
しかし瑞江には叱られるし、男親たちには窘められるし(^_^;)新米パパはこれからが大変そうです。

さて、生まれてきた子は跡取りとなる男の子なのか否か・・・・・これは次回まで引っ張りますよ~(爆)
『家』の存続のためには男の子のほうが良いんでしょうけど、女の子が生まれたら猫可愛がりになるんだろうなぁ・・・・・間違いなく嫁に行くのが大変そう(^_^;)
どちらが産まれるか、それは次回までお待ちくださいませね♪

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