FC2ブログ

「葵と杏葉」
葵と杏葉・藩主編

葵と杏葉藩主編 第七話 白粉と薬匙・其の壹

 ←横浜慕情 桜の銀鱗・其の参 →夏虫~新選組異聞~ 第一章 第八話 壬生浪士組・其の肆
 藩主に側室を侍らす許可を願い出た、三支藩藩主および家老格数名の連名による嘆願書が出された頃――――――すなわち斉正が南蛮船に乗り込むことが出来た直後から、三支藩および一部の家老衆から『若殿の側室には是非我らが一族の娘を』という働きかけが表面化し始めた。
 表向きは若い藩主の独り寝をおもんばかって、と言うことなのだが、明らかに裏の事情が垣間見える。享楽の限りを尽くした前藩主と違い、斉正は国の立て直し及び活性化に非常に熱心である。また、前例を無視して南蛮船に乗り込んだ無謀とも言える行動力は、今現在『鷹狩り』と言う名の領内視察という形で現われていた。
 しかも将軍の姫君という強力な後ろ盾を持っている。いくら佐賀領内での前藩主の影響力が絶大だとしても葵の紋の前にはそれさえも色褪せるのだ。今はまだ国許の政治に口出しをしてこない盛姫だが、いざとなれば斉正のためにかなり尽力するだろう。そう思わせるほど斉正との夫婦仲もすこぶる良い。

 その仲の良いところへ自分の、または一族の娘を側室として送り込むのは並大抵では無いが、盛姫ごと斉正を取り込めば今まで以上の権力を手に入れることも可能だ――――――そう考える者が出てくるのも自然の成り行きである。しかも三支藩に至っては数代前から『本藩からの独立』を願い出ているだけに、この時を逃してはならぬと代替わりのどさくさに紛れ、一気に話を進めてようと動き出したのである。



 佐賀城内で三支藩の関係者や家老達と顔を合わせれば二言目に『うちの娘を是非側室に』と始められれば斉正でなくともうんざりする。そんな煩わしさから逃れるため斉正の領内視察はますます多くなり、城に帰ってきたならば帰って来たで茂義のいる武雄藩の屋敷か茂真のいる須古藩の屋敷、または藩校である弘道館へ逃げるように足を運ぶことが多くなっていた。そして今日も領内視察から帰ってきたその足で茂真の屋敷へ直行である。

「殿、いらして下さるのでしたら使者を寄こして下さればよろしいのに」

 客間に通された斉正を認め見るなり茂真が半ば呆れたように言うが、斉正は力なく首を横に振りながら力なく茂真に答えた。

「兄上、私にお気遣いなく・・・・・・今日は、蓮池と小城から逃れてきただけですから」

 鷹狩りと言う名の領内視察から帰ってきた斉正を待ち構えていたのは小城領主の直堯と蓮池領主の直与の二人であった。ご機嫌伺いと称しつつ明らかに側室を押しつけようとする魂胆が見え見えだったために、厠に行く振りをして城を抜け出してきたというのである。ある意味長崎奉行の反対を押し切って南蛮船に乗り込むよりも問題のある行動に、茂真は大仰に溜息を吐いた。

「彼らはまだしつこく側室を押しつけようとしているのですか?」

「・・・・・・というか、側室を通じてそれぞれの藩独立への働きかけをするつもりなのだろう。彼らの気持ちも判らぬではないが」

 特に直堯が領主を務める小城藩は幕命により公役も務め、さらに江戸城柳間詰の大名でもある。柳間詰で五万石以上の大名は大抵、城主か城主格に任じられており、中には一万石にすぎないのに城主に任じられている大名もいたのである。
 しかし小城藩は七万三千石の領地を持ちながら城持ちより格下の陣屋格なのである。また蓮池も五万二千石の領地を持ちながら陣屋格であり、それを不服とする歴代藩主による城主格への格上げ――――――すなわち佐賀藩からの独立を働きかけていたのである。

「父上が政治を顧みず享楽に走られた気持ちが、今は解るような気がします」

 ここ二ヶ月の『側室攻撃』にさすがに疲れ果てたのか、斉正は数度目の溜息を吐いてしまう。

「私には国子殿がいるのに、獅子身中の虫になりかねない側室を幾人も侍らすなんて馬鹿馬鹿しいではありませぬか。それに側室を侍らすだけの金があったら・・・・・・」

「『弘道館を大きくする!』ですか」

 茂真はここ最近の斉正の口調を真似て言った後、くすくすと笑い出した。



 弘道館とは斉正の祖父に当たる八代藩主・治茂が儒学者古賀精里に命じ、天明元年に佐賀城に近い松原小路に建てた藩校である。

 開設にあたって、手本になったのは当時最先端の藩校と謳われていた熊本藩校時習館であったが、時習館を創設した当時の熊本藩藩主・細川重賢は斉正同様財政窮乏の中で藩主に就任しているのが何とも興味深い。
 そして時習館を建てると『厳しいときこそ人づくりが大事。決して教育予算を惜しむな』と厳命し改革の担い手となる人材養成に着手、見事改革に成功したのである。
 いつの時代も『改革の成功』というものは憧れである。しかも自分達と境遇が似通っている藩の成功はなおさらだ。
 『もしかしたら自藩の改革にも取り入れることが出来る何かがあるのでは』と熊本の改革成功に関心を持った治茂は、多久出身の儒学者でのちに弘道館教頭格となる石井鶴山を熊本へ派遣し、改革と藩校の関係を学ばせた。

 このように期待された弘道館だったが、世の中そう単純ではない。特に佐賀藩に置いて教育改革の障害になったのは家格による役職の世襲、固定であった。


『学んでも出世につながらないとして出席しないばかりか、学問を非難する者もいる。生徒は減り、寺子屋同然の場になってしまった』


 文化三年、斉正の指導者でもある古賀穀堂は意見書『学政管見』において上記のように嘆いており、さらにはこの発言が前藩主・斉直の怒りに触れ弘道館の教授を解任されている。
 さらに、追い打ちをかけるように斉直の散財やシーボルト台風などで藩財政は最悪の状況になってしまい、弘道館の予算は大幅に削られてしまったのである。それ故に寄宿舎の修繕や書籍購入もできず、『何をやっても無駄』という空気が漂っていた。そんな中、この現状を憂えたのがお国入りの十数日後、長崎に行った帰りに弘道館にやってきた斉正だったのである。

「三支藩や龍造寺一門、その他前藩主子飼いの輩など殿の脚を引っ張ろうとする者は多々おります。少し時間はかかるでしょうが藩主自ら動かせる人材を作るのも藩主の務めだと・・・・・・」

 穀堂や茂真、さらには二人の意見に大いに賛同した茂義の薦めで弘道館にやってきたはいいが、あまりの荒れように絶句する。そしてそれ以上に藩主が弘道館にやって来てくれたことに感激する下級藩士達の姿であった。長崎警備の藩士同様、彼らも藩に冷遇されていたのである。

「『学政管見』を必ずや現実のものとし、藩再興のための人材を育成する!」

 学生達が斉正と同年代だと言うことも幸いした。自分達の代が佐賀をより良いものにしていくのだと、長崎帰りの疲れも見せずに真夜中まで学生達と熱く語り続けたのである。
 それ以来どんなに忙しくとも毎月一回の視察を続け、時には書物を読み内容を研究し合う『会読』にも加わり、学生達との親交を深めていた。
 盛姫と離ればなれになった斉正にとって弘道館はまさに側室、否、それ以上の心の支えになっていたのである。それだけに苦しい財政からでも何とか予算をひねり出し、充実させたいと願うのだが、本物の側室を侍らせてしまったらそれも叶わなくなってしまうのである。



「他人事だと思って兄上は・・・・・・この騒ぎが国子殿に伝わったら・・・・・・」

 笑い続ける茂真を恨めしげに見つめながら斉正はぼやく。

「あはは・・・・・・申し訳ございませぬ。しかし、年上の奥方様はやはり怖いのですか?」

 ようやく笑いを収めた茂真は斉正に尋ねた。茂真自身は盛姫に直接会ったことはないが、斉正や側近の話から斉正が盛姫をとても大事に思っていることは聞いている。しかし、それは愛妻振りから来るのかそれとも恐妻振りからくるのかいまいちよく解らないのである。

「いや怖いわけではないのだが、ありもしない二つ心を疑われても・・・・・国子殿はともかくお付きの女官がその・・・・・・」

 歯切れが悪くむにゃむにゃと斉正が口籠もる。どうやら未だに風吹が茂義を投げ飛ばした事件が頭の片隅にこびりついているらしい。確かに若様育ちで女官と言えば楚々としているもの、と思ってばかりだった斉正にとって、妻を護っている『強い女官』は心強くもあるし怖くもある。

「ま、諦めた方が宜しいでしょうな。すでに三支藩連名で側室を侍らす嘆願書の一つや二つ、江戸に送っているでしょう」

 それを聞いて斉正の表情が強張った。

「そ、それは・・・・・・」

 明らかな動揺が斉正の顔に走る。その姿はまるで浮気現場を押さえられた亭主か間男とでも言った風情だ。

「いいじゃないですか、別に。実際側室を侍らす訳じゃ無いんでしょう?ま、投げ飛ばされるとしたら嘆願書を防ぎきれなかった請役殿でしょう。相手もその方が投げ飛ばしやすいでしょうし」

 必要以上に怯える斉正を宥める為か、茂義が聞いたら目を回しそうな発言を茂真はするが、斉正は素直にその言葉を聞き入れることができない。

「しかし、国子殿が良いなんて言ったら・・・・・・」

 余計に落ち込んでしまいます、と訴える。

「あくまでも許可ですよ、許可。愛想を尽かされて他の女子で我慢しろって言うわけでは無いんですから」

 茂真がそういうものの斉正の心は穏やかではない。

「私にとって国子殿は妻でもあるし、その・・・・・・初めての・・・・・・」

 そう言って斉正は口籠もった。家同士が決めた政略結婚ではあるが、斉正にとって盛姫は初恋の人であり心から愛おしい妻なのである。形だけの妻であれば側室を侍らすことに対しても罪悪感を感じないのだろうが、そうではない。

(私たちに子供が出来なければ優秀な若者を養子にでもすればいいのに・・・・・・何故そっとしておいてくれないのだろう)

 理屈の通らぬ理不尽さに悩みながら、この事が盛姫にばれないで欲しいと切に願う斉正であった。



 だが、斉正の願いも空しく数日後、盛姫からの許諾の返事を携え、直堯がやって来た。

「この通り、姫君様から許諾を承っております!」

 我が意を得たりと自信満々に盛姫からの許諾書を広げる直堯が恨めしい。

「御入輿されて五年、ご懐妊の兆候も見えぬと伺っております。これでは鍋島直系の血が途絶えてしまいます。誠に申し上げにくいのですが姫君様はお身体に何か問題でも・・・・・・」

 直堯のその一言を聞いた瞬間、今まで感じたことのない、激しい感情が斉正の中にわき上がる。側室を、と迫るだけならまだ我慢ができるが、盛姫に対する一言――――――『お身体に何か問題でも』と、明らかに蔑みを含んだその一言だけは許せなかった。

「・・・・・・小城藩の独立は諦めた方がよいぞ、直堯」

 いつになく厳しい声に、立て板に水とばかりしゃべり続けていた直堯の言葉が不意に止まる。

「私には優秀な兄もいるし将来性のある弟もいる。何なら兄の子や弟の誰かを養子にして跡を継がせれば構わぬではないか!私は白粉の香は好かぬ!」

 いつになく強い口調で言い切ると、斉正は席を立ち、乱暴な足音と共に部屋を出て行こうとする。しかし、それをかろうじて止めたのは傍に控えていた茂義であった。

「直堯、殿は日々の激務でお疲れだ。今日のところは下がってくれぬか」

 親友の必死の取りなしに、どうやら自分は斉正の逆鱗に触れてしまったらしいとようやく直堯は気がついた。これ以上話を推し進めても斉正を頑なにし、藩の独立どころか小城藩取潰しにもなりかねない。直堯は茂義の取りなしに心の中で感謝をするとただ一礼してその場から下がった。

「・・・・・・悪い奴では無いんですよ。ただ先祖代々の重荷を背負ってしまっているだけで」

 斉正の肩を押さえながら、茂義は必死に直堯の援護に回る。そしてようやく斉正も落ち着きを取り戻し始めた。

「・・・・・・判っておる。だが・・・・・・五年もの間、ややができないというのはやはりおかしなものなのか?」

 そう言えば産褥で亡くなりこそすれ、病弱な姉・寵姫でさえおよそ一年で茂義の子を身籠もったではないか。それを考えれば結婚して五年の間、子供ができないとなれば側室を、というのも無理からぬ話なのだろう。不安そうな表情で斉正は茂義に答えを求めたが、尋ねられた茂義は何とも言えない複雑な表情を浮かべる。

「五年、ねぇ・・・・・・そのうち四年間は『お勤め』をさぼってたから一年だけどな。その事でどれだけ周囲がやきもきしたと思っているんだ」

 ある意味斉正・盛姫夫婦の一番の被害者である茂義は一言嫌みを言うとさらに続けた。

「下々では『嫁して三年子無きは去れ』と言う。三年子供ができないというのはよっぽど夫婦仲が悪いか、どちらかが病弱か・・・・・・妻側に問題がある場合、俺のところのように命を落としかねぬ。さっきの貞丸の言葉じゃないが無理をする必要は無いと俺も思う。兄弟も多いのだし、こればかりは先代の女道楽を感謝した方が良いかもしれんぞ」

 茂義はそう言って慰めるが、斉正は諦めきれない。

「・・・・・・私だけで考えていても仕方が無いな。文殊の知恵を借りることにしよう。茂義、弘道館に知らせを」

 斉正は茂義に命ずると姿勢を正し、弘道館へ向かう準備を始めた。



UP DATE 2010.03.24

Back   Next


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
INランキング参加中。
お気に召しましたら拍手代わりに是非ひとポチをv


  
こちらは画像表示型ランキングです。
押さなくてもランキングに反映されます。
(双方バナーのリンク先には素敵小説が多数ございます。お口直しに是非v)






ようやく側室問題&盛姫の身体の問題の話である『白粉と薬匙』突入しましたv
白粉とはいわゆる側室の暗喩ですね。斉正クンにもはっきりと『白粉の香は好かぬ!』と言わせちゃっておりますが、そう言うことです。(ちなみに江戸っ子・盛姫は武芸の稽古で化粧が落ちるという理由から滅多に白粉は付けない設定です)
実際側室はどうだったのか、資料の入手方法というか何を調べたらいいのか皆目検討がつかないのですが、斉正の第一子・貢姫が斉正二十七歳、盛姫三十歳の時に生まれてます。参勤交代で江戸にいる時期などを考えますと、もしかして盛姫の御褥御免ぎりぎりまで頑張ったのではないかと勝手に妄想・・・・・(こんなんばっかりですが・笑)。

次回更新は3/31、23:00~、弘道館の仲間と共に『盛姫を身籠もらせるには?』という議題でディスカッション(爆)と相成りますが、そこでタイトルの『薬匙』が出てくる予定です。


《参考文献》
◆改革ことはじめ http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/kaikakumenu.html
◆Wikipedia 佐賀藩
◆Wikipedia 弘道館
関連記事
スポンサーサイト




 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ 3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ 3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ 3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ 3kaku_s_L.png 雑  記
総もくじ  3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ  3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ  3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ  3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ  3kaku_s_L.png 雑  記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【横浜慕情 桜の銀鱗・其の参】へ  【夏虫~新選組異聞~ 第一章 第八話 壬生浪士組・其の肆】へ

~ Comment ~

承認待ちコメント 

このコメントは管理者の承認待ちです

S様、こんにちは 

『葵と杏葉』に感想ありがとうございます(^^)
大名夫婦としては当たり前でありながら、この二人に関してはようやくの側室問題ようやく出て参りました。
なまじ互いに愛情を感じているだけに『世継ぎを作るため』と割り切れないところがつらいところでしょう。現代ならば不妊治療、と言うところでしょうが(精神的、肉体的、経済的にもかなりつらいみたいですけど・・・)江戸時代だとどうしても『産めることができる女性に出産は任せて正室の子として育てる』のが一般的だったようです。
この問題はちょっとずつではありますが、改革編の終盤まで関わってきますのでよろしかったらその点もお楽しみ下さい。
今年の花冷えは半端なものではなさそうですのでお身体、お気を付け下さいませ。
コメントありがとうございましたm(_ _)m
管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【横浜慕情 桜の銀鱗・其の参】へ
  • 【夏虫~新選組異聞~ 第一章 第八話 壬生浪士組・其の肆】へ