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「葵と杏葉」
葵と杏葉・藩主編

葵と杏葉藩主編 第八話 白粉と薬匙・其の貳

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 直堯との不愉快な会談の後、斉正は茂義と共に弘道館へ顔を出した。

「殿、お待ちいたしておりました。どうぞこちらへ」

 実質上の塾頭である古賀穀堂が直々に斉正を出迎え、深々と挨拶をする。一見すると好々爺のような見目の穀堂だが、こと教育のこととなると極めて辛辣で、自らが記した『学政管見』によって先代・斉直から弘道館の教授を解任されたり、天保二年に出すことになる緊急提言書『済急封事』においても激しい持論を展開するなど、茂義や茂真顔負けの情熱を内に秘めている。
 斉正もそのような穀堂を頼りにしており、父・斉直の許しはないもののこっそり穀堂を弘道館付きの教授、しかも事実上の塾頭として職に就かせていた。

「穀堂先生、お気になさらずに・・・・・・ところで講義の方は?」

 斉正が玄関にあがりながら穀堂に講義終わる時間を尋ねる。

「講義は八つに終わりますが、会読が・・・・・・」

 会読とは多人数で読みながら意味を研究し合うものである。斉正が佐賀入りしたのを契機に穀堂の提案で始められた教育方法だが、これは『嫉妬深く、負け惜しみばかりで優柔不断』な佐賀藩士の気風を改善し、将来的には江戸や大坂、さらには長崎などに留学させるために必要な議論力を養わせるものであった。

「穀堂先生、誠に申し訳無いのですが、本日の会読の時間を私にいただけないでしょうか」

 斉正の深刻な表情に穀堂は眉を僅かに顰めた。

「小城か蓮池が若殿に何か失礼なことでも・・・・・・?」

「そう言われればそうなのかも知れませんが・・・・・・先生は結婚して五年もの間、子をなせぬ夫婦をどのように思われますか?」

 斉正の言葉に穀堂も言葉を詰まらせる。この時代、子供ができない原因は全て女性側にあるとされていた。しかし、仮にも将軍家の姫君に対して『石女(うまずめ)』などとは口が裂けても言ってはならない。口をもごもごとさせている穀堂の様子から斉正は穀堂の困惑に気がついた。

「穀堂先生、そんなに我々夫婦に気を遣って頂かなくても大丈夫ですよ。というか、この件のについて解決策を皆に議論してもらうのも面白いと思いませぬか?」

 何と斉正は自分とほぼ同年代の若者達に自分の夫婦間の悩みを打ち明け、それを解決させようと言うのである。しかし、このような問題に答えが出るとは穀堂には思えなかった。

「穀堂先生は無理だろうと思うのですね」

 複雑な表情を浮かべる穀堂に対し責める風でもなく、むしろ愉快そうに斉正は穀堂に笑いかける。

「でも、何事もやってみなければ判りませぬ。皆の学問の時間を奪ってしまう私の我儘、お許し下さいませ」

 斉正は一礼すると、唖然とする穀堂をそのままに藩主用の居室へと向かった。

「相変わらずのぼろ屋だなぁ、ここは。学生達や講師が居なけりゃ幽霊屋敷そのものじゃないか」

 一緒に出向いた茂義が溜息を吐くほど藩主用のその部屋は極めて小さく、畳もぼろぼろであった。この事自体、いかに弘道館が斉直の時代に冷遇されていたか物語るものである。とりあえず教本だけはという事で必要最低限の書物の導入は済ませたものの、建物にまで手が、というより金が回らないのが現状であった。

「そう言えばこの前初めて鼠が走り回る音というものを聞いたぞ。教本が雨漏りで濡れてしまうのは困るが、茶碗に雨粒が落ちる音など風情があって、きっと国子殿も面白がるに違いない」

 茂義と違い、斉正はむしろこのおんぼろぶりに風情を感じているらしい。そんなのんびりとした発言をする主君に対し、茂義は至極正しい一言を呟いてしまった。

「・・・・・・その前にお付きの女房が止めに入るでしょう。建具ごと投げ飛ばされても知りませぬぞ」

「ああ、それは確かにあるやもしれぬな」

 茂義の、実感のこもった一言に斉正は思わず笑い出してしまった。



 鼠が走り回り、雨漏りがするぼろ屋敷、弘道館。だが今の斉正にとってここは唯一自分らしく居られる場所であった。江戸であれば黒門という絶対的な権力に護られた場所があり、そこに逃げ込めば好きな船の図面を見ることも、家臣からはあまりよい顔をされない蘭学の勉強も思いのままだった。しかし佐賀においてはそれさえ許されない状況に追い込まれている。
 どこに行くにも三支藩や家老の息のかかった家臣の目がついてまわるし、江戸にいる隠居派の勢力も未だ健在だ。そのような息苦しさの中、藩から見捨てられたようにぽつんと建っている弘道館だけが斉正の逃げ場所であり、心のよりどころであった。



 斉正が藩主の間でくつろいでいた丁度その頃――――――。

「おい!殿が来たそうだ!」

 廊下側に座っていた中村彦之允が、外の慌ただしさにいち早く気がつき騒ぎ出した。細かい事に良く気がつくのは決して悪いことではないのだが、時と場合を考えないのがこの男の悪いところである。

「こら、中村!まだ講義中だろうが!大人しく座らんか!」

 講師の牟田口藤右衛門が怒鳴りつけても中村は聞く耳を持たず、むしろ余計に廊下の方を覗き込む始末である。それに続いて年下の原五郎左衛門や南部長恒らも中村に倣って廊下を覗き込む。

「まったく・・・・・・若殿が通ってきて下さるようになってやる気が出てきたと思ったらこれだ。慕う気持ちは悪くはないが、こう落ち着かないのもなぁ」

 牟田口のぼやきに他の学生達は一斉に笑い出した。



 斉正の祖父・治茂の鳴り物入りで立てられた弘道館であったが、斉正のお国入りの前は入学しても出世に繋がらないと、全く覇気のない状況であった。上級家臣の子息は弘道館に顔も出さないし下級藩士の子息もだらだらとつまらない授業を受けるばかりであった。『佐賀藩士は『葉隠』だけを学んでいればよい』という風潮の中、教材に葉隠を使わない弘道館は顧みられず、斉正が藩主に就任した頃は寺子屋同然の状況だったのである。しかし、それを変えたのが斉正の弘道館通いだった。
 煩わしさから逃げる意味もあったが、斉正自らが弘道館に足を運び、時に一緒に講義を受けることで下級藩士達のやる気が俄然出て、弘道館に活気が漲り始めたのである。後年、弘道館で良い成績を収めなければ例え上級藩士でも役職に就けなくなるのだが、その芽生えは斉正と下級藩士の子弟達が膝をつき合わせ、互いの人となりを熟知できる弘道館ならではの関係が大いに関わってくることになる。



 牟田口の講義が終わり、入れ替わるように斉正が茂義と穀堂を引き連れ講義室に入ってきた。

「講義が終わったあと、疲れているところ申し訳無い。実は折り入って皆に相談したいことがある。この後用事がない者だけで構わないからしばし残ってくれないか」

「もちろんです!」

 用事のない者だけ、と斉正が言ったにも拘わらず、帰ろうとするものは誰一人いなかった。それもそうだろう、弱冠十七歳の藩主とは言え、相談したいことがあると言われれば帰るに帰れないし、どんな悩みを藩主が抱えているのか興味津々でもある。斉正は三十人ほどいる生徒達を見回しながら口を開いた。

「・・・・・・家老達や三支藩の藩主達に私が側室を押しつけられようとしていることは知っているな?」

 斉正の言葉に皆が一斉に頷く。実は『どこの一族の姫君が一番早く側室に収まるか』とか『どこの一族の側室がお世継ぎを産むか』という事が学生の中で賭け事の対象となっているのだが、さすがに誰もその事を口にする者はいない。

「先程も小城に側室をと迫られたのだが、その際妻の身体に問題があるのでは無いかと言われたのだ。そこで・・・・・・」

 皆に何か良い方法がないか問いたいという間もなく、辺りは蜂の巣を突いたような大騒ぎ、否、議論になってしまった。

「やはり漢方医に見てもらうのが宜しいのではないでしょうか。何せ徳川家の姫君様ですから、迂闊な医師に診察をさせるのは如何なものかと」

「いや、蘭医にも良い医者はいるぞ!」

「ここはやっぱり殿に頑張って貰って気合いで子作りを!」

「殿が江戸におられるのは二年の内たった三ヶ月だぞ?その間他の務めもあるのに、子作りばかりしているわけにもいかぬだろう!馬鹿か、お前は!」

「ほら、ふざけるな!これは真面目な話だぞ!」

 あまりの騒動に茂義が怒鳴りつけるが、学生達はお構いなしにどんどん持論を吐き出してゆく。そんな中、井内伝右衛門が全員を納得させる意見を提案したのである。

「おい、勘造さんがいるじゃないか!勘造さんに頼んだらどうだろう?」

 井内の一言に全員が思わず頷いた。

「それは確かにいいかもしれない!たまには良いこと言うじゃないか、井内!」

「たまには、は余計だろう中村!」

 中村の茶々に井坂が笑いながら言い返す。

「蘭医だけど佐賀のお人だし、どんな医者より腕は確かだ。あの人ほど適任者はいない!」

 井内の発言を中心に学生達の意見がまとまりはじめた中、斉正は古賀穀堂に尋ねた。

「穀堂先生。勘造、とはどのようなお人なのでしょうか?」

「・・・・・・蘭学者・猪俣伝次右衛門の弟子でして、今は伊東仁兵衛の二男・玄朴を名乗っております。実はシーボルト事件と関わりのある男でして」

 腕は間違いなく良いのですが、と前置きをしてから穀堂は渋い表情のまま斉正に説明をし始めた。



 神埼郡仁比山村の農家執行・重助の長男・勘造は、阿蘭陀語の師匠であった猪俣伝次右衛門の息子源三郎とともに江戸で蘭学塾を開いていた時、たシーボルト事件がに巻き込まれてしまったという。

「本当にたまたまだったんです。用事で佐賀へ帰るということで、鳴滝塾門下生でもあった勘造は、高橋景保殿から源三郎を通して国外持ち出し禁止の日本地図をシーボルトに渡すように依頼されてしまって・・・・・・」

 ご禁制の日本地図であったが、勘助は軽い気持ちでそれを引き受けてしまい六月二十日にシーボルトにその日本地図を届けてしまったのである。

「思い出したぞ、確か大風の翌年に事件が発覚して大騒ぎになったのを」

 翌年、事件が明るみに出ると追及の手が迫り、佐賀藩邸も取り調べを受けたのを斉正は思い出した。さすがに盛姫の嫁ぎ先とあって形ばかりのものであったが、それだけ大きな事件だったのだ。

「当時から藩は勘造の能力を評価しておりましたので、そう簡単に幕府の手に引き渡すわけにも参りませぬ。『江戸往来の者に荷物を託すのは当時の習いで、それだけでは罪を問われない』だろうと、家臣伊東仁兵衛の二男玄朴として自首させたのです」

 そのおかげで佐賀の思惑通り玄朴は無罪放免となったが、日本地図を勘造に渡してしまった源三郎は罪を免れずに獄死し、蘭学者に対する弾圧が始まったのである。

「この様な訳でして・・・・・・あの事件に関わり合いのある者を姫君様の侍医にするのは如何なものかと・・・・・・幕府の目もございます。」

 心配げな穀堂ををよそに斉正はにっこりと微笑んだ。

「国子殿の・・・・・・愛しい人の健康がかかっているのだ。どんな反対にあってもこれだけは絶対に成し遂げてみせるし、国子殿も納得させてみる」

 シーボルト事件のほとぼりも冷めやらぬこの時期、疑惑をもたれた医師を藩医に推挙することは極めて難しいだろう。しかしこれは成し遂げなければならないことなのである。斉正は決意を固めた。



 それからひと月後、盛姫の許に斉正から伊東玄朴を侍医にすることの許可と、側室は侍らせていないという言い訳がましい内容の手紙が届いた。

「のう、風吹。妾はそんなに恐ろしい嫁に見えるのかのう?」

 手紙を読み終わった盛姫は不本意そうな表情で風吹に尋ねる。

「さぁ・・・・・・」

「妾は貞丸を投げ飛ばしたりはせぬのに」

 そう言いながらも盛姫の顔には抑えきれない笑顔が浮かんできた。未だ子をなしていない盛姫の立場であれば、斉正が側室を侍らすことになっても文句は言えないし、むしろ盛姫が斉正に側室を薦めなければならない立場である。それにも拘わらず斉正は側室を迎えるどころか盛姫を心配し、苦しい財政状況の中、優秀な医師を侍医として迎えようとしているのである。

「本当に妾は・・・・・・幸せ者じゃ」

 盛姫はうれし涙を浮かべながら斉正の手紙を胸に抱きかかえた。



 しかし、物事は思うようにすんなりと運ばないものである。斉正の希望する『薬匙』は思いの外強情で、なかなか手に入れられぬものであることを知るのはこの直後のことであった。



UP DATE 2010.03.31

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藩主編も八話目に突入しました。早いものですね~。
今回は勘造こと伊東玄朴&弘道館の愉快な仲間達の登場です。とりあえず今回は中村、井内、原、南部の四名を出しましたが四名とも年齢がはっきり判らなかったんですよね(苦笑)。とりあえず中村、井内の二人は後の佐賀天保の改革で幹部になっておりますし、原、南部は代官として活躍した人らしい・・・・・。もしかしたら中村、井内の二人はこの当時弘道館には居なかった可能性もありますが、『斉正子飼い』ということでこの話ではあえて弘道館に居たことにしてしまいました。後ほど彼らの生年が判ったら話がびみょ~に変わるかも知れません(乾笑)。ホントこういう時にちゃんとした歴史学を学んでいないことを痛感します。(どこを調べたらいいのか・・・・・農学・分析系の文献調査は嫌って程やったんですけどちっとも役に立ちません・爆)
これから若手がどんどん出てきます。第二世代は蘭学系理系君たち、第三世代は江藤晋平や大隈重信など維新に関わった人たちが出場予定・・・・・はたして私の脳みそは追いつくのでしょうか(爆)。好きで書き始めた話ですので出来る限りちゃんと書いていきますv

次回更新は4/7,23:00~、伊東玄朴をどうやって斉正が口説き落とすのかを中心に展開していきます。


《参考文献》
◆改革ことはじめ http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/kaikakumenu.html

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