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「葵と杏葉」
葵と杏葉・藩主編

葵と杏葉藩主編 第九話 白粉と薬匙・其の参

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 大名の侍医――――――御殿医とは大変な名誉職である。本来代々の世襲によるものであり、いくら優秀であっても一介の町医者がなれるものとは訳が違う。それだけに御殿医の話を出せば二つ返事で了承してくれるとばかり思っていたのだが、伊東玄朴は斉正の思惑に反してなかなか諾の返事をしてくれなかった。

「・・・・・・なかなか色よい返事は来ぬものだな」

 まるでつれない恋文の返事を見るかのような切ない表情を浮かべ斉正は溜息を吐く。書状のやり取りが始まってすでに半年以上、年が明けて天保二年の春になっても伊東玄朴は頑なに御殿医の話を断り続けているのである。
 もともと佐賀の出である伊東玄朴であるから、条件さえ整えばすぐに御殿医になってくれるものとばかり思っていただけに、伊東のこの頑なさは計算外であった。
 やれシーボルト事件のほとぼりが冷めやらぬとか、蘭医の身分で御殿医なんて恐れ多すぎるだとか、しまいには仮にも徳川家の血を引く奥方様の血の道の病を見るわけにはと言い出す始末。すでに斉正から六度ほど手紙を出しているが全くと言っていいほど突破口が掴めない。

「そりゃそうだろう。大風の際の事件のほとぼりだって冷めていないのに、御殿医になれだなんて話がうますぎると誰だって思うさ」

 浮かない顔の斉正を前に、茂義は腕組みをしながらさもありなんという表情を浮かべた。

「シーボルト事件で師匠の息子が処罰されながら、自分だけ命拾いした人間の心境を考えてみろ。いつ何時あの事件で自分が罪人として引き立てられるか気が気じゃないはずだ。それに蘭医が大名の奥向きの侍医なんて話は聞いたことが無い。警戒するなと言う方が無理な話だ」

 確かに茂義の言葉は正しいと思う。しかし、自分にとってこの話は有力各家の息がかかった側室を追い払い、盛姫に自分の子を産んで貰うため一番良いと思われる方法なのである。そう簡単に諦めることなど斉正には出来ない。

「大人には大人の事情がある。子供の知恵をいくら出し合ったってたかが知れている」

 茂義の大人ぶったいい方に今まで大人しく茂義の言葉を聞いていた斉正もさすがにかちん、とくる。

「だったら茂義には良い案があるというのか?側室を侍らすという以外に」

「うっ・・・・・・そ、それは」

 斉正の鋭い指摘に茂義も後が続けない。

「ほら見ろ。大人の意見なんてたかが知れている」

 斉正はくすくすと笑うと松根に紙と硯を準備させ始めた。

「三国志の劉備だって三顧の礼を持って諸葛亮を参謀にしたんだ。まだ一度も伊東先生の許へ脚を運んでいない私が伊東先生を侍医にする事が出来ないのは当たり前と言えば当たり前だろう」

 そう言いながら斉正は伊東玄朴に対する書をしたため始めた。大名とも思えぬこのしつこさ、もとい粘り強さに茂義は舌を巻く。

「とにかく、この件を忘れて貰わぬよう、これからも書状を送るつもりだ。」

 少なくとも返事を貰っているのだから脈はあるはずだ――――――ほんのひとかけらの可能性を求め斉正は手紙をしたため続けた。そして七度目の返事はとんでもないものだったのである。



 伊東玄朴からの七度目の手紙は夏の訪れと同時に斉正の許へやって来た。そしてその内容はただひたすら御殿医の話を固辞するだけのものではなく、一歩踏み込んだ内容だったのである。

「な・・・・・・侍医にしたいなら最低でも百石取りだぁ?」

 伊東玄朴のとんでもない内容の手紙を見て茂義は額に青筋を立てた。佐賀藩に余裕が無いのを知っていて足元を見ているとしか思えないその要求に、茂義は手紙を床に叩き付ける。

「貞丸!いい加減諦めろ!噂には聞いていたがここまでがめつい男だとは思わなかった!漢方医だろうが蘭医だろうが他にも良い医者は居るんだからこんな守銭奴に固執することはないだろう!」

 伊東玄朴の名誉のために一言付け加えておくが、蘭学を続けて行くにはそれ相応の金が要る。外国から輸入する書物代は勿論、人体解剖などをする際の代金、そして高価な薬の代金などいくら金があってもありすぎることはないのである。代々医師を営んでいる家では『医は仁術』とばかりにがめついところを見せないが、貧農の家に生まれ経済的に苦労を強いられてきた伊東玄朴は『名より実』とばかりに取れるところからはしっかりと金子を取ることで有名であった。そんな茂義の言い分にも斉正はまったく耳を貸さない。

「そうは言うけどな、茂義。今まではただひたすら断り続けるだけであった伊東先生がやっと具体的な条件を出してきたのだぞ。御殿医は無理でもかかりつけ医にはなってくれるのではないだろうか」

 かかりつけ医――――――その言葉を聞いて茂義は呆気にとられた。

「かかりつけ医だぁ?お前、仮にも『姫君様』をそんな医者に診せるっていうのか?冗談も大概にしろ!」

「私が必要としているのは国子殿を伊東先生に診てもらうことだ。目的さえ達成することが出来れば引き立て云々にはこだわらぬ。それに――――――」

 斉正は意味深な笑みを浮かべる。

「少しでも繋がりを持っておけば研修生を送り込みやすい。今現在も兄上に頼んで誰を伊東先生の許へ送り込もうか思案中だ・・・・・・十年、十五年かかり、国子殿の御褥御免には間に合わないかも知れないが、どちらにしろ本格的な蘭学を身につけた藩士もこれから必要になる。伊東先生を御殿医として取り立てることができない場合を考えて、打てる手は全部打っておくべきだと思わないか、茂義?」

 その言葉に茂義は唖然とした。ただしつこく御殿医への取り立てを求めるだけでなく、万が一を考えて弘道館の子飼いの下級藩士を伊東の許へ送り込み、その知識、技術を盗み出そうと目論んでいるのだ。

「お前・・・・・・いつの間にそんな事を」

 少なくとも十八歳の青年藩主にしてはあまりにも老獪な考え方に、茂義は驚き、次の言葉が続けない。だが斉正は少し照れくさそうな表情を浮かべて種明かしをした。

「私一人の考えではない。あまりにもつれない伊東先生の手紙を弘道館で広げては、ああでもない公でもないと皆に考えてもらった結果だ」

 後に佐賀藩の政治および技術中枢を担うことになる人物が弘道館から多数輩出されることになるのだが、その大元は大人から見たら馬鹿馬鹿しく、しかし柔軟な『子供の知恵』なのである。常識を知らない分失敗も多いが、何度もそれを繰り返す内に常識では想像も付かない結果を導き出すことも多い。

 今回の件に関しても、最初こそ御殿医にこだわっていた面々だが、そのうち『本来の目的は盛姫君に殿の子を産んで貰うこと』という原点に立ち返り、御殿医にこだわらず往診だけで良しとする、または誰かが伊東玄朴の私塾に潜り込み知識を盗み出すといった方法が一つの案として上がるようになってきたのである。
 伊東玄朴の私塾に誰かを送り込むにしてもそこそこの授業料が必要になるが――――――当時としても極めて割高な授業料を取っていた――――――御殿医として取り立てるよりもその方が安く済むのではないかという意見もその場で出たものである。ただ、斉正の言葉通り盛姫の御褥御免の年齢までに一人前になれるかどうか極めて怪しいものではあるが・・・・・・。

「とりあえず七人扶持で一代藩士――――――今の佐賀藩の現状ではこれが精一杯だ。これで駄目なら取り立ては諦めて、弘道館から何人か研修生を送り込む。それならば構わぬだろう?」

 確かに借金まみれの現状を考えるとそれが限度であろう。そして斉正の思惑を伊東側も感じ取ったらしい。搾り取れる物は搾り取ろうとしていた伊東の態度が軟化しだしたのは、九度目の返事の時であった。

『考えてやるのもやぶさかではない』

 と居丈高な内容であったが、これ以上ごねても佐賀藩からは金子が引き出せない上に、下手をすれば過去の事件を蒸し返されてしまう怖れも出てきたと思ったのか、以前の手紙に比べかなり弱腰である。
 そして召し抱えが叶わないなら研修生を受け入れろという文言にも驚異を覚えたらしい。自分の技術をいかに安く入手し、それを利用するか――――――まだ十代の藩主ながら伊東はその手腕におののきを覚えずにはいられなかった。まさか斉正の背後に数十人に及ぶ若き頭脳が控えているとは思わなかったのかも知れない。
 これ以後話はとんとん拍子に進み、天保二年十一月、斉正が参勤で江戸に上がってきた時伊東玄朴は七人扶持の一代藩士として佐賀藩に召されることになる。



 弘道館の若き頭脳達の活躍は伊東の召し抱えだけに止まらなかった。偶然にも三支藩および家老家からの側室攻撃にも威力を発揮したのである。

「ところで殿、姫君様にはどのくらいの金子がかかっておるのでしょうか?」

 斉正が講義見学に弘道館を訪れたある日、興味半分だったのだろうが、中村彦之允が斉正に尋ねた。傍にいた講師の牟田口は慌てて中村に拳骨を喰らわせたが、斉正は特に来ぬする風もなく中村の問いに答えた。

「確か五千両だったと。これでも国子殿にはだいぶ我慢をしてもらっていているのだが、将軍家関係の付き合いはどうしても出費がかさんでしまう」

 他の姫君達は七千両から一万両、加賀に嫁いだ溶姫に至ってはそれ以上の出費を重ねているという噂を聞くが、佐賀にはそれだけの余裕は無かった。ちなみに隠居である斉直には八千石の扶持が付いているがそれでも足らず、藩とは別口で借金を重ねている始末である。

「ということは、側室であってもそれくらい金がかかってしまうわけですよね?」

 斉正の言葉を受けて井内伝右衛門が考え込む。

「まぁそこまでとはいかないかも知れないが・・・・・・」

 斉正は苦笑いを浮かべる。確かに来ぬ進まない側室を押しつけられた上に、側室のための予算を立てなくてはならないのは極めて不本意である。

「だったらその費用を全部賄って貰うというのは如何でしょう?気に入らなければ通わないかも知れないという前提で」

 井内があまりにも大胆な意見を言い出したのである。

「・・・・・・それは詐欺ではないのか?」

 斉正が心配そうな表情を浮かべたが、それを吹き飛ばしたのがお調子者の中村であった。

「夜離れなんてどこでもありますよ。良い例が小城の藩主じゃないですか。尤もあそこの奥方は恐ろしいからなぁ」

 中村のその一言で場が一斉に沸き立つ。

「とにかく、あまりにしつこいようならかかる費用を全て相手持ちにすれば良いのではないのでしょうか。三支藩を始めどの家も自領を維持するだけで手一杯の筈です。それだけに飾り物同然になりかねない側室への負担は躊躇するのではないでしょうか」

 ふざけた発言から一転、中村が真顔で井内の提案に賛同を示した。この時はあまりにも短絡的だと斉正は思ったが、これが以外と功を奏したのである。
 この話を持ち出してまず最初に側室の話を引っ込めてしまったのが算盤ができる直堯であった。奥向きへ入る費用、その維持、さらにはお付きの人員の給金などをかけたところで斉正がその側室に食指を動かされるとは限らない。むしろ費用がかかれば元を取ろうとする心理が働くかも知れないが、金がかからないことを良いことに飼い殺しになる可能性が極めて高くなるだろう。これでは独立をする前に財政破綻で小城藩そのものが潰れかねない。

「不本意だが小城は側室騒動から降りる。だが、独立はまだ諦めていないからな!」

 そう親友でもある茂義に捨て台詞を残すと、直堯は早々にこの競争から身を引いてしまったのである。そうなると他の支藩や一族の娘を側室に、と言っていた家老達にも動揺が走る。

「全てをこちら持ちにしても殿が気に入ってさえくれれば・・・・・・」

 という者もいたが、特に江戸においての斉正と盛姫の仲睦まじさを目の当たりにしている蓮池や鹿島の藩主や、江戸に出向いたことのある家老らは斉正の性格では極めて難しいと一人、また一人と側室の話を引っ込めていったのである。

「まさかあのふざけた提案がこれほどの効力を示すとは思わなかった」

 弘道館を訪れた斉正は皆を前に一瞬笑顔を浮かべるがその笑顔は次の瞬間消えてしまう。

「・・・・・・それだけ佐賀の台所は苦しいというわけなのだろうな。ある意味金さえ出せば自由に側室を送り込めるこの状況にあっても、誰も送り込んでこない」

 斉正は自分を取り囲む学生達を見回しながらさらに続ける。

「支藩を含めて財政の立て直しは思った以上に困難やも知れぬ。倹約令を出して早一年、それでも財政再建が見えてこないし・・・・・・弘道館を修了しても城においてはなかなか取り立てることはできぬかも知れないが、私個人の助け手としてこれからも頼りにするぞ」


 後に弘道館からは藩の政治中枢、反射炉の製造を中心とする西洋技術者、そして明治維新の立役者となる人物が輩出されることになるが、これはその第一歩であった。



UP DATE 2010.04.07

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『白粉と薬匙』、ようやく完結です。今回側室が入るのかどうなのかドキドキされた方もいらっしゃるかと思われますが残念ながら(?)今回は経済的な理由により側室は入ることはありませんでした(笑)。史実でも盛姫の御褥御免まで子供が産まれていませんので側室がいたとしてもお飾り状態だったのではないかと・・・・・というか他にお金を使いたい部分が山ほどあるので側室にお金が回らなかったのだろうと思われます。オタクって自分が興味ある分野以外は信じられないほどケチなんですよね(いえ、別に鉄オタの旦那を責めている訳じゃ・・・・・ないと・・・・・あはは。)

次回更新は4/14、参勤で江戸に上がる斉正と盛姫の一年八ヶ月ぶりの再会です。(そして三話以内にご隠居を佐賀に追いやらねば・笑)


《参考文献》
◆九州の蘭学ー越境と交流ー  思文閣出版
◆改革ことはじめ
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