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「葵と杏葉」
葵と杏葉・藩主編

葵と杏葉藩主編 第十一話 つかの間の休息・其の貳

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 それは御殿山での花見が発端であった。江戸にはいくつかの桜の名所があるが、古くは太田道灌が館を建てていたと言われる御殿山も桜の名所の一つだ。御殿山の名の由来は寛永十七年に毛利秀元がここに御殿を建てて三代将軍徳川家光を鷹狩りに招待したことによるものであり、幕末お台場を建設するために削り取られてしまうまで毎春江戸っ子の目を楽しませていた場所である。

 いち早く桜が咲き始めるが、門限があり山同心が見回っている上野山と違い、ここ御殿山は少々桜の時期は遅いものの門限はなく、三味線を始めとする鳴り物も鳴らし放題であった。しかも品川に別邸があったとはいえ参勤の関係で桜の時期に江戸に滞在できなかった斉直にとって、御殿山での花見は世嗣時代以来である。そんな事もあり連日花見に繰り出していた斉直だったが、それだけ羽目を外していれば嫌でも噂になってしまう。そんな噂を大奥の女中の一部が聞きつけてしまったのである。

 本来であれば老中を通して藩主である斉正に苦情が行くところなのだろうが、斉直にとって不幸なことに、そして大奥女中達には幸運なことに『姫君様からでは言いにくかろう』と代参を隠れ蓑に大奥女中自らが嬉々として御殿山に繰り出し、斉直をつるし上げにしたというのである。
 さすがに一度だけなら運が悪かったで済ますことが出来るが、事はそれだけでは収まらなかった。なまじ盛姫が良人・斉正の藩政改革に賛同し、江戸藩邸の経費削減に着手しているという話を正月の挨拶の時に聞いていた奥女中達である。『姫君様に我慢をさせておいて隠居が贅沢三昧とは如何に?』と事ある毎に斉直をいたぶるようになったというのである。

 「せめて妾の実の母や御台の母上のお付きならば止めてくれとも言えるが、何故か他の側室付きの女官や父上付きの女官達ばかりが参加して・・・・・・」

 建前上は将軍の娘である姫君の方が身分も高く、言いたいことを言えるはずなのだが、実際百戦錬磨の大奥女中を前にして言いたいことを言える姫君はほとんど居ない。反論する前に言いくるめられてしまうと言った方が正しいだろう。それに加えて風吹を始め盛姫に付き従っている女官達も大奥女中達に賛同し、斉直の行動を大奥に漏らす始末である。

 佐賀藩邸の女中達が『五月に菩提寺へ墓参りに出向く』と言えばお蝶の方の女中達が麻布にある佐賀藩の菩提寺・賢崇寺に出向き、芝居見物だと言えば今度はお美代の方の女中達が歌舞伎座へ繰り出したりと先回りをする。まるで鼠をいたぶる猫のように、奥女中達は斉直をいじめ抜いたのだ。これは道ばたでわざとぶつかり相手を恐喝する侠客と何ら変りがない。
 もともと女だけが押し込められ鬱憤が溜まりやすい大奥務めである。その大奥の中でさえ日々陰湿な苛めが後をたたないのだ。そういう状況に置かれた者達が『姫君様の御為に』という大義名分のもと特定の人物を攻撃しだしたら――――――結果は目に見えている。自業自得だと言え、斉直は不憫な生贄となってしまったのである。



 盛姫が斉正に義父の惨状を報告している頃、同様の話をしている二人がいた。

「この前話を聞いたら、隠居の頭に四文銭ほどの禿が出来ていたとか・・・・・・昔の同僚が楽しげに話しておりました」

 風吹が乱れた髪を整えながら茂義に事のあらましを伝える。行灯に浮かび上がるその仕草は、昼間の凛とした姿が想像出来ぬほど艶めかしい。

「あの、大店の丁稚が奉公の始めの頃によくこさえるあれか?」

 その仕草を眺めながら茂義が尋ねる。四文銭ほどの禿――――――いわゆる円形脱毛症である。大店に奉公に出た子供達が慣れない環境下で出来ることは多々あれど、老人に出来たという話は茂義は聞いたことが無い。

「ええ。がんぜない子供であればまだ可愛げがあるものの我儘隠居が作っても・・・・・・」

 風吹は鏡越しにちらりと茂義を見やりながら言葉を続けた。その鏡に映る茂義の左頬にはくっきりと鮮やかな紅葉の葉が――――――風吹に平手打ちされた痕が残っている。

「まったく大奥務めの女子はきついからなぁ・・・・・・」

 茂義はこれ見よがしに頬を撫でながら風吹を睨んだ。ちょっとちょっかいを出しただけなのにこれである。

「佐賀の男に節操が無いのがいけないのです!まったく何度言ったら解るのですか?人の寝所に勝手に入るなとあれほど言っているのに」

「別にいいじゃないか、減るもんじゃないし」

 触れなば落ちん、という風情をちらつかせる風吹に騙され近づけば痛い目を見る。風吹だってこちらに気があるはずなのに何故拒絶されるのか。それが判らず茂義は苛立ちを言葉に出してしまうが、そういうところが風吹の勘に障るのだということに気がついていないらしい。案の定風吹はまなじりを吊り上げ怒りを露わにする。

「そういう無神経なところが最低だと言っているのです!」

 いくら気が強いとは言っても風吹も若い娘である。甘い口説き文句のひとつでも囁いて貰えばその気になるのに、目の前にいる無骨な佐賀男子は一言もそんな甘っちょろい言葉を溢さない。それどころか勢いのままに己の想いを遂げようとするので平手で撲たれるのである。結局の所、ほんの少しだけ譲れば良いだけなのであるが茂義にはそれが理解できない。

「そう言いながら餅ノ木あたりと浮気しているんじゃないだろうな?」

 それどころかさらに風吹を挑発する憎まれ口を叩く始末である。そうなると売り言葉に買い言葉でついつい風吹も心にもない言葉を発してしまう。

「ご自身が間男だと思わないところがおめでたいですね。あちらが本命だとは思わぬのですか」

 風吹の挑戦的なその一言に茂義の顔が強張った。その表情を見て風吹も少しまずかったかな、と思うが言ってしまった言葉を引っ込める訳にもいかない。

「・・・・・・江戸の女子は信用できぬ!」

 茂義は風吹の真意が掴めず、ぷいっとそっぽを向いてしまった。



 出先だけならまだ良かった。だが事はそれだけでは終わらず、とうとう斉直は非公式に大奥からの呼び出しを受けてしまったのである。

「今までは側室付きの女中数人だけを相手にしていれば良かったのじゃが、今度はそうはいかぬ。御台の母上様や父上付きの大御所――――――大奥の主が直々に尋問すると申しておる」

 斉正の腕の中で盛姫が困惑した表情で話し続ける。

「ただでさえ妾が質素倹約を理由に上巳の節句などで不義理をしているのもいけないのじゃが、妾と比較して隠居殿があまりにも贅沢な生活をしていると・・・・・・」

「困りましたね。ああ見えても父上は打たれ弱いですから」

 斉正は盛姫のしっとりと吸い付くような滑らかな髪を撫でながら言葉を返した。

「その話が出た途端、隠居殿は寝込まれてしまって・・・・・・尋問は妾が年始の挨拶に出向く一月の下旬だというのに」

「一度伊東先生に診てもらった方が良いのは父上の方かも知れませんね」

「・・・・・・その伊東とか申す者、本当に大丈夫なのか?」

「ええ。多少がめついところはありますが、蘭学を続けるには高価な本や器具が必要ですから。現実的すぎるところが誤解を招くのですが、患者からは不当な診察代は取らないみたいです」

 斉正は盛姫を抱きしめながら耳許に唇を寄せる。

「今は財政難を理由に側室の申し出をはね除けてますが、この方法がいつまで効果があるか判りません。ですから・・・・・・国子殿に私のややを早く産んで欲しいのです」

 だからこそ伊東玄朴を一代藩士として取り上げ、盛姫を診てもらおうと言うのである。

「妾に・・・・・・できるであろうか」

 盛姫に不安の影がよぎる。妹の溶姫は夫婦仲が悪いと言いながらもすぐに子供を授かっている。それに対して自分達は決して夫婦仲が悪くない筈なのに子供が授からない。しかもこれからは二年に一度、正月など行事の多い時期に三ヶ月だけしか逢うことが許されないのである。子供をなす機会はますます少なくなるだろう。

「ええ、国子殿ならきっと・・・・・・もしややが出来なかったら、弟の誰かや兄の子供の内の誰かを養子にすればいいだけです」

 気安く答える良人を少々恨めしく思いながら、盛姫は斉正のぬくもりの中、眠りに落ちていった。



 伊東玄朴が黒門にやって来たのは斉正が江戸に帰ってきた三日後のことであった。最初こそ緊張の面持ちだったが、問診を始めた途端急に医者の顔になる。

「・・・・・・殿。気になるのは判りますが、診察が終わるまで表にてお待ち下さいませ」

 盛姫の様子が心配でいつまでも居座っている斉正に対し、伊東は一喝する。

「確かに私は佐賀藩に雇われた身。しかし、これからの問診は良人であっても憚って貰わねばならぬ事ゆえ、とっとと出て行って貰いたい!」

 鬼の形相で怒鳴りつける伊東に驚き、斉正は逃げ出すようにその場から離れた。

「・・・・・・では御女中、前々から頼んでいたものをお見せいただけますでしょうか」

「はい。ですが、この様なものが役に立つのでしょうか?」

 風吹は怪訝そうな顔をして巻物をひとつと半紙に書き付けられたものを、伊東に差し出した。

「ほお、入輿前の状況も手に入れて下さるとは。さすが姫君付きの御女中、やることにそつがない」

 それは盛姫が以前罹患した病、そして月役の日にちの記録であった。当時の漢方医者は直接殿や奥方の身体に触れることは許されない。蘭医に至っては医者として目通りさえ極めて珍しい状況だ。そんな中での診察はやはり側近による記録に頼らねばならなくなる。

「う~む・・・・・・」

 盛姫の記録を見続けるにつれ伊東の顔に険しさが濃くなってゆく。

「何か姫君様の身に問題があるのか?はっきりせよ!」

 記録に目を落とし、なかなか口を開こうとしない伊東に風吹は苛立つ。

「そうぎゃんぎゃんわめくな!問題がなければこんな居心地の悪い場所からとっとと逃げ出しておるわ!問題があるから考え込んでいるのが判らぬのか!」

 伊東は憎まれ口を叩くと、ようやく巻物から目を上げた。

「・・・・・・これは儂では治せませぬ。諦められよ」

「どういう事じゃ、この藪医者!!」

 鳴り物入りで姫君の診察をしたのにこの体たらくである。風吹の怒りは頂点に達する。しかし伊東は落ち着いて説明を始めた。

「この記録で判ることは、少なくとも熱病で不妊になった訳では無いという事。そして入輿してからに原因があるということ、この二点だ」

 ぎろりと睨む伊東に対し、風吹がわなわなと震える。

「まるで私どものお世話が至らぬと言いたげだな、藪医者?」

「そうかもしれぬし、そうではないかもしれぬ。こちらの藩には上様の御不興を買った大うつけがおると噂に聞いておりますから、その所為かも知れませぬ。入輿当初、何かいざこざはありませなんだか?」

 その瞬間、風吹や颯、その他女官達の顔に驚愕が走った。

「若殿の・・・・・・出入り禁止!」

 全ての者達の脳裏に五年前の騒動が甦る。

「女子の身体というものは極めて繊細なもの。特に入輿当初の負担は後々の生活にまで影響するものです。本人が忘れ去ったと思っても身体は覚えているのでしょう。この時期からの月役の乱れがそれを証明していると思われます」

 伊東が指し示したものは五年前からの月役の記録であった。

「いくら気丈な姫君様とはいえ、蝶よ花よと大事に育まれた大奥から他家へ嫁げば気苦労は多いもの。それにさらに輪をかけ子をなせなどと・・・・・・そんなものは側室にでも産ませればよいし、それがダメなら養子でもとればいいのです。殿は何というか判りませぬが、気楽に考えればいいのです」

 そう言い放った伊東であったが、その言葉の裏には盛姫に対するある気遣いが隠れていた。



 問診の後、風吹だけが伊東に呼び出された。

「姫君様の食事だが・・・・・・できるかぎり遠海で取れる魚をお出ししてほしい。それができぬのならいっそ魚を出すのは止めなされ」

「それは一体?」

「これは若殿から聞いた話だが、あの姫君はやんちゃをして浜御殿で遊んでいた際、土左衛門をまともに見てしまったようだな。御女中、そなたは知っておったか?」

 その話は風吹も初耳であった。きっと風吹や他の女中に心配かけまいと黙っていたに違いない。

「そなた、もし目の前に出された魚が人間の死体を食べているかも知れぬと思った時、それを喰らうことはできるか?」

「そ、それは・・・・・・」

 さすがの風吹も青ざめ、首を横に振る。そして思い出した――――――子供の頃、盛姫がこっそり懐紙に包んだ鱚を庭の隅に埋めていたことを。

「そういうことじゃ。出されたものに好き嫌いを言い出しては、責任を取るものが出るからと我慢していらっしゃるが、それさえも小さな気鬱となって姫君様を蝕んでゆく。そなたは若いながらよくやっていると思うが、もう少しばばぁ根性を出してあちこちに聞き耳を立てて貰わないと姫君様をお守りできんぞ」

 伊東は衝撃を受けている風吹に対してさらに続ける。

「あの姫君は上に立つものの鑑ですな。それだけに気鬱を自分一人で抱えてしまうのでしょう。加賀に嫁いだうつけ姫のように好き放題できればまだしも、若殿が出した質素倹約令も自ら進んで取り組んでおられる・・・・・・子が産めぬだけならまだ良い。だがあれは命を削っているのと同じじゃ」

 伊東の遠慮のない、しかし的確なその言葉は風吹の心を深く、鋭くえぐった。



UP DATE 2010.04.21

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『つかの間の休息』其の貳です。読んで頂いた通り、隠居殿は特に行動パターンを変えた訳ではありません。ただ見つかった相手が悪かっただけです(笑)。百戦錬磨の老中だって大奥女中に虐められて泣くって言うほどですからね~。世間知らずの外様大名が敵う相手ではありません。『だって・・・・』とか『しかし・・・・』なんて言った途端に十倍、二十倍のマシンガンばりの罵詈雑言が降り注ぐんでしょう・・・・・想像するだけでコワイかも。
そして盛姫になかなか子供ができない理由はこんな感じにさせて頂きました。この時代、高貴な方に対して触診は出来ませんから(脈さえ糸を伝って・・・・て言いますよね。)日々お付きの者達が取っているデータ頼みです。とは言っても記録できるものは可能な限り取っていますからある程度の診断は可能だと・・・・(おまるの中身もちゃんと調べていたそうです。むしろ現代の方がこれはできませんよね。高貴な方に対してはやはり最高の技術が施されていたんでしょうね~。)
史実をご存じない方もいらっしゃるのでこれ以上はここでは書けませんが、一つの結末に向けての話も徐々に動き出していると思って頂ければありがたいです。

次回は4/28、伊東玄朴先生が我儘隠居の円形脱毛症の診断をすることになりそうです(笑)。


《参考文献》
◆「半七捕物帖」大江戸歳時記  今井金吾著  ちくま文庫
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