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「短編小説」
鶴蔵てまえ味噌

鶴蔵てまえ味噌・其の貳~富士川下り

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 すっかり春めいた陽射しを受けながら、甲斐の御用米を載せた船が富士川を下ってゆく。鰍沢から出たこの船はこのまま駿府へと向かい、そこで御用米を下ろすのだ。その性格上いつもなら馴染みの顔ばかりのこの船だが、今日は珍しく四人ほど客を乗せている。

「もう、いやぁ!!絶対、絶対に江戸に帰る!!鶴さん、あなたと亀蔵だけで大阪に行けばいいでしょう!あたしは仙吉と一緒に江戸に帰る!だからもう下ろしてよぉ!!」

 富士川を下る船の中、千賀は悲鳴を上げながら良人である中村鶴蔵をなじった。その顔色は青白く、完全に船酔いをしている。そんな妻に対し、鶴蔵はただひたすらに下手に出るしかできない。

「もうちょっとの辛抱だから我慢してくれよ、な、お千賀?船から下りたらうめぇもんをた~んと食わせてやるから。おめぇだって嫌いじゃねぇだ・・・・・・うおおっ!」

 千賀を宥めつつも鶴蔵も船の縁にしがみつき、振り落とされないするのがやっとだ。

「お、お師匠様!い、いつになったら着くんでしょうかねぇ・・・・・・あわわ、落ちるっ!!」

 鶴蔵の弟子である亀蔵も縁にしがみつき、涙目になりながら鶴蔵に尋ねる。師匠に付き合わされ、さらには夫婦喧嘩のとばっちりまで受けている亀蔵が、もしかしたら一番の被害者かもしれない。だがそんな亀蔵に対し、鶴蔵は優しさの欠片もない返事を叩きつけた。

「知るか、馬鹿野郎!そんなもん、船頭に直接聞いてくれ!」

 使用人の仙吉に至っては船床にへたり込みうずくまっている。こんな酷い目に遭っている四人だが、勿論物見遊山に来た訳ではない。実は江戸から『夜逃げ』をしてきたのである。
 事は前の年にまで遡る。本来十一月に行われる筈の歌舞伎顔見世興行が行われなかったのである。顔見世が無いということは、それに伴う契約金も支払われないことを意味していた。顔見世興行の契約収入を当てに借金を重ねていた鶴蔵だったが、それがふいになってしまっては借金を返すことはとうてい無理である。

「こりゃ・・・・・・夜逃げしかねぇか」

 大阪に行けばもしかしたら舞台の契約が取れるかもしれない。江戸で何もせず借金取りに責められるよりは遥かに建設的だ。鶴蔵はその旨を自らの師匠にだけ相談し、了承してもらうと借金の取り立てが来る前に妻の千賀、さらに弟子と使用人だけを引き連れて江戸を逃げ出したのである。

 だが男だけならいざ知らず、妻の千賀は女である。旅芸人さながら全国を飛び回っている鶴蔵とは違い、江戸から出た事が無く旅慣れていないだけに歩みも遅い。さらに借金取りを巻くために回り道をしていた為、甲府に居る馴染みの劇場主の処に辿り着くまで半月以上を要してしまったのである。
 そしてそこで暫く匿ってもらった後、鰍沢から富士川を下る道を教えてもらい今に至るのだが、この富士川は名だたる急流で有名な川でもあった。何度も危ない目に遭いながら駿河の岩淵にようやく辿り着いたのだが、その頃になると千賀の不機嫌はかなりのものになっていた。



 次の日になれば妻の機嫌はきっと良くなっている筈だ――――――夫婦喧嘩の後、夫というものはそう願うものである。だが、鶴蔵の願いとは裏腹に千賀の機嫌は一晩寝ても相変わらず悪いままだった。

「なぁ、お千賀・・・・・・もう勘弁してくれよ。暫くは船に乗らずに済むんだから」

 必死に千賀の機嫌を取ろうとする鶴蔵だったが、千賀はそんな良人をぎろりと睨み、冷たく言い放つ。

「・・・・・・宮宿を過ぎたら七里の渡しがあるじゃない!もう船は嫌なの!」

 それを言われてしまうと鶴蔵としてはぐうの音も出ない。険悪な空気の中、四人はようよう倉沢へ到着した。

「お千賀、ここの沖鱚の蒲焼きは目ん玉飛び出るほどうめぇんだ。こいつを食って機嫌を直してくれよ」

 何せ自分の借金のせいで千賀をここまで付きあわせてしまっている。それだけに鶴蔵は頭が上がらない。下手に出て千賀の機嫌を直そうとしたその瞬間、ふわりと香ばしい香りが漂ってきたのだ。その胃袋を鷲掴みにするような香りに千賀は敏感に反応する。

「・・・・・・美味しそう」

 鶴蔵の妻だけに千賀も美食に目がない。香りに誘われ表情が緩んだ瞬間を鶴蔵は見逃さなかった。

「な、そうだろ?何せここは海の近くなんだしさ。干物なんかじゃなくて新鮮な鱚が食えるぞ!」

 良人の威厳も何もあったものではない。とにかく千賀に機嫌を直してもらわねばと匂いのする方へと――――――倉沢で一番美味しいと評判の店へと千賀を押していった。



 店に入り注文するとまもなく鱚の蒲焼きが出てきた。その香りは勿論、照りよく焼かれたその見た目に千賀も、そして男達もごくりとつばを飲み込む。

「さぁお千賀、先にお食べ。腹ぁ減っているだろう」

 最初に出てきた二つのうちの一つを鶴蔵は千賀に勧める。そして促されるまま千賀は一口ぱくりと食べた。

「おいし~い!」

 ホロリとした上品な白身に甘辛いたれが絡んだ蒲焼きは疲れきった身体と胃袋に染みわたる。むくれていた千賀の顔もいつの間にか綻び、満面の笑みへと変わっていった。その表情に鶴蔵も、そして残り二人の男達もつられて笑みを零す。

(良かった・・・・これで大阪まで一緒に来てくれるかな)

 内心安堵の溜息を吐くと、鶴蔵は自らも一口蒲焼きを口に入れた。



「いやぁ、あの時は本当に助かったと思ったね。いつ三行半をふんだくられるんじゃないかと肝を冷やしたもんだ」

 話し終えると、三代目中村仲蔵は渋茶をすすりながら笑みを見せた。

「蒲焼き、といえば鰻だとばっかり思っていたんですが、鱚の蒲焼きもあるんですね」

 弟子の一人・玉蔵が感心したように深く頷く。

「おうよ。俺も初めて食べた時はびっくりしたけどな。だけど、かみさんの機嫌を治すにはあそこの店しかないと思って・・・・・・あいつも江戸っ子、やっぱり新鮮な魚にゃ目がねぇんだよな」

 手にした湯呑みを盆の上に置くと、仲蔵は車座になった弟子たちの顔を見回した。

「おめぇ達も女房を泣かせるのを大概にしておけよ。でねぇと俺みてぇにいつまでも頭が上がらなくなっちまう」

「え、今でも上がらないんですか?」

 今度は別の弟子・松蔵が恐る恐る尋ねる。すると仲蔵は大真面目な顔で声を潜めた。

「おうよ、夫婦げんかのたびにあの夜逃げの件を持ちだされちまって・・・・・・女ってぇもんはいつまでもそういうことを覚えているから」

 その瞬間、車座の中は笑いに包まれる。まるで笑い壺に入ったようなその笑いは、夕暮れの楽屋に溢れ、いつまでも続いていた。



UP DATE 2014.1.29 


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いつの時代も夫婦というのは『やらかした』相方の尻拭いに奔走したりなにがしかのトラブルに巻き込まれたりするものです。今回の鶴蔵&千賀夫婦もその典型じゃないでしょうか。良人の借金によって住み慣れた江戸を離れ、散々連れ回された挙句やたら揺れるキライな船に乗せられちゃあそりゃ怒りますよ(-_-;)しかも一晩寝ても機嫌が治らなかったところを見るとその日に泊まった場所(史実ではうどん屋)でもろくな食事が出てこなかったのでしょう・・・気の毒に。
しかし次の日、鱚の蒲焼きを食べた瞬間コロッ、と機嫌が治っているところを見ると、千賀も意外と単純なのか?とも思ってしまいます(*^_^*)本当は千賀が鱚の蒲焼きを食べた瞬間の表現に『笑い壺』とあったのですが、私の力量ではちょっと入れこむのが難しく・・・だけどどうしても使いたかった表現でしたので最後の仲蔵&弟子たちの会話の場面で使わせていただきました♪

次回更新は2/26、甘酒か白酒か・・・面白エピソードがアレばいいのですが、それとすりあわせつつ考えさせていただきます(*^_^*)
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