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「夏虫~新選組異聞~」
夏虫・第六章

夏虫~新選組異聞~ 第六章 第十一話 第二次長州討伐と将軍崩御・其の参

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 十四代将軍・徳川家茂が逝去したのは慶応二年七月二十日、ようやく秋風が本格的に吹き始めた頃だった。
 家茂は征長の進発に際して『万一のことあらば田安亀之助をして、相続せしめんと思うなり』と遺言とも取れる言葉を和宮と天璋院へ残して江戸を出立していたが、まさか病に倒れ、志半ばにして死するとは思っていなかっただろう。
 この将軍逝去の知らせは極秘裏に江戸城へと伝えられ、和宮は良人の死を嘆く間もないまま将軍の後継者を指名しなければならなくなったのである。

「・・・・・・将来的には田安亀之助に将軍職を継いでもらいます。ですが、それは今ではありませぬ」

 震える声で、それでも凛として和宮は将軍付御年寄・瀧山に使者に伝えるべき言葉を告げる。

「外国船が我が国沿岸に押し寄せ、あまつさえ長州では大戦が起こっている最中。この事態をおさめられる、然るべき人物を将軍にするように、と」

 それは取りも直さず次期将軍は一橋慶喜であると告げたことに他ならない。十四代将軍継嗣問題の際には南紀派に属していた瀧山は不服そうに眉をしかめたが、御台所の決定には逆らえない。ありのままの言葉を認め、大阪城へ即座に送った。

「ま、予想はしていたけどよ・・・・・・まったく宮様は余計なことをしてくださるぜ」

 傍に控えていた新門辰五郎に愚痴を零し、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。実のところ慶喜に将軍位襲名の野心は微塵も無かった。むしろ年下の家茂が将軍職という厄介事を引き受けてくれたお陰で自分は自由に政治や外交問題に取り組むことができていたと感謝していたくらいだ。だがこれからは今までのように自分の体一つで動き回ることが出来なくなる。

「一年・・・・・・いや、せめて長州討伐を終わらせるまでは将軍職に就くわけにはいかねぇ」

 悲しいかなただでさえ実務的な仕事ができる人間が少ない上に、今回の戦では幕府に造反し日和見を決め込んでいる藩が多すぎた。この手の交渉に一番秀でているのは慶喜だが、さすがに一外様大名を制圧するのに将軍自らが戦場に出たとあっては物笑いの種である。かと言って徳川宗家の主の座をいつまでも空けておくわけにも行かない。

「皆に伝えよ。俺は徳川宗家を継承するが、将軍職は辞退すると。どうせ将軍職なんざ朝廷からの賜りもんだ、徳川家が勝手に引き継ぐもんじゃねぇだろう」

 あまりにも無茶苦茶な言い分だったが、暫くの間はこれを認めさせなければ動くに動けない。勿論周囲の反対もあったが慶喜は自分の意見を押し通し、 家茂の初七日である七月二十七日に徳川宗家を継承すると決定、ただし将軍職は辞退するとした。



 将軍の死については厳しい箝口令が敷かれたが、さすがにそれぞれの組織の長が知らないというわけにはいかない。勿論新選組には会津藩を通して近藤と土方にその旨が伝えられた。

「非公式とはいえ、大樹公が身罷られたのは紛れもない事実。それに乗じて色々な動きが起こるだろう。その波はお前たち新選組にも覆いかぶさるかもしれない。今のところは目付くらいだが、そのうちお前たちを失脚させようとする輩が次々に出てくるやもしれん」

 いつにない広沢の真剣な表情に近藤と土方は固唾を呑む。

「だが会津藩としてはお前達に今までどおり市中警備に就いてもらうつもりでいる。長州討伐が停戦したら、間違いなく長州側の斥候が京都に入り込んでくるだろう。新選組の戦いはこれからが正念場だ」

「え・・・・・・長州側が、京都に入り込んでくるとは?」

 近藤の顔色が豹変する。広沢の物言いはまるで幕府側が不利な状況に――――――下手をしたら負けるかもしれないという含みさえ感じられたからだ。そして広沢はそれを否定しなかった。

「その通りの意味だ。お前も広島に行った際感じていたのではないか?幕府軍の士気の低さを・・・・・・それに対して長州軍は背水の陣だ。各戦場からは長州側優位が伝えられている。そこに超群崩御の一方があったら・・・・・・間違いなく幕府軍は総崩れになるだろうな。それを防ぐために一橋公が骨を折られているようだが」

「はぁ?だって将軍職には就かないってほざいているじゃありませんか!」

 広沢の言葉に土方は我を忘れて食ってかかる。

「お前の気持ちも解らぬでもない。だが、『将軍』が一大名鎮圧のためにわざわざ出張ったとあっては幕府の名折れだろう?だからこそ先の大樹公も大阪城にて耐えていらしたのだ。尤も後半は病のため動けなかったが」

 一瞬遠い目をした広沢は、再び真顔に戻って二人に告げた。

「これから暫くの間、お前達にとっても幕府にとっても不愉快極まりない・・・・・・停戦に向けた動きがあるだろう。だがそれに耐えてくれ。そして隊の暴走を食い止めるように」

「承知」

 事が公にできない分厄介かもしれない――――――そんな思いを腹に抱えつつ、近藤と土方は広沢の言葉に頭を下げた。



 広沢が近藤らに告げた停戦への動きは既に始まっていた。将軍崩御当日の七月二十日、島津久光、忠義連名により二条斉敬へ征長反対の建白書が提出されたのである。
 具体的には『寛大の詔を下して征長の兵を解き、然る後に天下の公議を尽くして大に政体を更新し、中興の功業を遂げられんとする政体改革の建議』――――――端的に言ってしまえば天皇勅命により長州討伐を集結させ、政治の立て直しを図るというものであるが、この建議は朝議に諮られることになった。
 
  当時の朝議は二条斉敬と中川宮が主導していたが、この二条と中川に対して批判的な勢力が二つあった。一つは近衛忠熙・忠房親子、山階宮の勢力であり、もう一つは朝廷改革と攘夷貫徹を指針とする中山忠能、大原重徳、中御門経之、正親町三条実愛の勢力である。
 特に後者は普段から朝廷の権威を幕府に利用されるだけである大政委任を不満としていた為、朝廷主導で事を進めようとする島津親子の建白書は渡りに船だったと言っていいだろう。

 幕府が朝廷か――――――相容れない勢力が対立する中、どちらが主導権を取るかで朝議は紛糾する。だがいつまでもこんなことをしている訳にはいかない。
 このままでは埒が明かないと、八月四日に行われた三回目の朝議に召しだされた徳川慶喜は『一当て仕らずては長人等追々京畿にも迫るべき有様なり、さはいへ強いて山口まで攻入るべしとのことにはあらず、芸石二州の地に進入せる長人を自国へ逐退けたる後、朝廷へ寛大の御処置を願ひ、又諸大名をも会同して国事を議する事に仕るべきなり』――――――ある程度長州側を追い詰めたところで朝廷から赦免を出し、その時に諸大名も立ち会わせるという関係者全員の顔を立てる、悪く言えばどっちつかずの意見を提案をする。

 これを受けて孝明天皇は長州討伐の続行を決断、慶喜はそれに従う形をとった。八月八日、徳川家茂の名代として出陣する一橋慶喜は御暇乞の参内をして天盃、節刀を賜り『大討込』とばかりに自ら出陣することを宣言が、その直後、予想だにしなかった知らせが十一日、慶喜の許に届いたのである。

「小倉城が落ちました!どうやら自焼したもよう!さらに小倉口で戦っていた諸藩が戦線離脱をしております!」

 それは九州戦線崩壊という恐れていた事態であった。慶喜は二条斉敬へ出陣を見合わせるようにとの内願を提出、十六日に勅許が下ろされた。

「こっちが不利な条件を呑まなければならなくなったが・・・・・・仕方がない」

 徳川宗家の長としてこれ以上傷口を大きくするわけにはいかない。慶喜は孝明天皇に働きかけ長州征討は止戦するという勅命を二十日に出してもらった。それと同時に諸大名を召集し『天下公論』で国事を決するとしたのである。
 だが、このような慶喜のやり方は朝廷の公卿達の反発を招いた。安易に朝廷を利用する慶喜に対して公卿らの不満は爆発、二条斉敬と中川宮を引きずり下ろして朝廷改革を進めようとする動きが出たのである。

 その流れに乗った岩倉具視は列参諫奏により改革運動を推進しようとした。薩摩側はそんな岩倉の動向を諸侯参集に影響を与えるのではないかと危惧したが、岩倉側は『列参の目的は諸大名の召集を朝廷が行うことにより幕府を棚上げする点にある』と説明し薩摩藩を納得させ、八月三十日に列参が行われる事となった。しかし結果はむしろ慶喜に有利に働くことになってしまった。

 孝明天皇の逆鱗に触れた中御門経之・大原重徳・山階宮・三条実愛は処罰され、余波として二条斉敬、中川宮は辞意を表明する。だがその反作用として徳川慶喜の除服参内、将軍宣下へ動く結果となってしまったのだ。
 孝明帝に対して諫奏しようとしても既に朝廷政治は公卿だけで行われる段階ではなく、徳川慶喜がその一角に位置を占めていることを改めて思い知らされた。不偏不党の権威を朝廷に求める廷臣にとって、朝廷改革の最大の障害物は孝明天皇であるという事が明白となったのである

 薩摩側の思惑ははすべてが裏目と出てしまい、朝廷内の同意者が処罰されたことで発言力も低下を余儀なくされた。朝廷より上洛令を出された二十四の諸大名でも上京したのは世子を含めて九名に過ぎず、この結果も朝廷の力の無さを露呈、封建制度を崩したくない諸侯の思惑が明らかとなった。



「・・・・・・お若い大樹公がご逝去されたのにやっていることは狐と狸の化かし合いなんですね」

 ようやく緘口令が解かれ、将軍逝去の知らせを聞いた沖田が開口一番呟いた。

「総司、そんなくだらねぇ事実をわざわざ口にするんじゃねぇ」

 沖田の失言にさらなる失言を重ねる土方に、その場にいた者達は失笑を漏らした。確かに将軍の逝去に関係して上は公卿や大名諸侯、下は新選組まで考えうる限りの騙し合いや脚の引っ張り合いが横行していた。それに長州討伐の戦況も絡んで事態はますます複雑さを増していたのだ。

「まぁ、長州討伐の停戦の目処も立ちそうだし、将軍逝去も公になった。少しは動きやすくなるかもしれないが、次期将軍が決まるまではまだまだゴタゴタが続くだろう」

 眉間に皺を寄せながら告げる土方に組長らは黙って頷く。そう、まだ長州討伐は終わっていないのだ。将軍逝去を公にし、休戦の御沙汰書を朝廷からもぎ取った慶喜だが、停戦までの道程はまだまだ長いものだった。
 


UP DATE 2014.3.22

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スミマセン、自己管理の無さで遅刻してしまいました・・・orz
さらに今回新選組殆ど出ていないという・・・(T_T)これも遅刻の原因の一つかも(^_^;)慣れない政局の場面に時間を取られすっかり遅くなりましたが、できるだけ頑張って将軍の崩御&慶喜の小ずるさを書いたつもりです。個人的には『政治家・慶喜』は嫌いじゃない、むしろ大好きな部類に入るのですが、やはり『武士らしくない』ということで嫌われがち・・・確かにあまり好かれるキャラではありませんよね。
そんな彼と新選組が以後絡むのかどうかは甚だ疑問なのですが、やはりこの場面では必要ですからねぇ・・・あと一話、長州討伐がらみの話が続きますが、お付き合いのほどよろしくお願いしますm(_ _)m

次回更新は3/29、停戦交渉及び京都の日常を書く予定です♪
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