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「紅柊(R-15~大人向け)」
乙未・春夏の章

父子日和・其の壹~天保六年六月の空梅雨

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 飢饉というものはどこまで人間に追い打ちをかければ済むのだろうか――――――天保六年の梅雨はまさにその言葉がぴったりだった。本来なら恵みの雨が世の中を優しく包み込み、ひ弱な稲穂の成長を促してゆく筈なのに、今年は殆ど雨が降らないのだ。それどころか変に薄ら寒い日が続き、身体の弱い女子供、年寄りは未だ衣更えできず袷のままだ。
 それは恭四郎の住んでいる八丁堀近くの長屋も同様で、喜んでいるのは雨だと仕事にならない出職の職人ばかりである。

「まったくよぉ、左官の仕事が流れねぇのはありがてぇが、こう雨が降らねぇ上に寒いとなると、今年もまた飢饉なんだろうなぁ」

 五日ぶりの雨の音を聞きながら、恭四郎は寝転がったまま澪に語りかけた。仕事があるのは助かるがいつ雨が降るか判らない梅雨時、かなり無理をして早めに仕事を仕上げているのは否めない。五日間朝から晩まで左官の仕事ともう一つの仕事に忙殺された恭四郎の身体は悲鳴を上げ、起き上がる気力さえ湧いてこない――――――そんな恭四に対し、澪は息子の恭太に乳を含ませながら微笑んだ。

「多分そうなりますねぇ。ここ最近米相場も落ち着かないですし・・・・・・それよりお前さん、大丈夫ですか?」

 息子の背中を優しく撫でさすりつつ、澪は床に寝転がったきりなかなか起き上がろうとしない恭四郎に尋ねる。普段だったら雨でも道具の手入れをしたり『もうひとつの仕事』の細々した雑務の整理をしたりと恭四郎は意外とまめに動く。それが無いということはかなり疲労が溜まっているのでは、と澪は心配したのだ。そんな妻に対して恭四郎は苦笑いを浮かべつつ長着をはだけ、ぱんぱんに張った脛を澪に見せる。

「ああ、『施主』の野郎の注文が厄介でよ。昨日も散々振り回されたんだ。お陰でこんなに足が張っちまった」

 冗談めかしつつも『施主』に力を込めた物言いに、澪は納得したように頷いた。

「・・・・・・幾田様のお務めですか?」

「おう、もうすぐ六月の掛取りが始まるから商家の見回りを増やせだとよ。いつもの梅雨みたいに雨ならば小遣い稼ぎにうってつけだが、こう晴れが続くと左官の仕事も入るから大変なんだよ」

 幾田は人使いが荒すぎるとぼやきつつ、恭四郎はようやく上体を起こす。

「恭太も腹がくちくなったか。ごきげんだなぁ」

 乳を飲み終え大きなあくびをした息子の頬を指で軽く突きながら、恭四郎は満面の笑みを浮かべた。
 恭太が生まれて半年、恭四郎の生活もようやく落ち着きを見せ、幾田から頼まれる仕事以外はごく普通の左官としての生活を満喫していた。否、凄腕の番頭も顔負けの澪のやりくりのお陰で、同じ稼ぎの左官に比べたらかなり余裕のある生活を送っていると言えるだろう。これならばあと子供の三、四人くらいは余裕で育てていけそうだ。

「なぁ、お澪。そろそろ恭太の弟か妹が欲しいと思わねぇか?」

 腕の中で眠り始めた恭太をあやしている澪に擦り寄り、恭四郎が猫なで声を出す。その声に妙な色気を感じ取った澪は困ったように眉根を寄せる。

「もう、こんな真っ昼間から・・・・・・せめて夕飯の後まで待って下さいませ」

 しかし『その気』になってしまった恭四郎の行動は止まらない。困惑する澪の腰に腕を回しながら恭四郎は澪の背中にぴったりと貼り付いた。そして桜色に染まる澪の耳許に唇を寄せる。

「別にいいじゃねぇか。恭太だっておねむなんだしよ。起き出さねぇようにちゃっちゃと終わらせるから・・・・・・」

 澪をかき口説きながら、恭四郎が固く張っている乳房に手を伸ばそうとしたその時である。遠慮がちに、しかしはっきりと戸を叩く音がしたのだ。

「ちっ、いいところで邪魔しやがって」

 情事になだれ込もうとしたところを邪魔され、ふくれっ面をする恭四郎に澪は笑い出す。その笑い声を背に、恭四郎は舌打ちしながら土間へと降りた。
 こんな雨の中自分達を訪ねてくるのは幾田くらいだろう。だったら自分が出たほうが早いと恭四郎はつっかい棒を外し、湿気でさらに開きにくくなっている戸を開ける。

「幾田の旦那、こんな雨の中ご苦労・・・・・・!」

 そう言いかけた恭四郎だが、目の前に現れた人物の顔を見るなり思わず言葉を飲み込んだ。そして一歩後退ると強張った表情のまま口を開く。

「あ、兄上!何故・・・・・・」

「久しぶりだな、恭四郎。幾田殿に聞いてここに来た」

 恭四郎の前に立っていた人物、それは恭四郎の一番上の兄・渡瀬恭一郎だった。



 本降りの雨の中、自分を訪ねてきた兄を慌てて家の中へ引き入れると、恭四郎は澪に茶を出すように告げつつ耳許で小さく囁く。

「俺の一番上の兄上だ。出来る限りで構わねぇから粗相がねぇように」

「承知・・・・・・しました」

 今でこそしがない左官屋の女房に収まっているが、澪は元々大きな薬種問屋の娘である。しかも息子夫婦に見切りをつけた祖母に厳しく礼儀作法から算盤まで仕込まれているだけに、よっぽどの事がなければ粗相などしないだろう。澪は眠っている恭太を恭四郎に預けると、早速茶の準備を始めた。

「すみません、兄上。何分しがない長屋暮らして・・・・・・」

 恭太を片腕に抱きかかえつつ兄に座布団を勧め、恭四郎は申し訳無さそうに詫びる。

「気にするな。大まかな事は幾田殿から聞いている」

 恭一郎は恭四郎に気遣いの言葉をかけると、勧められた座布団には座らず床に胡座をかくとぐるりと部屋を見回した。

「だいぶ年季が入った長屋みたいだが・・・・・・この辺は火事が殆ど無いのか?」

 土間の煤けた壁を見やりつつ恭一郎が弟に尋ねる。その煤け方はどう軽く見積もっても十年以上は経過しているように見えた。その問いかけに恭四郎は少しだけ頬をほころばせる。

「ええ、八丁堀が近いですからね。さすがに付け火をするような馬鹿はいませんし、おかみさん連中の火の始末も自然と厳しくなりますから。お陰で安心して仕事に専念できます」

「それは何より」

 長屋の古さに安心したのか、恭一郎の顔にもようやく笑みが溢れる。その会話の間を見計らったかのように澪がお茶請けの漬物と共に茶を運んできた。

「粗茶ですが・・・・・・」

 茶と漬物を恭一郎の前に差し出しながら澪が頭を下げる。

「お澪さん、でしたか。そんなに緊張せずに楽にして下さい」

 緊張に身体を固くしている澪に気楽にせよと声をかけつつ、恭一郎は茶をすすり、漬物を一切れの中に放り込んだ。

「ほう・・・・・・絶妙な漬け具合ですね。恭四郎の好みに合わせるのは大変だったんじゃないですか?」

 らしくもない軽口を叩く兄に恭四郎は違和感を覚る。兄弟の中では気さくで、恭四郎にも何くれとなく目をかけてくれた一番上の兄だが、ここまでの軽口を叩くことは恭四郎の知っている限りでは皆無だ。

「ところで兄上。この雨の中、何故こんな貧乏長屋にやってきたのですか?しかもらしくもない軽口など・・・・・・何か言いづらいことでも渡瀬の家で起きているんでしょうか?」

 探るような恭四郎の口調はどことなく幾田の尋問口調に似ている。仕事を共にしているとそういったところまで似てくるのだろうか――――――そんな弟の尋問口調に暫し黙りこくった恭一郎だったが、やがて観念したように口を開いた。

「・・・・・・お前は昔からそういうところには敏いな。勉学は苦手だったくせに」

「最後の一言は余計です!」

 兄の容赦無い一言に恭四郎は気色ばむ。そんな弟を穏やかに見つめつつ恭一郎はぽつり、と呟いた。

「一度、父上に顔を見せてやってくれないか」

「え・・・・・・?」

 兄の言葉に恭四郎は一瞬呆ける。てっきりもっと深刻な話が飛び出してくると身構えていただけに拍子抜けしたような格好だ。だが恭一郎は真剣な表情で恭一郎を説得し始める。

「お前だけじゃない。お澪さんとその子もだ・・・・・・父上も既に還暦を超えている。いつあの世に旅立ってもおかしくない年齢なんだ。その前に所帯をもったということだけでも報告に来て欲しい」

 だが、恭一郎が真剣に口説けば口説くほど恭四郎は戸惑いを露わにし、尻込みし始めた。

「しかし俺は勘当されて、渡瀬の家の敷居は・・・・・・」

「そんなもの、孫可愛さにすぐ解けるさ。恭二郎は長崎に行ったきり帰ってくる様子もないし、恭三郎はお前以上に放蕩を尽くして一昨年、瘡毒で亡くなった」

「恭三郎兄さんが・・・・・・!」

 唐突に聞かされた三番目の兄の死の報告に、恭四郎は愕然とする。

「それが原因で父上も弱気になってしまってな・・・・・・仕事のこともあるだろうが、今月か来月にでも顔を見せて欲しい」

 そう言い切ると、恭四郎の返答を待たずに立ち上がり、二人が止めるまもなくさっさと長屋から出て行ってしまった。あとに残されたのは空になった湯呑みと半分以上食べれれた漬物だけである。

「安物の番茶と末生りの漬物を、あの食に煩い兄上が口にするなんて・・・・・・どうやらおめぇの台所仕事は認められたってところだな」

 ふにゃふにゃと口を動かす恭太を抱きながら、恭四郎は湯呑みを片付けようとしている澪に語りかけた。

「それと・・・・・・あの様子俺達の事はほとんど全部筒抜けだな」

「筒抜け・・・・・・ですか?」

「ああ、俺のことだけじゃなくおめぇの事まで知っていたし、しかもかなり落ち着いていた。だけどあの口の堅い幾田さんが漏らす、ってぇ事は・・・・・・やはり親父の容態はあまり芳しくねぇのかな」

 恭一郎ははっきりと父親の様子を告げなかったが、この雨の中――――――つまり恭四郎の仕事が休みであることを見越してわざわざやってきた事を鑑みると、状況は切羽詰まっているのかもしれない。

「仕方がねぇ。今晩ちょいと考えるか・・・・・・お前も付き合えよ、お澪」

 そう言いながら恭四郎は息子を左腕に抱えたまま右腕で澪の身体を引き寄せ、唇を吸う。その時である。

「ほぎゃぁぁ!ほぎゃぁぁ!」

 恭四郎の左腕の中で眠ってた恭太が、突如火が付いたように泣きだしたのだ。尻のあたりの湿り気からすると、どうやら粗相をしてしまったらしい。

「はいはい、ちーちーでちゅか~」

 澪は恭四郎から恭太を奪い取ると、濡れてしまった襁褓を脱がせてゆく。そのかいがいしい後ろ姿に、恭四郎は軽く溜息を吐いた。



UP DATE 2014.6.4

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久しぶり、というか一年半近くぶりに登場しました恭四郎&澪のCPです(^_^;)恭四郎ピンでは出ていたんですけどねぇ・・・他のCPの進展が忙しくついついこの二人の話は疎かになっておりましたorz
それだけ間が開いてしまうと子供までできてしまっておりまして・・・二人の間には第一子・恭太が生まれました。多分1~2月生まれ?なので年齢はまだ1歳ということで(^^)←ここいら辺テキトー(^_^;)

そんなささやかな幸せを噛み締めている三人の許に恭四郎の兄、恭一郎がやってきました。ただでさえ色々問題がありそうな渡瀬四兄弟、その中で家出をし、一時期は強盗の仲間になってた恭四郎でさえも『江戸に残って所帯を持っている』という点でまだましなようで・・・次回は軽めのエロ&渡瀬の家の門まではたどり着けるかな・・・?6/11の更新予定です(^^)
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