FC2ブログ

「短編小説」
幕末歳時記

幕末歳時記 其の拾貳・虫聞き(緒方洪庵&八重)

 ←葵と杏葉世嗣編 第十一話 御通抜け・其の貳 →葵と杏葉世嗣編 第十二話 御通抜け・其の参
「また来はったか・・・・・ええ加減お上も諦めてくれたらええのに。」

 鳴き始めた蟋蟀の声を耳にしながら緒方洪庵は江戸から届いた手紙を見てため息を吐く。幕府から天然痘予防の活動を認められてからというものまるで借金の取り立てのように『奥医師』への要請の手紙や使者が洪庵の許にやってくるのだ。
 いくら『身分など必要ない』と言っても、『大勢の塾生や病人を見捨てる事は出来ない』と訴えても馬耳東風、相手は聞き流してしまう。特に今年に入ってからその催促はますます激しさを増してきていた。

「旦那様、また来てしまったんどすか?」

 淹れたての茶を持って妻の八重が洪庵の所へやってきた。洪庵の困った顔がよっぽどおかしいのか笑いをかみ殺している。

「お八重はん、あんたにとっても人事やおへんで。江戸に引っ立てられたら、あんたにも来てもらわなうちが困る。」

 洪庵は笑いを含んでいる八重にぼやきながら湯飲みを受け取った。今さっき焙じたものだろうか、ふくよかな焙じ茶の香りが鼻孔をくすぐる。

「全く困ったもんや。西洋医なら佐倉の松本はんがおるやないか。わざわざうちが大阪から江戸へ向うまでもないと思うんやけどなぁ。」

 八重が淹れた茶を一口含み、洪庵は天を見上げた。

「塾生もあちこちでがんばっておるし、そろそろ隠居でも決め込もう思うとるんやけどなぁ。」

 そんな言葉を呟いた洪庵に対して八重は思わず吹き出してしまった。

「旦那様、おもろすぎます。こんな歳になってもあっちこっち動き回る落ち着きの無いお人が何言うてはりますのん。旦那様が隠居する前にお天道様の方が先に隠居します。」

 むっとする洪庵に目もくれず、八重はけらけらと笑い続ける。

「失礼なやっちゃ。こ~んな重々しい医者、日の本をくまなく探したって見つからへんで。」

「重々しいが聞いてあきれます。ああ、また笑い皺が増えるやないですか。」

 知命を過ぎてもなお良い夫婦仲は塾生が呆れるほどであるが洪庵を、そして洪庵の『適々斎塾』を影で支えているのはひとえに八重の人柄である。
 だからこそ、洪庵は大阪を離れること、そしてたとえ一時でも妻の八重と離れることに不安を感じるのである。

「・・・・・旦那様、公方様の為やのうて嫁いでいきはった和宮様の御為に江戸へ行く気はありまへんか?」

「宮様・・・・の?」

「そうや。その気になれば再び上方に帰る事もできるうちらと違うて宮様は一生江戸暮らしを強いられはるんやろ。せやから、せめて上方の医者がいれば心強いと思うんやけど。」

 徳川家へ降嫁した和宮への同情は巷にも広がっている。確かに自分自身でさえ渋る東下に対し和宮はどれだけ不安に感じているだろうか・・・・・。医師としての使命が洪庵の中にむくむくと頭をもたげてくる。

「せやな・・・・・医学のため、子孫のため、そして宮様の御為や。討死の覚悟で江戸にいこか。」

 良人の覚悟に八重も頷く。

「せやったらうちは塾生の子らと一緒にここの始末をしてから旦那様を追っかけて江戸に向います。旦那様は向後の憂いなくお勤めにはげんでおくれやす。」

 にっこりと微笑む妻の笑顔に、体中の力が漲ってくるような気がする。洪庵は人生最後の仕事に立ち向かう勇気と力を得て奥医師兼西洋医学所頭取として、江戸に出仕する決意を固めたのだった。



UP DATE 2009.9.1


Back   Next


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
ランキング参加中。お気に召しましたら拍手代わりに是非ひとポチをv

   
こちらは画像表示型ランキングです。押さなくてもランキングに反映されます。
(双方バナーのリンク先には素敵小説が多数ございます。お口直しに是非v)






今回は趣向を変えて緒方洪庵を取り上げてみましたv
この時すでに50過ぎ(知命=50歳の事です。)、『人生50年』だった当時としてはよくぞ奥医師としての仕事を引き受けたな~と。ただし、文久2年に出仕した次の年お亡くなりになっています(T T)
そしてお八重さん!新聞の日曜版の記事で拝見したのですが洪庵とは夫婦仲がすご~く良くて、6男7女をもうけた上に両方の親と一緒に温泉旅行も行っているとか(笑)。
塾生も相当面倒を見てもらったらしく福沢諭吉には『おっかさんのような大恩人』と称えられています。
きっと面倒見の良いすばらしい女性だったのでしょうね~。あやかりたいものです。

次回の更新は9月16日、もちろん『中秋の名月』でv
関連記事
スポンサーサイト




 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ 3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ 3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ 3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ 3kaku_s_L.png 雑  記
総もくじ  3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ  3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ  3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ  3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ  3kaku_s_L.png 雑  記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【葵と杏葉世嗣編 第十一話 御通抜け・其の貳】へ  【葵と杏葉世嗣編 第十二話 御通抜け・其の参】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【葵と杏葉世嗣編 第十一話 御通抜け・其の貳】へ
  • 【葵と杏葉世嗣編 第十二話 御通抜け・其の参】へ