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「紅柊(R-15~大人向け)」
丙申・春夏の章

かまいたち・其の参~天保七年一月の厄災

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 左腕の激痛と共に地面に倒れ込んだ銀兵衛の目の前にあったもの、それは万縞の袖に包まれた己の左腕だった。肘のあたりから斬られたのだろうか。袖からはみ出した切り口からは血が流れ出て、地面へと吸い込まれてゆく。まるでかまいたちのような早業に、銀兵衛は慄き、唇を噛みしめる。

(次は首か――――――!)

 腕を来られた状態では二の太刀は繰り出せない。覚悟を決めた銀兵衛だが、新實の次の一撃はなかなかやってこなかった。その代わりに銀兵衛に降りかかってきたのは人々の叫び声と新實の罵詈雑言、そして深刻そうな男の呼びかけだった。

「お武家様、今暫く耐えてくださいませ。手前どもの店に医者が来ておりますので、すぐに手当をさせます」

 どうやらどこかの店の主らしい。このへんの通りの店はほぼ大店だ。そこに来る医者ならば、しっかりした素性の医者なのだろう。

(できれば・・・・・・外科医であれば助かるのだが)

 医者は医者でも漢方を専門とする内科医ではこの傷は治せないだろう――――――呑気にそんなことを思いつつ、銀兵衛は己の意識を手放していった。



 どれくらい眠り込んでいたのだろうか――――――銀兵衛が左腕の激痛に目覚めた時、真っ先に目に飛び込んできたのは涙に目を腫らした喜代だった。そしてその横には子供たちが心配そうに銀兵衛の顔を覗きこんでいる。店の者が呼んできてくれたのだろうか。だが、城に届けを出して、家族に連絡を取るにしてもそれなりの時間が必要だ。

「旦那様・・・・・・よくぞ生き抜いてくださいました」

 よくよく見ると、喜代の頬は少しやつれている。そんな顔を見るのは三年ぶり――――――離縁の後くらいか。それくらい喜代は自分のことを心配してくれていたのだと、不謹慎ながら銀兵衛は嬉しさを感じてしまう。

「俺は・・・・・・・生きているのか?」

「はい。腕を斬られ意識を失っていたところを、伊勢屋の方に助けて頂きました」

 喜代の視線を追いかけると、そこには店の主らしき男がほっとした表情で座っていた。伊勢屋といえば川越藩御用達の呉服屋である。もしかしたらそれ故に真っ先に自分を助け、城への連絡、そして喜代達を呼び寄せてくれたのかもしれない。
 そしてその隣にいるのは医者だろうか。白い上着を身につけた医者は穏やかに微笑みながら銀兵衛達に近づいてきた。

「ようやくお目覚めになりましたな。三日三晩うなされておりました。たまたま私がこちらに往診に来ておりました処、あの騒動がございまして・・・・・・若い頃、慰み半分蘭方医に弟子入りしていたことが今回役立ちました」

 どうやら本職は漢方医らしいが、蘭方医学にも興味があったのだろう。縫合もそれなりにきちんとしているようだし、その点は不幸中の幸いだったのかもしれない。

「そういえば新實・・・・・・は?」

 謎といえばそれが最大の謎であった。手応えを感じる間もなく腕を斬り落とされてしまった銀兵衛は、自分がどれだけ新實に傷を負わせたか解らない。せめて一太刀を、とは思うものの、もしかしたら無傷で逃してしまったかもしれないのだ。
 そんな心配を察したのか、今度は喜代が口を開く。

「皆様が出てきてくださった時にはご近所の若者達が混紡を振り回しながら無頼者を追いかけていたそうです。向こうの逃げ足は相当早かったようですが、明らかに旦那様のものとは違う、小さな血溜まりもあったとのことです。もしかしたら傷を負わせていたのかも」

「そうか。一太刀は浴びせられた、ってところかな」

 ふぅ、と苦しげに息を吐くと、銀兵衛は更に喜代に尋ねる。

「藩庁の方に報告は?」

「勿論いたしております。今現在城下を捜索しているとのことですが、手傷を負った浪士は見つけられないようでして」

「既に江戸にでも逃げおおせたかな――――――小さいとはいえ、血溜まりが出来るほどの怪我を負っているならば、治療をしなければならないだろう」

 とにかく川越からは既に立ち去っているのだろう――――――銀兵衛はホッとしたのか、再び眠りについた。



 その頃新實と夕波は板橋宿の安宿に転がり込んだ。新實の傷はここに辿り着くまでにだいぶ悪化してしまったらしく、部屋に転がり込むように入るなり、だらしなく壁により掛かる。

「畜生・・・・・・まさか銀兵衛に遅れを取るとは」

 恨めしげに新實は毒突くが、旅装も解くことなく息遣いも荒い。

「何言っているんですかい。相手の左腕をずっぱり切り落としていながら」

 苛立つ新實をなだめながら旅装を解いていくのは夕波だ。

「それにしても馬が空いていて助かった・・・・・・・うっ」

「ほらほら無理するんじゃないよ!板橋なら二、三日居続けをしたって怪しまれないからさ」

 夕波は勝手に押入れから布団を引っ張りだすとそれを敷き、新實を横にする。岡場所も兼ねている板橋宿だ。余程の事情がない限り一泊で追い出される他の宿場と違って、数日間はいられるだろう。

「取り敢えず夕飯が来るまで休んでな。わっちは鮫ヶ橋の藪庵を連れてくるから」

「・・・・・・ああ。それにしても奴は名前を変える気は無いのか?医者が藪とは洒落がきつすぎる」

 痛みに顔を歪めつつ新實は布団をかぶった。銀兵衛と新實の勝負は一応『相討ち』と言っていいだろう。左腕を肘から斬り落とされた銀兵衛に対し、新實は利き腕の右肩を貫かれ、腱を断ち切られた。どちらも『剣士』として致命的な傷ではあるが生命が助かっているという点も似ているかもしれない。
 だが、銀兵衛が与えたこの傷が、後日新實の運命に暗い影を落とすことになるとは、知る由もなかった。



 銀兵衛が自宅長屋に帰ってきたのは意識が戻ってから三日後、新實との戦いから六日後のことであった。怪我人ゆえの特例で駕籠での移動が許されたのだ。
 駕籠での移動が可能になった銀兵衛だったが、腕の傷が塞がるまで暫くは安静が必要だ。だが大人しくしていたのはほんの十日ほど、痛みとの折り合いがつき始めた十日目にもなると床から起きだしたのである。よっぽど暇を持て余しているのか、子供らに黄表紙の読み聞かせをしたり、脇差を木刀代わりに右腕一本で素振りを始める有り様だ。それを見た二人の子供たちまで銀兵衛の真似をしだす有り様で、喜代はほとほと困り果てていた。

「もう、旦那様。お医者様にも言われておりますでしょう?傷が完全に塞がるまで無茶はしないでほしいと」

 昼餉を運んできた喜代が苦笑いを浮かべつつ、銀兵衛の素振りを窘める。

「そうは言うがな、喜代。大人しくじっと寝ているだけというのも疲れるものなんだぞ」

 冗談とも本気とも付かない言葉を口にしながら、銀兵衛は脇差を刀置きに置いた。川越藩の藩士はただでさえ仕事をいくつも割り振られ、忙しく働きまわっている。子供の頃からそんな環境に置かれ、元服と共に藩の仕事や試し切りの稽古に携わっていた銀兵衛にとって『療養』は苦行でしか無いのだ。
 そんな銀兵衛の前に膳を差し出しながら、喜代は意味深な笑みを浮かべる。

「でしたらお城からお仕事を寄越して頂いても大丈夫ですね?先日お見舞いに来てくださった徒頭の松前さんが、仕事が増えて大変だと嘆いていらっしゃいましたので」

「おっと、左腕が急に・・・・・・」

 そんな冗談を言いつつ、銀兵衛は箸を取った。腕を斬られた事を除けば、これ以上に幸せは望めないだろう。剣術を極めることに血道を上げ、喜代や家族を蔑ろにしてきた頃を考えると信じられない幸福だ。

「・・・・・・やはり俺は剣術に携わらないほうが良かったのかな」

 味噌汁をすすった後、銀兵衛はぽつりと呟く。

「剣術に携わらなければ、お前を傷つけることも、そして今回のように腕を失うことも無かったのかも・・・・・・」

「いいえ、そんなことはございません!」

 弱音を口にした銀兵衛に、喜代が叱咤する。

「もし旦那様に剣術の腕がなければ・・・・・・此度のことで亡くなっていたかもしれないじゃないですか!そのようなこと、嫌でございます・・・・・・」

「き、よ・・・・・・?」

 いつにない強い口調の妻に銀兵衛は面食らう。

「生きていてくださいませ・・・・・・でなければ、私も・・・・・・生きてゆくことは・・・・・・」

「喜代」

 銀兵衛は椀を置くと喜代に手を伸ばし、涙にぬれる頬を撫でる。

「お前は泣き虫だな・・・・・・安心しろ、俺はまだまだ生き抜いてやる」

「旦那・・・・・・さま」

 銀兵衛の言葉に感極まった喜代の目から、新たな涙が溢れ出る。

「今年は天神様の鷽替え神事には行けそうもないが、お前たちだけで行ってきてくれないか?新實を取り逃がしてしまったことを・・・・・・嘘にしてしまいたい」

 驚きの表情で銀兵衛を見つめる喜代に、銀兵衛は更に続けた。

「一太刀浴びせたとはいえ、飢えた狼のような男を野に放してしまったんだ・・・・・・傷が完全に塞がったら江戸の師匠のところに直接出向こうかと思う。特に連れの女の事は・・・・・・五三郎たちのほうが知っているだろう。こっちとしても情報が欲しい」

「となると・・・・・・夏頃になりますでしょうか?」

「ああ。もしかしたらお前にも付き添いを頼むかもしれないからそのつもりでいてくれ。長くても往復で半月もしないだろう」

 銀兵衛の言葉に喜代は頷く。気の早い鴬の、初鳴きが遠くから聞こえてくる。まだ固い梅の蕾もあと十日もすれば綻んでくるだろう。

(どんな厄災があっても・・・・・・俺達は乗り越えてきたんだ。今回だってきっと・・・・・・)

 残った右腕で喜代を抱きしめながら、銀兵衛は近づきつつある本格的な春を噛み締めた。



UP DATE 2015.1.21

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災厄の権化のような男・新實に出くわしてしまった銀兵衛ですが、なんとか無事生還することが出来ましたε-(´∀`*)ホッ
一応町人の若者達が集団で棍棒を振り回しながら新實を追いかけまわしたことになっておりますが、この他にも何かしら物ぐらいは投げつけられていたかもしれない――――――(-_-;)
それでも獣の生命力と夕波の助けで逃げおおせた新實、どこまでも悪運が強い男ですが、それもそろそろ尽きかけているようです。

来週は拍手文更新、そして来月の紅柊は芳太郎と縫の祝言話の予定です(*^_^*)
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