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「紅柊(R-15~大人向け)」
丙申・春夏の章

将軍隠居と次代の浅右衛門選び・其の壹~天保七年四月の内定

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 杜鵑の鳴き声とともにかつお売りの威勢の良い声が江戸の街に響き渡る。そんな声を遠くに聞きながら、山田一門門弟たちは稽古に励んでいた。
 今年九月に行われるであろう御様御用の選抜が間近に迫っている。ここ数年に渡る飢饉、特に去年の未曾有の不作を考えると来年の御様御用は期待できない。それだけに、今年選ばれるか否かは極めて重要だ。

「明日がお師匠様の出仕日だから、そろそろ上からの話がくるころかな」

 『乳割り』の切断に成功した後の五三郎の呟きに、芳太郎がうむ、と難しい表情を浮かべる。

「そうだな。前回の六日には何も音沙汰が無かったから、そろそろだよな。さすがに二十六日まで延びることはないだろう」

 二人の目の前では、去年入門した後輩らが切断された胴を縫い合わせている。数年前まで五三郎や芳太郎もこの立場だったが、今では一番太刀を入れる権利さえ得ていた。すなわちそれは、御様御用を任されているか、近く任されるであろうという紛れも無い事実なのである。

「・・・・・・だよな。だけど去年みたいに大勢を、というわけにはいかねぇだろうなぁ」

 諦めとも取れる口調で零しながら、五三郎は刀に付いた汚れを汲み置いた水でざっと洗い流す。

「あれは二、三年無かった後の御様御用だったからな。去年も行われているから、今年は二人か三人くらいだろう」

「あまり期待できねぇ、っとことには変わりねぇ」

 そうは思うものの、いつもの御様御用を考えれば二、三人が妥当なところだろう。目ぼしい門弟は殆ど去年の内に御様御用を済ませてしまっているが、五三郎がその少ない人数の中に選ばれるかどうかは微妙なところだ。

「心配するな、五三郎。きっとお前なら次回の御様御用に選ばれるさ」

 芳太郎の慰めの言葉に五三郎は苦笑いを浮かべる。だがこの時、吉昌が江戸城においてとんでもない話を聞いていることなど思いもしなかった。



 桜の花も散り、初々しい若葉に彩られた紅葉山に、中年男の素っ頓狂な声が響き渡る。その声に驚いた杜鵑たちがバタバタと羽音と立てて飛び立ってゆくが、紅葉山文庫の中にいる人間達に杜鵑を慮る余裕など欠片も無かった。

「う、上様が・・・・・・ご隠居なされるですと!」

 吉昌は驚きに声を上ずらせる。

「ああ。まだ内々の話だが・・・・・・建前上は飢饉による財政難の責を取って、ということだが、お年もお年だからな。既に還暦を越えられている大樹公を納得させる理由も楽ではないよ」

 かなりの高齢とはいえ将軍・家斉はまだまだ壮健だ。むしろ息子よりも精力的かもしれない。そして更に厄介なのは家斉の取り巻きである間部詮勝や堀田正睦、田沼意正らである。彼らによって幕政はほぼ牛耳られ、莫大な浪費が行われているのだ。
 それを快く思わない若き老中・水野忠邦と結託し、大久保はかなり裏工作を行ったらしい。あれやこれや家斉の矜持を傷つけないよう理由を必死に絞り出し、ようやく隠居を納得させたのである。

「まぁ、実際は大御所様として権威を振るわれるだろうが」

「その方が我らとしても安心できます・・・・・・では、お身体に不調は無いのですね」

「ああ、言葉は悪いが殺しても死なないとは大樹公の為の言葉だろう。徳川はまだまだ安泰だよ」

 大久保は苦笑いを浮かべた後、真顔になる。

「そこでだ・・・・・・大樹公の代替わりに合わせ次代の山田浅右衛門もある程度決めてもらいたい」

 きっぱりと言い切る大久保の一言に、吉昌は少し困ったように眉尻を下げた。

「それは・・・・・・すぐにでございますか?」

 ある程度の目星は付けているが、七代目候補達は未だ御様御用にさえ臨んでいない。そもそも今年の御様御用がいつあるかさえまた聞いていないのだ。困惑を露わにする吉昌に、大久保は『慌てることはない』と付け加える。

「さすがに今日明日決めろというわけではない。大樹公がご隠居なされるまでにはまだ一年ある。その間に大まかな人選だけでもしておいてくれ。そもそもお幸と釣り合う若者となると、まだ免許皆伝さえしていないだろう?」

 探るような大久保の言葉に、吉昌は大久保が山田家の事情をある程度把握していることを察した。

「いやはや・・・・・・そこまで手の内がばれておりますか」

 吉昌はすっかり薄くなってしまった頭をかきながら苦笑する。

「石出帯刀からは三人ほど優れた腕利きがいると聞いているが・・・・・・」

 探りを入れるように尋ねる大久保に、吉昌は釘を刺す。

「もしその中に前畑芳太郎がおりましたら、その者は除外しておいてください。既に川越藩御徒士頭を継ぐ予定でおりますので」

「となると、新見藩の後藤五三郎か豊岡藩の広田猶次郎あたりか・・・・・・」

 大久保は吉昌の興味深そうに覗きこむ。どうやら七代目候補の名前や所属藩まで大久保に情報が流れているらしい。確かに将軍家御様御用を任されるものである。迂闊なものを選任するわけにも行かない。

「だいたい決めてあるのだろう?」

 いち早く七代目が誰になるのか知りたいのか、意外としつこく大久保は迫ってくる。だが吉昌はそれをやんわりと躱した。

「いえ・・・・・・養女・幸の婿は決めてありますが、その者が山田浅右衛門にふさわしいかどうかはこれからの修練にかかっておりますゆえ。もしかしたら七代目はそれがし同様夫婦養子という可能性もあります」

 吉昌の一言に、大久保は微かな否定の色を滲ませる。

「初代からの血を受け継ぐ娘を、七代目山田浅右衛門の妻にしないというのか?」

「ええ。そうするにはあまりにも幸は肉親との縁が薄い娘ですので。せめて人並みの幸せを幸に与えてくれる男と一緒にさせたいと思っております」

 吉昌は庭を見つめながら言葉を続ける。

「誉れと穢れを背負わなくてはならない山田浅右衛門の銘、それを支えるにはやはり情というものが必要です。そして幸には既に心を寄せる相手がいるようでして・・・・・・その者が七代目をもぎ取ればそれ良し、でなければ幸の為に別家を立てようかと思っております」

 それは暗に幸の相手が後藤五三郎か廣田猶次郎のどちらかであると言っているようなものだった。それを察した大久保はうむ、と軽く頷く。

「そうか・・・・・・その旨はお前に任せよう。ところで話は変わるが」

 大久保は声を潜める。

「山田家因縁の男が、古石場に潜伏しているかもしれぬという情報を南町奉行所が掴んだ。さすがに同僚を二人も殺されているという執念か・・・・・・むしろ西山達が深川近辺をふらついているのが腹立たしいところだ」

 大久保は忌々しげに吐き出すと改めて吉昌に告げた。

「新實の件も西山達の件も上様が隠居する前に片付けたい。そして山田家の方もできるだけ早めに次代の山田浅右衛門を決めて、幸の婚礼も上様隠居前に済ませるように。できれば来年の春までに」

「お言葉を返すようですが、何故幸の婚礼まで早めるのでしょうか?」

 七代目山田浅右衛門を決定する件はいざしらず、幸の結婚はあくまでも私的な話である。大久保は何故それまでも急かすのか――――――理由がわからず、吉昌は尋ねる。すると大久保は呆れたように大仰に溜息を吐いた。

「何を言っている、山田。上様の隠居の後には新たな将軍就任の大礼が待ち受けているのだぞ。そうなれば・・・・・・」

 大久保が告げたその事実に、吉昌は今日一番の素っ頓狂な声を上げてしまった。




「た、鯛五千枚ですって!」

 帰宅するなり告げられた吉昌の一言に、幸は悲鳴に近い声を上げた。

「それだけではない。大礼に使うご祝儀の品々や料理に使う野菜や酒も、一気に江戸から失せる可能性がある。となると、婚礼用の品々を用意しようとしても揃えられないことに・・・・・・」

 そこまで言うと吉昌は力なく笑う。

「お前も来年は十九歳だし、せめて鉄漿を付けなければならない秋前までにはと思っていたが、まさかこんな形で急かされるとは」

「そうですか」

 幸も頬に引きつり笑いを張り付かせる。

「ま、お前の相手に関しては別に『山田浅右衛門』でなくても構わないと思っている」

「ろ、六代目!一体何を・・・・・・!」

 以前にも言われたが、さすがにこの期に及んでのこの一言に幸は声を荒らげる。しかし吉昌の決意は変わらなかった。

「山田浅右衛門を支えるには、お家の為だけではない、更に深い情愛が必要になってくる。夫婦ともに助けあいながらでなければこの勤めは果たせぬ。お前もそれは判るだろう?」

 吉昌の噛みしめるような言葉に、幸が頷く。

「だからこそ、それほど好きでもない相手が七代目になる場合、無理に結婚せよとは言わない。既に俺だって山田家の血が一滴も流れていないのにこの銘を名乗っているんだから・・・・・・だから幸、お前が惚れた相手を、そしてお前を後生大事に思ってくれる相手と夫婦になれば良い。別個に家を興せば問題ない」

「は、はぁ・・・・・・」

 言いにくそうに返事をする幸の脳裏に浮かんだのは五三郎の笑顔だった。

(本当に・・・・・・山田浅右衛門の銘を考えずに、兄様と夫婦になってもいいの?)

 俄に現実味を帯びてきた七代目朝右衛門と自分の結婚話――――――幸はそれを把握することだけで精一杯だった。




UP DATE 2015.4.1

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ようやく・・・ようやく七代目山田浅右衛門と幸の結婚話が本格的に動き出しました~~~ヽ(=´▽`=)ノここまで本当に長かった・・・( ;∀;) ジーン

史実としては将軍の隠居が公式発表されるのは天保八年4月の事で、多分大塩平八郎の乱あたりが隠居の直接的原因だと思われます。しかし山田家の動きを見てみるとどうもこの隠居話を前々から知っていて動いているとしか思えないのですよ(-_-;)ネタバレになってしまうのでここまでしか書けませんが、将軍隠居発表前に幸は結婚しておりますし、将来の山田浅右衛門も決定しておりました。やはり大礼前に色々片付けておきたかったのかも・・・。

次回更新は4/8、この件を門弟たちに公表することになります(*^_^*)
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