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「葵と杏葉」
葵と杏葉・藩主編

葵と杏葉藩主編 第二十二話 医学館・其の壹

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 江戸から佐賀への就封の後、斉正は休む間もなく行動を起こした。父・斉直に対し医学館の開設の許可を貰うと、医学館寮監への就任要請を蓮池町の蘭医・島村良順に対しおこなったのである。
 本来なら藩医の誰かを医学館寮監にするべきなのだろう。しかしこの医学館は蘭学医療の研究及び後進指導の場にしたいと目論んでいた斉正は、あえて佐賀藩付きの侍医ではなく、蘭方医を寮監に選んだのである。これは江戸にいる伊東玄朴の強い推薦によるものであった。



 そもそも医学館という発想は斉正には全くなかった。それもそうだろう、藩校である弘道館でさえようやく寺子屋状態から半分脱却できたという状況である。医学という特殊な分野であるが、弘道館以外の学問施設など夢の又夢、否、夢にさえ見る事ができないのが当然であろう。しかしそんな斉正に対して医学館という考えを吹き込んだのは、伊東玄朴の『欲』であった。

「誠に申し訳ございませぬ。姫君様の不妊、それがしだけの力ではどうにもこうにも出来ませぬ」

 斉正が江戸に滞在していたある日、盛姫の検診を終えた伊東はこう切り出した。第一線の医師とも思えぬ諦めの良さに斉正は呆れた。しかしそれ以上に自分の力の限界を悟りだらだらと無駄な治療をしないという所は褒めるべきなのだろう。しかし、伊東はそこまで殊勝な男ではなかった。

「とにかく書籍――――――知識が足りませぬ。聞くところによりますと、母親の腹を割き赤子を取り出しながらも、母親の命も助ける方法があるとか無いとか・・・・・・蘭書にも一行、二行しか触れられていないのですが、まだまだ我々が知らない医術があるらしいのです。できましたら藩においてそれらを蒐集していただけますとありがたいのですが」

 とどのつまり、自分の懐を痛めずに知識を得ようとしていたのだ。その図々しさに斉正は呆れ、苦笑を浮かべたが、一蘭医の力ではおのずと限界があることは理解できた。

「では、医学館を作るとしたら誰を責任者にすればいいのだろう?伊東先生、あなたが江戸に滞在している今、その重責を担える人材が我が藩内にいるとも思えぬのだが・・・・・・」

 斉正が疑問を呈したその瞬間である。伊東の態度が豹変したのである。

「そんな事はありませぬ!殿は島本良順をご存じないのですか!あの素晴らしいお方を!」

 怒り心頭、とは伊東の今の状態を表現するためにあるのだろう、そう思えるほど伊東は人が変ってしまったように斉正に対して怒鳴りつけた。完全な臣下ではないが、大名に対して感情のまま怒鳴りつけるという暴挙に斉正や傍にいた松根、周囲に控えていた者達も呆気にとられる。

「藩直属の蘭学寮を作られるのであれば是非我が師匠、島本良順を取り立てて戴きたい!私などと違い蘭学者、医者としては勿論、教育者として右に出るものはおりませぬ!」

 普段は耳障りの良い、お調子者的な発言が多い伊東だが、斉正から相談を受けたこの時ばかりは口角泡を飛ばして必死に斉正を説得にかかった。

「島村先生はもっともっと認められて良いお方でございます!医学館を創設なさるのであれば是非教授陣に、否、寮長に!私からの頼みでございます!師匠ならきっと姫君様の不妊の原因を突き止めてくださるでしょう!殿、この通り!」

 その勢いの良さに斉正を始め、周囲の者達は少しひいてしまった。だが、伊東玄朴や同等の腕を持つと言われている大庭雪齊、その他名の知れた蘭学者が島本良順に師事したというのだ。
 伊東の言う事だから話半分としても、島本良順という男は斉正の希望を形にしてくれるかもしれない。どちらにしろ優秀な人員が足りないのだし、少なくとも腕だけは確かな伊東の師匠であるなら技術的には問題だろう。斉正は伊東の推薦を受け、島本良順を召還する事にしたのである。



 三日後、斉正の要請を受けて蓮池町の蘭医・島本良順があばた面の弟子を一人引き連れて佐賀城へやって来た。

「お初にお目にかかります。それがし、島本と申す蘭医にございます。こちらに控えておりますのは弟子の金武良哲。何卒よしなに・・・・・・」

 言葉遣いこそさすがに堅苦しいが、その低く、柔らかい声音は心地よく斉正の耳に入ってゆく。そしてその声以上に印象的だったのはその手であった。大きく、力強そうなのだが決して粗野ではない、白く大きな手はまさに『医者の手』であった。

「少し楽になさって下さい。何せ私の我儘で呼び出してしまったのですから。ところでつかぬ事を伺いますが」

 斉正は伊東から聞いた、というよりむしろ聞かされた島本の気になる噂について尋ねる。

「はい、何でしょうか?」

「島本家は代々漢方医の家柄だと伊東先生より聞いたのですが、それは本当なのでしょうか?」

 斉正の問いに、島本は一瞬目を丸くする。しかし、その原因は斉正の質問そのものではなく、斉正が発した一言であった。

「伊東先生・・・・・・あのお調子者のやんちゃ坊主がですか?あれもそう言われるほど腕を上げたのですね。やるなと言うのに余計な事ばかりしてよく叱っていたものですが」

 弟子の金武と目を合わせ、くすり、と笑うと島本は話を続けた。

「伊東の言葉の通りでございます。島本家は蓮池町にて代々漢方医を営んでおりました。今でこそ蘭医として身を立てておりますが、父・良橘にはきっちり漢方のいろはをたたき込まれたものです」

「それなのに何故蘭学を?家族の反対は無かったのですか?」

 斉正の真摯な質問に、島本は過去の自分を垣間見た気がした。この二十歳そこそこの青年も、この国古来の古い学問と海外の新しい学問との狭間で苦しんでいるのだろう。自分の経験が少しでも役に立てばと話を始めた。

「勿論反対はありましたよ。何せ佐賀は保守的な土地ですからねぇ。しかし津山藩の宇田川玄隋が四十年近く前に発表した『西説内科撰要』という阿蘭陀の医学書に強く感化を受けたのです。同じ人間が、しかも自分と同じ医者がこの様な仕事をなすのかと」

「なるほど」

「そこで一念発起して、長崎に出向いて蘭学を修めたのです。その苦労たるや・・・・・・よく途中で諦めなかったものです。尤も帰ってきてからも蘭医を頼ろうなんていう物好きはそうそう居なくて苦労しましたがね。それ故の蘭学塾だったのです。少しでも蘭学が広まれば人々も理解してくれるだろうという思いもありましたし、そもそも蘭医一本で喰っていけませんでしたから」

 穏やかな笑みを絶やさずに話を進めていく島本だが、その苦労はいかばかりだったのだろうか。そしてその苦労を表に出さないところも尊敬に値した。時には傲慢とも言える態度を取る伊東でさえ、島本には一目置いているのである。そして島本を尊敬、否、神の如く崇拝している男がここにもいた。

「先生、いくら何でもそれはご自身を卑下しすぎですよ。先生は蓮池の街を回っては漢方医に見て貰えない怪我人を一人一人丁寧に治療したり、貧しい者に対しては治療費を免除したりしていたんです。真摯な学問への態度と高度な医療技術は周囲の信頼と名声を集め、伊東さんや大庭さんも先生を慕って蘭学塾へ入門したんです」

 金武良哲は熱っぽく島本について語り続ける。痘痕の跡がある、二十代半ばのこの青年の熱っぽい語り口調に島本は微かに苦笑を浮かべながら、やんわりと金武を止めた。

「つまり私と同じように蘭学――――――新しい学問を求める若い連中が多かったという事ですかね。この金武なんかも医学だけでなく算術や物理学にも手を出しておりまして・・・・・そのうち藩で船や大砲を作るようになった時、この者の力が役立つでしょう。宜しかったらこの者も取り立ててやって下さいませ」

「算術に物理学――――――それは真ですか?」

 島本から出たその一言に斉正の瞳が輝き出す。

「これは願ってもいない機会ではないでしょうか。蘭方の算術には皆苦労しております」

 松根も思わず斉正に耳打ちする。元々算術は商人のもの、または道楽者がやる遊びという偏見がこの時代はびこっていた。それだからこそ数字に弱い武士が多くなり、財政や軍事において遅れを取るようになってしまったのである。算術、特に蘭学に根ざした算術や物理学を制すれば、藩の利益になる事は間違いない。これは天恵以外なにものでもないだろう。
 かくして島本良順と共に金武も高等数学の教授として医学館の指導者となる。この金武の数学指導は多方面において利益を及ぼし、のちに佐賀が大成する最大の要因になる。



 島本、さらには濡れ手に粟の金武の取り立ては思った以上にうまくいったのだが、その後が問題であった。全てのお膳立てが整い、八幡小路に医学館まで立てたその直後に『蘭学などまかりならぬ』との斉直の一言が下ったのである。あらかじめ医学館の主旨は隠居側に伝えていたにも拘わらず、である。

「何故!事前に報告はしたのに!」

 このあまりに突然の命令には斉正も怒り心頭であった。きっと斉直付きの藩医がある事無い事吹き込んで妨害をしたに違いない。いつもの事だがさすがに腹に据えかねると、使者を追い返そうとした斉正を止めたのは他でもない島本であった。

「大殿はここまで本格的な蘭学の医学館が出来るとは思っていなかったのでしょう。お年を召した方が不安に思われるのは致し方がありません・・・・・・御使者の方、医学館の寮長監がこう申していたと伝えて欲しいのですが」

 怯える使者に対し、低い、柔らかな声で島本はさらに続ける。

「蘭学を教えるにも必要な書物も道具も揃えられない状況です。なのでしばしの間、漢方を基本とした医学を教える事になりますと大殿にお伝えくださいませ。そしていざ、大殿の身体に万が一の事があった時、漢方、蘭方関係なく最善の医療を尽くせるよう数年後に蘭学を許可していただけますでしょうかと。蘭法を導入するのは大殿の御為を考えて若殿がした事だとお伝えください」

 その発言に斉正は目を丸くするが、島本はにっこり笑って斉正を制する。そして使いの者が帰ったあと、その種明かしをする。

「私の父もそうでした。若者が瞬時に取り入れる事ができるものであっても、年寄は何年もかかるものなのです。それがより優れたものであればあるほど・・・・・・硬くなってしまった頭に新しい技術は吸収しづらいのでしょうね。ですからここは時間をかけて説得するしかございません」

 そしてそれが『自分のため』だと言われれば嫌な顔をするものは居りませんよと笑顔を見せた。

「尤も、医学は全ての人間のためにあるものなんですけどね」

 島本の屈託のない話しぶりに、斉正の怒りも徐々に収まってゆく。だがひとつ気がかりな事があった。

「しかし、島本先生には蘭医として来ていただいたのに、漢方しかできないとなるとわざわざ来て戴いた意味が・・・・・・」

 蘭医として取り立て、斉正もそれを期待していただけにその落胆は隠せない。そんな斉正をむしろ慰めるように島本は晴れやかな笑顔を見せる。

「構いませんよ。元々漢方もやっておりましたし、それに・・・・・・必要な道具が無いというのも本当なのです」

 これに関しては少し深刻そうな表情を浮かべながら島本は肩を竦めた。

「ここまでしていただいて申し訳無いのですが、二、三年後までに私のあげる書物と道具を揃えていただけませんでしょうか。それまでに私と金武は入門者、というよりは医学館の指導方式の基礎を作り上げておきます――――――その間にも姫君様の件についての調査は継続してやらせていただきますからご安心を」

 そもそも医学館の第一の目的はそれである。島本のその言葉に斉正は安心する。

「ありがとうございます。私の我儘を忘れずにいてくれて・・・・・・ところで島本先生、その道具とは一体どのようなものなのでしょうか?」

 遠慮がちに、しかしどうしてもそれが必要だという道具に斉正の興味は移っていた。



UP DATE 2010.07.14

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今回は改革編のベースとなる学問所、医学館についてです。とにかく!この島本良順という人がすごいんですvいわゆる日本の蘭学の本流からは外れているのですが、漢方の基礎の上に蘭学を学び、その両方を知っているという医者はそうそう居ないのではないでしょうか。蘭学は蘭学、漢方は漢方と相容れる事はないですし、学ぶのだって大変ですよね~。腕前も相当良かったらしく、佐賀の片田舎に蘭学塾を開きながらもお弟子さんがやって来たくらいです。長崎にいたらどれほど儲けていたか(おいっ)。そして、あまり欲はなかったみたいですね。お墓なんかもこぢんまりした質素なもので、のちに蓮池藩の侍医になったとは思えないほどなんですよ(写真で見た限りは)。

医学館も最初は漢方を中心に教えていたそうなので、島本先生の漢方医→蘭医の経歴を多分に使わせて戴きますv


次回は島本先生が購入したいもの一覧&大殿の取り巻きと島本軍団の丁々発止(笑)あたりを書けたらいいな~と思っております。
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