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「葵と杏葉」
葵と杏葉・藩主編

葵と杏葉藩主編 第二十四話 医学館・其の参

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 長崎の繁華街はきらびやかさに満ちていた。色とりどりの服を着た唐人や阿蘭陀人の商人、さらに『江戸の気っ風に京都の器量、長崎の衣装で三拍子揃う』と謳われた遊女達が街に繰り出しており、さながら色の洪水と言うべきだろうか。どこからともなく三味線の音と異国情緒に満ちあふれた唄が流れてきて人々の気持ちを高揚させる、そんな街であった。

「久しぶりだな、丸山も。」

 華やかな人混みの中、茂義は眩しげに眼を細めながら通りを眺める。まだ藩の要職に就いていない頃は付き合いもあり、たまに遊びに来ていたが、この頃では仕事が忙しくそれどころではない。才覚があり、美しくなよやかな長崎の女も魅力的だが、江戸の女に心を奪われてからというもの、その女性らしいなよやかさが物足りなく感じるようになって足が遠のいていた。

「では、殿。どちらの置屋から?」

 なかなか動き出さない茂義を家臣の木村が促す。

「とりあえず手前の置屋から片っ端にいくぞ。そもそもどの置屋が『唐人行き』か『阿蘭陀行き』か判らん」

 茂義の言葉に従者達全員が頷いた。



 長崎は元亀二年にポルトガルの要請によって海外貿易の門戸として開港した。丸山遊郭の誕生それよりもかなり後の寛永十六年頃と言われており、それまで市内に存在していた遊女屋を丸山町・寄合町に集め、ここに一大遊郭地としたことに由来する。
 最盛期には千四百名もの遊女がおり、井原西鶴が『日本永代蔵』に『長崎に丸山という処なくば、上方銀無事に帰宅すべし、爰通ひの商い、海上の気遣いの外、いつ時を知らぬ恋風恐ろし』と書いているように、その華美な賑わいは有名であった。

 そしてこれは丸山独特の事情によるものなのだが、日本人の相手だけする『日本行き』、中国人相手の『唐人行き』、阿蘭陀人相手の『阿蘭陀行き』の格がある。この順で格が下がり、遊女たちの人種意識もまたこの順番である。一般に『阿蘭陀行き』は好まれなかったのだが、茂義達が必要としているのはその『阿蘭陀行き』の遊女である。

「ま、この刻限じゃ遊女達はすでに出島に出向いているだろうから期待しても無駄だぞ」

 若い従者達の浮かれ具合に茂義は歩きながら釘を刺す。

「判っておりますよ。何せ長崎の恋は一万三千里、我々なんか見向きもされませんって」

 諦めにも似た木村の言葉に皆大笑いをした。外国人居留地である出島や、唐人屋敷に出入り自由なのは丸山遊女だけである。というより外国人達は居留地から外に出ることを許されていないので、遊女の方が出向かなければいけないのである。
 そういった事情もあり、丸山遊女は江戸や京都の花街と比べると規制が緩やかであった。自由に外出しては、出島や唐人屋敷などに外泊する遊女も少なくない。
 否、それだけではない。当時の日本人など及びもつかない良い暮らしをしていたという話、数人の男達を手玉にとって豪勢な物品や金銭を貢がせたという話、外国人の子を生んで、多くの養育費を受け取ったという話も多い。
 ただ、面白い事に中国人と遊女との深い交情の事例は幾つも見られ、心中事件も起こしたりしていたのに対し、阿蘭陀人との間にはそのような事例はほとんど見られなかった。また、宝暦二年の『大阪屋事件』が示すように阿蘭陀人の従僕として来航していた黒人たちは遊女との交渉そのものが禁じられていた。

 そんな事件を起こすほど、丸山の遊女達は魅力的であった。元は良家の子女という遊女も少なくなく、歌舞音曲や、茶道や華道、文学などの才覚と日本女性の嗜みを兼ね備えた遊女達は、まさに極東の地に咲く高嶺の花であった。



 そんな高嶺の花を束ねる置屋を相手に茂義は苦戦を強いられ続けた。本藩から注文を受けた医療道具や薬籠を少しでも安く仕入れようと置屋に交渉していたのだが、ことごとく袖にされているのである。

「くそっ。一人ひとつくらい薬籠か医療道具を回してくれたって良いじゃないか」

 十軒目の置屋から出てきた茂義はぼやき顔で文句を言う。さすがの茂義も交渉疲れでぐったりしている。

「・・・・・・そうは言っても殿、こちらの提示する条件ではさすがに無理でしょう」

 茂義に付き従っている家臣の一人が諦め顔で呟いた。

「彼女たちは借金を抱えておりますからね。医療道具や薬籠を譲るのは構わないけど、安く買いたたかれるのはまっぴら御免だと言うところでしょう。普通の商人に転売すれば安くて三倍、あわよくば五倍になる代物をたった元値の五割増しで、となれば誰だって渋ります。せめて二倍にしましょうよ。交渉する方だって恥ずかしいんですから」

 何と茂義は遊女達の『貰い物』の枠で医療器具を仕入れ、元値の五割増しというとんでもない安値でそれを買い叩こうとしているのである。余所に転売すれば三倍から五倍になるものを、幾ら大藩の命令だからと言って『はい、そうですか。』と聞き入れるわけにもいかない。そもそも武家側から露骨な価格交渉をする事自体非常識だった時代である。茂義のやり方は置屋に受け入れられず交渉はことごとく決裂していた。

「しかし、金がないんだからしょうがないだろう。今回は幕府からの援助だって無いんだし、無駄遣いはびた一文出来ないんだからな」

 及び腰になっている家臣に対し、叱咤する茂義だったが家臣達はますますやる気を無くしてゆく。

「本藩は別に二、三年かかってもいいって言っているんですし、事情も知っているんですから元値の三倍だってきっと理解してもらえると・・・・・・」

「これ以上貞丸に気苦労をかけさせるわけには行かないんだ!それでなくても孤軍奮闘保守派の中で戦っているというのに、この程度の交渉が出来なくてどうする!」

「・・・・・・それとこれとは違う気がするのですが」

 家臣達の小さな忠告は茂義の侠気の前に霧散してしまう。だが侠気だけでは交渉事はうまくいかないものである。結局残り全ての置屋に交渉を仕掛けたが全く相手にされず、とうとう残り一軒、『阿蘭陀行き』の遊女を扱う小さな置屋だけになってしまった。

「ずいぶん新しい置屋だな」

 白木の香りも清々しい店の前に立ち、茂義は呟く。話に聞くとその置屋は本家からのれん分けされたばかりで、茂義よりも若い元・遊女の女将が切り盛りしているという。

「どうも女将が遣手も兼ねているようですね。若い頃から自分の客もきちんとあしらいながら、年老いた本家の置屋の女将を手伝っていたとか」

 その仕事ぶりが認められ、年季が明けるのと同時にこの置屋を老女将から貰ったというのである。こう言った事は普通旦那からの資金援助で行なわれる事だけに極めて珍しいし、その女将の店の切り回し振りが優れているということだろう。

「・・・・・・気の強い女は苦手なんだよなぁ」

 置屋に踏み込む前からすでに茂義自身が及び腰になっているが、ここで交渉が決裂すれば三倍の値段で医療器具を買わねばならなくなる。意を決して茂義は家臣を引き連れ置屋の中に入っていった。



「ええ宜しいですよ。その話、お受けいたしましょう」

 茂義の不安を余所に、目尻に黒子のある女将はにっこりと微笑んだ。

「本当か?それは助かる!」

 これでようやく安く医療器具が仕入れられると思った刹那、女将の色っぽい唇からとんでもない言葉が吐き出されたのである。

「ただし条件がございます。貰い物を流す協力をさせる娘達の検診をして貰う事。そして病気になった場合無料で治療して貰う事。それは年季が明けても・・・・・・彼女らが死ぬまで続けて貰う事。以上の条件付きでなら、と申し上げておきましょう」

「何だって!」

 下手な病気に罹ればむしろ高く付いてしまう条件に、茂義や後ろに控えていた家臣達が色めき立つ。中には刀の柄に手をかける者も居たが。女将は顔色一つ変えず平然と続ける。

「こちらだって欲しいものを我慢した挙げ句、底値の半額で買いたたかれるんです。それくらいの利益がなければやっていられません。あの子達は借金を抱えているんですよ?本来の値で売ればそれだけ借金が早く返せるものを、お上の都合でそれが出来なくなるのですから当然でございましょう」

 確かに女将の言い分は正しい。遊女達の犠牲の上に医療器具を安く仕入れる――――――痛いところを突かれ、茂義は黙り込んでしまった。

「・・・・・・もっとも、ちゃんとした先生じゃなく、見習い程度でも構いませんけどねぇ。これだけ医者道具を要するって事は使う人がいるからでしょう。道楽で同じものを三十個も揃える馬鹿はいませんでしょうから。藩が絡んでいるからには見習いとはいえ藪では無いのでしょう?お互いに悪い話では無いと思いますが」

 この時代、唯一外国人を相手に仕事をしている丸山の遊女は、他の地域の娼妓以上に命の危険にさらされている。かといって医者に診せるだけの金もない。若い女将が条件として出したのは丸山が置かれた切実さの表れである。

「・・・・・・四、五日待ってくれないか。担当者に聞いてみないことには答えられぬ問題だ」

 絞り出すような茂義の言葉に、女将は愛想の良い笑顔を浮かべた。

「よろしゅうございます。南蛮船も九月まで長崎に停泊しておりますから、その間に色よいお返事をお待ちしておりますよ」

 結局、女将に手玉に取られたような形になったが、とりあえず僅かな可能性は残ったのである。茂義はほっ、とため息を吐いてその場を後にした。



 一連の出来事をしたためた茂義からの早飛脚が斉正の許に届いたのは、次の日の昼過ぎであった。すぐさま島本が呼び出され、茂義が突きつけられた条件について受け入れられるかどうか斉正は尋ねる。

「へぇ、こんな事が・・・・・・遊女あがりの女将にもこんな豪腕がいるんですねぇ」

 島本は極めて嬉しそうに茂義の手紙を舐めるように読み進める。

「で、大丈夫なのですか、島本先生?無料で遊女を診察するなんて」

 斉正が心配げな表情を浮かべるが、島本はむしろ嬉々として手紙から顔を上げた。

「もしこの申し出が本当だったら願ったり叶ったりです。見習いの診察なんて嫌がるのが普通ですけど、それでも良いなんて・・・・・・何が一番大変かって、経験を積ませるほど大変な事はないんです。それが向こうからやってくるなんて」

 語弊を覚悟で言ってしまえば『見習いの実験台』である。島本としては安く医療器具が手に入る上に経験を積む事が出来るとありがたい事ばかりである。

「しかし病気になったら無料で治すって・・・・・・」

「実費をこちらで持ったとしても充分に元は取れますよ。勿論健康が第一ですが、見習達にとっては貴重な経験になるでしょう。もちろん私達も付き添います」

 それにもう一つ、丸山の遊女を診る事が出来るというのはありがたい事があるんです、と島本は切り出した。

「梅毒のように外国からこの国に入り込む花柳病は、丸山の遊女が入り口になるんです。それ以外の病でも水際で防ぐには定期的な診察が必要だと前々から思っておりました。その実践の第一歩としても今回の申し出は渡りに船、と言うべきでしょう」

 尤も小さな置屋一軒だけでは焼け石に水ですけどね、と島本は笑った。



 茂義の許に了承の旨が伝えられたのは三日後の事であった。

「何だこりゃ!」

 その手紙を見て茂義は仰天する。嫌がるどころかむしろ歓迎、しかも弟子の中には修行なのに美しい遊女と話が出来るかも知れないという不届き者までいるらしい。全く最近の若い奴らは・・・・・・と自分の事は棚に上げて忌々しく思う。

「ま、丸く収まったからいいとするか」

 ここ最近年貢の入りが順調だとは言え、いつ飢饉が佐賀に襲ってくるか判らない状況である。金銭的に余裕があるうちに購入が必要なもの購入をしておいた方が良い。茂義は手紙を手に交渉に向かった。



 金銭的な余裕があるうちに――――――そんな茂義の心配は現実のものとなる。飢饉そのものは佐賀にやってくる事はなかったが、それでも歴史に残る大飢饉はその影響を佐賀に及ぼし始める。飢饉に喘ぐ東北の国々から佐賀へ援助の求めが来たのは天保五年の秋の事であった。



UP DATE 2010.07.28


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医学館・其の参です。せっかく花街を舞台にしたのにちっとも色っぽくならなかったのは登場人物の無骨さの所為です。決してカノジョが怖いからと言うわけではありません、念のため(笑)。

今回調べてみて初めて知ったのですが、衣装の華やかさは丸山が日本で一番だと位置づけられていたんですね。てっきり京都だとばかり思っていただけにこれは目から鱗でした。そして驚きなのは丸山遊女のしたたかさ(爆)。養育費ふんだくるって・・・・・恐るべし、大和撫子。しとやかな見た目や仕草に騙されて身ぐるみ引っぺがされるんですねv勉強になります(え゛)。そんな百戦錬磨の丸山の遊女を束ねる置屋相手に茂義は頑張りました。これで医者の卵達は安心して勉学に励む事ができるかと・・・・・・思います、丸山の遊女にたぶらかされなければ(笑)。


次回更新は8/4、天保の大飢饉と佐賀藩の関係に突入です。(ただいま資料を取り寄せているところなんですが、来週までに間に合うかな~。)
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