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「葵と杏葉」
葵と杏葉・世嗣編

葵と杏葉世嗣編 第一話 貧乏くじ・其の壹

 ←幕末歳時記 其の参・灌仏会(土方歳三&琴) →閻魔堂華宵 第一話・将軍の御召料御茶壷
 松平定信が罷免され、寛政の改革が頓挫した前後からであろうか。近年まれに見る豊作と商業作物の飛躍的な生産とが相まって江戸は今までにない経済の発展を見た。また、その余裕からであろうか、独自の文化が花開き、世間はより豪奢に、そしてより享楽的になっていく。
 そうなると自ずと手抜きになっていくのが政治というものである。将軍家斉は政に全くといっていいほど興味を示さず、大奥に入り浸り次々と子供を作ってはその行き先を老中が仕事をそっちのけで探し出す――――――ある意味非常に平和な光景ではあるが、将軍の子供を押しつけられる大名家はそれどころではない。
 そしてそれは外様の大藩・鍋島家も例外ではなかった。『百日大名』の特別待遇故の十一月参勤で江戸に出てきた佐賀鍋島藩主・鍋島斉直を待ち受けていたのは世嗣・貞丸と将軍家斉の十八女・盛姫の縁組みの話であった。



「石見、佐賀藩は貧乏くじを引かされたぞ」

 鍋島斉直は江戸城から外桜田の藩邸に帰って来るなり、江戸家老の鍋島石見に対し忌々しげに愚痴を吐き出した。

「我が息子にも大樹公の姫君を押しつけられるとは覚悟していたが、三歳も上の姫を押しつけられるとは思わなんだ。あれでは貞丸が気の毒じゃ」

 命じられた縁談に、斉直はこれ見よがしに溜息を吐く。どうやら『徳川の姫君』を押しつけられる事よりも『三歳年上の姫』を押しつけられる事に斉直はがっかりしている様なのである。自分が娶る訳でもないでしょうに、と石見は思わずにはいられなかったが、さすがに言葉には出せず、ただ気のない返事をするばかりであった。

「しかも、その盛姫とかいう姫は素行に問題があるというではないか。いくら『御台様のお気に入りの姫』で大奥の強い意向があったとはいえ、そんな姫を押しつけられる鍋島家は不幸じゃ」

 御台様、すなわち将軍の正妻のお気に入りであれば構わないと石見は思うのだが、どうやら彼の主君はそうは思わないらしい。

(確か御前様の異母妹君が薩摩に嫁いでいらっしゃったはず。御台様も薩摩のお方だから、その縁で若君に白羽の矢が立ったのであろうか)

 諸般の事情により、十代将軍の世嗣に据えられた家斉の婚約者であった茂姫は、外様大名の娘として初めて将軍の正室になった。岳父、重豪はここぞとばかりに多額の金子や薩摩・琉球の珍しい産物を数多く大奥に献上した事から、一部を除き大奥の側室や女中は御台所に畏敬の念を抱いているという。すなわちただの飾り物の正室ではなく、表の政治をも動かす実力を持つ御台所なのである。
 それだけに『将軍のお気に入りの姫』というより『御台所のお気に入りの姫』との縁組みは、老中をも罷免させる大奥――――――松平定信は大奥を敵に回したが為罷免されたともっぱらの噂である――――――を味方につけるという意味でも悪い話ではない。むしろ歓迎するべきなのだが、そこには『お家の事情』というものがあった。



 そう、佐賀鍋島藩は婚礼を行うのにも難儀するほど多額の借金を抱え、身動きがとれない状況に陥っているのである。



 佐賀藩は三十五万七千石の大藩ではあったが小城、蓮池、鹿島の三支藩の他、龍造寺一門を始めとする大身を多く抱えており、佐賀本藩が直接年貢を徴収する領地は十万石程度しかない。さらに福岡藩と交互に担当する長崎警備はフェートン号事件以来さらに負担を強いられ、とどめとばかりに参勤交代の出費が重なる為、恒常的な借金財政に成らざるを得ないのだ。

 そして時代の流行というものがさらに鍋島藩の財政圧迫に追い打ちをかけていた。後に『化政文化』と言われる江戸の町人文化が華やかさを増し、将軍家斉も豪奢な生活を送るようになった。それに追随するように、というか自分だけ浮かないようにする為に各大名も競って華美な生活を送るようになっている。
 それは斉直もまた例外ではなかった。元々我が強く、負けず嫌いな性格も災いして他の大名と奢侈を競うものだから、瞬く間に江戸藩邸の費用が今までの十倍から三十倍に膨れあがってしまった。斉直が藩主に就任した頃は一万五千貫だった藩の借金はすでに何倍にも増えてしまっている。年貢八千貫の収入しか見込めないところ、毎年二万貫も借金をしているのだから仕方がないと言えば仕方がないのだが・・・・・・。ただ、これでは将軍の姫君を迎える為の『御住居(おすまい)』を作る事も難しい。

(まぁ、何とかなるかな)

 良い意味でも悪い意味でもこの江戸家老は楽天的である。その楽天的思考が後に自分の身に災いとなって降りかかるのだが、この時点では全くそんな事は考えもしない岩見であった。



「はぁぁ!何だって?」

 石見の話を聞いて、鍋島藩武雄領主鍋島茂順の世嗣、鍋島茂義は大きな溜息を吐いて頭を抱えた。

「参勤で江戸に出てきたばかりの人間に何をさせるかと思ったら・・・・・・江戸見物もまだなのに、何が悲しくて俺が丁稚の真似なんかして大奥へ潜入しなけりゃならんのだ?」

 彼はその事を申しつけに来た江戸家老を上目づかいに睨みつける。

「丁稚ではない。手代だ」

 石見は茂義を宥めながらさりげなく訂正をする。

「大して変わらん。商家の下働きに違いはないだろうが!」

 へらへらと笑う江戸家老の軽さに苛立ちを覚えつつ、茂義は毒づいた。

「頼む、貞丸さまの為だ。許嫁になる盛姫様がどの様なお方か見てくるだけでいいのだから。万が一鍋島の家風にそぐわないようならこの話を断ることだって・・・・・・」

「それは無理だろう。っていうか断れるもんならとっくに殿が断っているだろうが」

 自分よりかなり年長の江戸家老に対して茂義は痛いところを突いてくる。

「うっ。そ、それは・・・・・・」

 茂義の指摘に石見は何も言い返せず黙り込んでしまう。

「相手は公方様だ、こちらの言い分なんて屁とも思っちゃいねえだろ。ま、そのおひいさまは貞丸より三つ年上って言ってたから今のうちに根性叩きなおし・・・・・・じゃねぇ鍋島の家風を教え込んでおけばものになるんじゃないか?」

 若さゆえ、というにはあまりにもひどい暴言である。この時茂義二十歳、後に二十三歳にして大藩の請役に大抜擢されるほど優秀な男だが、とにかく口が悪いし自分が正しいと思ったらそれを絶対に曲げない頑固者でもある。天下の将軍に対してもその言葉は辛辣だ。

「とにかくその盛姫とやらを見てくりゃいいんだろ?だが失敗したら俺やあんたの首だけじゃ済まないってことだけは覚悟しておけよ」

 言いたい事をすべて吐き出すと、茂義は立ち上がった。

「どちらへ?」

「おひいさまを押しつけられる本人には言ったのか?その様子じゃ報告はまだだろう」

「しかし、話をしても・・・・・・」

「ガキとはいえ男の端くれだ。女子の好みくらい聞いてやっても罰は当たるまい。ま、どうせ『母上のような』ってところが関の山だろうがな」

 二十歳という歳に似つかわしくない、眉間に皺を寄せたしかめ面を崩そうともせず、茂義は部屋を後にした。



 茂義が貞丸に目通りが叶ったのは貞丸の素読授業の後であった。茂義の目の前に現れた貞丸は、豪奢な着物を着ているからかろうじて『大名の子』と判るほど、ひょろりと頼りなげな子供である。奥向きの女房達が外で遊ばせない所為か色も白く身体も弱い。これで将来藩主の仕事に耐えられるのか、と今から茂義が心配する程だ。
 正室から産まれた息子ではあるが、このひ弱さと十七男という立場から『世継ぎには国許の長之進様を!』という声も少なくない。いつお家騒動になってもおかしくない状況の中、徳川家の姫の輿入れはその騒動を鎮める事には役立ちそうである。

「おまえの婚姻の相手が決まった。お世継ぎ争いで騒ぎ立てる奴らも黙らせる血筋の姫――――――徳川から輿入れだ」

 茂義は単刀直入に貞丸に言う。

「正式な申し出は十日後くらいになるだろう。で、その前におまえの言い分も少しは聞いてやろうと思ってな」

 聞いたとしてもこの話は覆らないが、と付け足すのを茂義は忘れなかった。武士の結婚とはそう言うものである。家と家の繋がりが重要なのであって本人の意志など関係ない。しかし、それは蝶よ花よと育てられた大名の子息である貞丸に理解しろというのは難しいであろう。

「で、おまえはどんな女子が嫁に来てくれたら嬉しいと思うんだ?やっぱり母君や姉君のような・・・・・・」

 しかし、貞丸は遠慮しながらもしっかりと頭を横に振った。

「母上や姉上は私の話を聞いてはくれないもの。あのね・・・・・・『おふね』の話をしても嫌な顔をしないお嫁様がいいな」

 その一言を聞いて茂義は眩暈を覚える。そう、この若君の最大の欠点、それは『船好き』であった。それも千石船のような大型船が好きで、この頃では外国船を描いた錦絵まで手に入れているというのだ。
 茂義も女子の事に関して大きな事は言えないが、少なくとも女子という生き物が乗り物に全く興味を示さない事だけははっきりと判る。少なくとも『おふね』を閨で話題にしようものなら間違いなく振られる事は、この野暮を絵に描いたような男にさえ理解できた。

「貞丸、そいつは難しいな。女子は歌舞伎役者や美しい着物が好きなものだ」

 それを聞いて貞丸は明らかに落胆した表情を浮かべた。

(殿は徳川の姫を貧乏くじと言ったが、それはあちらさんにも言える事なんじゃないか?)

 目の前のひょろりとした若君を前に、茂義は気づかれぬように小さく溜息を吐く。明らかに金食い虫になると思われる将軍家の姫君と、目の前にいる頼りなげで『おふね』が好きな若君に、佐賀三十六万石を担わせなければいけないもどかしさを茂義は痛感せずにはいられなかった。



UP DATE 2009.4.3

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ようやく本格的に書き始める事ができました『葵と杏葉』。これは明治維新の『薩長土肥』の肥前、すなわち佐賀藩の名君と謳われた鍋島直正とその妻、盛姫を主人公とした物語です。
一年前ブログ形式でUPしていたんですが、やはり二次との両立は難しくていったんは諦めた話だったんですがようやくここまでたどり着けましたよ~。
予定としては貧乏藩の立て直し&江戸文化の紹介みたいな形で盛姫の崩御までを『葵と杏葉』では書こうと思っています。その後から明治維新までは別立ての話にしようかな~と(笑)。
今まで扱っていた新撰組とは比べものにならないくらい調べる事が多く、ややもすると更新が遅れがちになりますがお時間がありましたらお付き合い下さると嬉しいです。
以前ブログで書いていた時はなかなか出せませんでしたがようやく貞丸を出す事ができましたvこの時点でまだ6歳、満年齢だったら4~5歳ってところでしょうか?イメージとしては『乗り物が大好きな幼稚園児』を想像して下さると良いかもしれません。対外的にはともかく、プライベートな部分ではこのまま大人になって藩主になって『肥前の妖怪』と怖れられるようになっても変わらないでしょう。(じ~さんになっても『良い船に乗った』と実の娘に手紙を出しているみたいなので・・・・・オタクの魂百までの先達です・笑)

次回は再来週の4月17日、とうとう茂義が大奥七つ口へ乗り込みます。



《参考文献》
◆wikipedia 鍋島直正
◆wikipedia 鍋島茂義
◆wikipedia 鍋島斉直
◆改革ことはじめ http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/kaikakumenu.html 
◆徳川幕府事典  竹内誠編  東京堂出版
◆幕末維新と佐賀藩  毛利敏彦著 中公新書
◆切絵図・現代図で歩く江戸・東京散歩  人文社
◆大奥 女たちの暮らしと権力闘争  清水昇・川口素生著  新紀元社
◆大江戸の姫さま  関口すみ子著  角川選書
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