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「葵と杏葉」
葵と杏葉・世嗣編

葵と杏葉世嗣編 第二話 貧乏くじ・其の貳

 ←閻魔堂華宵 第一話・将軍の御召料御茶壷 →幕末歳時記 其の肆・菖蒲葺(桂小五郎&幾松)
「それは何でも無茶というものでっせ」

 普段なら絶対に下げる事のない頭をこれ以上下げられないほど下げた茂義に対して、御門札持ちである碇屋籐右衛門が開口一番、柔らかな、しかし明らかすぎる否定の意を込めた上方言葉で窘めた。
 否、普通ならどちらともつかない言葉で都合の悪い申し出をうやむやにする商人がはっきりと『無茶』と言ったのだ。これは明白な断りの返事である。

「大奥を何やと思うてはるんですか。お武家様がどちらのお国の方かはあえてお伺いは致しまへんが、そちらの奥向きと同じ様に考えてもろうては困ります。そもそも七つ口はお目見え以下の女中しか出てきませんえ」

 籐右衛門は柔和な顔の眉間に深く皺を寄せ、厳しい口調で続けた。しかし、これで諦めるほど茂義はお人好しでは無い。町人に頭を下げる屈辱に耐えながらも茂義は必死に食い下がる。

「それでも構わん!女中達の話だけでも聞けたら御の字だ。それに子供の事だ、もしかしたらふざけて七つ口の方に出てくるかも・・・・・・」

「それはありまへんな」

 茂義のわずかな期待をも籐右衛門はにべもなく打ち砕く。

「公方様のお子様や、そこいらの悪ガキ共と出来が違います。あのじゃじゃ馬お姫さん以外は・・・・・・」

「じゃじゃ馬?」

 茂義は籐右衛門の何気ない一言を聞き逃さなかった。

「へぇ、盛姫様ゆうお姫さんはちぃっ、とばかり・・・・・・いや、大奥育ちにしてはかなり変わってはるお姫さんで。何やお母上、お八重の方様はが元々清水徳川家の別色女やったからその影響でっしゃろな。元気が良いのなんのって。うちらのような者にも気楽に声をかけてくれはる、愛想の良いかわゆらしいお方でっせ」

 今まで厳しい表情を崩さなかった籐右衛門の口許が思わず緩み、御用達商人本来の柔和な笑顔がその顔に宿る。

「盛姫・・・・・・それは本当か!」

 まさかここで貞丸の縁組み相手の名前が出てくると思わなかった茂義は、我を忘れて思わず籐右衛門の肩を鷲づかみにした。

「い、痛いやないですか!いきなり何を!」

 時勢に流され軟弱になってしまった武士が多い中、茂義は大柄な上に武術にも通じている。そんな茂義に思い切り肩を掴まれてしまったから堪らない。籐右衛門は痛みに顔をしかめ、悲鳴を上げた。

「あ・・・・・・す、済まん。実は用があるのはその盛姫君なのだ」

 大きな身体を気の毒なくらい縮め、茂義は声を潜める。人払いはしてあるというものの、思わず相手の姫本人の名前を出してしまった事に茂義は己の迂闊さを恥じた。

「・・・・・・我が殿は姫を『貧乏くじ』と言い放ったがそれは本当なのか、それが知りたい。どんな些細な事でも構わない。頼む!」

 茂義は改めて籐右衛門に頭を下げる。身なりからすればかなりの身分――――――家老とか藩主の親族と思われる青年が、畳に額を擦りつけるほど頭を下げるのを見て、とうとう籐右衛門も折れた。

「・・・・・・判りました。せやけどばれたらうちやあんさんの首だけでは済まない事はお解りでっしゃろな」

 絵島のような色っぽい年増ならともかく、ごっつい男と心中はご遠慮します、と冗談めかして籐右衛門は微笑んだ。

「ああ、勿論だ」

 それでなくてもフェートン号事件で藩主が百日の閉門を受けている。あれから十年以上が経っているが、藩主の閉門という不名誉な事件は未だ人々の口の端に上るのだ。これ以上の問題を起こしたら間違いなく『お取潰し』になるだろう。茂義は改めて自分の任務の重大さに気を引き締めざるを得なかった。



 そして十日後。碇屋籐右衛門に付き従い、茂義は桜田門の番所にいた。手代の格好をして町人髷を結ってはいるが、ともすれば優男が多い大店の手代としては茂義はあまりも無骨すぎる。その容姿も、仕草も、言葉遣いさえも――――――特に言葉はいただけなかった。佐賀弁なまりの武家言葉を聞かれてしまっては、一発で身元がばれてしまう。

「とにかく喋らんといてください。どうしても、という場合でも相槌くらいにしておくれやす」

 碇屋の店内でお仕着に着替えている間、籐右衛門は煩わしいくらいに茂義に念を押していた。その言葉が何度も何度も茂義の頭の中を駆け巡る。

「特に問題はないな。良し、入れ!」

 番所の役人は見慣れない茂義の顔をいぶかしげに眺めながらも、『新しい手代を連れてきた』という籐右衛門の言葉を信じてくれたらしい。籐右衛門が差し出した御印鑑を吟味した役人は帳面に人数を記載した後、その御印鑑を籐右衛門に返却した。

「まだ安心はでけへん。これから竹橋門や梅林門でも検問があるんや」

 人の耳を意識して籐右衛門はひそひそと小さい声で、しかも手代に話すような言葉で茂義に語りかける。これも碇屋の店内での打ち合わせ通りである。ちなみに当時、大店ではその銘を誇示する為にあえて上方言葉を使っていた。『上方の物は質がいい』――――――江戸者に長年染み付いてきたその思いはちょっとやそっとでは消えるものではない。今の公方様の御代になってからは江戸の物も上方に負けないくらいの品質になってきてはいるが、人間はえてして『銘』というものに弱い。 

(くだらない)

 そうは思うものの、今それを言ってもしょうがない。茂義は籐右衛門に向かって頷いた。一つ間違えば藩が潰れる。豪胆な茂義でさえも身体の奥底から震えてきた。



 碇屋籐右衛門はぼそぼそと茂義にこれからの事を説明する。

「富八どん、ええか。まどろっこしいと思うやろけど、こういったもんには順番があるんや」

 御用達商人の大奥への出入り土とも言える御広敷御門の検問を受けながら籐右衛門は茂義に説明をする。

「うちらだけでは奥女中から話を聞き出すのは無理や。せやからここは『五菜』の頭、吉三郎はんに助けて貰うから心しといてや」

 気が付くと籐右衛門の額にも嫌な脂汗がにじんでいる。さすがに緊張しているのだろう。

「・・・・・・」

 茂義は黙って頷いた。さすがの茂義も相づちの声さえ出せずにいる。それほど二人は緊張しているのだ。

「よし、入れ!」

 とうとう御広敷御門の検問も通ってしまった。二人は強張った顔に無理矢理愛想笑いを浮かべて門の中に入ってゆく。

(ここが・・・・・・七つ口!)

 七つ口の入り口、すなわち茂義達がいる部分は土間になっており、一段高い部分とは『てすり』と呼ばれる勾欄によって遮られていた。そこにはすでにお使番やお末と呼ばれる奥女中達がたむろしている。
 そして土間部分にいるのは茂義達だけではなかった。千草の股引に派手な唐桟の羽織を着た『五菜』と呼ばれる男達が幾人もいたのだ。彼らは上級女中が雇っている下男で、扶持米を搗屋に持って行って精米したりするのが主な仕事なのだが、御用達商人同様女中達の買い物の世話をすることもある。そんな彼らを取りまとめているのが五菜頭の吉三郎であった。

「吉三郎はん、ごきげんよろしゅう」

 籐右衛門はにこやかに吉三郎に近づき手を握ると、耳打ちした。勿論貞丸と盛姫の縁組みの事を聞き出して欲しいという依頼である。

「そんな事かい。おやすい御用だ!」

 壮年の五菜頭は破顔一笑すると、茂義に近づき耳打ちをした。

「そんな硬い顔をするなって。余計にばれるぜ」

 吉三郎その言葉に茂義は柄にもなくうろたえる。

「あんた、勤番だね。こういう仕事は江戸詰にやらせりゃいいものを・・・・・・安心しな。考える事はどの国の奴らも変わらねぇ」

 どうやら以前にも同様の仕事をした事があるらしい。吉三郎は片頬で笑うと『てすり』を見上げた。

「だが、しばらくはあんたの聞きたい話は難しそうだ。おたくの奥向きでも色々と女子同士の厄介事があるだろう?そういうこった。お八重の方様のお女中は今暫く来ねぇだろうな」

 盛姫の生母のお八重の方は、元は清水徳川家の家臣の娘だったと碇屋籐右衛門からも聞いている。公家出身や大藩の姫君、そして将軍の寵愛を一身に受けようとあの手この手を尽くす欲深い女事が山のようにいる中で、中級武士の娘で出世欲がほとんど無いお八重の方は、本人はおろか女中達もそれほど出しゃばらないという。
 しかし『大奥特有のある事情』により本人の意志とは関係なく将軍の御召しはかなり多く、側室の中でもずば抜けて子宝に恵まれているというのだ。

「ま、今居るのが御台様の所のお女中、その次はお万の方様――――――御内証の方様と申し上げた方が通りがいいかもしれなねぇな――――――だがその次が問題だ。腹が立つかもしれねぇが我慢してくれ。言うなればお八重の方の対抗勢力、とでも云うべきか。詳細は勘弁してくれ」

 言葉を濁しているが、吉三郎の表情からもその側室の女中は歓迎されていないらしい。茂義はひとつ、大きな深呼吸をして気合いを入れなおす。

「ま、その後しばらくしたらお八重の方様のところのお女中だが・・・・・・もしかしたら姫君にお目通り出来るかも知れねぇ」

 悪戯っぽい吉三郎の言葉に気が緩んだのだろう。茂義は籐右衛門の注意を失念してしまったのだ。

「え?それは真の事なのか」

 思わず言葉を、しかも武家言葉丸出しの無骨な言葉を吐いてしまう。

「しっ、誰かに聞かれたらまずい!」

 思わず声を出してしまった茂義を、隣にいた籐右衛門が窘めた。さすがの茂義も口を手で塞ぎ、きょろきょろとあたりを見回す。
 大奥に入ることができるのは御用商人と大奥の修繕に来た大工だけ、しかも仲間とはぐれ大奥の中で迷ってしまったが最後、二度と表の世界には戻れないといういう。下世話な噂話の域は出ないが、御殿女中にさんざん搾りとられた挙句、口封じに始末され深く掘られた大奥の厠に捨てられるという話さえあるのだ。実際、はるか昔大奥が火事になったとき助けに入った大名が行方知れずになった事実もある。
 入り口とはいえ、一国の大名でさえ行方不明になる場所で自分の正体がばれてしまったら・・・・・・いやな汗が茂義の背中を伝った。

「まぁ、その事は追々。普通のお姫様とは少々違うが、御台様のお気に入りの姫君だ。だからこそ色々と奥では厄介な事になっているんだが・・・・・・」

 茂義に気遣ったという部分を差し引いたとしても、それほど問題のある姫君ではないらしい。

(少なくとも下々の男衆や御台様には気に入られているようだな)

 莫大な出費を強制される上に、鍋島の家に嫁いだ後も『将軍の姫君』の礼を尽くさなければならない相手である。どうせなら少しは扱いやすい相手を選びたい。茂義は祈るような気持ちで『てすり』の上から聞こえてくる声に耳を傾けた。



 ほんの入り口とはいえ、やはり女性の住処だからだろうか、『てすり』の向こう側のすべてのものが華やかで煌びやかであった。『てすり』から茂義のいる場所までは少し間があるのだが、それでも甘く、気だるい香の香りが漂ってきて茂義を包む。

(胸糞が悪くなる)

 この華やかな時代において時代錯誤とも思えるような堅物である茂義にとって、大奥の風俗はまるで遊郭のように思えてならなかった。尤も男に対して色香で奉仕するという点においては大奥も吉原も宿場の飯盛旅籠も変わりはしないのだが・・・・・・。
 茂義も男であるし、付き合いで遊郭に行くこともあるが自ら進んでそういった場所に行こうとも思わない。吉原の遊女の男を見下すような手練手管にも馴染めないし、岡場所の過剰な媚も気に入らない。その両方を含んだこの場所に茂義が拒否反応を示すのも致し方がない。そんな中、唯一の救いは遠くから聞こえる子供たちの元気な声だけであった。

(公方様は子だくさんと聞いたが・・・・・・さすがに子供はどこも一緒だな)

 声の様子からすると鬼ごっこでもしているのだろうか。どことなく腐り、爛れ切った大奥の空気を清々しく変えてくれる何かを茂義はその声から感じた。

(これも仕事だ。今しばらくの辛抱辛抱)

 時折ちらちらと『てすり』の向こうを見ながらも、それ以上に耳に神経を集中し、女中達の話を聞く。五菜頭の吉三郎もうまい事女中衆達に話しかけながらさりげなく『姫君の縁組み』の話を聞き出そうとしてくれるのだが、わずかにその話が聞けたのは御台所の女中達だけであった。
 遠いとは言え、親戚筋に当たる貞丸が結婚相手になるだけに、御台所はこの縁組みに乗り気らしい。本当は御台所としては薩摩十代藩主である甥の島津斉興の長男、斉彬に盛姫を嫁がせたかったらしいのだが、あまり薩摩と将軍家が近くなりすぎても他の大名家の警戒心を高めてしまうので、鍋島家を相手に選んだとの事だった。

(あとはお八重の方様のところのお女中に話が聞ければ・・・・・・)

 少しだけとはいえ、貴重な話が聞き出せた茂義は気楽にもそう思案していた。だが、茂義の本当の苦行はこれからである事を茂義本人は未だ知る由はなかった。



UP DATE 2009.4.17

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ようやく大奥入り口七つ口へたどり着きました。ここまでくるのもさすがに化政期では難しいでしょうけど・・・・・というか本当だったらこんな事絶対しないでしょう(爆)。
でも、幕末は庶民でもそこそこの袖の下を掴ませれば大奥に入る事が出来たそうです。そう言う文献が残っているんですって。
次回は当時の大奥の実力者・お美代の方の女中の横柄ぶり&盛姫登場ですv
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