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「葵と杏葉」
葵と杏葉・藩主編

葵と杏葉藩主編 第二十八話 佐賀城燃ゆ・其の壹

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 それは天保六年四月晦日、夏の気配が色濃く漂う闇夜の事であった。

 水ヶ江にある斉正の保養別荘・虚受楼。ここはこの年の正月、ひと月ほど体調を崩した斉正が自身の保養所兼書斎を兼ねて二月に作ったばかりの茶屋である。その虚受楼に訪問者が一人、また一人と闇夜に紛れるようにして入り込んでいく。ある者は藩校を出たばかりと思われる若者だったり、ある者は白髭も豊かな老人だったりするが、全ての人物に共通するのは斉正の腹心、すなわち改革派に属する人物だという点であろう。彼らは周囲に見つからぬように密やかに虚受楼に入っていく。
 そんな中、男たちの会合とは無縁と思われる、飾り気の無い黒塗りの女駕籠が虚受楼に横付けされたのである。

「・・・・・。ようやく辿り着いたか。長かったな」

 女駕籠から現れたのは二十代半ばほどの美しい女であった。長旅の疲れなのか少々やつれた感じは否めないが、その美しさ、というよりはその気の強そうなまなざしは全く持って変わらない。

「それにしても・・・・・・会合を開くのに、城内ではなくこのような茶屋で開かねばならぬとは、若殿の佐賀での立場というものも思いやられる。さて、姫君様に何とご報告をしたらよいものか」

 そう、虚受楼の前に降り立った美女は風吹であった。江戸から早駕籠や船を乗り継ぎ、本来ひと月かかるところを二十日あまりで佐賀入りしたのである。最初佐賀城へ出向いた風吹だったが、斉正が虚受楼に出向いて会合を開くと聞き、無理を押し通してここにやってきたのであった。



 話は二十日前に遡る。江戸を離れ佐賀へ向かう出発の日、旅立つ風吹に会いたいと直孝が黒門へやってきた。

「これであいつにも会うことができますな。やけに嬉しそうじゃないですか風吹殿」

 直孝に指摘され風吹はそれこそ茹で蛸のように真っ赤になる。なまじ自覚していただけに、それを他人に指摘されるほど恥ずかしいことはない。

「も、餅ノ木の!じ、冗談は止めよ!わ・・・・・・わ、私は仕事で・・・・・・!」

 風吹は直孝の言葉を真っ向から否定したが、直孝の指摘が正しいことは傍目から見ても明らかである。耳まで真っ赤に染まったその顔が何よりの証拠だった。

「ふぅ~ん、そうでございますか。でしたら職務の為に茂義と褥を共にしても何とも思わないと」

 からかい半分の直孝の言葉に、風吹を見送るために傍にいた同僚たちも思わず吹き出してしまう。

「あ、ああ!あんな奴に情など移さぬ!そもそも私が佐賀に下るのは二、三年、務めが終われば江戸に帰ってくる身じゃ!」

 そう言い切って風吹はそっぽを向いた。しかし、必死になればなるほどますます説得力を失っていく。やはり風吹の心を占めているのは茂義なのだ――――――一抹の寂しさを感じながら、直孝は今の自分にできる限りの笑顔を風吹に向けた。

「俺はこう見えても諦めの悪い男ですからね。誰に抱かれようと、何年待たされようとも・・・・・・完全に誰かのものになるまでは、いつまでも・・・・・・腰の曲がった爺になってもあなたを待っておりますよ、風吹殿」

 どこか悲しみを含んだその笑みに、風吹は直孝の自分への想いを痛いほど感じた。しかし、罪悪感を感じつつも、今の風吹はその想いに応えることはできない。

「・・・・・・生きて佐賀での仕事を全うできたらの話じゃな」

 本当ならばここできっぱりと諦めてくれと風吹から言うべきなのだろう。しかし、自分をこれ程までに想い、何度振ってもその想いを頑なに貫く男の気持ちを無下にすることもできなかった。それは風吹自身も苦しい恋のただ中にいるからかもしれない。
 不如帰の初鳴きが響く中、苦しい恋を知る女は苦しい恋を知る男に見送られ江戸の街を発っていったのだった。



 風吹が虚受楼にやってきたと聞いた斉正は驚きの表情を浮かべたが、すぐさま会議の席に通すように告げた。

「風吹、長旅ご苦労であった。国子殿から早飛脚をもらってはいたが、まさかこれ程早く佐賀に来るとは思わなかった。ろくに迎える準備もしていない上に、江戸と違い何かと不自由をかけるが許して欲しい」

 斉正の御前に挨拶に来た風吹に対し、斉正はねぎらいの言葉をかける。

「いいえお構い無きよう。これも務めにございます」

 姫君付の女官の矜持を前面に出しながら、風吹はさらりと言ってのける。中級、下級武士の前とはいえ、多くの男達の面前でここまで剛胆な女性は佐賀にはそうそういない。ざわめく男達を気にも留めず風吹はさらに言葉を続けた。

「・・・・・・これは姫君様よりの伝言にございます。佐賀の宝は人材に有り。先祖代々の品物も大事であろうが誰一人死者や怪我人を出してはならぬと。未だ子年の大風の被害に心を痛めておいでの姫君様でございます。それだけは是非とも・・・・・・」

 一気に盛姫からの伝言を伝えると、風吹は頭を下げた。それを聞いて斉正は何ともいえない温かな笑みを浮かべる。

「国子殿らしいな。勿論予め先祖代々の宝物は土蔵にしまいこむなり虚受楼に運び込むなりするつもりだ。家臣には程良く城を燃やす事に集中してもらわねばならぬのでな」

 冗談交じりの斉正の言葉にその場にいた男達は一斉に笑い出した。だが、風吹は何か引っかかるものを感じたのか、疑いを含んだ目で斉正をじっと睨め付ける。

「虚受楼・・・・・・この茶屋でございますよね?このような閑静な茶屋を何のために?」

「勿論父上から逃げ出す為、とでも言うべきかな。残念ながら佐賀には国子殿もいないし、黒門も無いのでな」

 斉正は真面目に尋ねる風吹をはぐらかすようにそう言ったが、事はもっと深刻であった。実はこの年の正月、斉正はひどい腹痛に悩まされ、賀正の行事に参加する事さえできなかったのである。
 三日間下痢が続き、病状回復が見込めないまま『困ったときの神頼み』とばかりに七日には古賀穀堂を伊勢神社などに代参させるという騒動になってしまったのだ。結局その体調不良は月末になるまで回復することはなく、政務にも支障を来した。
 藩主に就いて六年間、自分の理想と現実の狭間で翻弄され、肉体的、精神的に無理がたたったのだろう。そんな斉正が現実から逃れるための場所、それが虚受楼なのである。

「私が逃げる場所といったらおんぼろの藩校かここ虚受楼くらいなのだ。いっそ国子殿を佐賀にさらってきて、一緒にこちらで暮らす事ができたらどんなに心安らぐだろうか」

 遠い目をしながら呟く斉正に、風吹は事の深刻さを感じずにはいられなかった。だがそうは思っても発する言葉がそうとは限らないのが風吹である。

「そうでございましたか・・・・・・てっきり側室を招き入れている場所だとばかり思ってしまいました」

 斉正が盛姫一筋で、むしろ側室を侍らせないことが佐賀で問題になっていただけに、周囲の者達は何ともいえない苦笑いを浮かべるしかなかった。

「残念ながらそんな余裕はわが藩にはないよ。国子殿に新しい簪一つ作ってやれぬのに」

 斉正は自嘲気味に笑うと、姿勢を正した。

「ここからが正念場だ。幕府に納得してもらえるような計画を立てねば父上の暗殺の話が再び浮上するだろう。来た早々申し訳ないが、風吹も協力してくれ」

 そして数日間にわたる長い話し合いが始まったのである。



 城を燃やし、幕府のお目付け役を藩内に引き入れ斉直の勢力を弱めるのは簡単だ。だがそれだけではいけないとその場にいた全員が思っていた。身分に囚われ、借金に身動きが取れないこの状況、そして藩の体質すべてをこの機会に変えなければ、再び保守派が息を吹き返すだろう。最年長の古賀穀堂は年に似合わぬ激しさでその事を力説し持論を展開する。

「そもそも人員が多すぎるのです。この機会に大殿の息のかかったものは思い切って全員罷免にするのがよろしいかと」

 その穀堂の発言に噛みついたのは教え子でもある井内伝右衛門であった。

「待ってください、穀堂先生!そうなるとおおよそ四百人強・・・・・・三分の一もの人間が職を失う事になります!もう少し穏便な方法は無いのでしょうか!」

 だが穀堂も負けてはいない。声こそ荒らげないが、有無を言わさぬ迫力で井内を諭す。

「他の藩のように職を失えば扶持が無くなるわけではないだろう。元々武士とは言っても半分は百姓みたいなものが殆どだ。城の職を失うだけで食うに困るというわけではない」

「しかし一気にそれだけの人員が居なくなってしまったら、藩政が立ち行かなくなるのでは?」

 井内の疑問に答えたのは意外にも中村彦之允であった。

「そうでもないぞ。この前手伝いに借り出され『三日分だ』と渡された仕事を、俺は半日で終わらせることができた。要はやる気と才覚の問題だ。出来の悪い上級武士の代わりに給金が安く才覚のある中級、下級武士に仕事をやらせれば経費削減にもつながる」

 自慢げに応える中村だったがそれに水を差したのは後輩に当たる、田中半右衛門である。

「そうなると給金体制も問題になりますね。仕事をやっている人間が、何もしていないものより安い金しかもらえないというのは・・・・・・」

「それは後日考えよう。この場で話し合うにはあまりにも複雑すぎる懸案だ」

 話が横に逸れそうになるのを斉正が修正する。まるで家老職の会議のような内容であったが、そこに集まっていたのは一部を除きまだ二十代、三十代の若者で、しかも中級、下級の者達ばかりなのである。彼らの唯一の共通点、それは藩校に関わりを持つということだけであろうか。皆、藩の未来を憂え、この機会に生まれ変わろうとしていた。



 若者達が議論に夢中になり、白々と夜が明け始めたそのとき、水之江の別荘に訪問者が来たと見張りの藩士が告げる。

「それが、謹慎中の・・・・・・」

「ああ、私が呼び寄せたんだ。火事のあと、武雄の領主殿にも一肌脱いでもらわねばやってられぬのでな」

 その一言を聞き、ただ一人を除いて皆一斉に歓声を上げた。

「武雄殿が来てくださったのですか!あのお方がいれば百人力、否、千人力だ!」

 その場にいた全員、特に若い者達が大騒ぎをするそんな中、仏頂面を決め込んでいたのは風吹であった。



 夜を徹して茂義が来たものの、その日はすでに朝になってしまったので会議はお開きとなった。皆眠たそうに目を擦りながら出仕してゆくが、午前中は半分眠った状態だろう。

「風吹、女子のそなたにも付きあわせてしまって申し訳ない。今夜からは無理をして出席しなくても構わぬが・・・・・・」

 気丈なところがあるとはいえ、風吹は女子である。さすがに夜を徹しての喧噪に付き合わせて申し訳なかったと斉正が詫びを入れたが、風吹は笑顔さえ見せながら平然としている。

「ご冗談を。私は姫君様の名代でもありますが、幕府の目付役も担っております。他の者の出席が許されぬのであれば私が出るのが当然でございましょう」

「貞丸、こいつに気を使うだけ無駄だ。やめておけ」

 三年ぶりの再会であるにも拘わらず、相変わらずの茂義の悪態に風吹がむっとする。

「ええ、そうでございますよ若殿様。このような素行の悪い者がいる限り、私が席を外すわけには参りませぬ!」

 相変わらずであるのは風吹も同様であった。売り言葉に買い言葉と斉正の面前であるのにきつい言葉で茂義に応酬する。

「何を!相変わらず可愛げの欠片も無い女だな!」

「可愛げが無いのはあなたも同様でしょう!やれるものならやってみなさい!」

 今にも取っ組み合いの喧嘩をしそうな二人の間に挟まれてしまい、さすがにこれ以上はまずいと斉正自ら仲裁に入らざるを得なかった。

「二人ともそこまで!・・・・・・二人とも一睡もしていないから気が立ってしょうがないのだろう」

 斉正に指摘され、まずそれを否定したのは茂義であった。

「何を!俺は駕籠で向かう途中少しは・・・・・・」

 だが、目の下に濃い隈を作り、真っ赤な目で風吹を睨み付けている茂義が一睡もしていないのは明らかである。

「まるで鬼灯のような真っ赤な眼をして・・・・・・説得力がないぞ、茂義」

 くすくすと笑う斉正につられ風吹も思わず吹き出した。

「どちらにしても積もる話もあるだろう。茂義、武雄の佐賀屋敷にて風吹を預かってくれぬか」

 思いもしなかった斉正の気遣いに柄にもなく茂義が狼狽える。

「え?あ・・・・・・し、しかし・・・・・・」

「国子殿の侍女をそう迂闊なところに休ませられぬだろう。尤も誰も使用していない、佐賀城二の丸の奥向きに案内しても構わぬのだが」

 佐賀城の奥向き――――――斉正のその一言に二人はいきり立った。

「若殿!それだけはご遠慮させていただきます!姫君様に申し訳が立ちませぬ!」

「冗談は大概にしろ、貞丸!」

 二人の反応に斉正は意味深な笑みを浮かべた。

「だったら武雄の屋敷で構わぬな?」

 嵌められた――――――二人ともようやく気がついたが後の祭りである。悪戯っぽく笑う斉正に対し、二人は何も言う事ができなかった。



 結局徹夜に近い話し合いは佐賀城放火の前日まで続いてしまった。そして運命の五月十一日前日、斉正は家臣を引き連れ脊振山へと参拝に向かったのである。万全を期しているが万が一のときの為の安全策である。

「では、井内、中村。後のことは頼んだぞ」

 後ろ髪を引かれるものはあったが、自らが納得し決めた事である。斉正は覚悟を決め、佐賀城を後にした。



UP DATE 2010.09.01


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本日、新しくきたニューマシーンで初めて書き上げた話です。もしかしなくても誤字、脱字多々あるかもしれませんがご遠慮なく突っ込んでやってくださいませ。


藩主編も『佐賀城燃ゆ』を残すのみとなりました。この事件は史実においても非常に重要な事件でして・・・・この事件をきっかけに斉正を中心とする改革派が実権を握り、『佐賀の天保の改革』が本格的に始まりました。
私個人としては『なぜ火事をきっかけに斉正の父親に対する態度が豹変したのか?』という事がいまいち納得できず、幕府と仕組んで佐賀城を燃やし、きっかけを作ったという風に物語を作りました。が・・・・・もしかしたらもっととんでもない事実がこの事件の裏に隠れている可能性があるかもしれません。(以前の長崎御番押しつけみたいな。)
こういう時、もっともっと歴史をきちんと知りたい!って思うんですよね~。佐賀の歴史に関しては絶対に素人が下手に物語をひねくり出すよりもおもしろいですからv


次回更新は9/8、火事本番の話になりますv
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