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「葵と杏葉」
葵と杏葉・藩主編

葵と杏葉藩主編 第二十九話 佐賀城燃ゆ・其の貮

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 斉正が参拝に向かっている脊振山は、現在の佐賀県と福岡県の県境に位置するいにしえからの霊山である。多くの修行僧が修行に励んでおり、斉正が向かおうとしている霊仙寺はその中でも特に有名な房の一つだ。また、栄西が中国より茶の種を持ち帰り、この地で栽培した事から脊振山は『日本のお茶発祥の地』と言われている。

 多忙な中、滅多に出向くことのできない霊山に行くことができるのである。本来ならば喜び勇んで出向くところなのだろうが、今の斉正はそんな心境にはなれなかった。それもそうだろう、今度この地に帰ってくる時、あの城の姿は無いのである。最後となるその姿を目に焼き付けるように、斉正は馬の背に揺られながら何度も何度も後ろを振り返り、小さくなってゆく佐賀城をじっと見つめるていた。



 大藩の大名であるにも拘わらず、斉正は駕籠が好きではなかった。自分の領地である佐賀の外に出てしまった場合は立場上駕籠に乗らざるを得なかったが、領内においてこれほど駕籠を使わなかった大名も珍しいだろう。これは彼の妻・盛姫が将軍家の姫君だっだということも大いに関係している。蝶よ花よと大事に育てられる普通の大名家の姫と違い、武家の総領たる将軍家の姫は乗馬を含む武術全般を徹底的に叩き込まれるのだ。将軍家としての矜持故なのだが、そのような姫君を迎える婿の方にも男としての矜持はある。

『良人が妻に乗馬や剣術で遅れを取るなどということがあってはならぬ!例え相手が将軍家の姫であってもだ!』

 大奥への偵察から帰ってくるなり兄分の茂義は事あるごとに幼い斉正に言い続け、勉学もさることながら乗馬、剣術の稽古も大名の子息とは思えぬほど徹底的に斉正をしごいたのだ。おかげで斉正は藩内でも五指に入るほどの乗馬の名手となり、藩内視察も駕籠ではなく直接領民の顔を見ることができる馬で行っている。
 そんな斉正に対して身分をわきまえろという上級家臣もいるが、これだけは譲れぬと斉正は無視を決め込んでいた。



 斉正が馬に乗りながらあまりにも後ろを振り返るのを見るに見かね、松根が斉正に近寄ってきて声を掛ける。

「殿、あまり後ろを気になされますな。怪しまれまてしまいま・・・・・・うわわ!」

 斉正同様に馬に乗っていた松根だったが、急に馬が暴れ出して松根は振り落とされそうになったのだ。そんな松根の馬の轡を素早く掴み、斉正は『どうどう』と馬を落ち着かせる。

「大丈夫か、松根。またいつぞやみたいに落馬しても知らぬぞ」

 松根の馬の首筋を撫でてやりながら斉正はくすくすと笑った。踊りの名手であり、学問や芸術に詳しい松根であったが、武術、特に乗馬を苦手としている。松根曰く『馬は私の意思を汲もうとしない!』とのことらしい。
 斉正が藩主になって間もない頃、子年の大風の被害状況を偵察に行った際にも供として付いてきた松根が落馬し、斉正が松根を付近の民家まで抱えて連れて行き看護したという、松根にとって極めて不名誉な逸話が現代にまで残っている。ちなみに松根はこの落馬の傷跡を『殿様の御恩情の記念』と称している。

「これ以上『殿のご恩情の記念』を増やすつもりは毛頭ありませぬ!」

 恥ずかしさに顔を赤らめる松根に対し斉正もようやく覚悟を決めた。

「そうだな。私の所為で松根に落馬されても困る」

「殿!もう勘弁して下さい!」

 松根の悲鳴に近い声を背に受けながら斉正は前に進む。自分がうじうじと思い悩んでいたら配下の者に迷惑が及ぶ――――――落馬のような個人的なものであっても、藩の再建という大きな問題であっても・・・・・・。後ろを振り向くのはもっと後ですればいい。一人の藩主として斉正が前を見据え、困難に向かって進む覚悟を本当の意味で決めた瞬間であった。



 天保六年五月十一日――――――斉正一行が脊振山に出向いた次の日の未明であった。佐賀城二の丸の納戸の前に二人の若者が立ちはだかっていた。うち一人はあろう事か手に松明を持っている。

「・・・・・・やる気満々も程々にしたらどうだ、中村?何も納戸に入る前に火を、しかも松明につけることは無かろう。そもそも付け火なんて燭台の一つでもあれば充分だろうに。ばれたらどうするんだ?」

 憮然とした表情で松明を手にしている若者、中村彦之允に対して文句を言ったのは中村同様『火付け役』を命じられた井内伝右衛門であった。

「大丈夫だって!実際気づかれていないじゃないか。昔からおまえはいちいち心配しすぎるんだよ。『案ずるより産むが易し』って諺もあるだろうが」

 松明の明かりに、にこにこと上機嫌な中村の表情が浮かび上がる。その表情は悪戯盛りの五歳児と何ら変わらない。

「逆におまえはもう少し考えてから行動したほうが良いんじゃないか?『石橋を叩いて渡る』って諺、知らないだろう?」

 憮然とした表情を崩さずに井内は中村に言い返した。思ったことをどんどん行動に移す中村とじっくり考えて最良の方法を見つけ出す井内――――――全く逆の性格であるのに、いつも行動を共にするほどこの二人は仲が良い。そして互いの足りない部分を補うようなこの二人が共に行動を起こす時、その行動はほぼ間違いなく成功を収めるのである。斉正や古賀穀堂もその事を含んだ上でこの二人を『火付けの実行役』に抜擢したのである。

「じゃあ、そろそろ点けるか」

 中村は納戸の扉をそろりと開けるが、中を見て愕然とする。

「も、燃やすものが・・・・・・」

 そう、納戸のものはすでに虚受楼に運び出され、納戸の中はもぬけの殻であったのだ。松明を転がしておけばそのうち戸棚に火が燃え移るだろうが、それでは少々時間がかかりすぎる。

「・・・・・・こんな事だろうと思った。ほら、点け木だ」

 井内は懐から点け木を二、三束、中村に向かって放り出した。

「米粒一つ粗末にしない若殿が、明らかに火事になると解っているのに着物を納戸に置きっぱなしにする訳がなかろう。だから少しは考えて行動を・・・・・・」

「ありがとう、助かった!これで盛大に納戸を燃やせるぞ!」

 中村は井内の言葉の半分も聞かずに付け火をばらし、松明の火を移した。

「とりあえずこことここに置いておけば後は勝手に燃えてくれるだろう。」

「おまえ・・・・・・楽しんでいるだろう?」

 嬉々とした表情を浮かべている中村に対し井内は呆れたように呟く。

「ああ、そうは見えないか?こんな大焚き火は一生に一度できるかできないかだろう?」

 聞くんじゃなかった――――――井内は心の底から後悔したが、自分であれば罪悪感が勝ってしまい、犯罪まがいのこの大仕事をここまで粛々とこなすことはできないだろう。

「普通はしようとも思わないだろう、城への付け火なんて。おまえの考えが絶対におかしい!本来なら斬首だぞ、斬首!」

 それでも憎まれ口を叩いてしまうのは親友ならではだろうか。確かに命じられた事とはいえ、これが保守派にばれたら自分たちは斬首を免れない。それにも拘わらず中村の平然とした様子、剛胆な肝座りに井内は信じられないといった表情を浮かべる。そんな風に井内に一目置かれる中村であったが、不意にその表情が曇った。

「何だかいやな風が吹いてきたな。夏場なのにあんなに風が鳴っているなんて珍しくないか?」

 中村に指摘され、井内も耳を澄ます。ぱちぱちと爆ぜる松明の音に紛れ、城の外から風の音が聞こえてくる。城内にいてこの音では相当な強風だろう。

「確かに強い風だが・・・・・・中村、松明を片手に言うことか、それは?」

 火を点けながら吹く風にけちをつけ出す中村に対し、井内は呆れ果てる。

「当たり前じゃないか。燃やすのは二の丸だけ。最悪城内で火伏をしなければならないだろう?」

 そう言いながらもこまめに火をつけて回る中村である。そうこうしているうちに納戸の火が大分大きくなり、激しくものが燃える音が二人に耳にも届き始めた。

「大御書院の方にようやく移り始めたかな。おい、井内。そろそろ火の手が上がったことを知らせてきてくれないか?」

「・・・・・・ああ」

 何となく腑に落ちないものを感じつつもこれも計画の一端である。井内は足早にその場を離れた。



 中村が指摘した風は二人が思っていたものより強いものであった。唯一の救いは夏の湿った風であったことだろうか。南からの強風にあおられ、納戸からの火は瞬く間に大きくなり、佐賀城二ノ丸全体に拡大した。火の手は長屋方面に拡大、式台御対面所と共に一番激しく燃え上がる。

「火事だ!早く消火に当たれ!二の丸で火事を食い止めるんだ!」

 先ほどののんびりした口調とは違う、人を煽るような声で叫びながら井内は城内を駆け回る。その声にたたき起こされた藩士達は火事に気がつくと、寝間着や下帯のまますぐさま消火活動に当たったのである。そしてその騒動はすぐさま斉直がいる三の丸にも届いた。

「大殿様!火事にございます!いち早くお逃げ下さいませ!」

 家臣の言葉に斉直は飛び起きる、

「か、火事じゃと?」

 斉直は思わぬ出来事に呆然とする。昨日息子の斉正が脊振山参拝に出かけてしまった今、この城の責任者は斉直である。つまり下手をすれば自分が責任を取らねばならなくなるのだ。

「だ、誰が火をつけたのじゃ!打ち首じゃ!」

 このような非常事態においてもまず己の保身を考えてしまうところが斉直の限界なのだろうが、それでもこの男について行かなければならないところが保守派家臣の宿命である。

「殿!今はそんなことを言っている場合ではございませぬ!早くここからお逃げ下さいませ!この風です、いつ火の粉が飛んでくるか解りませぬ!」

 とにかく、斉直には『生きて』もらわねば自分達の立場も危うくなるのだ。斉直以上に保身第一の家臣からの必死の説得でようやく斉直ものっぴきならない事態に気がついた。寝間着のまま羽織だけ羽織ると、取る者もとりあえず慌てて三の丸を逃げ出し、別荘へと避難をした。



 三の丸から斉直が逃げ出した頃、二の丸では必死の消火活動が行われていた。しかし朝からの強風によりなかなか火が消えず、結局消火活動が終わったのは二刻も後の昼間近であった。城の大部分は無残に焼け落ち、残ったものは御座間、御小屋、そして鯱をのせた表御門のみである。不幸中の幸いは怪我人を数人出しただけで死者を一人も出さなかった事だろうか。それと火災を佐賀城二の丸だけで止めたことも非常に大きかった。



 勿論佐賀城火災の知らせは脊振山の斉正の許にもすぐさま知らせが届き、斉正は夜を徹して佐賀城に戻る。そして城に近づくにつれ濃くなってゆく焼け跡独特の臭気に顔をしかめた。

「ここまで漂ってくるとは・・・・・・」

「死者が出ていないだけまだましでございます。殿、これからが正念場ですよ」

 弱気な部分が滲み出る斉正の呟きに、松根が静かに叱咤する。

「そうだな。まだ何も始まってはいないのだから弱気になることもないか。松根、すぐさま集められるだけの幹部を三の丸大広間に集めてくれ」

「御意」

 松根は一礼すると、すぐさま馬に鞭を入れ、斉正に先駆けて城へはせ参じる。

「あんなに急ぐことはないのに・・・・・・落馬したら元も子もないぞ」

 勇んで城に戻ってゆく松根の後ろ姿を眺めながら、これからの藩運営以上に松根の無事を心配する斉正であった。



 松根の先触れもあり、斉正が佐賀城三の丸に入った時点で、兄の茂真を始めとする改革派幹部達は大広間に集合していた。ただ、案の定斉直は勿論、その取り巻き達はこの場所にはいない。火事で斉直個人の別荘に取り巻きと共に逃げたきり、未だ三の丸に戻ってきていないのだ。
 普段であれば藩主を愚弄する行為としていきり立つ者も少なくないのだが、今回だけは保守派の不参加を歓迎する雰囲気が漂っていた。

「この度の失火、誠に残念極まりない。ただ死者が出なかったことだけは喜ばしい」

 大広間上座に陣取った斉正の言葉に皆ただ黙って聞き入っている。

「非常格別の取り組みをし、藩を興隆させる事にて失火の詫びとする。皆も必死の覚悟で奮闘してほしい」

 それは斉正自らによる非常事態宣言であった。この言葉によって佐賀・天保の改革が幕を開けることになる。



 大広間での会合が終わり、部屋から下がった斉正に対して部屋の外で控えていた井内伝右衛門が声を掛けてきた。

「殿。長崎から担当の者がやって参りました。客間の方に通してありますのでお疲れのところ誠に申し訳無いのですが・・・・・・」

「気にするな、井内。これも佐賀の復興の為だ」

 斉正の言葉に井内はほっとした表情を浮かべる。そして井内の案内で斉正は客間に向かった。そこにいたのは二人の男だった。一人は長崎奉行所の与力であり、もう一人は何と間宮林蔵本人であった。

「間宮殿、今このようなところにいて大丈夫なのですか?仙石騒動は・・・・・・」

「ああ、あれの調査も兼ねて一端長崎に戻っておりましてね。私はおまけみたいなものですよ」

 そう穏やかに笑う間宮であったが、与力の緊張感を見る限りではそう思えなかった。

「ところで率直にお伺いしますが・・・・・・佐賀公、火事は貴殿が他出中に起こったものですね?」

「ええ。まぁ・・・・・・」

 何か問題があるのかと、斉正は曖昧な返事をしたが、それを許してくれるほど間宮は甘くない。

「となりますと、責任の所在は・・・・・・家老か大殿か、ということになりましょうな。若殿の留守中に火事を起こすとは何ともはや」

 間宮の言葉に、斉正は返す言葉もない。

「恐れをなしたか、先代殿はこちらにはいらっしゃらないようですが」

「はい」

「ならばなお好都合」

 間宮は唇の端をつり上げ、今まで見せたこともない邪悪な笑みを垣間見せる。この笑みこそこの男の本性なのか・・・・・・斉正は背筋に寒さを覚えた。

「解っておられますな、佐賀公。これは幕府の命令でもありますぞ。親子の情は不要にてお願いいたします」

 本当の意味で自分は逃げることができないところまで追い込まれている――――――間宮の言葉に斉正は大きく息を吸い、まぶたを閉じた。



UP DATE 2010.09.08

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佐賀城燃ゆ・其の貮です。ようやく佐賀城の炎上までこぎ着けました(^^)
今回『海路』という九州の歴史を扱っている雑誌にて佐賀城の火事のことを調べさせていただいたのですが、出火元が納戸だったらしいですね。てっきり夜通し明かりを点けている場所か台所が火元だと思っていたので、本来夜中に、しかも藩主が留守中に人が入りそうもない納戸が出火元だったのは意外でした。(昼間なら着物のお手入れに入りそうですが、基本物置ですよねぇ、納戸って)やっぱり放火なのか、それとも何者かが盗みに入って誤って燭台を倒したか・・・・・史実においても斉正がこの時期に城を留守にしているので何となくこの火事に偶然ではない何かを感じて妄想してしまう私です(爆)。


次回早速改革の内容を・・・・・としたいところですが、それは第三章・改革編に入ってからのお楽しみと言うことでv次回は火事の報告を盛姫にするところから始まります。世にも珍しい姫君の借金嘆願シーンもある可能性大ですよ~。ちなみに次回更新は9/15になります。
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