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「葵と杏葉」
葵と杏葉・世嗣編

葵と杏葉世嗣編 第三話 貧乏くじ・其の参

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 女子というものは得てして自分の身につけるものは慎重に選ぶ。江戸大奥の人間なのだからその気になれば商人が持ってきたものを全て買い占めることも可能なのに、あえて時間をかけて一つ一つ品物を見てゆくのだ。御台所の女中達を相手にしている時は茂義もまだまだ余裕があったが、それが三組目となるとさすがに怒りを通り越し、憔悴の影が見え始めてきた。

(くそっ、石見の野郎!あとで覚えていやがれ!)

 やっとお美代の方の女中達の番が来た時に、茂義は心の中で江戸家老に毒づく。だが、茂義の災難はここからが本番であった。
 主人の性格は下の者にも及ぶのか、それとも採用の際そういった者を選ぶのか。御台所、そしてお万の方の女中達はまだ良かった。御目見以下の者達とはいえ御台所の女中達は聡明で、御内証の方の女中は穏やかで、女主人の身分の高さを奢る事もない。彼女たちは元来高貴な身分の出の主だから、わざわざ身分を奢る必要性を感じないのだろう。しかし、大奥の中にはそうでない女性も居るのだ。
 三番目の集団――――――お美代の方の女中達はとりわけひどかった。てすり越しに茂義の顔を見るなり、『こんな不細工な手代を連れてくるとは何事か!』と文句を言い放ったのを皮切りに、やれ細工がなっていないだの、こんなものを自分につけさせる気なのかと理不尽な言いがかりをつけて碇屋籐右衛門を困惑させる。中には売り物の簪や櫛を平気な顔をして壊したりもする者もいるのだ。職人が丹精込めて作った品物を――――――以前仕事で鍋島焼の工房を覗いた事があり、僅かではあるがものを作り出す職人の苦労を知っているだけに、茂義のむかつきは頂点に達した。

(お方様の女中でなけりゃ叩き斬ってやるのに!)

 そう思いながらも主君の為、そして貞丸の為と必死で堪える。それと同時にこのような性質の悪い配下を持つ溶姫を、貞丸の婚約者に指名してこなかった幕府に密かに感謝した。

(溶姫君は貞丸とは二歳差だから、むしろこっちの姫でもおかしくないんだよな)

 が、しかしその安堵はもろくも崩れ去ったのである。

「そういえばこちらの姫君様のご婚約は如何なされましたかな?」

 不意に五菜頭、吉左衞門が女中達にとんでもない話を振ったのだ。茂義は心の臓が止まるかと思える程の驚きと、言いようのない不安を感じる。

(まさか貞丸の相手、本当は盛姫君じゃなくてこっちなんじゃないだろうな?)

 茂義は動揺を悟られないようにさりげなく俯いた。まさか鍋島家を安心させるために幕府の使いは嘘をついたのか――――――茂義の顔がみるみる強張る。 御目見以下の女中達でさえこの傲慢さである。いったい本人はどれほどのものだろうか。茂義は身体の奧から震えが来るのを感じずにはいられなかった。

(冗談じゃない!こんな奴等に鍋島の家中に入られて堪るか!)

 事と次第によってはただじゃおかない。茂義は本気で目の前にいる女中達に対して殺意を抱いた。




「こちらの姫君様のご婚約は如何なされましたかな?」

 吉左衞門の問いかけに女中はふん、と鼻先で嗤った。

「上様は内々に加賀に話をつけているようじゃが・・・・・・何ゆえ加賀如きに我が姫君様をくれてやらねばならぬ?」

 加賀といえば百万石の大大名である。佐賀など比べ物にならないほど格式も高い、というか徳川御三家、御三卿を除いた中では一番大きな家柄ではないか。そんな大藩との婚約話など望んでも無理だというのに――――――茂義ははしたないと思いつつも耳をそばだててしまう。すると、さらに信じられない言葉を女中は吐き出したのである。

「いくら百万石とはいえ、所詮外様じゃ。逆立ちしたって姫君様の御子は将軍にはなれぬ」

(何っ!!)

 その大胆不敵な発言に茂義は呆然とした。そもそも将軍の側室になれるだけでも女子としてはかなりの出世である。それなのにその身分だけでは飽き足らず、わが娘の息子、否、己の孫を将軍にしようなどと、心中で思うだけでなく傍の者達にもそれを漏らし、女中達もその気でいるのである。

(恐ろしい・・・・・・)

 どんな武芸者にも、身分が高い者にもついぞ感じたことがなかった感情を、茂義は目の前の女中達に感じた。

(加賀殿には申し訳ないが――――――鬼を家中に入れずに済んだ事を将軍家に感謝せねばならぬな)

 茂義は他家の災いを気の毒に思う一方、ほっと胸をなでおろした。その刹那である。

「きゃあぁぁぁぁぁ!!!」

 耳をつんざく女子の声が大奥に響き渡った。



「何事かっ!」

 茂義は思わず佐賀なまりの武家言葉で叫び、七つ口を飛びだす。正体がばれたらどうなるかちらりと頭をかすめたがそれどころではない。いくら何でもあの叫び声は尋常ではなかった。茂義は小走りに悲鳴が聞こえた方へ走り続ける。
 声の場所は思ったより近かった。長局二の側に面した渡り廊下に女中――――――否、女官と言った方が良さそうな、少なくとも七つ口で見た女中達より身分の高い女性達がたむろしていた。というより何かを遠巻きに見ているようだ。御紋付縮緬に花鳥をあしらった、絢爛豪華な掻取を身にまとった大勢の女子衆を目の当たりにして、茂義は今自分がどこにいるのか我に返る。

「いったい・・・・・・え~っと、どないした?」

 聞きかじりの上にうろ覚えの上方言葉で女房たちに聞く。平常ならこの時点で茂義は怪しまれ、瞬く間に捕えられていたかもしれない。しかし、今はそれどころではなかった。

「く、くちなわが・・・・・・」

 ぶるぶると震えながら女官が指をさす。茂義はその指が差された方を見やり、目を見開いてしまった。

「うわっ!蛇!!!」

 そこには体長三尺(約90cm)はあろうかという青大将がでん、と居座っていたのである。この時期、冬眠しているはずなのだがここ数日の小春日和に誘われて出てきてしまったものだろうか。どうやら大奥の床下にいる鼠を追って来たものらしい。すでに獲物は胃の中に収めたものの、やはり冬の寒さに身体の自由が利かないのか、渡り廊下のすぐ傍にある縁石に身体を伸ばしている。

「貴方、男衆でしょう?追っ払ってくださいませ!」

 茂義の存在に気がついた女官の一人が声高に茂義に命じる。

「え、うちも蛇は・・・・・・」

 茂義は真青な顔で女官に答えた。何を隠そうこの男、蛇が大の苦手なのである。子供の頃、冗談半分に小さな蛇に小便をかけて遊んでいたら、びっくりしたその小蛇が茂義の大事な部分に噛みつこうとしてきたのだ。幸い軽い怪我で済んだが、それ以来茂義は必要以上に蛇を恐れるようになってしまった。

「庭の者は何をしておる!くちなわを大奥へ入りこませるなどとは怠慢ではないか!」

 確かにそう言ったものを排除するのは庭師の仕事であるが、この広い大奥すべてを見張るのだけでも大変な上に蛇の侵入まで阻止するのは不可能である。皆、どうすることもできずただ三尺の蛇を遠巻きに見つめるだけであった。その時である。

 「皆の衆、何を騒いでおる」

 茂義の背後から可愛らしい童の声が庭に響いた。



 その声に振り向いた茂義は我が目を疑った。そこには今まで茂義が見たこともないような美しい童が、さらに小さな童をひきつれて佇んでいた。
 どうやら将軍家の子供達らしい。噂には聞き及んでいたが、漁色家で知られる現将軍だけに、手に入れる事ができる美しい女子は片っ端から手に入れているのだろう。その美しい女子達に似た子供らはさすがに皆端正な顔立ちをしていた。
 その中でも声をかけたと思われる少年は特に美しかった。切れ長の大きな瞳にすっ、と通った鼻筋。桜色の唇はまるで女子のようである。少々日に焼けてはいたがなめらかな頬に腰まである豊かな髪は・・・・・。

(ん?腰まで???)

 その元気溌剌とした外見で一瞬少年かと思ったこの人物、もしかして姫君なのか?そう思った矢先、女官の一人が金切り声で叫んだ。

「盛姫様!助かりもうした!!早うこのくちなわを追っ払ってくださいませ!」

 その言葉を聞いた瞬間、茂義は気を失いそうになった。



 確かにお美代の方や溶姫と縁を結ばなくて済んだ事は良かったと思う。目の前にいる姫君は利発そうだし病気もなさそうだ。しかし、しかしである。

(これが姫君かぁ?)

 大奥の中にいるから将軍の子だと判るが、そこいらへんの街中を走りまわっているガキ大将と何ら変わらないではないか。将軍の子と思えぬ紺薩摩の着物には、あちこちに泥汚れが付いている。これはきっと薩摩出身の御台所あたりがこのやんちゃな悪ガキに対し、半ば諦めにも似た気持ちで与えたに違いない。少なくとも貞丸はこの姫より身分は下だが、大名の子息らしく佐賀錦の着物を着ている。とはいえ貧乏故に実母、姚姫手製の品であるのが大きな声で言えないところなのだが・・・・・・。
 しかも女官たちは三尺もある蛇を追い出すのにこのガキを頼り切っているではないか。茂義はとんでもない姫を将軍家に押し付けられたのを悟った。

(断ろう。こんなじゃじゃ馬、貞丸には・・・・・・というよりは鍋島の家中には到底扱いきれない)

 茂義は心の中で呟く。

「ほぉ、青大将ではないか。別に毒など持っておらぬし、どうやら腹がくちくなっているのであろう。眠たそうじゃ」

 茂義の心の中を知ってか知らずか盛姫はまどろんでいる蛇をそっと持ち上げると、庭の奥のほう――――――よっぽどの事がなければ女官たちが踏み込まないであろう場所まで蛇を連れて行った。

「誰か、後ほど庭の者にあの蛇の事を伝えよ。蛇は大事な年貢を荒らす鼠を捕えてくれる大事な生き物じゃ。粗末に扱ってはならぬ」

 少年のような姫君から発せられた思わぬ言葉に、茂義は驚きを禁じ得なかった。

(お、こんなガキの癖にいっちょ前に年貢なんて知っているのか)

 庭を駆けずり回り、蛇を自らつかんで放ちに行くとんでもない跳ねっ返りではあるが、考え方は以外とまともそうだ。ただ、どちらにしても『将軍家の姫君』という枠からはだいぶ外れてはいる。

「おや?そこの者、初めてみる顔じゃな。名をなんと申す?」

 少年のような姫君――――――盛姫に声をかけられ、慌てて盛姫の前に土下座した。

「私、碇屋の手代・富八と申します」

 いくら子供とは言え、迂闊なことはできない。茂義はいかにも手代風に頭を下げる。

「面をあげよ、汚れるぞ。妾(わらわ)も着物や顔を泥で汚して老女たちに叱られるのじゃ。己だけでなく出入りの商人まで汚してしまったら、さらに説教が長引く」

 盛姫は茂義の前にしゃがみこみ、面をあげさせた。

「そなた、蛇が苦手なようじゃが?」

「はぁ、昔、蛇に噛まれそうになりまして・・・・・・」

 茂義の言葉はすでに上方のものではなく佐賀なまりの武家言葉に戻っていた。しかし盛姫はそれを気にする事もなく、言葉を続ける。

「もしかして蛇に小水をかけてちんちんに噛みつかれそうになったのか?」

「はぁ?」

 姫君から出たあまりの言葉に茂義は二の句を続ける事が出来ない。

「それだったら西の丸の兄上と同じじゃ。兄上も子供の時小蛇に小水をかけて噛みつかれそうになったと言っておったぞ」

 その時、遠くの方から盛姫を呼ぶ声がした。

「盛姫様、乗馬のお時間ですがどうなさいますか?たまには女子らしいことをするのも悪くはないかと・・・・・・」

 女官がさりげなく女子の教養を勉強せよと言っているのは茂義にも明らかに判った。しかし、それにも拘わらず、盛姫はあえて女官の思惑を無視して、否、と答える。

「乗馬じゃな。では袴を用意せよ。・・・・・・富八とやら、機会があったらまた会おうぞ。そしてな」

 盛姫は茂義の耳元にそっと口を寄せる。

「剣術を教えてたも。その剣術ダコじゃもの、相当腕が立つと見た。店の主人には妾が言い繕う故、頼んだぞ」

 そう言うと盛姫は女官についてその場を離れた。




「こんなところにいたのかい、富八さん」

 青ざめた顔をした茂義に吉左衛門と籐右衛門が近づいてきた。

「もしかして腰が抜けてしもうたんですか?」

 吉左衛門半ばからかい半分で茂義に声をかけるが、茂義にとってはそれどころではなった。

「・・・・・・盛姫様に、会った」

 その、かすれた低い声に、籐右衛門もただ事ではない何かを感じた。

「良かったやないですか。お姫さん、やんちゃですが可愛いでっしゃろ?」

「可愛い?あんたの眼は節穴か?」

 茂義はぎろりと籐右衛門を睨みつける。

「あの餓鬼、いや姫君は俺の剣術ダコを見て剣術を教えろと言ってきた。ここに来る前にさんざん軟膏や油を擦りつけてちょっと見にはわからないようにしたにも拘らず。あの様子、絶対に腕も見切ってるぞ」

「だろうな」

 二人の話を聞いていた吉左衛門は面白くもなさそうに話に割り込み、視線で二人を牽制する。茂義の正体がばれたら吉左衛門にも類が及びかねないのだ。吉左衛門の視線に茂義は思わず手で口を塞ぐ。

「お八重の方が元・清水徳川家の別色女だったから、お姫さんも五つの時から紅葉の手に懐剣握らされて剣術を叩き込まれている。剣術をするかしないかくらいは・・・・・・まぁちったぁは強いか弱いかは解るだろうなぁ」

 やはりとんでもない姫君だ。一方貞丸は盛姫よりも三つも年下、しかも――――――。

(ひ弱でしょっちゅう寝込んでいるし、二言目には『おふね』だし・・・・・・絶対にあの姫の方が賢いぞ。大丈夫なのか?ああ、いっそあの頭の良さの半分でも貞丸が持っていれば)

 いっそ男女逆であったならば、これ以上はない良い縁談なのにと茂義は頭を抱えてしまった。



UP DATE 2009.5.8

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ようやく盛姫登場ですv一応美形は美形なのですが、それ以上にあくが強いというか個性的というか・・・・・そんな姫です(笑)。たぶんこれ以後も容姿よりはその行動の方が目を引く姫君になると思われます。
幕末期に書かれた外国人の著作で、よく『徳川家の子供は美形だった』とあるのですが、十一代家斉の頃はそれがかなり顕著だったと思われます。この時代、本来ならある程度の身分がなければ将軍の側室になれなかったはずなのにお美代の方のように市井の僧侶の娘がうまい具合に入り込んで権力を握ったりしていますから。
なので泥まみれになって遊んでいても、蛇を鷲掴みにしようとも徳川将軍の娘なので『美形』にしないと・・・・ねぇ。史実的に『不細工な将軍の姫君』というのは難しいので中身で個性をぶちかましたいと思っています。
できましたら『虫愛づる姫君』江戸ver.的な姫を連想して戴ければv

余談ですが貞丸が着ているという佐賀錦は文化年間、鍋島藩主の奥方が創作したものという言い伝えがあります。時期的に考えるとちょうど貞丸のオカンあたりなんですよね~。こういう話もそのうち織り込みたいです。

次回はこの婚約に関しての大奥・御台所派の思惑が中心となります。



《参考文献》
◆大奥 女たちの暮らしと権力闘争  清水昇・川口素生著  新紀元社
◆徳川幕府事典  竹内誠編  東京堂出版
◆産地別 すぐわかる染め・織りの見分け方  丸山伸彦監修  東京美術 
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