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「葵と杏葉」
葵と杏葉・改革編

葵と杏葉改革編 第三話 前代未聞の大淘汰・其の参

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 天保六年冬の佐賀藩参勤は雪に祟られ、あと数日遅れていたら箱根で足止めを食うところであった。否、倹約令強化により百人ほど参勤の人数を減らしていなかったら間違いなくこの時点で足止めを食い、伊豆半島を大回りしなければならなかっただろう。最悪韮山代官所に救難援助を求めるという失態をさらけ出すところであった。

「確かに救難を求めるのはみっともないかもしれないけど、邦次郎殿なら別に構わないと思うけどなぁ。気心も知れているし、せめて小田原に行くくらいまでなら構わないんじゃないのか、松根」

 過酷な箱根越えを終えて一息吐いた斉正が思わず松根に零す。

「殿、何をのんきな!いくら江川殿とは親しくしているとはいえそれとこれとは話が別です。確かに江川殿が韮山代官に就任していたことには驚きましたけど・・・・・・」

 江川邦次郎英龍、通称三十六代目江川太郎左右衛門は天保六年のこの年、三十五歳にして韮山代官に就任した男である。元々代官に就任する前から年老いた父親の補佐と称して冬場になると韮山に足を運んでいた為、この時期参勤で韮山を通過する斉正とは顔見知りになっていたのだが、斉正と性が合うだけにこの男もただ者ではない。

「剣術道場の仲間と共に行商人に身をやつして領内を偵察いたんでしょう?いくら博徒が横行しているからって普通そこまでしませんよ。大丈夫なんですか、幕府は?あんなとんでもない事をする方が代官になって」

 ちなみにこの『剣術道場の仲間』というのは後に江戸三大道場の一つ『練兵館』を開く斎藤弥九郎の事である。神道無念流の同門だった二人は仲が良く、練兵館を開く際も江川から資金援助を受けているのだが、その二人が揃いも揃って行商に身をやつし、伊豆近辺を隠密調査していたというのである。

「むしろあれくらい剛胆なお人の方が博徒も大人しくなって良いんじゃないか。そうだ、帰りに邦次郎殿に代官地で行っている改革について聞くのも悪くないかもしれない」

 代官と大名の違いがあるとは言え、双方幕府から海防を任されている立場であるし、改革にも積極的だ。しかし型破りな若い代官に対しての斉正の発言はあまりにものんびりしすぎであろう。大物なのか、それともうつけなのか――――――斉正の発言について行けず、松根はがっくりと肩を落とした。



 小田原から江戸への道においても『晴れ男』にしては珍しく斉正は雪に祟られた。そんな雪の中、ようやく斉正は外桜田の江戸藩邸に到着する。毎度の事ながら取るものも取りあえず、いそいそと斉正は黒門へ足を運んだ。

「国子殿、ただいま帰り・・・・・・!」

 襖を開けた途端、斉正は盛姫の姿を見て目を丸くする。斉正が驚くのも無理はなかった。冬場でもそれほど厚着をしない盛姫が、着ぶくれをするほどありったけの着物を重ね着しているのである。

「見ての通りじゃ。城が燃えてしまってからさらなる質素倹約に励んでおるのじゃが、今年の冬は寒くてのう」

 周囲に屏風を何枚も立て、すきま風一つ通らないように防御しているが、小さな火鉢一つではこの寒さは防ぎきれない。

「確かに今年は異常ですね。この時期に江戸に雪が降るなんてあり得ませんでしたし」

 着ぶくれを起こしている盛姫に近づきながら斉正も自分の身体を抱くように腕をさする。底冷えとも言うのだろうか、決して粗末な作りではない黒門であるが、それでもしんしんと冷えが昇ってくるようである。

「今年に関しては風吹は佐賀に出向いて良かったのかもしれぬ。あれは妾以上に寒がりじゃから、この寒さに耐えられぬじゃろう」

「・・・・・・佐賀でも絶えられないようですけどね」

 斉正はくすくすと笑いながら盛姫のすぐ近くに座り、佐賀の近況を報告した。

「茂義は温石扱いみたいですよ。やけに素直に近寄ってくると思ったら氷のように冷たい手を懐に入れられると」

 木枯らしが吹き始めた頃から、夜な夜な男の悲鳴が聞こえてくると斉正は笑いながら盛姫に言った。

「風吹ならやりかねぬな」

 笑顔を見せた盛姫だったが、不意にその表情が曇る。

「そうなると佐賀も来年は飢饉の恐れがあるやもしれぬな」

「たぶん間違いなく飢饉に襲われるでしょうね。百姓達にはあらかじめ稗や粟を作るように言ってありますが・・・・・ようやく薩摩芋も作り方が判ってきましたので、来年は飢饉対策として植えてみようかと思います」

 飢饉になれば藩の収入は勿論、領民の食物の心配をしなくてはならない。年貢になる米が出来なくても、食べるものさえあればいつかは豊作の年がやってくる。だが、支配者はそう悠長なことも言っていられないのが現実である。

「のう、貞丸。仙石騒動の話は聞いておるか?」

「ええ多少は。確か寺社奉行吟味物調役である川路殿が責任者でしたよね。結局仙石左京が獄門になるとかならないとか・・・・・・どこの宿場でもその話で持ちきりでしたよ」

 出石藩のお家騒動に幕府が深く介入するという極めて異例の事態に、上は将軍から下は町人までその話題で持ちきりであった。その騒動にようやく決着が付き、お家乗っ取りの嫌疑を掛けられた仙石左京が獄門になる事で決着が付いたのである。
 なお仙石藩はその後も抗争のしこりが残り、藩主久利が実権を握り、親政を開始する文久二年まで長く藩内の政争は続くことになる。

「左京の側近宇野甚助も斬罪、左京の子小太郎は八丈島へ流罪になるそうじゃ。大奥でもお喋り雀どもが煩くて敵わぬ。出石藩は知行を五万八千石から三万石に減封されるとも言うておったな。」

 思い出しながら盛姫は騒動の状況を斉正に説明する。

「ようやく表向きの方が付きそうじゃが、どうもそれだけではない事態になりそうじゃ。間宮から何か聞いてはおらぬのか?」

 盛姫は斉正に尋ねるが、斉正は全く見当が付かず、怪訝そうな顔をするばかりであった。

「間宮殿は抜け荷があちらこちらで行われていると言っておりましたが、まさかそれではありませぬよね?」

「・・・・・・言うておるではないか。まさにそれじゃ。仙石左京と姻戚関係にあった老中松平康任の周囲を調べておったら、彼奴の浜田藩において抜け荷をしていたとの疑いが出てきたらしい」

 それを聞いて斉正の表情が強張った。後日仙石騒動及びその密貿易(竹島事件)の責任を取って老中松平康任は失脚、隠居を余儀なくされた。その後、子の康爵が跡を継いだが、翌年三月に石見浜田から陸奥棚倉に懲罰転封されることとなる。また、この事件のあおりを受けて南町奉行筒井政憲と勘定奉行の曾我助弼も失脚した。
 一方この事件の解決に尽力し康任を失脚させた水野忠邦は老中首座となり、脇坂安董は外様から譜代、さらには老中にまで昇りつめる。そしてこの事件を実質的に調査した川路聖謨はこの事件が出世の契機となり、幕末激動の時代に重要な役割を果たす事になる。

「・・・・・・佐賀は二万石の上米と幕府の陰の介入を許したが為に大事にならずに済んだが、浜田藩はそうも行かぬじゃろう。老中がらみのこの騒動、父上も相当参っておってな・・・・・・御台の母上の話では『そろそろ隠居でもするか』と父上が零しておるらしいが」

 将軍家斉の、意外な弱音に斉正は驚く。

「あの精力的な大樹公が・・・・・・ですか?」

「そうは言うても父上ももう六十三じゃ。いい加減兄者に家督を譲って貰わねば兄上が先に参ってしまうやもしれぬ」

 盛姫の言葉に、世代交代の波を感じた。そう言われてみれば斉直も年明けに五十七歳になる。人生五十年と言われる世の中にあって、二人とも充分長生きをしているのだ。この夏の権力委譲に罪悪感を感じていた斉正であったが、将軍の隠居話を聞き、その罪悪感がほんの少しだけ薄れたような気がした。

「さすがに抜け荷に関して放りっぱなしと言うわけにも行かず、触を出してからの隠居宣言になるそうじゃが・・・・・・」

「そんなに抜け荷が各所で横行しているのですか?」

「ここ数年の飢饉続きではやむを得まい」

 盛姫は寒いのか、襟をかき合わせながら呟いた。だが、抜け荷の影響はこれだけにとどまらなかった。十二月二十二日、幕府から各大名に各藩の国図絵を制作するよう通達が出たのである。国図絵を提出させることで隠し事がないか判断をし、少しでも怪しいところがあれば調査に乗り出そうというのだ。

「いったい幕府は何を考えているのやら」

 憤慨したのは斉正ではなく盛姫であった。

「伊能忠敬の全国地図だけではまだ不満だというのか」

「まぁまぁ国子殿」

 宥めたのは本来文句を言うべき筈の斉正である。

「確かにあの地図は素晴らしいものがあります。現に我々も写しを貰っているくらいですから。でも、少々内陸側に難点が・・・・・・」

 言いにくそうに斉正は口ごもった。確かに伊能地図は精密であったが、それはあくまで海岸線のみ。国防には役立つが、実際の生活に密着した内陸の地図がないのである。なまじ伊能地図が素晴らしいものだけに物足りなさが出てきたのであろう。幕府の思惑とは別に各所図絵の需要は幕府、藩、そして庶民を問わず高まってきているのは事実であった。

「幕府がより詳しい地図を、という気持ちも判らぬではありません。確かに軍事的に公表したくないものもありますが、神社仏閣や市街地などの図絵があれば何かと便利です。江戸や京阪と違って田舎の藩では藩がやらねば誰もやってはくれぬでしょうし・・・・・そういうものがあれば国子殿にも佐賀の説明がしやすいですね」

 不意にそれに気がついたのか、斉正の目がきらきらと輝き出す。

「法度がありますから国子殿を佐賀に連れ去ることは出来ませんが、図絵で佐賀を持ってくることはできるかもしれません!」

「まったく・・・・・そうやって幕府の思惑に簡単に乗りおって」

 盛姫は苦笑を浮かべるが、悪い気はしていなかった。



 仙石騒動や水面下で問題になっていた抜け荷を意識した法令が立て続けに出された以外、何事もなく平穏に百日は過ぎていった。それは斉正、盛姫の二人の間にも言えることで盛姫の身体には妊娠の兆候が相変わらず見られない。

「私が佐賀にたどり着く頃、何かしらの兆候が現れてくれればいいのに」

 斉正は盛姫のすらりとした腹に手を当てながら呟いた。

「貞丸・・・・・・妾に遠慮することはないんじゃぞ」

「遠慮などしておりませぬ。国子殿はおなごだから判らぬかもしれませぬが、側室候補の権力欲に満ちあふれた、獣じみた目で射すくめられたら勃つものも勃たなくなります」

 自分より年上で身分の高い妻が初めての女性であった事――――――ある意味それは斉正にとって不幸だったのかもしれない。
 全てにおいて自分より上の盛姫は、まるで母親のごとく斉正に全てを与え続け、しかも斉正の気持ちに添うように尽くしてくれる。その居心地の良さを当たり前として暮らしてきた斉正にとって、身分も年も自分より下の女達は恐怖でしかなかった。権力欲に満ちあふれ、斉正の寵を奪って一族の出世を得ようと虎視眈々と爪を研ぐ女達に、愛情は勿論、義務として子供を作ろうとする気も全くおきない。
 かといって一番子を成したいと願う盛姫とは二年に一度、約三ヶ月しか一緒に暮らすことができないのだ。さらにその時期は年末年始の忙しい時期とも重なっている為、実際盛姫と枕を共にするのはひと月あればいい方だろう。

「今度・・・・・・来年末の参勤で子を成すことができなければ、その時点で側室のことは考えます。それまでは・・・・・・あなたの事だけを想わせてください、国子殿」

 斉正はそう言って盛姫を抱きしめた。こればかりは授かり物、神仏に祈るしかないのだろう。

(そういえば今年は二十四――――――私の本厄か。佐賀に向かう途中、川崎大師に立ち寄って厄払いでもしてもらおう)

 いつも以上に小さく感じる盛姫を抱きしめながら、斉正は神にすがることしか出来ないおのれの非力を恨み続けた。



UP DATE 2010.10.06


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最後の大淘汰は斉正、盛姫の父親達になってしまった感があるんですが・・・・・ま、いいか(おいっ)

前代未聞の大淘汰・其の参です。一見すると全体を通して斉正と盛姫のたわいもない世間話なのですが、実は伏線だらけの『伏線祭り』状態だったり(爆)

☆伏線その一:江川英龍なんですが、この人のちに佐賀藩の技術協力の下、反射炉の製造をする事になるんですよね~。開国編~維新編で活躍するであろう一人です。それにしても斉藤弥九郎と共に隠密で領内探索をしていたとはつゆ知らず・・・・・これだけでアクションもの書けそう(笑)何かの機会に・・・・・ということにしておきましょうv

☆伏線その二:仙石騒動で活躍した水野、川路の二人。水野忠邦はこれから扱う『天保の改革』において何かと佐賀藩の妨害になるような事を仕掛けてゆきます。書物奉行関係は別館で少し書きましたが、こちらでは水野三羽烏と共にもう少し本格的に扱いたいな、と。川路聖謨に関してはこれから調べますが、この人も幕末とは切っても切れない関係ですのでお楽しみに(^^)

☆伏線その三:相変わらずの二人ですが、実は盛姫には『御褥御免』というタイムリミットが・・・・・!これも一話以上かけて扱っていくテーマです。果たしてこのタイムリミットに間に合うのか、そして本当に斉正が『御褥御免』を守るのか(爆)。こちらもお楽しみくださいませv

ざくっとこんな感じですかねぇ。これからどんどん登場人物が多くなっていきますが、うまく整理できるように少しずつ登場人物の会話に織り交ぜてゆきたいと思います。

次回更新は10/13、飢饉による打ち壊しの極めつけ、大塩平八郎の乱とそれに伴う佐賀への待機命令&借金返済の禁じ手行使の『大塩の乱と算盤大名』へと話は進みます。

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