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「短編小説」
明治美味草紙

明治美味草紙 其の拾貳・クリスマスケーキ(小村壽太郎&マチ)

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それは明治38年の12月25日のことであった。隙間風とは明らかに違う、がたがたとなる窓の音に小村マチはびくり、と体を竦める。明らかに誰かが侵入しようとしており、こんな時に限って使用人も傍にいなかった。
 日比谷焼討事件の直後から小村邸には過激な任侠右翼者の侵入や投石が後を絶たなかった。今回もそんな心ない者の侵入かもしれない。

「だ・・・・誰!」

 身体の底からわき上がる震えを抑えながらもマチは気丈に叫ぶ。ただポーツマス条約に調印してしまった・・・・・ただそれだけの事なのに、夫の壽太郎は、そして家族は何故こんな目に遭わなくてはならないのだろうか?
 そもそも最後の最後までポーツマス条約の調印に反対したのは壽太郎本人であったのに・・・・・悲しさと、それ以上の悔しさにマチは思わず涙ぐんだ。その時である。

「メリークリスマス、マチ!鼠のセント・ニコラウスがやってきたぞ!」

 張りのある陽気な明るい声がマチを包み込んだのである。行儀悪く窓から入ってきた小柄で頭が大きく、貧相な髭を生やした懐かしいその人は、良人の壽太郎であった。

「だ・・・・旦那様・・・・・。」

 ひと月振りに自宅に帰ってくる事が出来た壽太郎の顔を見てマチはぽろぽろと涙をこぼし、壽太郎に縋り付く。
日比谷焼討事件以降心ない者達の圧力、そして暴力により壽太郎は自宅に近寄る事さえ出来なかった。三人の子供を抱えながら心細さに打ち震えるそんな状況の中、ようやく壽太郎が帰ってきてくれたのである。壽太郎の顔を見て安心しきってしまったのだろう、マチの涙は止まらない。

「すまない・・・マチ。あんな条約に調印してしまったばっかりにお前にまで苦労を掛けてしまって。」

「いいえ・・・・・いいえ!」

 久しぶりに聞く優しい良人の声は、マチの怯えた心にじんわりと染み渡っていった。



 明治38年9月5日、日本全権委員としてポーツマス会議に参加した壽太郎はアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋の下、ロシア側の全権ウィッテと交渉し、ポーツマス条約を調印した。後に日露講和条約締結の功により伯爵に陞爵した壽太郎だったが、彼にとってこの条約は極めて不本意なものであった。

 ポーツマス条約において、日本は満州南部の鉄道及び領地の租借権、大韓帝国に対する排他的指導権などを獲得したが、戦争賠償金は取得する事に失敗したのである。
 この賠償金によって軍事費として投じてきた20億円を埋め合わせる筈だっただけに、この誤算は政府にとって痛手であった。ちなみにこの20億円は当時の国家予算の約4倍に当たる。
 そしてこの不甲斐ない結果に怒りを露わにしたのは戦時中の増税による耐乏生活を強いられてきた国民だったのだ。その怒りは条約締結当日に起こった日比谷焼打事件などの暴動へと変わり、直接的には翌年1月の桂内閣解散の原因、後々の大正デモクラシーへの胎動となる。

 だが、国民以上に悔しさを抱いていたのは条約を締結した壽太郎その人であった。全権を任されながら賠償金を取る事が出来なかった悔しさは、当日の夜悔しさに大泣きしていたのを警備員に発見されたり、帰国時、怒り狂う右翼団体からさまざまな罵声を浴びせられ、泣き崩れた壽太郎を両脇から伊藤博文と山縣有朋が抱えて首相官邸へ連れて行ったというエピソードからも窺い知る事が出来る。



 この一連の騒動の所為でマチは精神的に追い詰められ、壽太郎は家族と別居することを余儀なくされた。だから、今日も寿太郎は人目を忍んでマチの待つ自宅へと帰ってきたのである。

「風月堂で買ってきたクリスマスケーキだ。これを子供達にやってくれ。」

 外務大臣として世界中を駆け回っている寿太郎である。西洋の風俗にも詳しい。正月では暴徒達に待ち伏せされる可能性を鑑みて、少し早いクリスマスに自宅へ帰ってきたのである。
 その優しさにマチはようやく微笑んだ。そういえばこうやって笑ったのは久しぶりかも知れないとマチは改めて思う。だが、幸せな時間は長くは続かなかった。

「おっと、あまり長居をすると桂首相にどやされるな。じゃあ、また近いうちに帰ってくるから・・・・・身体にだけは気をつけておくれ。欣一、文子、捷治を・・・・・頼んだぞ。」

 その素早い行動力から『ねずみ公使』とあだ名される壽太郎は、それこそ鼠の如くマチの許から去っていってしまった。



《明治美味草紙・完》
UP DATE 2010.11.28


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明治美味草紙もぐるりと一年巡り、最終回となりましたv今回は『坂の上の雲』にも出ている小村壽太郎を主役に書かせて戴いております(ドラマ第二部も来週からで夫婦揃ってテンション上がりまくりvドラマでも竹中直人さんの『怪演』に引き込まれております^^。コアな歴史マニアには堪らないドラマですよね~v)。
この人についてはまだまだ勉強中なのですが、明治の外交官、そして外務大臣って『世界情勢の最前線で戦っている!』って感じが大好きなのです。すでに陸奥宗光さんは取り上げさせて戴きましたので今回は明治後期の外務大臣の代表格・小村壽太郎を・・・・・ってことで。

ポーツマス条約の締結、国内情勢と対外関係の狭間で本当に難しかったみたいですね。締結しなければ確実に日本は負け戦になだれ込んでいくだろうし、かといって賠償金は貰えないしで八方ふさがり。最終的にプライドを捨てて日本国民の命を守ったこの決断を個人的には評価したいです。でなければさらに死者が増えたでしょうしね・・・・。しかしその決断で自分も、そして家族も非難の矢面に立たされる事になってしまったのですが、せめてこんな安らぎのひとときがあってもいいかな、とこんな話を書いてみました。

今現在の外交官達に『プライドを捨ててまで日本を守る』という覚悟はあるのかしら・・・・・尖閣諸島問題で特にそれを感じちゃいました。それこそ兵士よりもさらに前線で戦っているという気概、その1/100でも今現在の外交官に欲しいものです。

そしてそして!来週から地上波で『坂の上の雲』第二部始まります(デジタルハイビジョンでは今日からでしたけど・・・・食事の支度で見れない><)v日露戦争の場面はこれからですのでそう言った意味でも小村壽太郎の活躍が楽しみです。
相当コアな歴史マニアじゃないとヘビーすぎるドラマだと思いますが、癖がある分はまると堪らないんですよ~。来週からの『烏のがらくた箱』は普段使わない追記機能を駆使し、『坂の上の雲』への萌えを吐き出す事になりそうです(爆)。


来年からの拍手新シリーズは歌川国芳&猫を中心に季節の移り変わりを書いていきたいと思います。(更新予定は1/2、たぶんこれが来年の更新始めになると思います。)
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