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「葵と杏葉」
葵と杏葉・改革編

葵と杏葉改革編 第十一話 大殿往生とちいさ姫・其の貳

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 参勤のない冬の初め、例年以上に斉正は元気がなかった。盛姫に会う事が出来ないというのも原因の一つだが、それ以上に思っても見なかった側室の傲慢さと、斉直の病がそれに拍車をかけていた。
 さすがに山本勇を差し出した姉川家は斉正の不興を敏感に感じ取り、あれやこれやと気遣いをするのだが、それが見え透いているだけに余計に煩わしい。
 どちらを向いても気が滅入る事ばかりの昨今、斉正の心の慰めは茂義の娘・濱の顔を見る事くらいであった。

「おぅ、『殿様の寵姫』を連れてきてやったぞ!」

 斉正の気持ちを気遣ってか、本来武雄藩邸の奥向きで乳母に抱かれているべき赤子を抱えては、茂義は本丸にやってくる。

「お濱坊か。それにしても良く風吹が許してくれるな」

 茂義の手から取り上げるように濱を譲り受けると、斉正は大名とは思えぬうまさで濱をあやし始めた。

「ああ、お前が落ち込んでいるとあちらこちらから噂を聞いているらしい。『せめて一時の慰めになれば』って一言も文句を言わず濱を差し出すぞ。尤もあの傲岸不遜の側室に対抗しているのかも知れないが」

 斉正の言葉に傍に控えていた松根が口を挟んだ。

「なるほど。佐賀で殿の寵愛を独り占めしているのはお濱ちゃんですからね。姫君様の女官としての務めも母子でしっかり果たしていると」

 確かに奥向きにおいて、正室なり側室なりが殿の寵愛を引き留めるために、自分の息が掛かった女官を差し出すというのは良くある手である。ただ、潔癖なところがある斉正に正攻法は通用しないと悟った風吹は自分の娘、というより斉正が兄と慕う茂義の娘を差し出したのだ。そこは大奥育ちの女性ならではのしたたかさである。

「その風吹の読みに関しては私は何も言えないな。確かに私はお濱坊に夢中だ・・・・・・べろべろばぁ」

 普通の家臣達には絶対に見せられないようなおどけ顔で斉正は濱をあやし、濱もきゃっきゃと嬉しげにはしゃぐ。

「だけど・・・・・・自分の子に対してこれほどかわいいと思えるのだろうか」

 ふと斉正は真顔になった。何のしがらみもない他人の子は純粋にかわいいと思えるし、子供自体決して嫌いではない。だが自分の血を引いた子供はどうなのだろうか・・・・・・盛姫に対する負い目もあるし、愛情を感じていない側室が産んだ子を愛おしいと思えるのか不安なのだ。だが、『経験者』である茂義はあっさりと斉正の心配事を蹴散らした。

「誰が産もうと、誰の種だろうと子供っていうもんはかわいいものさ。時折小憎たらしいのもいるけどな。そうそう『姫君様に関しては心配するな』と風吹が言っていた。どうやら姫君様からお前の子供に関してお言葉を貰ったようなんだが、俺にさえ教えてくれないんだよな」

「それは武雄殿が信用されていないからではないでしょうか」

「何を!」

 ふざける茂義と松根を見ながらも斉正の漠然とした不安は消えなかった。腕の中にいる濱が自分の子供だったらどんなに良かっただろうか。無邪気に笑う幼子をあやしながら斉正は胸の深いところに痛みを感じた。



 そしてもう一つの懸案であるが、こちらはある意味斉正をとことんまで呆れさせていた。

「もっと賑やかにせぬか!歌い手や踊り手が足りぬのならば城下の花街から連れてくれば良いではないか!」

 見舞いにやってきた斉正の目の前で繰り広げられるのは、あまりにも華やかな宴会であった。その中央で病の床についている斉直は、死病に罹っているとも思えぬ元気さでわめき散らす。十数人もの三味線や琴などの演奏者が並び、側室や若い侍女達が踊り続けているにも拘わらず、それでも寂しすぎると文句を並べ立てるのである。

「父上、あまり騒ぎすぎては病に障ります。先生の言う事を聞いて少しは安静に・・・・・・」

 斉直の周囲には胃にもたれそうな料理や酒まで並んでいる。どう見ても病に冒され弱った身体には毒としか思えないものばかりだ。せめて一日でも長生きして欲しいと斉正は訴えるが、斉直はいつもながら聞く耳を持たない。

「ええい、黙れ、黙れ!遅かれ早かれ死ぬのじゃ!それならば今のうちに楽しめる事を楽しむのが筋ではないか!」

 そうわめきながらも斉直は腹の痛みに耐えかね、腹を押さえながら呻く。

「大殿様!しっかりなさってくださいませ!」

「若殿様の仰るとおり、少しお休みになられては如何でしょうか」

 周囲にいる取り巻き達が斉直に群がってきた。斉直が死んでしまったら彼らはすぐさま職を失ってしまう立場にある。
 実務を司る重要な役職だと思っていたところから四百名以上も人員を削減されたのだ。斉直が居なくなれば間違いなく『無用の長物』とばかりに暇を出される事は目に見えている。一日でも長く斉直に生きて貰わねば困るのは彼らなのだ。その様子は瀕死の蝶に群がる蟻のようで、傍で見ている斉正は薄ら寒さを覚えた。

「では、父上。私はこれにて失礼いたします。お身体、ご自愛くださいませ」

 取り巻き達が斉直を中心に騒ぎ続ける中、やるせない想いを抱きつつ斉正は退出することしかできなかった。



「・・・・・・そりゃ死ぬのが怖いからでしょう」

 斉直の別荘から帰ってきた斉正の話を聞いた茂真が、さもありなんと言ったふうに言ってのける。

「怖い?佐賀武士は死を恐れてはならぬとあれほど教え込まれているのにですか?」

 茂真について斉正の許へやってきた井内が怪訝そうな表情を浮かべる。

「ああ、そういえば『葉隠』にも『「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり』と書かれていますよね」

 同じく茂真に付いてきた中村も井内に同調する。

「・・・・・・あんな胡散臭いものを中村殿は信じているのですか」

 斉正の傍に黙って控えていた松根が露骨に嫌そうな表情を浮かべる。

「そもそも『葉隠』は禁書なのに。あれの口述者、山本常朝本人が『処分してくれ』といった過激なものが、この時代まで写本され続けられている事自体問題です。弘道館の塾生の中にもあれの崇拝者がいて困っているんですから」

 そう言ったのは他でもない茂真であった。ここ最近弘道館の管理も任されている茂真にとって『葉隠』の存在は少々厄介なものであった。

「信じちゃいませんよ。そもそも俺はまだ死にたくありませんし、恋だって忍びたくなんかありません!」

 中村の混ぜっ返しにその場にいた皆が一斉に笑う。

「・・・・・・この向こう見ずな中村でさえ死が怖いのです。あの意外と臆病な大殿が悠然と『死』と向き合えると思えますか?」

 茂真の指摘に皆何も答える事が出来なかった。現代と違い医療が発達していなかったこの時代、今日元気でも明日流行病に罹って死ぬかも知れないのである。否、流行病であれば死を怖がる間もなく命を落としてしまえるのでまだ楽かも知れない。
 徐々に己の身体を蝕んでいく病魔におののきながら、忍び寄ってくる死の影と戦わなくてはならない――――――そんな恐怖に、あの打たれ弱い斉直が耐えられるとも思えなかった。

「もしかして父上のあのどんちゃん騒ぎは・・・・・・」

「死を忘れるために騒いでいるのでしょう」

 茂真の言葉にその場にいた者は黙りこくってしまった。どんな人間であっても死は避けられないし恐ろしいもの――――――それを改めて思い知らされる。

「大殿の心をお慰めするには、歌舞音曲よりもむしろ僧侶の話を聞かせる方が良いのかも知れませんね」

 重苦しい沈黙の中、茂真がぽつりと呟く。

「どんちゃん騒ぎが出来るうちはまだいいですけど、それも長くは無いでしょう。心の安寧を求めるのであれば来世の話も悪くはないんじゃないかと」

「請役殿は『葉隠』よりも説法派ですか」

「どちら人心を惑わすものという点では同じようなものですけどね。少なくとも説法は人畜無害ですが、葉隠は読み方次第で暴走しかねない」

「というか、あれを全部読む奴なんか今時いるんですか?」

 あまりにも不敬と思われる中村の言葉だったが、誰もそれを責める事はなかったし、むしろ皆中村に同調した。

「確かに私は藩祖・直茂公について書かれた部分以降は読んでないな」

 そう言ったのは斉正であった。さすがに先祖に関する部分は読んでおいた方が良いと今は亡き古賀穀堂に勧められたのだが、それ以降は読む気も起きなかったというのが正直なところである。

「私もぱらぱらととばし読みで・・・・・・三分の一くらいですかねぇ。請役殿は?」

 比較的まじめな井内さえこの程度である。

「一通り、全部目を通した・・・・・・嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や部下の失敗を上手く助ける方法など役立つものも少なくないが、一部の過激な文言を取り上げてその部分だけ振りかざす大馬鹿者がいる限り、あれはあまりにも危険すぎる書物であることには変わりない」

 現代でこそ有名な『葉隠』であるが、当時は一部の過激な内容から藩内で禁書扱いであった。さらに蘭学、英学を取り入れてゆくにあたり『葉隠』は旧時代の遺物として扱われるようになっていく。



 十一月半ば頃まではまだ元気だった斉直も、十二月の声を聞く頃になるとがくんと体力が落ち、三味線の音まで『頭が痛くなるから』と聞く事が出来なくなっていた。

「父上、高伝寺の僧都の説法をお聞きになる気にはなりませぬか?なかなか面白いとの評判なのですが」

 見舞いに来た斉正がさり気なく斉直に進言する。

「どんな不安を持ったものでも、まるで憑物が落ちたように気持ちが晴れ晴れするそうですよ」

 どうせ子供の進言など聞かぬだろうと気楽な気持ちで斉正は言ったのだが、やはり心細くなっていたのだろう、斉直がその進言に乗っかったのである。

「・・・・・・やはり死が怖くて仕方がないようです」

 見舞いから帰ってきた斉正が、茂真に開口一番言ったのがこの言葉であった。

「あの享楽的な父上が僧都の説法を望むなんて・・・・・・良い事だとは思うのですが、父上らしくなくて少し寂しい気がします」

「・・・・・・たぶんそう思っていられるのも今のうちだけだと思いますけどね」

 父親の衰えに気落ちしている斉正に対し、何か思い当たる節があるのか茂真は溜息混じりに呟いた。

「あの自己顕示欲の権化のような大殿がしおらしく説法だけを聞いているとは思えません。極楽に生きたいから布施を増やせだとか、葬儀に僧侶を三十人よこせだとか、戒名は仰々しいものにしろとか絶対に言い出すに決まっています。病が回復を見せない今の状況では、倹約を説いても無駄でしょうし・・・・・・役職を解く者達への一時金を含めて大殿への予算は少し多めに見ておいた方がいいでしょう」

「・・・・・・よくそこまで冷静になれますね、兄上は」

「殿と違ってく私は国許育ちですからね。少なくとも殿の三倍以上は辛酸をなめております。ああいう人は甘い顔をするととことんつけあがりますから、言うべき事はきちんと言った方が良いのです」

 そう言った後、茂真は少し声を潜める。

「おなごであってもそれは同様です。噂によると殿の側室の山本氏――――――かなり我が儘を言い出しているようではありませぬか」

「そうなのですか?ここ最近三の丸にはまったく出向いていないのでそこの所は疎いのですが・・・・・・」

 自分の側室の話なのに、まるで他人事のように話す斉直に茂真は苦笑いを浮かべた。

「気が向かなければ足を向ける必要はありませんが、管理は必要ですよ。本丸に詰めている男達同様、おなごたちにも指令系統が必要なのですが・・・・・・残念ながらここには本来『頭』であるはずの姫君様がいらっしゃらない」

 茂真の指摘に斉正は黙り込む。

「・・・・・・産み月は来年の夏ですか。でしたら参勤に間に合いますな」

 茂真の言葉に斉正は顔色を変えた。

「兄上、首も据わらぬややをつれてあの過酷な参勤をしろと?あの大変さは兄上も経験しましたよね?」

 乳母に抱かれているとはいえ、赤子にあの長旅は辛いだろうと斉正は反論する。だが、茂真の考えは変わる事はなかった。

「参勤の速度は一日に付き一宿分短く計画を立てさせて戴きます。それならば女子供にも耐えられるでしょう。できればおなごのややだったらなお良いんですけどね。赤子のうちはおなごの方が丈夫ですし、山本氏の勢力もそぐ事ができます」

「・・・・・・皆が世継ぎを願う中、兄上はおなごを望みますか。

 斉正は皮肉を滲ませた笑みを兄に対して向ける。

「それは殿も同様ではないのですか?もう少し大人しい側室の子であればともかく、大殿の如き自己顕示欲を持つ側室では、子供を利用して何をするか判りませぬ。僭越ながら姫君様の異母妹・溶姫君様の御母堂のように」

 そう言われてしまっては斉正もこれ以上反対する事は出来なかった。

「・・・・・・確かに兄上の言う通りかも知れません。どちらにしろ生まれてきた子供は全て国子殿の養育とすることにしておりますので、佐賀の水に慣れる前に早々に江戸に連れて行きます」

 世の中には旅の途中で子供を産み、その子を背負って旅を続ける女性もいるのだ。それに比べたら自分の子は駕籠に乗れるだけ恵まれている――――――斉正はそう思う事にした。



 案の定茂真の指摘の通り、斉直は僧都との話の中で精神的な落ち着きを取り戻すのと同時に自分の葬儀についてあれこれ注文をし始めた。
 財政難の中、他の贅沢は息子達を中心に抑えられてしまっているが、さすがに葬式の話となると縁起でもないと口出ししにくくなるらしい。そんなところに贅沢の道を見つけ出してしまった斉直は、自ら葬儀の注文を次から次へと出し始めたのである。

 皮肉な事にそれが生き甲斐となり、斉直は無事新年を迎える事が出来たが、さすがにそこまでで一月の終わり、とうとう往生を遂げた。
 斉直の遺言、というより指示通りその葬儀は大々的に行われ、斉直の年間予算の半分近くが軽く飛んだ。さらに斉直が死んだ事によりお役御免となる役人達に対し、一時金を支払わなくてはならなかったので天保十年の予算は少々苦しいものになる。
 だが一方、これは来年度からそのまま藩の収入に組み込めるのだ。斉直関係の予算として計上していた年間六千五百石(一両=約十万円として換算すると約六億五千万円)が借金返済に回せるのはありがたかった。


 そして斉直の四十九日の法要が終わった夏の初め、山本勇が斉正の子供を産んだ。その子は周囲の期待とは裏腹に――――――否、斉正と茂義が密かに望んだ、可愛らしい女の子であった。



UP DATE 2010.12.01

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大殿こと斉直がとうとう往生を果たしました。ま、最期の最期まで大騒ぎして、ってところですかね(^^;
ちなみに鍋島家の菩提寺は曹洞宗なんで、葬儀もかなり賑やかなものに・・・・銅鑼とか鐘とかがんがん鳴り物をならすんですよねぇ、曹洞宗の葬儀って。旦那の実家と私の父方が曹洞宗なんですが・・・・・ば~ちゃんの葬式の時、死んだ人間が生き返るんじゃないかっていうくらい騒々しかった(爆)。なので斉直の葬儀もロックバンドのコンサート並みに騒がしかったと思われます。その方がらしいですけどね。

そして大殿と選手交代でちいさ姫の登場です(^^)。果たして斉正はこのちいさ姫を受け入れる事が出来るんでしょうか?それは次回以降で書かせて戴きます(ネタバレしたいんですけどね~我慢です・笑)

あと今回ちょこっと『葉隠』についても取り上げさせて戴きました。佐賀と言えば『葉隠』、のイメージが強いですが、江戸後期から幕末にかけて佐賀藩ではあまり重用されたかったどころか禁書だったそうです。まぁ、最先端技術・思想を目指す集団が旧態依然の思想を持ち合わせていたらやってられませんしね。しかしこれが明治時代以降軍国主義的思想の教科書的に扱われてしまうという・・・・・皮肉ですよねぇ。葉隠ネタは大隈重信が出てくる頃にまたやると思います。


次回更新は12/8、ちいさ姫の命名、そして盛姫とちいさ姫のご対面ですv
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