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「葵と杏葉」
葵と杏葉・改革編

葵と杏葉改革編 第十三話 弘道館・其の壹

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 江戸時代の恋は身分・格式によって制限を受けるが、その中でも正式な夫婦でありながら関係を持ってはいけないという慣例ほど不可思議なものは無い。尤もそれは側室を何人も持つ事が出来る身分に限られるのだが、ただでさえ二年に一度、たった三ヶ月しか逢う事が出来ない上に妻を抱く事を許されないという慣例は斉正にとって理不尽以外何ものでもなかった。
 そんな思いがあったからだろうか、斉正と盛姫の秘めなくてはならない恋は、斉正の度を過ぎた黒門通いによって瞬く間に藩邸内に感づかれてしまったのである。
 生まれたばかりの責姫もいるし、元々盛姫との仲は良かったので食事くらいは共に取るだろうと最初は大目に見られていたが、忌日以外黒門に泊まり、朝食を取ってから表屋敷に帰ってくればいかに鈍い人間でも薄々感づく。
 しかし、事は藩主自らの醜聞であるし盛姫の実家である将軍家にも関わってくる事だけに、誰もその事をおおっぴらに口に出せなかった。唯一、側近中の側近である松根のみが斉正に注意をするくらいである。

「殿・・・・・・姫君様を諦められ切れないのは百歩譲って良しとしましょう。ですが、せめて寝るときは表屋敷に帰ってきて下さい。いつもいつも『面倒だ』だとか『ちいさ姫の寝顔を見ていたい』とか理由を付けては黒門に泊まって・・・・・・もうすぐ而立になろうというお方が、もう少し御自らの行動を戒めてくださいませ!」

 朝、黒門から本来の住居である表屋敷に戻るなり、松根が斉正に忠告する。だが他の事ならどんな進言でも素直に聞く斉正も、この件に関しては全くの別人のように聞く耳を持たない。

「泊まっているからと言って子を作っているとは限らぬであろう。誰かに見咎められた訳で無し」

 周囲で誰が聞いているか判らないだけに、如何にも慣例を守っているという物言いをする斉正であるが、それが嘘八百である事は松根が一番よく知っている。

「・・・・・・実際そうであっても周囲は納得いたしませぬ。箝口令は敷いておりますが、いつ何時外にこの事が漏れるか、こちらはひやひやし通しです」

「・・・・・・私は外に漏れようが一向に構わぬが」

「殿は構わなくても姫君様のお立場がございます!」

 不服そうな斉正に対して松根は声を荒らげる。そんな松根に対し斉正も開き直る。

「・・・・・・下々の夫婦であれば許されるのに、何故大名の夫婦は妻が三十路に入った途端通う事が許されなくなるのか、納得が出来ぬ!」

「それは妻の身の安全を優先させるからです!」

 意外と強情な松根に対し斉正もだんだん苛立ちを募らせてゆく。

「ひとつふたつ違ってもお産の危うさは変わらぬと思うが。実際姉の寵姫は十九歳の若さで産褥で亡くなったぞ?それに対して御徒の仁衛門のところの妻女は三十六で十三人目を産んでいる。人によって違うお産を何故一律に決めつける!」

「確かにそれはありますが、世間体という事も考えてください。それに仁衛門の嫁は犬顔負けの安産を誇るおなごです。姫君様と一緒になさらないでくださいませ!」

 松根の言葉の後、何とも言いようのない沈黙が流れた。

「・・・・・・松根は頭が固くていけぬ。もう少し柔軟になってくれればいいものを」

 『世間の常識』としては松根の言い分の方が正しいだけに、斉正はそれ以上言い返す事もできず大仰に溜息を吐いた。



 幸いな事に斉正と盛姫の関係は藩邸外部に漏れることなく、斉正は佐賀へ帰還した。

「大殿がいなくなられてこれほど経済的な余力が出来るとは思いませんでした」

 斉正の顔を見るなり茂真は挨拶もそこそこにそう切り出した。

「表向きの予算こそ六千五百両でしたが、実際は一万両を越えていましたしね。しかも取り巻き達の扶持が減ったのでかなり余裕が出てきましたよ」

 今まで一文にきりきりしていた生活だっただけに、それに悩まなくて良くなった事がよっぽど嬉しいらしい。

「とりあえず余裕が出た分で先に幕府からの借財を返却しましょう。そして残った分を大阪に・・・・・・」

 嬉しげに借金返済予定を言い立てていく茂真を斉正が止める。

「兄上、少し待って戴けますか?できれば少しでも早く取りかかりたい事がありまして、それには大きな金が必要なのです」

 斉正の発言に茂真は怪訝そうな顔をする。

「一体何のために?まさか船を造るとか、って言う話では・・・・・・ございませんよね?」

「ははは、兄上もお人が悪い。しかし、その事ものちに関わってくるかも知れません」

 意味深な斉正の発言に茂真は業を煮やす。

「一体何に使うのですか?」

「・・・・・・弘道館です。あそこの場所から移転させ、もっと大きな施設にしたいのです」

 斉正は眼をきらきらと輝かせながら茂真に自分の要望を語り始めた。

「確かに今、改革が実り始めております。しかし、これから佐賀を発展させるためにはさらに多くの人材が必要になるでしょう。余計な門閥も排除し尽くしましたし、これからは身分に囚われず、より藩のためになる人材を採用したいのです。その為には学問所を拡充させ、選択の幅を広げるべきだと思うのですが。船を造る技術者もそのうち出せたら御の字ですけど」

 思いもしなかった斉正の発言に、茂真は大きく目を見開く。

「・・・・・・確かにそれは悪くありませんね。まだまだ下級武士で我々の目が届かぬ人材もおるでしょうし、逆に大身であっても鍛えればものになる者もいるでしょう」

 斉正以上に茂真の表情が生き生きしてきた。確かに借金を返す事も大事だが、佐賀の輝かしい将来につぎ込む魅力にその義務は色褪せる。

「でしたら移転を機に規則を整えましょう。講義や鍛錬の時間もさらに取りたいですしね。となると移転の場所ですが・・・・・・」

「佐賀城北堀端の空き地はどうでしょうか」

 不意に茂真の傍に控えていた井内が口を挟んだ。

「ほう・・・・・・井内、何故あの場所を推薦する?」

 藩主との会話に口を挟んだ事を起こるでもなく、茂真は愉快げに井内に意見を求める。

「現在の松原小路よりも城に近いという事、しかも請役殿の邸が目と鼻の先です。請役殿がおられなくても『睨み』を効かせる事ができるのではないかと」

「睨みときたか!悪くはないな。だったら塾頭を私が兼任しようか!」

 井内の言葉に茂真は笑い出した。勿論忙しい請役と藩校の責任者の兼任という話は冗談だったのだが、後に斉正がこれを真に受けて茂真は弘道館の責任者も兼任する事になる。

「請役殿、冗談はそれくらいにしておいてくださいませ。またあそこの土地は今の弘道館の三倍ほどはあるでしょう。それだけの広さがあれば校内で武芸も教える事が出来るかも知れません」

 井内はここぞとばかりに自身の構想を口にした。これは井内自身が弘道館で学んでいたときに大変だった道場通いを少しでも楽に、との思いからの意見である。

「それはいいかもしれぬ。講義が終わった後、各流派の師範の元に通うのも大変だしな。それならば時間を無駄にしなくて済む」

 井内の提案に賛同したのは斉正が先であった。文武両道を究めるのならば学問所と道場は近い方が良いに決まっている。しかし、それには一つ問題があった。

「そうなると木材を調達するのも・・・・・学問所と道場を作るだけの木材の手配は難しいかも知れません。本丸の再建で良質な木材は使い果たしてしまったし、木が育つにも暫くの時間がかかるでしょう・・・・・・他藩から調達するしかないですかね」

 腕組みをして茂真は考え込んでしまう。しかしその解決法を提案したのは他でもない斉正であった。

「兄上、三の丸の一部を取り壊し弘道館に使うのは如何でしょう?すでに藩の機能は本丸に全て移っておりますし、あそこまで広大である必要もないでしょう。三分の一から半分程度解体し、その木材を使って作れば工期も縮められますし、建設費用も節約できます」

 その意見に茂真も頷いた。

「確かに、あそこにいるのは殿の側室のみですから・・・・・・側室達も本丸に移せばもっと多くの木材を使う事が出来ますよ。」

「それは・・・・・・考えさせてください」

 盛姫からも少しは側室達に気を配るように注意されたし、責姫を産んだ山本勇には盛姫直々に褒美の反物と手紙が送られている。盛姫が佐賀にいるならともかく、江戸にいながら国許の側室の面倒を見させるのもさすがに申し訳ない。本丸に彼女たちを移さなくてはならないと思いつつも未だ決心が付かない斉正であった。



 その頃、三の丸において――――――。

「本当に・・・・・・姫君様からの賜り物なのですか?」

 勇は目の前の反物と、手にした手紙に震えていた。そして御簾の向こう側には盛姫の名代として松根がいる。

「勿論。拙者が姫君様より直接お預かりした品だ」

 その手紙には責姫を産んでくれた事へのねぎらいの言葉と、生まれたばかりの責姫を江戸に連れ去られてしまったつらさへの心遣いなどがしたためられている。斉正に通って貰えなくなり、親族や姉川鍋島家からは役立たずの烙印を押されてしまった勇にとって、この手紙は救いであった。

「かたじけのう・・・・・・ございます」

 目からぽろぽろと涙をこぼしながら勇は松根に頭を下げた。

「勿論私からもお返事は書かせて戴きますが・・・・・・参勤の際、姫君様には心から感謝している旨をお伝えくださいませ。私は・・・・・・姫君様に、忠誠を誓わせて戴きたいと」

 未だ一度も出会った事のない江戸の正室に、勇は感謝せずにはいられなかった。



 勇からの返事が盛姫に届いたのは杜鵑が鳴く時分のことであった。『自らの側室と娘を佐賀に連れ戻す説得をする』という用事を無理矢理作り、わざわざ江戸にやってきた茂義が自ら持ってきたのである。

「何故あなた様が来たのですか!私は濱が一人前の女官になるまで佐賀には参りませぬ!」

 茂義の顔を見るなりつっけんどんに言い放ったのは風吹であった。

「誰がお前に帰ってこいと言った!娘の顔を見に来て何が悪い!」
 
 三歳のかわいい盛りになった濱を膝の上にのせ、茂義は風吹にかみついた。

「すでに隠居の身なのですから大人しく温室で盆栽いじりでもなさっていれば宜しいでしょう!」

「悪いがそんな暇は俺にはない!幕府からの要請でさらに長崎御番を強化しろと言っている最中、武器を買う金の金策だけで大わらわだ!」

「そうとは思えませぬ。なにやら幕府公式の検察のためにわざわざ新しい道まで造ったとか。武雄は相当潤っていらしゃるようですね。私は簪一つ買って貰っておりませぬけど!」

 相変わらずの痴話げんかに盛姫は苦笑を浮かべる。

「しかし、健子の母御は相当参っておったようじゃの。ここまで熱烈な手紙を寄越してくるとは・・・・・・風吹、そなた健子を連れてくる際、無理強いをしたのではないか?」

 疑いのまなざしを風吹に投げかけながら、盛姫は呟く。

「滅相もございませぬ。大奥でごく普通に行われている程度でございますよ。私は側室を蹴り飛ばしたりしませぬ」

「あすこは特別じゃ。老中でさえ時には泣いて表に帰って行くのじゃぞ。無愛想な藩主と言い申し訳ないのう」

 そして盛姫はせめてもの償いにと、勇に対し責姫の成長を度々書いて送る事になる。



 藩校弘道館は天保十一年六月、松原小路から佐賀城北堀端に移転した。それまでの約三倍二相当する五千四百坪余りの敷地に、講堂や今の小中学校に当たる通学制の『蒙養舎』、高校・大学に相当する寄宿制の『内生寮』、通学制の『拡充局』の各教室、四つの寄宿舎などを備えた。また各流派の師匠宅などで教えていた武芸も校内で行う事にし、九室の武芸場と馬場を設置した。

「ようやく・・・・・・完成したな」

 晴れ晴れとした表情を浮かべ、斉正はすでに学生が入っている新たな弘道館へと入っていった。



UP DATE 2010.12.15

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大殿が亡くなって浮いたお金は教育、つまり佐賀の未来へ投資される事になりました(^^)。『米百俵』の話にも通じるところがあるのですが、人って大きなお金が入るとつい目の前の懸案に使いたくなってしまうんですよね~。そこを我慢して未来に投資するか、それとも目の前の借金を返し、日々の糧に使い果たしてしまうか・・・・・そこが将来勝ち組になるか負け組になるかの分かれ道なんでしょう。勿論佐賀藩は勝ち組になってゆきます。

そして、お気づきになりましたでしょうか?今回松根や井内が『特に』遠慮無く自分の意見を上役に言っている事を(笑)。本当はもう少し前からはっきりした書き方をするべきだったのでしょうが、これは斉正の方針です。藩政の重要案件でも御前会議を開き『腹蔵なく議論せよ』と命じて耳を傾けた人ですし。勿論弘道館の教育にもこの方針が生きてきますので、その前座として松根や井内には頑張って貰いましたv

次回は弘道館の鬼カリキュラムを中心に展開します。受験シーズンも目前ですしタイムリーかも。でも真似はしないでください(それくらいハードな授業です。)
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