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「vague~道場主・作間駿次郎顛末記」
港崎遊郭連続誘拐事件

vague~豚屋火事・其の壹

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 冬場の火事ほど厄介なものは無い。黒河がごみ溜に放火した小さな火は、冬の乾燥とからっ風によって瞬く間に凶悪な大火に変貌する。
 不運にも火元となった豚肉屋鉄五宅のごみ溜は横浜の北西、すなわち風上に位置していた。北風を孕み火柱と化した紅蓮の炎は、その力を増大させつつ風下に位置する港崎遊郭から外国人居留地へと燃え広がり始める。
 本来ここで活躍するのが町火消なのだが、横浜は開港してまだ七年しか経っていない若い街だ。江戸と違い火消も組織としてまだまだ拙く、この様な大火を目の当たりにするのも初めてだった。
 経験の浅い若い火消達が鳶口や刺又、鋸などを手にした火消達は周囲の建物を破壊して延焼を防ごうとするが、火の廻りが早すぎて間に合わない。
 暴れまくる炎は火消達を嘲笑うかのように頭上を飛火し、更に勢力を拡大してゆく。それはあたかも非業の死を遂げた黒河の怨念そのものの様であった。

「火事だ!早く逃げろ!」

 横浜中の半鐘がけたたましく鳴り響き、番太郎が声を枯らせて叫び続ける。町人は着の身着のまま逃げ惑い、火事から逃れようと人々は関外に続く四つの橋に押し寄せた。
 特に一番大きな吉田橋には被災者が集中してしまい、ぎしぎしと嫌な悲鳴を上げる。ただでさえ古くなって傷んでいる橋だ。このままでは人々の重さで橋が壊れかねない。

「押すんじゃねぇ!橋が壊れる!」

「さっさと進みやがれ!こっちは尻に火がついているんだぞ!」

「おっかぁ~!どこだよぅ~!」

「坊やが、誰か!わっちの坊やを!」

 橋の上から手前はまさに阿鼻叫喚、恐慌の坩堝と化していた。このままでは火事に巻き込まれるにせよ、橋が落ちて川に転落するにしても命を落としかねない。そんな危機が迫る中、よく通る男達の声が埃っぽい横浜の空に響いた。

「落ち着け!まだこっちには火は回って来ていない!それよりも橋が壊れちまったらここからは逃げられないんだぞ!」

「風は反対側に吹いている!延焼するにしてもまだ余裕はあるから安心しろ!」

「女子供、老人が先だ!橋が壊れないよう順番に歩け!」

 拐かし犯の残党取締の為、各橋に出張っていた同心達はそのまま火事の避難誘導をしていたのである。これが功を奏し、火事がそれぞれの橋に迫る前に人々を避難させることができた。
 しかしその一方、悲劇の場所となってしまった場所がある。それは港崎遊郭――――――白萩ら哀れな娼妓達の、囲われの牢獄であった。
 港崎遊郭はその性質上、娼妓達が足抜けしないよう四方が高い塀で囲まれている。また、同様の理由から遊郭への出入り口は正面にある大門と、大見世が裏手に作った四ヶ所の通用門のみとされていた。
 しかも通用門は遊郭の関係者しかその存在を知らない。事実上、大門だけが唯一の出入り口なのだ。そこへ一気に大勢の人間が押し寄せたらどうなるか――――――考えるまでもないだろう。
 案の定、瞬く間に燃え広がった火事に驚いた宿泊客や娼妓、通用門の存在を忘れてしまった男衆が我先にと大門に押しかけた。
 平時に通る分には申し分の無い広さがある港崎遊郭の大門だが、たかだか数間の幅しか無い。瞬く間に逃げる者達で塞がれた挙句、誰かが転んだ拍子に将棋倒しが起こったのである。

「おい、さっさと起きやがれ、逃げられねぇじゃねぇか!」

 道を塞がれた男達が喚き散らし、自分だけでも逃げようと将棋倒しになった人々を踏みつける。

「させるか!」

 その男の脚を引っ張り、引きずり下ろす男もいる。さらに後から逃げ出してきた者達も大門に押し寄せる為、逃げたくても前にも後ろにも進めない。古今東西描かれたどんな地獄絵図よりも、陰惨で最悪な光景がそこには広がっていた。
 それを少しでも打開しようと火消達が必死に壁を壊しているが、無駄に高く頑丈に作られた外壁はなかなか壊れそうにない。

「な、何だ、これは!」

 大門の前に到着した作間があまりの惨状に悲鳴を上げる。幾重にも重なった人々の山――――――もしかしたら将棋倒しになった一番下の者は圧死しているかもしれない。
 更に厄介なのは火事による熱気だ。初冬である筈なのに真夏の南風のような熱風が作間や垣崎を襲う。大門の外でさえこれなのだ。大門や塀の内側はよりひどい熱気に襲われているだろう。
 大門の将棋倒しは免れたとしても、この熱気を灰と共に吸い込んで喉をやられるか、それとも炎に巻き込まれるか――――――どちらにしても助からない。そんな忌まわしい予想に作間が唇を噛み締めたその時である。

「駿次郎先輩!岩亀楼に火が!」

 垣崎の絶叫に作間は思わず楼門から視線を上げる。その瞬間作間の目に飛び込んできたのは、ひときわ高くそびえ立つ岩亀楼の屋根に火が燃え移り、激しく炎を上げているさまであった。

「伊織!肩を貸せ!中に入る!」

 このままでは白萩の命が危ない。作間は垣崎の腕を掴み、塀を乗り越える手伝いをさせようとするが、垣崎は駄々っ子のように激しく首を横に振り、低い声で拒否を示す。

「丸焼きになる気ですか、駿次郎先輩?この中に入ったら最後、まず生きて帰って来るのは無理でしょう・・・・・・そんな所へ俺が先輩を行かせるとでも思っているんですか!」

 垣崎の言い分は尤もである。だが、作間にも言い分はある。

「お前は・・・・・・白萩に死ねというのか!」

 作間は垣崎の胸座を掴み、今にも殴りかからんばかりに迫った。だが、垣崎はその手を払いのけ作間に怒鳴りつける。

「俺の部下だって岩亀楼に残っているんです! 江川、兼田、木下・・・・・こんな事になると解ってりゃ一緒に奉行所に引き上げてくるんだった!」

 垣崎の血反吐を吐くような悲痛な叫びに、作間は返す言葉が見つからない。

「金だったらいくらでも貸しますよ。駿次郎先輩だったら絶対に返してくれますからね。だけどあんたの命を落としかねないモンだけは脅されたって貸すことはできねぇ。っていうか」

 垣崎は燃え盛る岩亀楼を見つめながら呟いた。

「・・・・・・本当は俺があいつらを助けに中に飛び込みてぇくらいです」

 その言葉に作間は苦笑いを浮かべる。

「命を落としかねないモンだけは貸せねぇ――――――なるほどな。いくらおめぇの部下を助ける為でも、俺もおめぇに肩を貸すことは出来ねぇや」

 誰だって大事な者の命を助けたい気持ちは同じである。垣崎も作間と同じ痛みを感じているのだ。作間は大きく息を吐き、改めて燃え盛る岩亀楼を見やる。
 その刹那、熱さに耐えかねたのか、誰かが岩亀楼の三階から飛び降りる姿が見えた。炎に舞うふわりとした欧風の着物からすると洋妾だろうか。もしかしたら白萩も、と思うと気が気でない。

「他に入り口があれば・・・・・・そうだ!」

 炎に包まれる岩亀楼を見つめていた作間は不意にある事を思い出した。

「おい、伊織。昨夜の尋問で、あの二階回しが通用門がどうのこうの、って話をしていなかったか?」

 作間の言葉に垣崎も昨夜の郁三郎に対する尋問を思い出す。

「ええ、していましたが・・・・・・そうか!もしかしたら通用門からならまだ出入りができるかもしれませんね!」

「急げ!今ならまだ間に合うかもしれない!」

 作間の言葉に垣崎も頷く。そしてどちらからともなく岩亀楼に通じる通用門へ向かって走り出した。



 けたたましい半鐘の音と轟々と鳴る旋風、それ以上に耳を覆いたくなる人々の悲鳴が渦巻く中、岩亀楼でも客や娼妓、使用人達の避難が始まっていた。
 見世に飛び火しているという現象こそ他の妓楼と同じだが、岩亀楼が他の妓楼と違っていたのは楼主・岩槻屋佐吉の主義によって見世の使用人が避難の方法を身に付けていた事だろう。
 品川でも妓楼を経営している佐吉は、火事によってしょっちゅう品川の見世を焼かれている。だから建物が焼けてしまうのは仕方ないと諦めていたが、娼妓や使用人達を失う痛手だけは諦め切れない事も知っていた。
 特に十一年前に起こった安政江戸地震による地震火事では十人もの娼妓や若い者、さらには二番番頭までも失っていた。佐吉が横浜進出を決意した理由の一つも、この損失の穴を埋める為である。
 それだけに火の始末や火災になった時の避難の仕方など平時から煩く言っており、使用人や他の妓楼の楼主に『岩槻屋の親父さんの考え過ぎだ』と煙たがられていた。
 また自分の店を含めて四軒の大店に通用門の許可を取り付けたのも、いざという時の避難口にとの思惑からである。まさにそれが今、役立とうとしていた。
 さらに拐かし事件の捜索の為、岩亀楼に三人の同心達が残っていたのも幸いした。日本人館は同心達が、洋人館は外国語が判る若い者と手分けして客や娼妓達を誘導し始める。

「落ち着いて、こっちの階段から順番に下りろ!絶対に前の奴を押すんじゃねぇぞ!」

 二階に上がった江川が客や娼妓らを順々に階段から下ろしてゆく。

「正面玄関に行くんじゃねぇ!、勝手口に回れ!大通りは火の海だ!死にてぇのか!」

 兼田が声を荒らげ、正面玄関から避難しようとする娼妓の襟首を掴んだ。

「通用門はこっちだ!煙に巻き込まれるなよ!」

 さらに見世の外では木下が通用門を開き、声を張り上げる。

「Please come here!In a hurry! 」

 普段の美声はどこへやら、破鐘のような怒鳴り声で進五郎が洋人館の各部屋を回り、残っている客や娼妓がいないか確かめる。
 佐吉の日頃の準備、そして同心や若い者達の迅速な動きによって見世の中にいたものは次々に避難してゆく。だが彼らの努力だけではどうにもならない事もある。岩亀楼洋人館に飛び火した炎が、瞬く間に大きくなってしまったのである。
 折からの乾燥のため火の廻りは想像以上に早かった。瞬く間に洋人館から日本人館へと火は燃え広がり、三階にいた娼妓や客達は瞬く間に炎と煙に包まれてしまったのである。
 一階、二階ならば窓から飛び降りて逃げることも可能だったろう。だが、火事に気が付いたからといって窓から飛び降りるには三階はあまりにも高すぎた。
 熱さに耐え切れず、一番最初に窓から飛び降りてしまった洋人館の娼妓は地面に叩きつけられ、動かなくなっている。日本人館側から飛び降りた客と思しき男も骨折したのか脚を抱えて叫んでいた。
 かと言って階段を降りて逃げようにも踊り場で燃え上がる炎が行く手を遮っている。白萩を始め、数人の娼妓と禿達がその炎を前に立ち往生してしまった。

「おい!早く下りてこい!階段が焼け落ちるのも時間の問題だぞ!」

 階下から同心の江川が怒鳴る。だが、さすがに炎の中に飛び込むのは躊躇してしまう。

「白萩・・・・・・ねぇ、どうしよう!」

 涙声で夕菊が白萩にすがりつく。禿の夢菊も白萩や夕菊の打掛の裾にしがみついてわんわんと大声を上げている。否、夕菊や夢菊だけではない。白萩以外の娼妓達は全員燃え盛る炎に慄き、泣き叫んでいた。
 だが、いつまでもここにいる訳にはいかない。白萩は覚悟を決め、黒地に蜘蛛の糸があしらわれた打掛を脱ぐ。

「ねぇ、みんな。もしかしたら今より更にひどい地獄を見ることになるかもしれないけど、その覚悟はある?」

 白萩のその言葉に全員が息を呑む中、白萩は着物の裾を端折り帯に手挟んだ。白くしなやかな脚が腿の中ほどまで露わになりかなり動きやすい格好になると、先程脱いだ打掛を頭から被る。

「一か八か、あの炎の中を突っ切りましょう。まだ階段は焼け落ちていない・・・・・・火傷をした傷物になったら『花魁』ではいられなくなるけど、最悪夜鷹か歌比丘尼くらいなら何とかなると思うの」

 努めて明るく、気丈に振る舞う白萩だったがその声は震えている。白萩だって炎の中に飛び込むのは恐ろしいと思う。だが、このままでは炎や煙にまかれて死ぬか、焼け落ちる岩亀楼の下敷きになるしかないのだ。

「そうね。焼け死ぬよりは夜鷹の方がいいもんね!」

 誰かが言ったその言葉に夕菊や他の娼妓達も頷いた。そして次々と裾を端折り、白い脛を露わにしてゆく。

「いいわね?じゃあ行くわよ!」

 白萩は全員が駆け下りる準備が出来たのを確認すると、先陣を切って燃え盛る階段を駆け下り始めた。



UP DATE 2017.10.11

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豚屋火事―――歴史的には全く無名の事件ですが、横浜の街を焼き尽くし、後の町づくりにも影響を及ぼした大火事です(>_<)
丁度外国人居留地と日本人街の境目にあった豚屋(肉屋)から燃え広がった火事は瞬く間に広がってしまったのです。
更に悪いことにこの街の火消し達の経験値は極めて小さい・・・本文でも書かせていただきましたが、横浜という街ができてまだ7年目ですからねぇ(´・ω・`)江戸の火消しに比べたらかなり要領は悪かったはずです(>_<)唯一の救いは堀によって区切られた地域だった、ということでしょうか。橋を渡って関外に出てしまえば取り敢えず安心でしたが、橋はかなり傷んでいたようですしねぇ・・・今のところ落下はしていないようですが、これがいつまで続くのかこちらも不安です(-_-;)
更に心配なのは岩亀楼の娼妓達。炎の中、避難をしているようですがほぼ巻き込まれているようで・・・果たして彼女たちは生きてこの中から脱出する事ができるのか?次回をお待ちくださいませm(_ _)m
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