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「vague~道場主・作間駿次郎顛末記」
港崎遊郭連続誘拐事件

vague~豚屋火事・其の貳

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 階段を二十段ほど下ったところに踊り場があり、火はそこで激しく燃えている。冬物の重たい打掛を頭から被ったまま、白萩は息を詰めて踊り場を駆け抜けた。

(熱いっ!)

 足袋を履かない娼妓の素足に、炎と熱気が容赦なく襲いかかる。床もかなり熱くなっており、脚を踏み出すのにも難儀した。もしかした既に足の裏や脛に火傷を負っているかもしれない。それでも白萩は一気に階段を駆け下り、二階に辿り着く。

「みんなっ、早く!」

 同心の江川に早く一階に下りろと促されながらも、白萩は後ろを振り返り叫んだ。その声に娼妓達は次々に階段を駆け下り始める。だが白萩の声がかかるまで躊躇していた分、それは遅すぎた。

「きゃぁあああ!」

 四人目の娼妓が階段の中程まで下りたまさにその時、階段の炎が急激に大きくなり、娼妓もろとも崩れ落ちたのである。
 否、階段だけではない。岩亀楼の三階全体が激しい炎に燃え上がり、崩れ落ちたのだ。まだ三階に残っていた娼妓達は断末魔の悲鳴を上げながら落下し、炎に包まれる。さらにぼとぼとと落ちてくる炎は二階の床にも延焼し、白萩達に迫ってきていた。

「他の娼妓達は諦めろ!早くしないと俺達も焼け死ぬぞ!」

 江川は立ち尽くす白萩らに怒鳴りつけると、自ら先頭を切って一階へと駆け下りていく。

「夕菊ちゃん、行こう!梅富士ちゃんには悪いけど」

 炎に包まれている同僚をおろおろ見つめている夕菊に、白菊は目に涙を浮かべながら訴えた。
 炎に包まれながらも梅富士はまだ生きていた。身体に付いた火を消そうと床を転げまわっており、もしここで火を消してやれば彼女は一時的に助かるかもしれない。
 だが、その前に燃え盛る炎に包まれて逃げ道を失う事は確実だ。そうなったらここにいる全員助からなくなる。せめて幼い夢菊が一人で逃げられる場所までは、と白菊は夕菊をかき口説く。

「うん・・・・・・」

 助かるかもしれない同僚を見殺しにする後ろめたさと後味の悪さはあるが、夕菊も覚悟を決めた。そして夢菊との三人は一階へ続く階段を駆け下りる。

「熱いっ!」

 火の粉がかかったのか、階段の途中で夢菊が悲鳴を上げた。その瞬間、夢菊の脚が止まってしまう。

「夢菊ちゃん!これを被りなさい!」

 夢菊の悲鳴に白萩が自らの打掛を夢菊にかけてやり、その手を引っ張った瞬間である。階段を駆け下りる三人目がけて炎に包まれた天井が降り注いできたのだ。決して広くない階段上の三人にその破片を避ける術はない。炎をまとった天井の破片は容赦なく襲いかかり、白萩の頬は灼熱の痛みに襲われた。
 それだけではない。頭や肩、背中にも容赦なく炎の欠片が降り注ぐ。早く階段を下りて外に逃げ出さなくては焼け死んでしまう――――――焦りのままに白萩は一歩踏み出した。
 だが白萩の一歩をしっかり支えてくれる筈の足場は、その一歩を踏み出した途端、脆くも崩れてしまったのだ。

「えっ、何!」

 白萩の驚愕の声と共に身体がぐらりと揺れる。そして次の瞬間、崩れた足場から炎の柱が吹き出したのだ。

「白萩ちゃーん!」

 夕菊の悲鳴が轟々と唸る炎の中に響く。一体自分の身に何が起こったのか理解できないまま、白萩は炎の中へ落下していった。



 港崎遊郭を取り囲む頑丈な塀に沿いながら、作間と垣崎は炎を上げている岩亀楼に向かって走り続けていた。頑丈な塀は焼け落ちる様子を見せないのに、不快な熱気と火の粉だけは容赦なく二人に襲いかかる。
 落ちた火の粉は兄から借りた一張羅の羽織に穴を開け、ちりちりと項の後れ毛を焼いていく。髪の毛を焼く嫌な臭気が鼻を突くが、それを払っている余裕は今の作間にはない。

「駿次郎先輩!あそこです!」

 ようやく見えてきた岩亀楼裏の通用門を指差し、垣崎が叫んだ。大門に比べたらあまりにも貧相な出入り口だが、大門と違い押し合いへし合いになっている様子はない。
 更に近づくと誰かが避難誘導をしているようだった。その声に従うように着の身着のままの男衆や腰巻姿の娼妓達が順々に遊郭の外へ避難している。

「木下?木下、生きているのか!」

 声の主に気がついた垣崎は、通用門から出てくる妓楼の者達を強引に掻き分け、通用門の内側に入り込む。そこには全身煤だらけになりながら避難誘導をしている木下の姿があった。

「あ、垣崎さん!」

 垣崎の顔を確認するなり、木下は煤で汚れた顔に満面の笑みを浮かべる。どうやら怪我も無さそうで垣崎は安堵した。だが次の瞬間、兼田と江川の姿が近くにない事にも気が付く。

「おい、木下。他の二人はどこにいる?」

 嫌な予感を覚えつつ、垣崎は木下に尋ねた。その問いに対し木下は岩亀楼の勝手口の方を指し示す。

「二人ならまだあの中です!」

 幸いにも勝手口はまだ炎が回っておらず、次々に娼妓や禿、男衆らが外に出てきている。

「二人は若い衆に代わって日本人館で避難誘導をしているんです」

 木下が誇らしげに答えた瞬間、垣崎が訝しげに眉を顰めた。

「若い衆に・・・・・・代わってだと?」

 避難誘導をするのはともかく、見世の若い衆に代わってという理由が解せない。そんな垣崎に木下は事情を説明する。

「ええ。外国語を喋れる若い衆は洋人館の避難誘導に回っているんです」

「そうか。外人は無理でも日本人なら同心でも誘導できるから、って事だな」

 ようやく合点がいったらしい垣崎の一言に、木下も深く頷いた。

「そうなんですよ。兼田さんは一階で、江川さんは二階か三階に行っている筈なんですが・・・・・・ああっ!!」

 垣崎に説明をしていた木下の口から不意に絶叫が飛び出し、上の方を指さす。

「さ、三階が!」

 木下が指差した方向を見た垣崎も思わず大声を上げる。その瞬間、ばきばきと不快な大音響と共に岩亀楼の三階部分が崩れ落ちてきた。炎を纏った木っ端や熱せられた瓦、砕け散った硝子窓が容赦なく二人に降り注ぐ。

「え、江川さんが三階にいるかもしれないんです!」

 今にも泣き出しそうな声で訴える木下を垣崎が怒鳴りつける。

「木下!おめぇはここで誘導を続けろ!俺が・・・・・・って、駿次郎先輩!!」

 木下を落ち着かせ、自分が燃え盛る岩亀楼に飛び込もうとしていた矢先であった。垣崎の横を大柄な影が――――――いつの間にか通用門から中に入り込んでいた作間が素早くすり抜けたのである。
 作間はそのまま燃え盛る岩亀楼に走り寄ると、まだ見世の者が出てきている勝手口から強引に入り込んでしまう。

「あの馬鹿!あのでかい図体でいつの間に通用門から中に入りやがった!」

 先輩を先輩とも思わぬ毒舌でけなすと、垣崎はそのまま作間の後を追いかける。

「おい、作間駿次郎!勝手に人のシマを荒らすんじゃねぇ!」

 垣崎は勝手口で誘導をしている兼田を突き飛ばしながら岩亀楼の中へ飛び込み、やくざ者紛いの恫喝を作間の背中にぶつけた。だが作間は背後で喚く垣崎を振り返りもせずにやり返す。

「おめぇのシマなんざ知ったこっちゃねぇ!白萩が・・・・・・三階に部屋を持っている娼妓達がまだこの中にいるんだよ!」

 ぱらぱらと落ちてくる火の粉を払い、纏わり付く煙にむせながら作間は階段の方へ進む。どうやら三階にいた見世の者達、そして江川が逃げ遅れているらしい。
 作間と垣崎は険しい表情のまま舞い散る火の粉の中をくぐり抜け、岩亀楼名物の石灯籠がある中庭が見える場所まで出た。
 すると二階に続く階段下で江川が上を見ながら何かを叫んでいるではないか。

「江川!大丈夫か!!」

 垣崎は駆け寄りながら江川に声をかけるが、江川は上を見たまま返事をしない。その視線に嫌な胸騒ぎを覚えた作間と垣崎は、江川の視線を追いかけ階段を見上げた。

「あ、あれは!」

 それを見た瞬間、垣崎が思わず大声で叫ぶ。江川の視線の先――――――そこには炎に包まれた女達の姿があった。
 充満する黒い煙に遮られて顔はよく見えないが、うっすらと見える影からすると娼妓が二人に禿が一人のようである。絶え間なく降り注いでくる火の粉と炎と共に舞い落ちてくる木っ端に行く手を遮られ、三人は降りるに下りられないのだ。
 さらに不運な事に、燃え広がる炎は階段を支える柱にも移り勢いを増している。上にいる三人もろとも炎が階段を包むのにそう時間はかからないだろう。

「早く!早く下りてこないと焼け死ぬぞ!」

 江川の怒声が炎の中に響く。その声に反応したのか、一人の娼妓が階段を下りようと一歩踏み出したまさにその時である。今まで耐えていた階段の柱が炎に耐え切れず崩れ落ちたのだ。

「えっ、何!」

 脚を一歩踏み出した娼妓は驚きのあまり悲鳴を上げる。そしてその声は紛うことなく白萩の声だったのだ。勿論作間がその声を聞き逃すはずもない。

「白萩!」

 作間は反射的に江川を突き飛ばし、炎の中へ飛び込む。そして階段から落ちてくる白萩を受け止めようと鍛えあげられた双の腕を伸ばした。

どさり!

 しっかりした手応えと共に作間の身体が前のめりになる。間一髪、落ちてきた白萩を受け止めることが出来たのだ。作間は上手く腕の中に収まった白萩の身体を落とさぬよう、足を踏ん張った。
 腕の中の白萩は、顔やむき出しになった脚に火傷を負っている上に気を失っている。どうやら階段から落ちる途中で意識を失ってしまったらしい。

「白萩!俺だ!目を開けてくれ!」

 作間は腕の中でぐったりしている白萩に訴えるが、白萩は微かに睫毛を震わせるだけで目を開けようとはしなかった。
 一方、垣崎と江川はかろうじて残っている階段の上にいる二人――――――夕菊と夢菊に飛び降りろと叫んでいた。ただ、かなりの高さがあるだけに二人共飛び降りるのに躊躇している。

「早くしろ!階段の柱がやられちまっている!そこの足元が崩れるのも時間の問題だぞ!あんたが飛び降りなけりゃ妹分だって助からないんだ!」

 必死の形相で江川が夕菊に訴え、手を伸ばす。

「おら、そっちのガキ!とっとと飛び降りやがれ!おめぇがちんたらしているから姉分達が逃げ遅れたんだろうがよ!」

 子猫のように恐る恐る下を見ている夢菊に、垣崎が苛立ち紛れに怒鳴りつける。そんな決めつけたような垣崎の物言いに、夢菊が少々たれ気味の眦を釣り上げる。

「そんなこと無いもん!何も知らないおじさんのくせして!」

 逃げ遅れたのが自分の所為だと言われたのがよっぽど悔しかったのか、夢菊は垣崎の顔を目がけて飛び降りた。

「おっと、危ねぇ!」

 自分の顔目がけて飛び降りてきた夢菊の脚を抱えるように抱きとめると、垣崎はそのまま夢菊を肩に担ぐ。

「ちょっと!お尻触らないでよ!すけべっ!」

 夢菊の小柄な身体を担ぎあげた際、垣崎の手が夢菊の腰に触れてしまったらしい。夢菊は脚をばたつかせながら垣崎の肩の上で暴れ始めた。

「大人しくしやがれ、このガキ!おめぇの貧相なケツなんざ興味ねぇよ!おい、江川!そっちはどうだ?」

 垣崎は夢菊の脚を無理やり押さえつけると、江川の方を確認する。すると丁度その時、階段の上からまるで天女の如くふわり、と夕菊が江川の胸許に飛び降りてきた。その優雅さに垣崎は思わず口笛を吹く。

「さすが岩亀楼の花魁ともなると飛び降り方も色気があるぜ・・・おい、江川!他に逃げ遅れた奴はいるか?」

 垣崎の言葉に江川は首を横に振り、夕菊は哀しげに目を伏せた。

「殆どが三階に取り残されました。上の階で生きている者はいないでしょう」

 江川の報告に垣崎は唇を噛み締め、覚悟を決めたように頷く。

「判った・・・・・・江川!取り敢えずここから逃げるぞ!駿次郎先輩、そっちは大丈夫ですか!」

「ああ。意識は失っているが生きている!」

 作間は両腕で白萩を抱えたまま垣崎に答えた。この炎の中、生き残っているのはこの六人だけだろう。

「急ぎましょう!ここも間もなく焼け落ちる!」

 垣崎の言葉に作間と江川は頷き、激しさを増す炎の中を勝手口に向かって走りだした。





UP DATE 2017.10.18

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炎は容赦なく遊女たちにも襲いかかっておりました(>_<)既に数人の遊女は亡くなっているようですし、白萩達が避難する際も火だるまになってしまった遊女が(´;ω;`)更に白萩も踏み込んだ階段が崩れ、火の中に落ちてしまうという・・・危機一髪、作間が助けてくれなければ間違いなく彼女も死んでいたでしょう。それほどまでに当時の火事は恐ろしいものでした(>_<)
(昔は『地震→雷→火事→親父の順番で恐ろしいものとされていましたからねぇ(-_-;)一度火が出てしまうと多くのものが焼き尽くされてしまいました。

そんなトラブルがありつつも辛うじて生きている6人ですが、果たして無事燃え盛る岩亀楼から脱出することができるのでしょうか?次回をお待ちくださいませ(#^.^#)
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