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「vague~道場主・作間駿次郎顛末記」
港崎遊郭連続誘拐事件

vague~豚屋火事・其の参

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 慶応二年十月二十日早朝、後に『豚屋火事』と呼ばれることになる大火は港崎遊郭だけに留まらず、その勢力をさらに風下へと拡大していった。そして日本人街、外国人居留地の区別なく全てを飲み込んでゆく。

 この火事に遭遇した英国人・ミットフォードは『日本人街は少なくとも一時間で灰燼に帰し――――――(中略)――――――200ヤードも風に乗って、飽くこともなく貪欲に次の餌食に飛びかかろうとするかのように見えた』と記録している。
 また居留地に燃え広がった炎の前には、耐火構造の石造りの倉庫でさえ災禍を免れることは出来なかった。幸い午後になってから風が弱まったから良かったものの、風力が衰えなければ外国人居留地全てが焼き尽くされた可能性があっただろうとミットフォードは伝えている。
 勿論居留地の外国人達もただ逃げていた訳ではない。英国艦隊の水兵や山手の駐屯軍が出動し、最新鋭の蒸気ポンプを使用して消火に当たった。だが、石造りの建物が主を占める母国で生まれ育った兵士達である。『蝋燭の火の中に綿花薬を通す時のように』と形容された足の早い火災の前では為す術が無い。
 中には消火活動を諦め、どこからくすねてきたのか酒を飲み、真面目に消火活動に当たっている者達をからかったりする兵士も出てきた。後にアーネスト・サトウが著作の中でその事を苦々しく記述している。
 石造りの建物が軒を連ねる居留地でこの被害である。日本人街、特に火元から距離が近く、四方を高い壁と堀で囲まれている港崎遊郭の惨状は目を覆うばかりであった。

「な、何だあれは!」

マックウィルの捕縛を終え、火事に気が付いたアーネストが港崎遊郭に到着した時、そこままさに地獄の光景と化していた。
 唯一の出入り口である大門には将棋倒しになった人々が山積みになっており、その上を避難するものが踏みつけていく。作間達が到着した時には渡ることが出来た堀に渡された橋にも人が溢れかえり、歩くことさえままならない。更に火消によって壊された塀を乗り越えて出てきた娼妓達は、堀に飛び込み泳いで避難しようとするが、対岸に辿り着く前に力尽きてしまう。
 忌まわしい火炎は土堤道沿いの家々に沿って突進し、まだ燃え広がっていない場所に場所にどんどん広がっていた。

「まずいな・・・・・・居留地の方に燃え広がっているじゃないか」

 英吉利公使館の方を見つめつつアーネストが呟いた、その時である。不意に激しい閃光と共に今までにない程巨大な火柱が立ったのだ。それは油商人の家に火が燃え移り、商品である油が一気に燃え上がって出来た火柱だった。火柱は瞬時にして周囲の商家十数件を巻き込み、炎の竜巻と化す。
 このままでは間違いなく英吉利公使館やアーネストの自宅も炎に包まれるだろう。その中には二年がかりで友人の石橋政方と編纂している英和辞書の原稿がある。それだけは絶対に燃やしてはならない。

「このままでは原稿が燃えてしまう――――――急がないと!」

 アーネストは踵を返し、英和辞書の原稿が置いてある自宅へと走りだした。



 作間が巨大な炎の竜巻を目撃したのは、白萩を抱えたまま通用門をくぐった時だった。その巨大さに一瞬逃げられないと観念した作間だったが、落ち着いて観察すると意外と遠くで燃えている事に気がつく。

「駿次郎先輩、とにかく橋を渡っちまいましょう。この橋もいつまで持つか解ったもんじゃねぇ」

 呆然と炎の竜巻を見つめる作間を、垣崎が早くしろと促した。港崎遊郭の主でもある岩槻屋佐吉の特権で、通用門から向こう岸にかけてある橋にも火の粉が舞い落ち、あちらこちらくすぶり始めている。どこからか飛び火して橋が燃えてしまうのも時間の問題だろう。
 作間達六人は振りかかる火の粉を払い落としながら小さな橋を渡りきり、火事を避けながら先に逃げていた佐吉や娼妓達のいる空き地へと向かった。

「うわっ、ひでぇなこりゃ!」

 岩亀楼の者達が待っていた空き地を見た瞬間、垣崎は素っ頓狂な声を上げる。そこには岩亀楼の者達だけでなく他所からも避難してきた者達が集まってきていた。
 その数、既に二、三百人くらいに膨れ上がっているだろうか。それだけでなく着の身着のまま、または家財を背負って逃げてきた者などがどんどん空き地へと集まってくる。この場所が許容量を超えるのは時間の問題だろう。そんな空き地を見回して垣崎が江川に声をかけた。

「江川、ちょっと奉行所までひとっ走り行ってきてくれ。せめて怪我人くらいは医者に診せられる場所に運びたい」

 逃げる際に受けたものなのだろう、火傷や出血を伴う怪我をしているものがかなり多かった。だが見渡す限り、この場所には怪我人を手当している医者らしい者は一人もいない。
奉行所に行けば医者か、または怪我の手当ての心得がある者が絶対いる筈―――垣崎はそう判断したのだ。

「承知!ついでに他の場所の被害状況も聞いてきます!」

 垣崎の指示に江川は大きく頷き、すぐさまその場を離れる。その後姿を見つつ垣崎は懐から何かを取り出し、白萩を抱きかかえたまま地べたに座り込んでいる作間に渡した。

「駿次郎先輩、刀傷用の塗り油ですが花魁の顔の火傷にどうぞ。無いよりはマシでしょう・・・・・・尤もその傷じゃこれから見世に上がるのは難しいでしょうけど」

 垣崎が差し出したもの、それは掌にすっぽりと収まるくらい小さな蛤の薬入れだった。仕事柄、怪我をすることも多い奉行所の役人は応急処置用として蝦蟇の油などを持ち歩く。これもその類だろう。

「すまん。恩に着る」

 作間は垣崎から蛤の薬入れを受け取ると、懐から懐紙を取り出して塗り油をまんべんなく塗る。そしてできるだけ傷に障らぬよう、火傷を負っている白萩の頬にそっと貼りつけた。

「うっ・・・・・・!」

 作間が傷薬を貼りつけた瞬間、気を失っていた白萩が呻き微かに瞼を動かす。そしてそのままゆっくりと瞼を開いた。だが焦点は合っておらず、ただぼんやりと宙を見つめている。

「白萩、俺だ。判るか?」

 色んな事が起こりすぎて混乱しているのだろう。まだぼんやりしている白萩に対し、作間は優しく囁いた。その声を聞いた瞬間、白萩の瞳に生気が戻る。

「作間、さま?」

 まさか炎の海に投げ出された自分が生きて岩亀楼を脱出できるとは思っていなかったのだろう。信じられぬものを見るかのように、白萩は作間の顔をじっと見つめる。

「ここは――――――極楽浄土ではございませぬよね?」

 吹き付ける熱風、流れてくる煙と臭気、そして焼けるような頬の激痛を認識しながらも、自分を抱きしめてくれている作間の体温が信じられず、白萩は聞かずにはいられなかった。

「残念ながら灼熱の生き地獄と化しちまっているな」

 白萩の問いかけに作間は苦笑いを浮かべる。

「でも、生きていて良かった・・・・・・焼け落ちた階段から落ちてきたところをかろうじて受け止める事ができたんだ。それより頬の火傷は痛むか?今薬を貼り付けたんだが、あまり滲みるようだったら剥がすが」

 心配そうに尋ねる作間に、白萩は微笑みを浮かべながら首を横に振った。

「だけど、喉が乾いて・・・・・・」

「そうか。一寸待っていてくれ――――――伊織!さすがにここに飲水は無いよな?近場の井戸は何処にある?」

 作間としては本当は白萩に生水を飲ませたく無かったが、この状況では仕方がない。井戸も焼き尽くされているだろうが、取り敢えず垣崎に聞いてみる。だが垣崎からは作間の予想とはだいぶ違う返事が返ってきた。

「井戸まで出向く必要はありませんよ。他にも水を求めている奴がいたんでしょうね。俺の部下があっちで水を配っています」

 垣崎が指し示した先では垣崎の部下である木下と兼田が柄杓を手に水を配っている。垣崎はそのまま二人の近くまで走り、茶碗に一杯の水を貰ってきた。

 作間は垣崎から茶碗を受け取ると、白萩の口許に持ってゆく。

「飲めるか?」

 だが頬の火傷の影響か、白萩はなかなか上手く茶碗の水を飲むことが出来なかった。すると何を思ったのか作間が茶碗の水の半分を含み、白萩の唇に己の唇を重ねたのである。

「!!」

 白萩は驚き目を丸くするが、作間はそのまま口移しで白萩の口の中に水をゆっくりと流し入れた。
 ほんのりと甘さを感じるのは作間が含んだ水だからだろうか。口の中に流れ込んできた甘露を白萩はゆっくりと飲み下してゆく。

「・・・・・・少しは飲めたか?」

 いくら水を飲ませる為とはいえ、公衆の面前で口移しをされるとは――――――作間の真剣な問いかけに、白萩は耳まで真っ赤にして黙って頷いた。
 その仕草が少女のように愛らしく、作間は思わず火傷をしていない頬に手を差し伸べた、その時である。

「うっほん!」

 わざとらしい咳払いに作間も白萩もはっ、と我に返り咳払いの方に振り向くと、そこにはにやにやと意味深な笑みを浮かべた垣崎がいた。

「見せつけてくれるじゃないですか、駿次郎先輩。どうやら俺は邪魔みたいなんでちょいと部下達の手伝いをしてきます。もし手が空いたら・・・・・・って、野暮を言うのは止めておきましょうか」

 露骨すぎる垣崎のからかいに、今度は作間が顔を赤らめる。

「なっ、何を言いやがるっ!」

 垣崎に対し形ばかりの反論をするが、茹で蛸のように顔を赤らめ、骨抜き状態になっている作間に説得力は皆無であった。その為体をからかいつつ不意に垣崎が真剣な表情を浮かべる。

「まぁまぁそうムキにならずに、気が向いたら手伝いに来てください。どんどん人が流れ込んできやがって・・・・・・これじゃあ人手がいくらあっても足りやしねぇ」

 垣崎はさらに集まってくる避難民達を見つめながら低く呟く。既に空き地に集まってきた避難民は五、六百人――――――先程の倍にはなっているだろう。何時にない垣崎のその声音に、作間も真顔にならざるを得ない。

「解った。白萩を楼主達に預けたらそっちに行く」

 作間の返事に垣崎は『無理しちゃって』と捨て台詞を残し、部下達が水を配っている方へ向かっていった。




UP DATE 2017.10.25

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まず最初に一言、『豚屋火事』に於ける描写はほぼノンフィクションです(>_<)日本側の記録以上にイギリス軍やフランス軍の詳細な記録が残っておりまして・・・やってられねぇと酒を飲みだす兵士の気持ちも何となく解ってしまうほど燃え広がり方が早かったようです(>_<)
それにしても油商人の家からの巨大な火柱って(>_<)きっと江戸の街の火事などでもあったのでしょうが、なかなかこの手の情報って残っていませんよね(たぶん当たり前の光景だったでしょうから)外国人のレポートがあってこその今回の描写でした。
一方オリジナル部分としては(色気はないものの)一応キスシーンが(*´艸`*)本当に色っぽい展開になるにはまだまだ時間が掛かりそうですが、今回は状況が状況ですからねぇ(´・ω・`)作間と白萩の仲に関してはまだまだこれからです(#^.^#)

次回更新は11/1、火事の事後処理に入ります(๑•̀ㅂ•́)و✧
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