「vague~道場主・作間駿次郎顛末記」
港崎遊郭連続誘拐事件の章

vague~身請交渉と鬼畜役人・其の貳

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 岩槻屋佐吉が提示した破格の身請料、その安さに頷きそうになった作間を止めたのは他ならぬ垣崎伊織だった。
 垣崎は厳しい表情のまま佐吉に近づき、その胸座をぐいっ、と掴む。

「か、垣崎様!い、一体何を・・・・・・お、おやめくださいませ!」

 突然の垣崎の豹変ぶりに佐吉は慌てて手足をばたつかせるが、作間ほどでないにしてもかなり上背のある垣崎相手では抵抗もままならない。

「幾ら駿次郎先輩が遊び慣れしていない堅物だからって、いけしゃあしゃあとふざけたことを言いやがって!先輩ならいざ知らず、俺を騙せるとでも思っているのか!」

 垣崎の怒声に佐吉はガクガクと震え、ふるふると首を横に振る。

「い、いえ、そんな滅相も・・・・・・お、お許しくださいませ!」

 佐吉は必死に懇願するが、垣崎は全く手を緩めない。怯える佐吉の鼻先に己の顔を近づけると、さらに凄みをきかせる。

「二百両っていう身請金はよ、きちんとした身請祝いをてめぇの妓楼で開ける奴が請求するもんだ。火事で焼け出された楼主が請求できる代物じゃねぇんだよ!」

 その瞬間、さらに垣崎は佐吉の胸座を強く締めあげた。

「お、おい垣崎、あまり手荒なことは」

 さすがに見るに見かねた作間が垣崎を止めに入る。しかし垣崎は作間を一瞥し、ぼそり、と一言呟いた。

「駿次郎先輩、例の条件」

 その一言に、作間は何も言えなくなる。白萩の身請金を借りるにあたって垣崎が付けた条件――――――身請交渉は垣崎に一任すると作間は約束してしまったのは作間自身だ。しかも頭まで下げて・・・・・・。
 垣崎の一言に引き下がってしまった作間を、佐吉は悲しそうな視線で見つめた。垣崎が『先輩』と呼んでいる作間がこれである。もう佐吉を助けられるものは誰もいない。
 案の定見世の者達も心配そうに佐吉を見つめているが、誰も止めに入ろうとはしなかった。というか出来ないといったほうが正しいだろう。それを良い事に垣崎はさらに佐吉を責め立てる。

「宴が開けないって事になれば、借金だけ返済すりゃあいい親元身請に決っている。一体白萩の借金は全部で幾らなんだ?」

「あ、あの、その、さ、三十両で・・・・・・」

 低く問いただす垣崎の声に、佐吉は嘘を吐くという手も忘れ、ありのまま正直に告白してしまう。

「そうか。で、白萩は今年で何年目だ?」

「こ、ここが出来た時からいる娘ですので、七年・・・・・・」

 その瞬間、垣崎の目がぎらり、と光った。

「毎日客が付くわけじゃねぇだろうから、ひと月二十日働くとしよう。閏月は勘弁してやって十二ヶ月、そして七年間――――――一晩十両は稼ぐとして一万六千八百両は少なくとも稼いでいる、って事になる」

 澱むことなく垣崎の口から出てくる金勘定に佐吉は目を丸くする。そんな佐吉の驚きを他所に垣崎は更に問いただす。

「諸々の経費に楼主の取り分を鑑みたって、三十両くらいとっくの昔に返し終わっている筈だよな?」

「は、はいっ!」

 脅迫まがいの垣崎の言葉に、佐吉はただひたすら首を縦に振った。だが垣崎の脅しはこれだけでは無かった。

「そういやこの大火事、おめぇさんの二階回しが一枚噛んでいた誘拐犯の一人がつけ火しているんだよなぁ。この事が他の楼主にバレたら、さてどうなるか・・・・・・面白いことになると思わねぇか?」

 垣崎は意味深な笑みを浮かべる。『鬼垣』に歯向かったらどんな目に遭わされるか判らない――――――妓楼仲間が以前言った言葉を佐吉は思い出した。
 娼妓一人を買い叩かれるならともかく、港崎遊郭での信用まで失いかねない事態に佐吉は観念せざるを得ない。

「か、勘弁して下さい垣崎様!し、白萩はさ、差し上げますのでどうか・・・・・・どうかそのことだけは!」

 佐吉は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら垣崎に懇願した。

「ふん、最初っからそう言っていればいいものを」

 垣崎は佐吉の胸座を掴んでいた手を離すと、懐から懐紙と矢立を出し、さらさらと何かを書きつける。そしてそれを地べたにへたり込んでしまった佐吉に渡した。

「こ、これは!」

 その文面を見て佐吉は驚愕する。そこには『火事見舞いとして二百両  垣崎伊織』と書かれてあった。

「今は持ち合わせがねぇが、後日紅葉坂の俺の屋敷に取りに来い。解ったな!」

紙面を見つめ、唖然とする佐吉にそれだけ告げると、垣崎は作間に向き直る。

「・・・・・・という訳で身請金は無しだということです。勿論、火事見舞いの請求を先輩にしたりしませんからご安心を」

 童顔に満面の笑みを浮かべる垣崎に、作間は開いた口が塞がらない。とどのつまり金の名目が変わっただけで、垣崎が白萩の身請金を肩代わりしたという事ではないか。

「し、しかしそれじゃあ幾らなんでも」

 さすがに二百両という大金を『はい、そうですか』と肩代わりさせる事は出来ない。作間は何年かかっても返済すると言いかけたが、それを止めたのは他でもない垣崎だった。

「奉行所としては妓楼に恩を売っておいて損は無いんです。まぁ一年しないうちにあの金は倍になって返ってくるでしょうね」

 火事の片付けが一段落したら岩亀楼を始めとする妓楼も商売を再会するだろう。その際の付け届けはかなりの金額になるはずだ。
 今の内に恩を売っておくことで垣崎にも利益が回ってくる――――――そこまで見越して垣崎はあえて自分の名前で二百両を佐吉に渡したのである。

「本当にお前に関わるとろくな事が無い」

 作間は苦笑いを浮かべつつ、ぽん、と垣崎の肩に手を載せた。

「ありがとう伊織・・・・・・感謝する」

 そんな作間の言葉に対して垣崎も照れくさそうに言葉を返す。

「・・・・・・居留地に単身先輩を行かせた礼としては安いもんですよ」

 互いが互いを助けながらこれまでやってきた。それはこれからも続くだろう。作間と垣崎は互いの顔を見つめ、どちらからともなく笑い出した。



 部屋に響く苦しげな呻き声と漂う血の臭いと焦げ臭さ、そして自分の手を握る優しい温もりに気が付き、白萩は目を覚ました。

「ここ、は?」

 妓楼の格天井とは明らかに違う質素な竿縁天井に白萩は面食らうが、頬の痛みと共に徐々に昨日のことを思い出す。

「そう、か・・・・・・奉行所に来て手当てを受けたんだっけ」

 幸いにも奉行所まで辿りつけた怪我人は、奉行所付の蘭方医や三年前に開設されたばかりのヘボン塾で学ぶ医者の卵達の治療を受けることができた。
 普段は極めて仲が悪い両者だが、この時ばかりは協力せざるを得なかったらしい。『普段から仲良くやってくれりゃあ奉行所も苦労しないのに』と垣崎ら奉行所の役人がぼやいていたのを思い出す。
 そして治療を受けた患者達は、そのまま奉行所の各部屋で雑魚寝をしている状態だった。怪我人の苦しげな呻き声には閉口したが、冬の寒空を防げるだけありがたいと思わなくてはならないだろう。
 では自分の手を握っているのは誰なのか?白萩はゆっくりと首を動かす。

「作間・・・・・・さま?」

 そこには胡座をかいたまま、うつらうつらと船を漕いでいる作間がいた。どうやら白萩の看病をしている内に寝入ってしまったらしい。それでもしっかりと白萩の手を握っていてくれる事に白萩は嬉しさを感じずにはいられない。

(願わくば、ずっとこのまま)

 将来(さき)の見えない不安の中、確かなものはこの手の温もりだけである。剣だこのある大きな手に愛おしさを覚え、白萩がそっと手を握り返したその時である。
 作間の瞼が微かに動き、ゆっくりと目が開かれたのだ。そしてじっと白萩の顔を見て笑顔を見せる。

「白萩、起きていたのか?」

 周囲の者を起こさぬよう小さな声で作間は白萩に尋ねた。その優しい囁きに白萩ははにかみながら首を横に振る。

「いいえ、丁度今、目を覚ましたところです。それよりも作間様こそあまり寝ていられないのでは?」

 白萩は上体を起こしながら作間に尋ねた。煙で全身煤けていたが、それでも隠せぬ濃い隈が作間の眼の下にできている。さらに目も充血しかなり辛そうだ。さすがに心配になり、白萩は作間の顔を覗き込む。

「ははは、確かに丸二日、捕物やら火事やらで殆ど寝てはいないんだが・・・・・・寝てしまう前にどうしてもお前に伝えておきたい事があって」

 少し言い淀んでから、作間は再び口を開いた。

「白萩。昨晩、お前を身請した」

「え?」

 身請、という言葉が信じられず、白萩は思わず作間に聞き返してしまう。だが作間は嫌な顔一つせず、むしろ嬉しげに懐から一枚の紙切れを取り出した。
 皺になったその表面には楼主・佐吉の几帳面な文字と、作間駿次郎の署名が連なっている。ちゃんとした紙でなく懐紙に書かれた仮のものではあったが、それは間違いなく白萩の身請証文だった。

「これが証拠だ」

 ともすると破れそうになる薄っぺらい身請証文を、作間は白萩の手に取らせる。

「まともな紙が無かったから今はこんな仮証文だが、近日中にきちんとしたものを作る事になっている」

「うそ・・・・・・こんな事って・・・・・・!」

 震える手で白萩はその証文を作間から受取った。薄く、頼りない一枚の紙切れだが、その存在はあまりにも重い。想像することさえ躊躇っていた身請という事実に、白萩は身請証文を手にしたままポロポロと涙を流し始める。

「本当に・・・・・・夢じゃないんですね?私、作間様の許に・・・・・・行くことができるんですね?」

 嬉し涙に濡れた顔に満面の笑みを浮かべ、白萩は念を押す。

「ああ。勿論だ。だけど」

 作間は白萩の涙を人差し指で拭ってやりながら、ふと思い出したように困ったような表情を浮かべた。

「二つほど聞きたいことがあるんだ。まず一つ目なんだが・・・・・・我が家にはかなり厄介な年寄りが一人いるし、借金を抱えた貧乏道場だ。岩亀楼での生活ほど贅沢はさせてやれないが、それでも構わないか?」

 恐る恐る尋ねる作間に、白萩は即座に返事をする。

「勿論です!」

 白萩の力強い返事にほっとした表情を浮かべた。だが、もう一つの質問をなかなか口にしようとはしない。何故か照れくさそうに頭を掻きながら白萩の顔色を伺っている。

「あの、作間様?もう一つの質問、って?」

 業を煮やした白萩が水を向ける。その誘い水に覚悟を決めたのか、作間はようやくもう一つの質問を口にした。

「あと、その・・・・・・え~っと、本名を・・・・・・親が付けてくれた名前を教えてくれないか?」

 さすがに家に連れて行くのに源氏名だけしか知らないのでは話にならない。照れくさそうに白萩の本名を尋ねる作間に、白萩も頬を染めた。

「信乃、と申します」

 上目遣いに作間を見つめながら白萩――――――否、信乃は自分の名前を作間に告げる。

「信乃・・・・・・良い名前だ」

 作間は熱っぽく呟くと信乃の顎に軽く手をやり、小さな顔を上向かせる。長い夜がようやく明けたのか、部屋の障子を黎明の光が染めてゆく。その柔らかな光の中、二人はどちらからともなく唇を近づけ、そっと重ねた。
 どんなに美しい夢でもいつかは覚める。だがその夢より素晴らしい現(うつつ)があるのもまた事実である。『岩亀楼の白萩』という夢は二度と見ることは無い。だが作間の腕の中には信乃という、それ以上の現実があるのだ。
 外からは足音が聞こえてくる。そろそろ皆が起きだす頃だろう。だが、まる二日寝ていない作間の体力は限界を迎えていた。そして最後にもう一度『白萩』という名の夢の残滓を感じるのも悪くはない。
 黎明の光が広がりゆく中、作間は信乃を抱きしめたまま横になる。そして信乃の温もりを感じながら幸せな眠りに落ちていった。




UP DATE 2017.11.8

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色々な出来事&紆余曲折を経ながらもようやく作間は白萩(信乃)を迎えることが出来ました(*´艸`*)その影には頼りになる後輩の脅し、もとい手伝いがありましたが・・・身請料を実質タダにされてしまった佐吉の立場ってwww
一応垣崎の方から『見舞金』という形で200両出されておりますが、それも本来は恩義を売りつけるものでもありませんし・・・そしてちゃっかりリターンも計算しているところが垣崎の垣崎たる所以でしょう(๑•̀ㅂ•́)و✧元々ソロバンの腕を見込まれて神奈川奉行所への配属になったのですから(^_^;)(金融担当と折り合いが悪くて奉行所の仕事は別担当ですが、金勘定が絡んだ算術は剣術より得意www)
兎にも角にも垣崎のお陰で無事見受けが出来ましたが、作間と信乃の前にはまだまだ困難が立ちはだかっております。そもそも身分が違いますから正式な結婚はできませんし、作間の家には僻みっぽいBBAがのさばっておりますから(^_^;)その辺をどう解決してゆくのか、ゆるゆると生暖かい目で見守っていただければと思いますm(_ _)m

次回更新は11/15か11/22、通院の関係でどちらになるか判りませんが作間が家族に信乃を紹介することになりそうです(*^_^*)
(感覚的には幕間的な話になるかと・・・大きい事件と日常の些細な出来事、交互に書けていけたらな~と目論んでおります。なおストックは今回で切らしましたので、次回から更新時間は遅くなります/(^o^)\)
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