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「葵と杏葉」
葵と杏葉・世嗣編

葵と杏葉世嗣編 第十話 御通抜け・其の壹

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 年が明けて文政九年、新年早々待ち受けていたのは江戸城への御礼登城である。普段の登城とは訳が違い、江戸にいる全ての大名・旗本、さらには大名の嫡子に御用達町人に至るまで江戸城に押し寄せるのだ。
 元旦の徳川一門および譜代大名の登城こそ佐賀藩には関係ないが、二日の外様大名の御礼登城には藩主斉直が、三日の大名嫡子の御礼登城には斉正が出席せねばならず、何かと慌ただしい。

「国子殿、おかしな所は無いですか。」

 未だ夜の事は無く、『真の夫婦』とは言えなくても二人は正式な夫婦である。俗に言う『姫始め』の夜を御住居内で過ごした斉正は――――――もちろんかぞえで十三歳の子供が何か出来る訳もなく、布団を並べて眠っているだけだが――――――朝の着替え終わった後、着付けでおかしな所はないかと盛姫に尋ねる。
 本来着物の点検は小姓や側役の仕事なのだが、少しでも三歳年上の妻にかまって貰いたいのか、何かと斉正は盛姫を頼ってくるのだ。

「大丈夫じゃ・・・・・・少なくとも見目はな」

 そんな良人を嫌がりもせず、盛姫は事細かに着物の点検をする。その姿は夫婦と言うより姉弟か母子と言った方がしっくり来るかもしれない。よそよそしさではないのだが、夫婦間に漂う濃密な空気感というものが全くないのだ。こればかりは斉正が本当の意味での『成人男性』になるまで待たねばならない。

「たぶん去年と変わらぬと思うが、何せ婚礼を済ませてから初の御礼登城じゃ。すでに三日目で父上も疲れておるじゃろうからお声掛かりはないと思うが、ゆめ油断せぬようにな、貞丸」

 御留柄の麻裃に五位以上にしか許されない白い襟が目に眩しい。それに対して盛姫は三が日であるにも拘わらず、普段使いの木綿の綿入れ小袖を身につけていた。宝尽くしの江戸小紋とはいえ、本来ならば許される事ではない。あくまでも黒門内、しかも来客等がいない時限定の平服である。
 これは古賀穀堂から教わった上杉鷹山の倹約法を真似たものであるが、江戸城でもそのじゃじゃ馬振りから木綿の着物を着せられていた盛姫にとって、この着物はそれほど苦ではない。むしろ洗いざらしの清潔感が心地よく、自ら好んで身につけている程である。

「では行ってきます。登城から帰ってきて父上、母上への挨拶が終わりましたらまたこちらに参りますので」

 良人でありながらつい敬語を使ってしまうのは、三歳の年の差と意識はしていないものの身分の所為だろうか。肉体の関係こそ無いものの、一歩一歩着実に互いの理解を深め、夫婦になろうと努力している二人であるが、その二人に思わぬ邪魔が入る事になるとはこの時露ほども思わなかった。



 それは松の内が明けた正月八日の事である。斉正は突如父、斉直から黒門への出入りを禁じられてしまったのだ。

「斉正、今しばらく黒門への出入りを禁止する。そなたはまだまだ勉強が必要な身、こう妻の元へ入り浸っていたら藩主として必要な学問もおろそかになるであろう」

 正室の他十人の側室を持ち、四十六人もの子供がいる斉直が言うにはあまりにも説得力の無い言葉であるが、勿論これは単なる言いがかりでしかなかった。
 教育係の古賀穀堂はその父・精里が昌平坂の儒官だったという縁から黒門内にも出入り自由であったし、肝心の勉学の方も父親や他の用人等に邪魔される藩邸表屋敷よりも黒門内の御住居の方が遙かに進む。御住居では今まで父親やその取り巻きに遠慮して学ぶことが出来なかった蘭学も学ぶ事ができるのだ。
 斉正にとって黒門の内部というのは父親の権力が及ばない、しかも優しい年上の妻が自分を守ってくれるという、まさに『極楽』そのものなのである。家中では絶対的な権力の持ち主である斉直も『葵の御紋』には平伏せざるを得ない。だが、それを快く思わないのが斉直とその取り巻き――――――側役・有田権之丞と納富十右衛門であった。
 黒門内に自由に入る事が出来るのは良人である斉正及びその従者、婚儀を司った請役の茂義、そして教育係の古賀穀堂のみである。特別な許可が無い限り、藩主斉直といえども勝手に黒門の中に入る事は出来ないのだ。
 ただ、これはあくまでも物事にこだわらない盛姫だから許されている特例であり、本来は良人であっても女主人の許可が無ければ門の中に一歩たりとも脚を踏み入れることは出来ないのだが・・・・・・。
 今まで藩主に取り入り甘い汁を吸ってきたのに、徳川から入ってきた姫は、というより周囲の女官達は警戒して藩主やその側役を近づけようとしない。また、噂によると黒門内では上杉鷹山の教えを実戦して質素倹約に励んでいると言うではないか。そんな姫に若君が洗脳されては将来の自分達の立場が危うくなってしまう。
 さすがに斉直は『夜離れ』を命じたことが幕府にばれた時を考え渋っていたが、有田権之丞と納富十右衛門はあること無いこと斉直に吹き込み、とうとう斉正を黒門から引き離す第一手を打つことに成功したのである。

「・・・・・・はい」

 父の傍らでにやにやと笑っている有田と納富に対し、言いたいことは山ほどあったが、藩主である父の言葉は絶対である。斉正はここで騒ぎは起こせぬと渋々頭を下げる事しか出来なかった。




「茂義~ぃ!」

 父、斉直の前から下がった斉正は、半べそを掻きながら茂義に泣きついた。

「どうした、斉正。十三にもなってぴぃぴぃ泣いていたら『国子殿』に馬鹿にされるぞ」

 年が明けて十三歳になっても未だ『貞丸』の尻尾は健在である。茂義は半ば呆れながら斉正の頭をぽんぽんと軽く叩いた。

「その国子殿にあってはならぬと・・・・・父上が・・・・・・」

 茂義に慰めて貰いながらもなかなか止まらぬ涙をぬぐいながら斉正は父・斉直の命令を茂義に伝える。

「はぁ?徳川の姫をおしつけられ・・・・・・じゃねぇ貰っておいて通うなだと?」

 そんな事が許される筈はない。まさかと思い、藩主に直談判に言った茂義だったが、その返事は斉正の言った通りであった。

「あの腰巾着どもが~!」

 怒り心頭のまま斉正の前に帰ってきた茂義を、斉正は不安げに見つめる。

「自分達の利権ばかり貪りやがって!これからの家中の事なんかちっとも考えてやしねぇ!」

 烈火の如く起こりまくる茂義に対し、斉正は自分なりの答えを恐る恐る提案した。

「やはり私が勉学に励まなくてはならぬのだろうか。それで父上が納得して下さるのなら・・・・・・」

「それ以上励むんなら武術の鍛錬をしろ!この前だって鬼風吹に薙刀で負けただろうが!」

 しかし、この茂義の言葉に珍しく斉正は反論する。

「それは茂義だって同じだろう。竹刀で勝てると言いながらこてんぱんに叩きのめされたではないか」

「黙れ!俺は手を抜いていたんだ!女子相手に本気が出せるか!」

 実のところ本気を出して負けてしまったのだが、さすがにそれは斉正に言えなかった。そもそも普通の刀と長刀とでは薙刀の方が遙かに武器として有利だ。しかも風吹はいざとなったら盛姫の護衛をしなければならない身である。下手な道場主より優れた腕がなければ姫君の護衛は務まらない。斉正も茂義もその実力を軽く見ていて酷い目にあったのである。

「それはさておき、とりあえずこの事を黒門と相談しないと・・・・・・」

 嫌な話をさっさと忘れ、茂義は本題に話を引き戻す。

「大丈夫なのか?私付きの従者も出入りを禁止されているのだぞ?」

 斉正の言葉を聞き、茂義は眉間に皺を寄せ、腕組みをし、険しい表情を浮かべながら一つの方法を提示した。

「・・・・・・搦め手でいくか。今夜遅く、俺一人で直接黒門に行ってくる。いいか、この事は誰にも言うなよ。ばれてしまえば二度とこの方法は使えなくなる」

 茂義がどんな方法で黒門の中に入り込むのか――――――具体的な方法は一切言わなかったが、ここは茂義に頼るしかない。斉正はただ一つ、大きく頷いた。




「畜生!有田と納富の所為でこんな目に遭わねばならないとは」

 春の気配などちっとも感じられぬ真夜中の寒空の中、茂義は供も連れず御住居の通用門へと向っていた。藩邸内からも廊下で繋がっているのだが、何せ藩主の取り巻き達の目線がある。できるだけそれらにばれないように行動しなくてはならない。

「請役殿、こんな時間に何のご用でしょうか?」

 こちら側、すなわち佐賀藩側から通用門を守る門番が、不審げに茂義に問いただす。

「無粋だな、女の所だよ。こんな寒空の中、膝を抱えて独り寝をしろって言うのか?」

「黒門内にそのような方が?」

 この者達も有田や納富に何か吹き込まれているのであろうか。茂義は僅かに眼を細めながら話を続ける。

「ああ、何ならあちらさんに聞いてみても構わない。風吹、って名前の女官だ」

 その名前を聞いた途端、二人の門番は妙な含み笑いを浮かべたのだ。

(こいつらもあの噂を知っているのか・・・・・・)

 噂というものは広がりやすいものである。たぶん女官の一人がぽろり、とこぼしたのかもしれない。

「その笑い方は何だ?おおかた黒門のおしゃべりな女房あたりがあること無いこと・・・・・・」

「いえ、小城の藩主様が・・・・・・」

 そこまで告げた途端、二人は堪えきれず大声で笑い出してしまった。

「捨若か!あのくそたわけが!」

 親友という事で気を許したのがまずかった。『瓦版』と揶揄される直堯の事である。あること無いこと吹聴し、すでに藩邸内の家臣には茂義と風吹の件が『肝心なこと』だけを隠されたまま広まっていると思われる。

「佐賀の男の名誉がかかっております。頑張って下さいませ」

 噂の内容は気にくわないが、とりあえず疑われずに御住居に入る事は出来る。茂義は複雑な笑みを浮かべながら通用門をくぐり抜けた。




「何をしにきた、下手くそ」

 寒空の中、やっとの事で到着した茂義に対し、開口一番風吹は毒を吐く。

「せめて”剣術下手”と言ってくれ。でないと妙な噂が・・・・・・」

 どうも風吹に対しては調子が出ない。いつもの威勢の良さはどこへやら茂義は嘆願する。

「噂ではないでしょう。何事においても請役殿は詰めが甘いのです」

 そう言われては何も言い返せない。仕方なくその件はそのままにして肝心の本題へと話を進める。

「藩主から若君に、黒門への出入り禁止が言い渡された」

 さすがにこれに関しては驚くだろうと内心ほくそ笑んでいた茂義であるが、風吹は思った以上に無反応であった。

「それはそうでしょうね。女子の月役の日まで入り浸っていれば、さすがに藩主も止めるに決まっております」

 月役――――――そんな言葉がまさか出てくるとは思わなかった茂義は気の毒なほど狼狽える。男兄弟の中で育ち、未だ妻も側室ももたない茂義にとって『女子の秘め事』の話は刺激が強すぎた。

「そ・・・・・・そ、それはともかく」

 茂義は思いつかなかったが、改めて考えてみれば確かにそうであった。婚儀の後丸々ひと月、『子供が遊びに行っている』感覚でいたが、二人はかりそめとは言え夫婦なのである。忌み日に通うのはもってのほかである。その他にも先祖の命日などは『夫婦事』控えるものであり、ひと月とはいえ通い続けるのは確かに問題だ。だが、それと出入り禁止は話が違う。

「勉学を理由に黒門への出入りをしばらく禁止された。姫君にその旨を伝えて欲しいのと・・・・・・」

「どうやったら出入り禁止を解くことが出来るか、ですね」

 可愛げは無いものの、打てば響く受け答えは茂義にとってありがたい。だが、目の前にいるこの女子は茂義の思惑を超えた答えを叩き付けるのである。そして次の瞬間茂義の頭を思いっきり殴るような過激な発言が風吹から飛び出した。

「簡単なこと。上様に一言戴けばよろしいではありませぬか」



 一瞬、沈黙が支配する。

「上様・・・・・・って大樹公か!」

 大樹公とは将軍の事である。風吹はこの問題を将軍の力を使って解決しようと言い出したのだ。

「他に誰がいるというのですか?まさか佐賀の藩主如きに対して私が上様と言うとでも」

 しれっと言う風吹に対し、茂義はわなわなと震える。

「おい、判っているのか!ここは大奥とは違うんだぞ!」

 大藩の藩主でも一生の内数度声を聞くことが出来れば御の字の相手である。それをあっさりと言うではないか。

「ですから藩主に入れ知恵した腰巾着の腹の一つや二つ、斬らねばりませぬがそれでも構いませぬか?」

 確かに娘を邪険に扱い、良人である若君と逢わせないとなれば切腹どころの騒ぎでは無くなる。否、むしろ藩全体に罰を受ける可能性もあるのだ。

「・・・・・・というか、それだけで済むのか?腹の一つや二つで済むとはとうてい思えぬのだが」

「幸いなことに『御通抜け』がこれからでございます。藩主が国に帰る二月末までには行なわれるはずでしょう」

 『御通抜け』とは嫁いだ娘の様子を見る為に将軍自ら藩邸に出向く行事である。『御通抜け』とあるが、もちろんただ通り抜けるだけではなく、それなりの接待も必要とされる。

「ああ、確か二月の十日にあると聞いているが」

「その際に申し立てれば内々に済ませることが出来ますでしょう」

 『御成』に比べ私的な要素が高い『御通抜け』であれば将軍に失礼が無い限り何かを申し立てるには都合がいいと風吹は茂義に申告した。

「そうか。それならばきっと出入り禁止も解かれるに・・・・・・!」

 その時茂義はあることに気がついた。

「庭師の手配!それと金の工面!」

 冬場に荒れ果ててしまった庭をひと月かけて手直ししなければならない。

「藩邸の御庭と御住居の御庭。双方で百両はかかりますでしょうね」

 他人事のように告げる風吹が本物の鬼に見える。どちらにしろ必要になる経費とは言えこの出費は極めて痛い。斉正には泣くなと言った茂義だったが、心の底から泣き出したくなってしまったのは言うまでもない。



UP DATE 2009.8.19

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お盆休みを戴き、ようやく連載再開しました。そしていきなり斉直がお邪魔虫と化します(爆)。というよりは斉直派が動き出したと言っても良いのでしょうか。ネタバレになってしまいますのでまだ詳細は申し上げられないのですが、『改革』に関してかなり熾烈な駆け引きが斉直派と斉正派とであったみたいです。

次回は『御通抜け』用の庭造り風景が中心となります。(更新は27日の木曜日です。)



《参考文献》
◆大江戸の姫さま  関口すみ子著  角川選書 平成17年8月31日発行
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