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「葵と杏葉」
葵と杏葉・改革編

葵と杏葉改革編 第十七話 大御所供養と天保の改革・其の貳

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 季節は人の世と何ら関係無く一つ一つ確実に巡ってゆく。それはここ黒門においても同様で、庭に植えた彼岸桜が艶やかに咲き誇り本格的な春の到来を告げていた。
 そして季節が進むにつれ盛姫を中心とした写経も順調に進んでゆく。最初こそ家斉の死を忍んでしんみりとした雰囲気が漂っていた写経の場であったが、気候が春めいてくるにつれ世間話も始めるようになっていた。

「今年の御殿山もさぞかし美しいじゃろう・・・・・・諧子もきっと心を慰めてくれるに違いない」

 写経の筆を止め、咲き誇った彼岸桜を見上げながら、盛姫は災難の渦中に巻き込まれてしまった異母妹・溶姫を思い、呟いた。

「姫君様、お美代の方様がお墨付き捏造の咎で加賀預かりになるとは本当でございますか?」

 その呟きを聞いてしまった風吹が盛姫に訊ねた。それは家斉の死の直後に起こった事件で、お美代の方が西の丸派の実力者達と結託して溶姫の息子――――――すなわち自分の孫を将軍にせよというお墨付き(遺言状)を捏造したのである。

「残念ながら真の事じゃ。関係者の処分も父上様の喪が明け次第執り行われるそうじゃ」

 風吹の問いに盛姫は溜息混じりに応える。そして盛姫のその言葉を皮切りに、一斉にその場にいた女官達のお喋りが始まった。

「そうそう、この前大奥に行ったときに藤波殿に聞いたのですが、西の丸の実力者達が来月に罷免されるという話で大奥は持ちきりだとか・・・・・・どちらかと言えば水野を失脚させて欲しいとぼやいておりましたけど」

「お美代の方様の失脚は皆むしろ歓迎みたいですけどね。そりゃ何人もの御中臈や女官達がお美代の方様によって煮え湯を飲まされておりますから」

「特に広大院様の怒りは相当なものらしいですよ。何せ剃髪さえ許されなかったの事ですから・・・・・・」

「となりますと、あのお方のご実家、智泉院あたりもきな臭くなりそうですよね。あそこは代参で女官達が入り浸っておりますし」

 そんな噂話に大人達は花を咲かすが、その内容が全く判らない幼子達にとってこれほど面白くない状況は無い。

「ねぇ~母上様ぁ。折り紙しようよぉ~!つまんな~い!」

 今まで傍で責姫と貝あわせをしていた濱がそれに飽きてとうとうだだをこね出し、母親である風吹に縋り付いたのである。
 普段なら誰かしら責姫や濱の遊び相手になってくれるのだが、この日に限り半分は溶姫を誘い出すための花見の準備にかり出され、もう半分は写経に関わっていたため子供達を構っていられなかったのだ。

「責姫様だってつまらないって。ねぇ~ははうえさまぁ~」

 しつこく言い寄る濱を適当にあしらっていた風吹であったが、さすがに濱が膝に乗っかって筆を持つ手にしがみつきだした時、堪忍袋の緒が切れた。

「これ、濱!いい加減になさい!武士の娘がはしたない!」

 とうとう風吹の雷が落ちたのである。大の大人でさえ縮み上がる風吹の一喝に、濱は母親と遊ぶことを諦め、しゅんとして責姫の手を引いて部屋を出て行った。しかし、それにさえ大人達は気がつかず、濱は責姫の手を引いたまま入ってはいけないと言われていた部屋――――――まだ墨が乾かない巻物が干されていた部屋に入り込んでしまったのである。

「つまんないなぁ。みんな遊んでくれないんだもん」

 真っ白い紙面に薄墨で書かれた教典はまるでさざ波のようである。面白みも何にもない巻物の海を見つめながら濱は不満げに頬を膨らました。これさえ無ければ・・・・・数えで四歳、満年齢ではもうじき満三歳になる濱に写経の意味は解らない。ただただ面白くなく、濱は墨を乾かしていた巻物を一つ掴むと、癇癪のまま思いっきり投げつけた。



「・・・・・・風吹、何か破れるような音がせなんだか?」

 その音にまず最初に気がついたのは盛姫であった。

「さぁ・・・・・・」

 と言いかけた風吹だったが、次の瞬間微かにびりり、びりりと何かを破く音が聞こえてくる。そして、その時初めて二人の幼子がこの部屋にいないことに気がついたのである。

「ま、まさか・・・・・・!」

 嫌な予感に風吹の顔がみるみるうちに青ざめてゆく。

「私、隣を見て参ります!」

 風吹の顔色から状況を察した梓が慌てて部屋を飛び出した。そして次の瞬間、梓の悲鳴が黒門中に響いたのである。

「しゃ、写経がぁ!!!濱ちゃん!姫様!もうおいたはお止めくださいませ!」

 ばたばたと走り回る賑やかな足音にきゃっきゃと笑う幼子達の声――――――その声を聞いて今まで青ざめていた風吹の顔が怒りのためにみるみる真っ赤に染まってゆく。

「・・・・・・姫君様、少々失礼いたします!あのうつけが何てことをっ!」

「ふ、風吹、子供がやった事じゃから穏便に・・・・・・」

 立ち上がり、部屋を飛び出そうとする風吹の背中に盛姫が慌てて声を投げかけるが、それを素直に聞くことは今の風吹には出来なかった。

「姫君様!躾は最初が肝心でございます!悪いものは悪い、大人が気がついたときに叱らなければ子供はどんどんつけあがります故・・・・・・濱っ!あなたという娘はっ!!」

 肩を怒らせ風吹は部屋を飛び出し、三人のいる部屋へと向かって行った。



 その四半刻後――――――。

「うわぁぁん!ごめんなさ~い!ははうえさまぁ、もうしませんからぁ!」

 ピイピイと泣き続ける濱を膝に押さえつけ、風吹は尻を叩き続ける。その周囲にはびりびりに破られてしまった巻物が床を埋め、こちらも泣き続けている責姫を梓がそっと抱きしめている。

「濱!何てことを!自分がやらかした事がどれほど悪いことか解っているのですか!」

 それこそ鬼の形相で風吹は我が子を叱る。それもそうだろう、盛姫を始め女官達が二ヶ月近くをかけて写経したものの半分近くを――――――乾かしていた物だけでなく、積み上げてあった巻物さえも我が子がびりびりに破いたのだ。

「風吹、もうそれ位にしてやったらどうじゃ。破れてしもうたものは元に戻せないし、濱もこれに懲りたであろう」

 盛姫が仲裁に入り、ようやく風吹の尻叩きがおさまった。

「したが・・・・・・捨てるにも多すぎるのう。何か別の方法で供養に使えないものか」

 盛姫が悩んでいるその足許に梓の手を離れた責姫がよちよちとやってきて破れた巻物の端を掴みだしたのである。くしゃくしゃと乾いた音が面白いのかきゃっきゃと笑いながら握り続けているといつの間にかこよりのように細くなってしまった。

「・・・・・・これらを固めて地蔵の形にはできないかのう」

 責姫の作ったこよりを手にして盛姫は呟く。それほどびりびりに引き裂かれた巻物は大量にあったのである。

「姫君様、これだけあれば地蔵どころか大仏だって出来ますよ。本当に申し訳ございませぬ。この子がこんな事をしなければ・・・・・・」

 未だぐずぐずと泣く濱を抱きながら風吹が呟く。

「そうじゃな。写経は今日で終わりじゃ。こより作りならば濱や健子も一緒にできるじゃろ?」

 盛姫の一言で風吹の強張った顔がようやく緩み、その場の空気は一気に和らいだ。こよりをまとめて作り上げた地蔵――――――『こより地蔵』造りはこの日から始まった。



 そんな黒門内でのささやかな事件から半年の間――――――江戸の町は天保の改革による黒い嵐が吹き荒れていた。月ごとに出される新しい触れに戦々恐々とする日々が続き、家斉の時代の華やかさはすっかり影を潜めている。
 そんな中、朝一番に働いている日本橋魚河岸の男達は客相手にぼやき続けていた。

「おい、聞いたか?今年は風送りも禁止だってよ。虫送りだけだと思っていたのに侘びしいじゃねぇか」

「何だって?」

 男の話に思わず客が食いつく。

「いや、やっぱり、ってところじゃないのか?職人若頭たちの取り締まりから不忍池新土手の茶屋の撤去・・・・・・何せ御役所腰掛茶屋でさえ敷物料や茶料を取ることが出来なくなっちまったんだろ?一体どうやって生計を立てていくんだか」

 二人の会話に他の客も首を突っ込み始めた。皆、ここ最近の禁令続きにうんざりしているようだ。

「各藩の下屋敷も田畑に戻されちまったんだろ?おかげで出入りの職人達が干上がっちまってるってよ」

「それと、これは大きな声じゃ言えねぇが、雑司ヶ谷の感応寺がお取り壊しに智泉院の坊主達の日本橋晒し・・・・・・どうも大奥女中達への脅しらしいぞ」

「あすこはよく代参に来てたもんなぁ。やっぱりお美代の方様の失脚とも関係があるのかな?」

「だろうな。智泉院の日啓和尚はお美代の方様の実の父親だって言うじゃねぇか。どうやら遠島は免れられないらしいぜ」

 そんな江戸のお喋り雀たちがうわさ話に花を咲かせている中、遠くから半鐘の音が聞こえてきた。

「火事だ!中村座から火が出たぞ!」

 その声に魚河岸中は騒然となった。本当は日本橋堺町の水茶屋から出火したのだが、混乱の最中、その近くにある中村座からの失火だと勘違いされてしまったのである。火事そのものの規模としては幅四町、長さ五町と江戸の火事としては小規模だったが場所が悪すぎた。中村座、そしてその目の前にあった市村座が全焼、浄瑠璃の薩摩座と人形劇の結城座も被災するなど、火災は芝居小屋が乱立していた堺町・葺屋町一帯に延焼したのである。これは水野忠邦達改革派にとってまたとない口実を作ってしまったのだ。

 改革は本来逼迫した幕府の財政を立て直しを目的としていたが、同時に数々の倹約令によって町人の贅沢を禁じ、風俗を取り締まって庶民の娯楽まで奪おうとしていた。
 特に歌舞伎に対しては、七代目市川團十郎を奢侈を理由に江戸所払いにしたり、役者の交際範囲や外出時の装いを限定するなど、弾圧に近い統制下においてこれを庶民へのみせしめとしたのだ。そんなところに火事は起こってしまったのである。
 堺町・葺屋町一帯の延焼は、こうした綱紀粛正をさらに進める上で願ってもいない機会だった。この火事の二ヶ月後、当時南町奉行だった矢部定謙を失脚させ、代わりに鳥居が南町奉行となると歌舞伎小屋及び芝居小屋の廃止しようとしたのである。

 さすがにこれはやり過ぎだと北町奉行・遠山景元が一人で水野、鳥居と対立し、浅草猿若町への小屋移転だけに留める事になるのだが、それはもう少し後の話になる。



 このように締め付けが徐々にきつくなっていく天保十二年十一月、斉正が参勤で江戸に上がるのだが、その途中韮山代官・江川との真剣な会談が行われることになる。



UP DATE 2011.01.19

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オフで満身創痍の中、何とかぎりぎりで書き上げましたやんちゃ姫達の悪行(笑)。いや、正直こんなシーンでも書かなきゃやっていられないような状況でして・・・・・ある意味濱&責姫のコンビに助けられましたv
(詳細はtwitterにて。愚痴吐きまくりです・爆)
ま、数えの4歳児(満年齢3歳児)ならごく普通の行為ですよね。大人達は構ってくれない、目の前には憎たらしい写経の海・・・・・破りたくもなりますって。そして濱ママこと風吹の怖さは言うこと無いでしょう。茂義だって風吹が本気で怒ればびびりますからちっちゃい濱ちゃんがピイピイ泣くのも解らないではありません。ま、どこの家庭にもごく普通にある光景だと・・・・・傍に茂義がおらず、迂闊なことを言わなかっただけまだましなのかもしれません。(得てして父親って母親の怒りに油を注ぐような事ばかり言いますよね。あれって何故なんだろう?)

そして『こより地蔵様』ですが、これは佐賀県にある鍋島家の菩提寺・高傳寺さんに現存しているものです。本物は勿論画像でも拝見したことは無いのですが数十万本のこよりで作られたお地蔵様だとか・・・・・。しかし普通は写経をわざわざお地蔵様にはしませんよね。なので『もしかしたら巻物の状態で保存できない状況になったのではないか?』と妄想が膨らみ、この話と相成りました。この話は勿論私の妄想ですが、これならまだ赤ちゃんにちかい責姫も参加できますし、お地蔵様のお姿自身子供にも親しみやすいですし。本当はどんな由来で作られたのか非常に興味がありますv

さて、天保の改革の締め付けがどんどんきつくなる中、斉正の参勤がやってきました。そして江川さんとの対談も・・・・・締め付けの中での国防などを語らせたいものですv


次回更新は1/26、斉正&江川の対談と江戸での斉正家族の団らんを中心に展開してゆきます。

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