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「葵と杏葉」
葵と杏葉・改革編

葵と杏葉改革編 第十九話 魔手・其の壹

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 斉正が江戸に滞在している間も、水野忠邦による改革は狂気にも近い強引さで推し進められていた。

 十二月に入ると菱垣回船積十組問屋を始めとして諸問屋株仲間に解散命令が出され、風俗取り締まりとして先の火事で燃えてしまった中村座、市村座も浅草に移転させられることになった。勿論改革による取り締まりはこれだけでは終わらない。一月に入ると米切手売の取り締まりを断行、名古屋藩、和歌山藩、仙台藩の蔵屋敷での米穀切手払が禁止されてしまった。続けて日本橋小網町にあった武家租米売買会場も閉鎖されたのである。切手払いが普通となっていた武士にとってこの打撃は非常に大きかった。

 これらも勿論佐賀藩や黒門にとって打撃なのだが、黒門の女官達にとってさらに深刻だったのは、人情本を多数執筆している為永春水が手鎖となり、彼の本も出回らなくなってしまった事である。
 貸本屋から春水などの人情本を借り、その世界に没頭する――――――盛姫でさえ例外を許されない佐賀藩倹約令の最中許された、数少ないささやかな贅沢さえ幕府に奪われてしまった女官達の怒りは半端ではなかった。

「『春色梅児誉美』、まだ途中までしか読み終わっていないんですよ!ええ、口惜しい!丹次郎は米八と仇吉、それともお長の誰を選んだのか楽しみにしていたのに!」

 刊行直後に読み終えてしまった年配の女官はともかく、面白いと先輩達から噂を聞き、途中まで読み進めていた若い女官達は一様に悔しがった。それはそう簡単に芝居にさえ出向くことができない他藩の奥女中や、貧しくて貸本を読むことくらいしかできない市井の女房、娘達も同様であった。

「・・・・・・ようやく佐賀の改革が軌道に乗り始めたのに、幕府の締め付けがこれではのう」

 女官達に我慢を強いてきていただけに盛姫も何とも言いようがない。とりあえず改革という名を纏った狂気をやり過ごすしかないと黒門にも諦めの空気が漂っていた。



 そんな幕府の改革と反比例するかのように、佐賀の改革はただ一点を除いて順調に進んでいた。そして斉正が江戸から佐賀に戻ってくるとすぐさまその問題についての話し合いが行われたのである。

「殿、誠に申し訳ございません。例年の事ではありますが、代官達が・・・・・・また泣きつかれてこの前の年貢を完全に徴収できなかったんですよ。こう毎年毎年同じ失敗を繰り返すとは、一体どうすべきなのかほとほと困り果てております」

 茂真は渋い顔をして、目の前に平伏している代官達八人を睨み付けた。
 天保六年の大淘汰により年貢の取り立てを一本化、全てを上佐嘉、与賀、神埼、三根、養父、白石、横辺田、皿山代官に集約させ、他の自治領と本藩との二重徴収がないように制度を整理したのに、代官達は本来取り立てるべき年貢を取り立てられないのである。勿論それには理由がある。

「申し訳ございません。しかし我らの年貢取り立てよりも、地主達による加地子の取り立ての方が素早い上に厳しくて・・・・・・」

 情けないとは思いつつも代官達はつい言訳を口にしてしまった。これが年貢を取り立てることができない大きな要因である。
 年貢が徴収できないその理由――――――それは商人達に加地子を取られてしまい、本来手に入るはずの年貢を集められないという事であった。そもそも代官達は弘道館を出たばかりの中級・下級藩士達である。地主や百姓達とやりあうには少し若すぎるのだ。百戦錬磨の商人や悲しい目で訴えてくる百姓達についつい仏心を起こしてしまい、非道いときは年貢の七、八割しか徴収できないこともままあった。

「確かに、代官所は少人数でやって貰っているから人手が足りないかもしれないな」

 傍で話を聞いていた斉正が代官達を養護する発言をする。するとここぞとばかり神埼代官の三崎が口を挟んだ。

「そうなんです!商人達は金に飽かせて人を雇い、我らより先に年貢を・・・・・・!」

「口を慎め、三崎!」

 弘道館でも直接の先輩であった中村が厳しく三崎を叱咤する。

「申し訳ございません!」

 さすがに中村の一喝に三崎は縮こまり、頭を下げて陳謝した。

「あの、請役殿。差し出がましいようですが、私にひとつ案があるのですが・・・・・・」

 ぴりぴりとした雰囲気の中、与賀代官の原五郎左衛門が恐る恐る発言する。

「何だ、原?」

 厳しい声で茂真が原に問いかけた。それと同時にその場にいる人間の視線が原に集中する。

「難しいかも知れませんが・・・・・・期限を決めて加地子を支払わなくても良いとする法度はできないものでしょうか?」

 原の口から飛び出した思いもしなかった意見に全員が呆気にとられる。

「・・・・・・どういう事だ?お前の考えを詳しく話してみろ」

 その場にいる人間達の思いは皆一緒だった。それを代表して茂真が原を促す。

「私が百姓達に話を聞いたところに因りますと、彼らは年貢を支払うことが出来ないことを心苦しく思っております。それはどこの領地でも同様でしょう。しかし、そう思っていても実際加地子を支払わなければ、耕す田畑を取り上げられてしまう――――――生きていくためにはまず加地子を支払わねばならないのです」

 その言葉に斉正も茂真も頷く。

「元々佐賀の土地は殿のものにございます。それなのに商人どもはまるで己のもののような顔をしている。確かに子年の大風で仕方がなかったこともありましょう。しかしあれからすでに十五年――――――そろそろ本来の姿に戻すべきではないでしょうか」

「言われてみればそうだな」

 いつの間にか馴染んでいた慣例に、斉正や茂真さえ毒されていた。そもそも土地の売買は出来ないはずなのに、飢饉や災害によって飢えた農民達の弱みにつけ込んで商人達が土地を我がものにしてしまったのである。元々土地は藩のもの――――――当たり前のことに皆改めて気が付いた。しかし、気がついても実際問題難しい問題が山積みである。

「勿論一気に事に及べば商人達の反対に遭うでしょう。そこで最初は期限付で、そして徐々にその期限を延ばしてゆき年貢の支払いを完全に行わせるというのは?」

 原の意見に皆が頷く。

「なるほど。一考の余地はあるな。じゃあ早速法度の整備だ。原、お前も加われ」

「承知!」

 茂真の言葉に原は嬉しそうににっこりと微笑んだ。



 原の提言を受けて藩がまず手を付けたのは完全な農商分離だった。全域で戸籍簿を作成し、農村での米商人や質屋などの活動を制限する。さらに領民の借金返済を免除し、小作料加地子を一時期免除する、いわゆる『加地子猶予令』を発令したのである。
 皿山においての例外はあったものの、その他の領地では加地子猶予の期限が徐々に延ばされ、有名無実化していた公地公民制が改めて確立、直轄地の年貢はその後十万石を上回って安定した。

 一方この政策により困窮した者達もいる。農地を集積した商人地主達である。加地子による収入を絶たれ、没落する商家も少なくなかった。その様子は『加地子バッタリ』とも呼ばれ、商人達は苦境に立たされてしまったが藩にたてつくことも出来ず、泣き寝入りをするしかなかった。

 このように経済面でも顕著な結果を出し始めた佐賀に対し、幕府の改革は厳しさだけが増すだけで、株仲間を解散したことで経済が混乱、ますます窮地に陥っていた。そんな中、佐賀藩に思わぬ話が振ってきたのである。



「蓮池を・・・・・・寺社奉行に?」

 鍋島直與を寺社奉行にという話が飛び込んできたのは、天保十三年の九月半ばの事であった。元々唐津藩の出である水野と直與は四歳違いで、昔から互いをよく知っている。自分の子飼の部下達が芳しい結果を残せない中、以前にも寺社奉行の推薦を受けた事がある直與に白羽の矢が立ったのである。

「水野殿が個人的に親しくしている直與に声を掛けるのは無理もないことかも知れないが・・・・・・」

 斉正の呟きに茂真が異を唱える。

「しかし、前例がありませぬ!しかもこのまま素直に話を受けてしまえば蓮池の独立を許してしまい、小城や鹿島も同調するでしょう。それだけは避けねばなりませぬ!」

 茂真は藩の力関係を憂慮していたが、斉正はそれとは別の――――――江戸の状況を知るものとしての心配をしていた。

「兄上、単に蓮池の才覚だけを望んでいるのならばともかく、佐賀の機密を蓮池を通じて得ようとしているのならば受けるべきではないでしょう。それと少々気になる人物が・・・・・・」

「やっぱり鳥居、ですか?」

 茂真は声を顰める。

「兄上も矢野殿の憤死の話は聞き及んでいらっしゃいますよね。蓮池をあれの二の舞にしてはならないと思うですが・・・・・・江川殿もあやうく蛮社の獄で連座させられそうになりましたし」

 江戸南町奉行は矢野から鳥居に変わったのだが、その際矢野は鳥居の策謀により濡れ衣を着せられた。南町奉行を罷免された後、それに抗議した矢野は預かりとなった伊勢桑名藩で自ら絶食、壮絶な憤死を遂げたのである。江川の件と言い、鳥居の反感を買った者はことごとく失脚の憂き目に遭うか、その危機にさらされている。

「確かに蓮池も鳥居が毛嫌いする蘭学を嗜んでおりますし、また寺社奉行という地位も微妙ですしね。蓮池と水野殿の仲の良さも、この事例に関してはむしろ悪く働きそうな気がします」

 茂真は腕組みをして考え込んでしまった。

「一度・・・・・・蓮池に話を聞いておきましょうか」

「その方がいいかもしれませんね。では、兄上、手筈を頼みます」

 もしかしたら水野から直接その話が来ているかも知れないし、状況を整理したいと斉正は蓮池藩藩主・直與を呼び出すことにした。



 次の日の午前中、蓮池藩直與が斉正の前に呼び出された。

「その話ですか。確かに幕府以外からも水野殿から直接嘆願の話が来ておりますが・・・・・・」

 直與は奥歯に物が挟まったような物言いをする。

「一度、天保元年にも同様の話は来ております。名誉ではあるのですが、何故今更という気がしないでもありません」

 直與は非常に優秀な男である。その実力は若い頃から認められており十三年前にも今回同様寺社奉行にという話が持ち上がっていた。しかしその時は斉正が藩主になったばかりだったのでもう少し状況が落ち着いたらと話を断ったのである。

「確かに水野殿が困っているのは知っております。寺社奉行という役職に興味がないかと言われれば嘘になりますが、それ以上に昔からの友として、一人の男として水野を助けてやりたいとも願います。しかし・・・・・・」

「やはり鳥居、か。」

「ええ。でなければ殿の反対を押し切ってすぐにでも忠邦を・・・・・・水野殿を助けに行っているでしょう」

 人間多かれ少なかれ権力欲はあるものだが、鳥居のそれは常軌を逸していた。それを完全に潰すだけの力があればいいが、非常に心許ない。個人的な感情で動いて失敗すれば、事は蓮池だけでなく本藩、否、佐賀全体に及んでしまうのである。

「・・・・・・では、今回の要請は佐賀本藩の反対により辞退させて戴くということで宜しいか」

 斉正は改めて直與に念を押す。

「・・・・・・ええ、仕方ないですね」

 未練は非常にあるが、今回ばかりはその話に乗ってはいけないと理性より奥の部分で感じていた。直與は潔く寺社奉行の要請を蹴ると明言する。

「その代わりと言っては何だが・・・・・しばらくの間、本藩でおおっぴらに蘭学が扱えない分、支藩にて頑張ってもらう」

「・・・・・・となると先立つものが必要となりますが」

 直與は冗談めかして言うと、斉正もその冗談に乗っかる。

「その事については心配するな。今年から地主達の加地子収入を横取りしたから、その分を心置きなく使えばいい。佐賀の将来のためなら出費は惜しまぬから安心してくれ」

 そんな冗談に直與も思わず笑ってしまった。

 結局直與の寺社奉行就任の話は流れてしまった。しかし、これはむしろ正解だったかも知れない。もしこの話を受けていたら、のちに水野達と共に失脚を余儀なくされていただろう。後々までこの話に未練を抱いていた直與だったが、受けなかったことにより平穏な余生を送ることになる。



 水野忠邦の寵愛を受ける――――――それは出世を確約されると同時に非常に危険をはらむ。そしてそれは長崎における高島秋帆の投獄という形で現実の物となってしまったのである。この事件は瞬く間に全国に知らされ、秋帆の弟子達の連座問題へと発展する。



UP DATE 2011.02.02

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とうとう天保の改革の魔手が佐賀にも伸びはじめてきました。その第一段階が鍋島直與(直与とも)の寺社奉行就任への要請です。この寺社奉行要請の話は天保元年と天保十三年の二つの説をネット上で発見したのですが、『話が面白くなりそう』ということで両方の説を取り込ませて戴きました(え゛)。特に天保十三年は幕府の改革の時期と重なっていますし、本編で書いたように水野忠邦と鍋島直與は年も近いし領地も近く・・・・・互いの人となりを知っていたんじゃないかと思うんですよね。しかも彼の部下は蘭学に対して偏見を持っておりましたが、水野本人は決してそんな事はなく、より良い政策を行うためならどんなものでも取り入れるという柔軟さも持ち合わせておりました。(その点は次回以降で少しずつ・・・・・。)しかし部下がねぇ・・・・・本当にここまで部下に恵まれなかった人も珍しいんじゃないでしょうか。
閑話休題、そんなことで直與に寺社奉行を要請したことにしちゃいましたが、結局この話は流れてしまいます。勿論藩内のパワーバランスが断った最大の原因だと思いますが、やはり鳥居らの存在も影響したんじゃないでしょうか。直與もかなり深く蘭学を嗜んでおりましたので、もし受けていたら鳥居によって失脚を余儀なくされていたかもしれません。


次回更新予定は2/9、高島秋帆投獄による武雄領内の影響を中心に書かせて戴きますv
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