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「葵と杏葉」
葵と杏葉・改革編

葵と杏葉改革編 第二十話 魔手・其の貳

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 高島秋帆の捕縛――――――それはとりもなおさず鳥居耀蔵の私的な嫉妬心から起こった出来事である。話は前後するが、ここで一連の流れを整理したい。


 天保の改革による厳しい締め付けの中、唯一水野が金に糸目を付けなかったのが軍事、特に日本沿岸周辺の海防であった。
 事の発端は西暦1839年11月に開戦した阿片戦争である。清国欽差大臣・林則徐による貿易拒否の返答を口実にイギリスは戦火を開き、清国船団を壊滅させたとの一報は清の商人達によりいち早く日本に伝えられた。
 鎖国状態にあるとは言え、阿蘭陀から毎年のように世界情勢の情報を入手し、さらに医学を中心に蘭学を導入していた日本では、当事者である中国よりこの戦争の重大な意味を素早く理解し、危機感を募らせた。

 そんな状況下の天保十一年九月、阿片戦争を憂えた高島秋帆は『天保上書』なる意見書を長崎奉行を経由して幕府へ上申したのである。

『――――――オランダ船の風説書きによれば英国が中国広東にて戦闘開始、小国英国は戦死者なく大国唐を破り、結果は大砲の差にあり。長崎港警備、諸国の海岸警備には西洋砲術の採用が必要――――――』

 その上申書のあまりの生々しさに幕府上層部は固唾を呑んだ。実際当時の長崎において、英国の暴挙に怒りを覚えた長崎在住の中国人が高島流砲術習得を希望し、入門希望者が後を絶たなかったらしい。
 文字通りその状況を肌で感じた高島ならではの上申書は幕府、とりわけ老中首座の水野忠邦を動かすのに充分な力を持っていた。

 そして年が明けてすぐ、幕府は高島秋帆へ『異国筒』――――――最新式の西洋銃持参の上、江戸参府を要請し、御見分の内意を伝えてきたのである。要請を受けて高島秋帆は江戸へ東上することになったのだが、経済的・軍備的事情により佐賀藩武雄領の平山醇左衛門を同行させた。
 実は高島秋帆の手許にある大砲、燧石銃だけでは幕府が希望する演習には全く足りず、武雄領から不足分を調達したのである。さらに長崎から江戸までの運搬費も一部武雄が持つことになった。ただ、運搬費に関しては長崎・武雄からだけでなく、途中から日本全国に散らばっている高島秋帆の門弟達も続々と合流したので、その分の出費も平山を困らせた。その困惑ぶりは、道中国許に宛てた平山醇左衛門の手紙にも記載されている。

『旅の途中より門弟が多く集まり余りにも目立つ』

『名古屋にて陸路と海路に分かれて江戸に向かい、道中では高島先生が旅費をそれがしに出させ手持ちの金が心細くなり非常に困っている』

 などと嘆き節が連ねられていたという。そんな道中であったが天保十二年二月、高島秋帆一行はようやく江戸到着した。しかし運が悪いことにこの時期は大御所・徳川家斉の死去による喪中の最中であり、演習は喪明けに延期されてしまったのである。

「武雄からわざわざ江戸まで来たというのに・・・・・・お主もついてないのう」

 黒門に挨拶に出向いた平山を風吹が労った。『一応』茂義の側室であり、その娘を産んでいる風吹である。おもしろ半分に武雄の演習に出向いた際、茂義の紹介で一度だけ平山とは顔を合わせていた。

「しかし、武雄の大砲を持ってきてしまって長崎御番は大丈夫なのか?」

 高島秋帆に請われて提供した大砲は、武雄が所持している大砲の半分近くに当たるという。いくら幕府の要請とは言えそれほどの大量の武器を提供するとなると長崎の防御が気になるのは当然である。しかし、平山は風吹に対して無骨な顔をくしゃくしゃにして笑顔を見せた。

「その点は、阿蘭陀側と協定を結びまして他国に対して牽制をして貰っておりますからたぶん大丈夫だと・・・・・・阿蘭陀も日本貿易の利権を失いたくないらしく、二つ返事で了承してくれたそうです」

 平山の言葉に風吹はほっと胸をなで下ろすが、心配の種が消えた訳ではない。まだ清国の戦争は終わっていないし、終わったら終わったで今度は日本にその矛先を向けられるかも知れないのである。それは幕府も同じ考えであった。家斉の喪が明けて早々の五月九日、天保の改革の粛正よりも早く公開演習が行われることになったのである。



 その日は美しい五月晴れの日であった。武州・徳丸ケ原にて日本初となる洋式砲術と洋式銃陣の公開演習の見分が行われたのである。真っ青な空の下、聞いたことのない轟音が大地を揺るがす。

「これは・・・・・・見事なものだな」

 唐津藩出身で、どちらかと言えば銃砲に慣れているはずの水野忠邦でさえ感嘆の声を上げるほど、その演習は大がかりなものだった。演習は大砲、臼砲、ホウィスルの発射と銃陣を組みあわせたもので、刀ではなく銃剣が使用されたのも見分の役人達を驚かせる。
 さらにこの時の兵装束は筒袖上衣に裁着袴、頭に黒塗円錐形の銃陣笠であり、特に銃陣笠は保守的な幕府役人が『異様之冠物』と批判するような斬新なものであった。

 感嘆と驚愕の中で行われた軍事演習の見分は大成功の内に終り、水野は高島秋帆に銀子二百枚を下賜、賞詞まで賜わり演習で使用した臼砲、ホウィスルは五百両で買い上げられた。それだけ水野にとって近代軍備を整え海防を充実させることは重要案件だったのである。



 このように軍備を強化しながらも同時に従来までの外国船に対する打払令を改め、『薪水給与令』を発令、燃料・食料の支援を行う柔軟路線に転換した。

 『薪水給与令』とは、江戸時代後期に江戸幕府が打ち出した外国船に対して飲料水・燃料の給与を認める法令である。
 十九世紀初頭、ロシア帝国のニコライ・レザノフを始めとし、外国船が日本に通商を求めて来航するようになった。そこで幕府は文化三年に『文化の薪水給与令』を出し、穏便に出国させる方向性を打ち出したのだが、翌年の文化露寇を受けて『薪水給与令』はわずか一年で撤回されてしまった。

 その後、文政八年には『異国船打払令』を打ち出すなど強硬な態度を採っていた幕府だったが、モリソン号事件を契機にこの法令にも批判が高まった。
 さらに清国が阿片戦争に敗北、南京条約の締結に驚愕した江戸幕府は政策を転換し、遭難した船に限り給与を認める『天保の薪水給与令』を発令したのである。

 この幕府の対外軟化がやがて開国の大きな要因となり、明治維新を経て日本の近代化へと繋がってゆく事になるのだが、目先の危機を避ける事に精一杯の幕府に、四半世紀先の未来を想像する事は不可能であった。



 閑話休題。徳丸ヶ原での演習の結果、高島秋帆は幕府からは砲術の専門家として重用される事となった。また、高島は韮山代官の江川英龍や下曽根信敦らに師匠として砲術を伝授していたが、この輝かしい成功を妬む者が居たのである。それが江戸南町奉行・鳥居耀蔵だった。
 元々林家の出であり、高島ら西洋砲術の遣い手が幕府から重用されることを妬んだ鳥居耀蔵は、手下の本庄茂平次ら密偵を使い、高島に『外国人と結託し密貿易をしている』という濡れ衣を着せる事に成功したのである。

 鳥居による讒訴などつゆ知らず十月二日に長崎奉行所に出仕した高島は、長崎奉行直々に呼び出され即日揚屋入りを申し渡されてしまった。その後高島の子息・浅五郎、そして門人二人も入牢、その他長崎地役人の通詞、長崎会所の吟味役数名も入牢を余儀なくされ長崎は大騒動となってしまったのである。
 明けて天保一四年一月、高島秋帆を含め一七名の者が囚人籠に乗せられ長崎街道を江戸に向かったのだが、その中には秋帆の馴染みの遊女・初紫まで含まれていたという。

「高島先生が・・・・・・ご子息共々捕縛されてしまった!」

 秋帆捕縛の報はすぐさま長崎駐在の各藩の聞役を通じ国許に知らされたが、特に関係の深い武雄、佐賀は対応に追われてしまった。

「高島流砲術の名のままでは・・・・・・武雄は勿論、本藩も無事に済まないだろう。高島流砲術の存続は難しいと考えて間違いない」

 武雄領において茂義自らが高島流砲術の存続は不可能と判断、高島流砲術からの絶縁を装い高島流砲術を『威遠流砲術』と名前だけ変えた。天保十年にすでに隠居届けを出していた茂義だが、自らが高島秋帆に弟子入りしているだけに断腸の思いでこの判断を下したのである。また、武雄と同様の動きは他藩でもあったが、これだけでは収まらない事態が起こった。

「小伝馬町で徳丸ケ原の演習のことが尋問されているらしい。武雄が大砲を提供したとばれるのは時間の問題だ、対策を打っておけ」

 それは去年の七月、小普請組支配になったばかりの鍋島直孝からの知らせだった。どうやら役職を利用して状況を調べてくれたらしい。直孝からの情報によれば鳥居耀蔵は徳丸ケ原の演習における大砲四門、小銃五十挺の出所を厳しく追及しているらしい。ちなみに当時高島秋帆は武雄の事は一切口に出さず、鳥居の取り調べに対して次のように答えている。

『ボンベン、モルチール・天保三年伺い済みの上、取り入り候
ホウイツスル砲・天保六年伺い済みの上取り入り候
車付き野戦筒・天保六年譲請け候議に御座候
同小筒・五十挺、天保三年以来年々誂方奉伺、御聞済上請入候』

 だが、『蝮』とあだ名された鳥居耀蔵が、高島秋帆のそんな回答に納得するはずもない事は誰の目からも明らかである。このまま鳥居の取り調べの動向を見守っているだけでは窮地に陥ってしまうと、佐賀藩上層部及び茂義は密談の上行動を起こした。
 天保一四年四月、佐賀藩は鳥居の魔手が伸びる前に先手を打ち、鍋島茂義を厳責の上、蟄居を命じたのである。

『病身の身なりとて隠居しながら、平生鳥獣の狩猟を事とし、下民の愁声を聞くは如何はし、以来は屹度勘弁を加うるべし』

 茂義は隠居しながら狩猟を理由に処罰されたことになった。わざわざ『狩猟』との文言を入れたのは、西洋銃陣の為の武器を狩猟用とした逃げ口上である。
 この茂義の処分は幕府からの問い合わせがあった場合に備え、佐賀藩ですでに処罰したと弁解するためのものであった。また、平山以下関係者も謹慎扱いとなり、それ以上の処罰は行わず、しばらくの間幕府の動向を伺う事にしようと話がまとまった。

「しばらく動けそうもないな。特に武雄は先の演習に深く関わってしまったから・・・・・・先生からの頼みだったとはいえ本当に申し訳ない!」

 極秘裏に佐賀城にやってきた茂義は開口一番斉正、そしてその場にいた藩幹部達に頭を下げた。

「気にするな、茂義。これは誰も予測できなかった事なのだから」

 額を畳にすりつけ、謝る茂義に対し斉正は面を上げるように促す。そして茂真も斉正に続いて茂義に頭を上げて欲しいと懇願した。

「まだ武雄に捜査の手が及んだ訳じゃありませんから。武雄殿の謹慎で幕府が納得してくれる事を祈るだけです。むしろ武雄を犠牲にしてしまって申し訳ありません」

 茂真の言葉に茂義はようやく茂義は顔をゆるゆると上げる。その顔はかなりやつれ、疲れも垣間見えた。

「江戸の藩邸、そして黒門からも情報は来ておりますが・・・・・・どれも芳しくないものばかりです」

 茂真の言葉にその場にいた皆は黙りこくってしまう。『蝮の耀蔵』の二つ名の如く、鳥居の取り調べは苛烈を極めていた。高島流を取り入れている各藩が鳥居に対し付け届けを送り、釈放してくれと要請しているらしいのだが、それらを全て断っているらしい。

「あの執念はどこからくるのか・・・・・・それこそ海防に向けてくれればいいものを」

 ぼやく斉正に皆一斉に頷き、ようやく笑顔を見せた茂義がぼそり、と漏らした。

「ま、どんなに頑張っても濡れ衣なんだし、それこそ処刑したら鳥居の立場さえ危うくなるだろう。老中だって海防には前向きなんだし」

 確かに鳥居は驚異だが、老中首座の水野は元々唐津藩の出身だっただけに西洋砲術導入に極めて前向きである。水野が居る限り連座とは言っても蟄居くらいで済むだろうと誰もが思っていた。

「水野殿が鳥居の暴挙を止めてくれるまでの辛抱だ。茂義も辛いだろうが耐えてくれ」

 水野が鳥居を止めてくれるまで――――――斉正の言葉は佐賀藩上層部の願いそのものだった。



 しかし、運命はどこまでも佐賀に辛いものであった。天保十四年、上知令の失敗により水野忠邦が老中を罷免されたのである。そしてその罷免の裏には鳥居耀蔵の裏切りによる密告があった。
 水野が上知令の発布を計画し、これが諸大名・旗本の猛反発を買った際、鳥居は反対派に寝返り老中・土井利位に機密資料を残らず横流ししたのである。
 やがて改革は頓挫し、水野は老中辞任に追い込まれてしまうが、鳥居は密告による働きを評価され従来の地位を保った。鳥居の健在――――――その事実は、高島流砲術を導入している藩にとって災難以外何ものでもなかった。



UP DATE 2011.02.09

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とうとう鳥居の魔手が茂義の許に伸びてきました。前回の直與への寺社奉行要請なんかまだかわいいものでして・・・・・特に演習で深く関わってしまった分、鳥居の魔の手が武雄に伸びてきてしまったらただじゃ済まないでしょう。
一応先手を打っておりますが、この点に関しては頼りにしていた水野忠邦が失脚してしまいましたからねぇ。次回は水野失脚による武雄の悲劇が中心となります。

それにしても武雄が高島秋帆の演習にここまで拘っていたとは今回の話を書くまで知りませんでした(^_^;)
こちらのサイトで知ったのですが、確かに大砲まで提供しているとなれば戦々恐々ですよね。これを調べる前はてっきり『茂義自らが高島秋帆の弟子だから』ここまで神経質なのかな~と思っていたのですが、ここまでがっつり高島秋帆の演習に関わっていたら仕方ないのかも。
(というか『入り鉄砲』どころか『入り大砲』ですよ。考えてみたらすごい事です・笑)


次回更新予定は2/16、上記したように武雄の悲劇が中心となりますv

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