FC2ブログ

「葵と杏葉」
葵と杏葉・改革編

葵と杏葉改革編 第二十八話 さらば、愛しき人・其の壹

 ←拍手お返事&断捨離日記(とりあえずまとめ) →我、帰還す~横浜慕情 昌憲と亜唯子の章・其の拾壹
 江戸藩邸における男児出産の知らせに佐賀は沸き立っていた。それもそうだろう、八年前に責姫が生まれたきり、男児どころか子供にさえ恵まれなかった鍋島宗家である。一時期は『藩主殿には子種がないのでは?』という噂さえ影で囁かれていただけに上を下への大騒ぎである。悔しがっていたのはごく僅かな側室とその親族くらいだろう。
 ただ、唯一の問題点は誰が産んだかということだけ――――――盛姫が産んだことだけは何があっても漏らしてはならないのだ。ついその事を口走ってしまいそうになる斉正を制するのに、側近の松根や請役の茂真が苦労したのは言うまでもない。

「貞丸の気持ちも解らんではないがな」

 愚痴を零す茂真に対し、所用で佐賀城にやってきた茂義が同情を示した。

「返す返すも太田のじいさまをうまく丸め込めて助かったぜ」

「本当に・・・・・・その節はありがとうございました」

 そういう茂真もほっとした表情を浮かべていた。さすがに『御褥御免』の正室が子供を産んだという醜聞は藩内といえど漏らすことはできない。そこで家老格の家柄でも一番低い太田鍋島家の家柄で、つい十年ほど前まで相当の浮き名を流していた茂卿に頼み込み、濱を茂卿の娘として斉正の側室に仕立て上げたのである。
 茂卿次第では醜聞が藩内に広まりかねない状況ではあるのだが、幸い茂卿にとってばらされたくない噂の二、三を握っていた茂義に言い含められて――――――というか脅されて体裁を取り繕ったのだ。勿論それなりの謝礼はしたし、もしこの件がばれたら茂卿も己の腹を切らねばならない状況に追い込まれるので、ばれる心配はまず無いであろう。

「しかし、姫君様の状態はあまり思わしくないというのは本当でしょうか?」

「ああ。貞丸への手紙には一切触れていないみたいだが・・・・・・風吹によると寝込む事も多いらしい」

 産褥で命を落とさなかったのは良かったのだが、いわゆる『産後の肥立ち』が思わしくないらしく、一進一退の状況が続いていると風吹からの手紙には記されていた。

「とりあえず来年の参勤までもって下されば御の字なんだが」

 やはり年齢的な無理がたたったのだろう。世嗣誕生の喜びに城内が沸く中、茂義と茂真は迫り来る不安に黙りこくってしまった。



 淳一郎を産んだ直後――――――風吹が茂義に状況を手紙で送った頃、確かに盛姫の体調は一進一退を繰り返していた。寝込む事も少なくなかったが、斉正との約束、淳一郎の存在、さらに伊東玄朴らの努力によってその体調は少しずつ回復の傾向を見せ始めたのである。

「姫君様、お加減は如何ですか?」

 木枯らしが吹きすさぶ十一月、風吹が葛湯を持ってやって来た。淳一郎が生まれてから三ヶ月、ようやく食欲も出てきはじめた盛姫に少しでも何かを口に入れて貰いたくて風吹も必死である。

「いつもよりはましじゃな。やはり・・・・・・あの子らのおかげじゃろう」

 遠くから聞こえてくる子供達の笑い声――――――責姫や濱が淳一郎を構っているのだろう。八、九歳の少女達にとって淳一郎は格好の『玩具』だ。子供達の笑い声に笑みを浮かべながら盛姫は風吹から葛湯の入った器を受け取る。

「本当に・・・・・・憎たらしいと思うこともありますが、子供達には元気を分け与えて貰っています」

 子供達の笑い声を耳にしながら風吹も微笑む。そんな大人達の心を癒す笑い声が徐々に近づいてきた。

「母上様宜しいですか?」

 責姫の声が部屋の外から聞こえてくる。本来女官にやらせるべき声かけだが、育ての親が育ての親だけに責姫もあまり行儀が良くない。琴の稽古と女大学の講義を濱と共に受けるだけましではあるが・・・・・・。

「健子か?気にせずと入っておいで。濱や淳一郎もおるのじゃろう?」

 盛姫の言葉に、我も我もと責姫と濱が入ってきた。濱の腕には淳一郎が抱かれている。

「これ、濱!若君は乳母に預けねばならぬ!」

 淳一郎を抱いている濱を風吹は叱咤するが、濱は腕に抱いた淳一郎をぎゅっ、と抱きしめ離そうとしない。その姿は実の姉か母親のようであり、もしかしたら淳一郎の乳母よりも抱き慣れているかも知れないと思われた。

「まぁ良いではないか。届けの上では濱が淳一郎の『母』じゃ。子を慈しまぬ母親はおらぬであろう」

 盛姫は強引に濱の腕から淳一郎を取り上げようとする風吹を窘め、濱に向かう。

「のう、濱。妾に淳一郎を貸してたもれ」

 さすがに盛姫の言葉には従わなくてはならない。そして盛姫も濱の『母性』に気遣って『貸してほしい』という言葉を使っていることもあるのだろう。先ほどまでの執着が嘘のように濱は盛姫に淳一郎を手渡した。

「だんだん貞丸に似てくるのう・・・・・・妾が産んだのに、ちっとも妾に似ておらぬ」

 斉正にも見せないような、甘い笑顔を淳一郎に見せつつも盛姫は少し不満そうに呟いた。生まれてふた月ほどしか経っていないが、淳一郎の顔立ちははっきりと鍋島家の顔立ちを示しており、誰がどう見ても『斉正の子』にしか見えなかった。
 それは逆に盛姫に似たところが殆ど無いと言うことである。苦しい思いをして産んだのに・・・・・・と不服そうな表情を浮かべる盛姫を風吹が慰める。

「そんな事はございませぬ。眉のあたりはむしろ姫君様にそっくりで・・・・・・」

 そんな最中、颯の声が部屋の外から聞こえてきた。

「姫君様、診察のため伊東玄朴が参りました」

「そうか。ではこちらへ通せ」

「御意」

 そう言うと颯は伊東玄朴を盛姫の前に通した。本来大名やその妻に対しては直接医師が触れてはならぬ事になっているが、佐賀の場合はいささか事情が違っていた。
 もともと月役が不順だった盛姫の身体を心配した斉正が、伊東に対し『一番効果的な診察』を命じていた為、盛姫に対しても直接脈を取り、棒状の聴診器をあて診察をする。ちなみに聴診器をあてる際は盛姫の肌を直接見ないよう伊東は目隠しをし、女官達が聴診器を少しずつずらして伊東がそれを聞くという方法がとられた。

「・・・・・・少しずつですが、持ち直しているように私には思えます。かんばせのお色も大分よくなられておりますし」

 盛姫の診察の後、目隠しを取りながら伊東ははっきりと断言した。

「このまま体調が戻れば、今度の殿の参勤の頃には以前と変わらぬお身体に戻られるかとお見受けします」

「それは誠か?」

 伊東の言葉に盛姫は思わず身を乗り出し言葉の真偽を確かめる。

「ええ。このままご養生を続けて下されば、間違いなく以前の姫君様のように」

 伊東の力強い言葉に盛姫は勿論、周囲の女官達も歓喜の声を上げる。

「それと、これは小さな姫君様や若君への話なのですが・・・・・・」

「何じゃ?」

 遠慮がちに申し出る伊東の言葉に風吹が反応した。子供達に関係する話とは一体何なのか――――――世継ぎである淳一郎の健康にも関わるだけに、風吹の声にも鋭さがこもる。

「ここ最近、江戸市中において疱瘡が流行り始めております。瘡の欠片や疱瘡に罹っていた者の持ち物からもうつる病ですので重々お気をつけを。我々もこちらに参る時は全てを着替え、黒門の門前では頭の先からつま先まではたきを掛けて貰っております」

 元々盛姫の診察をする際、必ず全てを着替えてはいたのだが、今はその着替えを表屋敷に入る前と、黒門に入る前の二度にわたっておこなっている徹底ぶりである。万が一疱瘡を藩邸内に入れてしまったら、伊東も腹を切らねばならぬので神経質になっていた。

「何と、恐ろしい!藩邸では一人も疱瘡を患っていないから知らなんだが」

 颯の顔が青ざめる。

「出来ることなら『種痘』を施したいのですが・・・・・・さすがに姫君や若君には難しいでしょうなぁ」

 『種痘』という言葉に力を込めて伊東はひとりごちた。明らかに盛姫や女官達に聞かせるためで、その魂胆は見え見えである。

「しゅとう?」

 案の定、聞き慣れない言葉に盛姫が怪訝そうな表情を浮かべる。

「腕に小さな傷を付け、疱瘡の瘡をほんのちょっとだけ埋め込むのです。以前秋月藩の御殿医がやったというのですが、人間の瘡だったのでうまくいかなかったのです。牛の瘡が良いと医学書にはあったのですが」

「たわけたことを!牛の瘡蓋なぞ・・・・・・牛にでもなったらどうするのじゃ」

 風吹らは伊東の話を一笑に付した。しかし、ただ一人盛姫は伊東の言葉を真剣に聞いていた。

「種痘とやらをすると、どうなるのじゃ?」

 盛姫の問いに、伊東はここぞとばかりに持論を展開する。

「一生疱瘡に罹ることは無くなります。これは私だけでなく、他の蘭医も望んでいることで・・・・・・あちらこちらの御大名に種痘の輸入を頼んでいるのですが芳しくございません」

「当たり前じゃ。そんな怪しげもの・・・・・・」

 そう言いかけた風吹を盛姫が制した。

「妾は蘭学を知らぬ故、牛痘とやらがどれくらい素晴らしいものなのか判断が付かぬ。ただ、蘭医達がこぞって欲しがるものじゃから悪いものではないのじゃろう・・・・・・この冬は出来るだけあの子らを疱瘡に近づけぬようにするが、その話、佐賀が参勤で江戸に参った時にそなたの口から直接説明して欲しい。あれは蘭学を学んでいる故、妾よりも正しい判断を下すであろう」

 盛姫の寛大な言葉に伊東は感激するが、この三ヶ月後、伊東は何故もっと種痘の導入を強く申し出なかったのか後悔する事になる。



 年が明け、佐賀の正月はいつにも増して華やかなものになっていた。特に前年八月、今上天皇から幕府に勅命が下り海防を強化することになっただけに、正月の軍事演習は例年に増して凄味を帯びている。

「この演習を淳一郎にも見せてやりたいものだ」

 まだ見ぬ我が子に想いを馳せながら斉正は呟いた。新春の青空に響き渡る砲撃の音はどこまでも爽快で、斉正の口許には思わず笑みが零れる。

「そうなると代替わりの時ですね。殿と同じく十七歳で若君が家督を継ぐことになれば十五年後、さらに軍備は強化されているでしょう」

 隣にいた松根の言葉に斉正が頷く。

「そうだな。その頃にはもっと安心して皆が暮らせる世の中になっていて欲しいものだ」

 江戸にいる家族に想いを馳せながら斉正は呟いた。江戸からの年賀状には元気な淳一郎と相変わらずやんちゃな責姫と濱、そして思ったより元気そうな盛姫の近況が書かれている。
 藩の財政立て直しも軌道に乗り、海防警備も順調だ。さらに愛しい妻子も江戸でつつがなく暮らしている――――――この時の斉正は人生で一番充実の時を迎えていたのかもしれない。だが、この幸せはあっけなく崩れ去ってしまったのである。



 それは梅が散り始めた二月半ばの事であった。まずは黒門から、そして間を置かず江戸藩邸から火急の知らせが佐賀城にやってきたのである。その知らせを受けた請役の茂真が書状を見て愕然とする。

「姫君様が・・・・・・疱瘡によりご逝去!」

 思いもしなかった知らせに茂真の顔から血の気が引く。

「何ですって!冗談にもほどがあります、兄上!」

 愕然とする茂真から書状をひったくると、斉正はその書面をまじまじと見つめた。そこには慌てふためいたような、乱雑な女文字で『盛姫君様 御逝去』の文字がしたためられていた。




UP DATE 2011.04.06

Back   Next
 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
ランキング参加中。お気に召しましたら拍手代わりに是非ひとポチをv

  
こちらは画像表示型ランキングです。押さなくてもランキングに反映されます。
(双方バナーのリンク先には素敵小説が多数ございます。お口直しに是非v)






盛姫逝去の第一報が斉正の許に届いてしまいました。しかも心配していた産褥によるものではなく、当時流行していた疱瘡(天然痘)----------詳細は次回書かせて戴きますが、元々産後の肥立ちが悪く抵抗力が弱っていた盛姫に、天然痘のウィルスが牙を剥いたという設定に今回させていただきました。

連載を始めた当初は産後の肥立ちが思わしくなく・・・・という設定を考えていたのですが、調べていく内に弘化三年末から弘化四年初頭にかけて全国的に天然痘が流行していたことを知りまして。さらにこれ以後の斉正の天然痘に対する敵意が半端じゃない!自分の子に対する種痘は勿論、希望する医師に牛痘を譲り、一部不確かなネタではありますが明治天皇にまで種痘を勧めたとか・・・・・(あと、もしかしたらアイヌの方々に対する種痘にも関わっているかも知れません。まだ調べていないんですが、幕末、北海道で大々的に種痘が行われたらしい・・・・佐賀藩は北海道とも関わりが深いのでこれも絡んでくるかも。)
もしかしたら身近な人を天然痘で失い、それでここまでの敵意(としか言いようがない)を天然痘にしめしたのかもしれない、さらにそれが盛姫の死の直後からの動きなので、もしかしたら盛姫は天然痘で亡くなったのではないか・・・・・と妄想がむくむくと膨らみ(笑)このような展開になりました。
ちゃんと佐賀学の本を調べればすぐ解ることなんでしょうけど・・・・・素晴らしい資料があっても読み解く力もない出来損ないなのでご容赦くださいませ(>_<)


次回更新は4/13、天然痘に罹ってしまった盛姫の最期になります。(書く方としても覚悟がいるシーンなので・・・・頑張ります。)
関連記事
スポンサーサイト




 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ 3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ 3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ 3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ 3kaku_s_L.png 雑  記
総もくじ  3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ  3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ  3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ  3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ  3kaku_s_L.png 雑  記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【拍手お返事&断捨離日記(とりあえずまとめ)】へ  【我、帰還す~横浜慕情 昌憲と亜唯子の章・其の拾壹】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【拍手お返事&断捨離日記(とりあえずまとめ)】へ
  • 【我、帰還す~横浜慕情 昌憲と亜唯子の章・其の拾壹】へ