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「葵と杏葉」
葵と杏葉・改革編

葵と杏葉改革編 第二十九話 さらば、愛しき人・其の貳

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 『盛姫君様 疱瘡により御逝去』――――――慌てふためいたような、乱雑な女文字でしたためられた手紙が斉正の手からはらり、と落ちた。

「・・・・・・う、そだ」

 立ち尽くす斉正の唇から、今まで誰も聞いたことがないような低い声が漏れる。

「国子殿が身罷ったなんて・・・・・・嘘に決まっている!」

 声を荒らげ、斉正は落ちた手紙を乱暴に踏みつけた。踏みにじられた手紙はくしゃり、と乾いた音を立て少しだけ破れる。

「殿、お気を確かに」

 斉正のらしくない乱暴な行動に、傍に控えていた松根と、目の前にいる茂真が心配そうに斉正を窘めた。その二人の窘めに斉正も我に返り、徐々に落ち着きを取り戻し始める。

「済まぬ、大丈夫だ、主君としての立場は解っておる・・・・・・だが、私は信じない。国子殿が疱瘡などで身罷ったなど。そもそも年賀状に産後の体調不良から持ち直していると書かれていたではないか」

 冷静さを装いつつも、その動揺は隠しきれない。斉正のその顔からは血の気が失せ、全身が小刻みに震えていた。



 侍医である伊東玄朴が盛姫の診察を行う際二度の着替えをし、女官達にもうんざりされるほどしつこく疱瘡の怖さを訴えていたにも関わらず、何故盛姫が疱瘡を患ってしまったのか。それは一ヶ月前の正月の祝いにまで遡る。

 藩邸の年末年始はいつにも増して人の出入りが多くなる。藩主がいない佐賀藩邸でもそれは変わらない。年末は年末で出入りの者達が正月用の品々を藩邸に運び込み、年が明ければ年礼と称して上は付き合いのある大名家の名代から、下は下肥をくみ取りに来る近隣の百姓達まで次から次へとやってきては祝いの品を置いてゆく。どうやらその中の一人が佐賀藩邸内に疱瘡を持ち込んでしまったらしい。

 普段であればそれ相応に気をつけているのだが、さすがに誰もが忙しい年末年始ともなると目先の仕事に囚われてしまい、罹るか罹らないか判らない病気の予防にまで気が回らなかった。
 気が付いた時にはすでに遅く、表屋敷付きの下男の娘が疱瘡に罹った途端、あっというまに藩邸内に疱瘡が広まってしまったのである。

「責姫様、それに濱。今日から外で遊んではなりませぬ!」

 伊東からの助言もあり、いつにも増して恐ろしい風吹の一言で子供達三人は黒門の中でもさらに奥まった部屋に監禁されるように避難した。
 これでひと安心と黒門内は思っていたのだが、それが甘かった。疱瘡の魔の手は黒門の主にその牙を剥いたのである。やはり出産で体力が衰えていたことが災いしたのであろう。表屋敷で下男の娘が疱瘡に罹った五日後、盛姫が高熱を出してしまったのだ。
 この時点では疱瘡特有の発疹は出来ていなかったが、状況から鑑みて盛姫が疱瘡に罹ってしまった可能性は極めて高い。

「疱瘡に罹ったことの無い者は、子供達と共に奥の部屋におれ。万が一罹ってしもうたら命と見目にかかわってしまうであろう」

 輿入れと共に盛姫に付き従ってきた侍女達はすでに三十代から四十代に差し掛かっていたが、市井の同年代のおなご達に比べまだまだ見目は美しい。その美しさを疱瘡で台無しにしては女として忍びないと盛姫は命じたのだが、ただ一人この命令に逆らった者がいた。勿論風吹である。女官達が奥の部屋に避難する中、ただ一人盛姫の傍に侍り看病を始めたのだ。

「風吹・・・・・・いい加減にせぬか」

 高熱の中、呆れたように盛姫は風吹を叱咤したが、当の風吹は頑として盛姫の命令を聞こうとしない。

「疱瘡に罹った者など、お付き女房では誰もおりませぬ。たかが疱瘡如きを恐れていては武士の娘の名折れです」

 周囲の者が疱瘡を恐れる中、風吹は顔色一つ変えず平然と盛姫の看病に従事し続けた。子供の頃からのお付き女房とはいえ、なかなか出来ることではない。

「そなたの頑固は妾の病よりも厄介じゃ。さすが・・・・・・定火消しの娘よのう」

 そんな会話をしているうちに三日もすると熱は下がった。しかしそれと同時に盛姫の頭や花のかんばせを中心にやや白色の豆粒状の発疹が生じ、一気に全身に広がっていったのである。これは明らかに疱瘡の症状である。その発疹を診察し、伊東が厳しい表情を浮かべた。

「・・・・・・ここからが峠になります」

 診察を終えた伊東玄朴がいつにない真剣な表情で、盛姫や風吹に対して語りかけた。

「倹約令の折、心苦しいでしょうが姫君様の身につけたお着物、そして使われた品々は火にくべてくださいませ。これは御子達を守るためにございます」

 半分は『ケガレ』に触れさせないという呪術的な意味合いだったが、伊東は自身の経験や医師仲間からの話で病人が着ていた着物や使っていた什器、小物などからも病がうつる事を知っていた。
 疱瘡に罹ってしまった者を助けることができないこの時代、何よりも病をうつさない事が最重要視される。特に二人しか斉正の血を引く子供がいないだけに、伊東も今までになく真剣である。

「解った」

「それと、あの・・・・・・」

 言いづらそうに口籠もる伊東に対し、風吹は苛立ちを露わにした。

「何じゃ!はっきり申せ!」

「では、控えの間で・・・・・・」

 どうやら盛姫の前では話せない内容らしい。風吹もようやくそれに気が付いて、伊東と共に場所を移そうとしてその時である。

「・・・・・・妾に気遣うことはない。おおかた覚悟を決めておけ、と言うのじゃろう?」

 微熱で頬を紅潮させながら盛姫は二人に語りかけたのだ。その一言に伊東と風吹はびくり、と肩を振るわせてしまった。

「姫君様、あの・・・・・・」

 今度は風吹が盛姫に対して恐る恐る尋ねたが、盛姫は熱で潤んだ目を真っ直ぐ風吹に向け、しっかりとした口調で言葉を紡ぎ出す。

「・・・・・・妾は武家の総領の娘じゃ。死が恐ろしくて徳川の娘は務まらぬ」

 重たい言葉をさらりと言ってのけ、にっこりと二人に微笑みかける盛姫に対し、伊東は真実を語る覚悟を決めた。

「この病は十人中、四人ほどが命を落とす恐ろしい病でございます。そして恐れながら姫君様におかれましては、産褥にて御身体が弱っておいでです。残念ながらよっぽどの奇跡が起こらぬ限りは・・・・・・」

 さすがにそれ以上言葉を続けることができない伊東に、盛姫はそこまで、と話を止めさせた。

「よくぞ言うてくれた。ところで・・・・・・妾はあと何日ほど保つかのう」

 その言葉からは怯えた様子は微塵も感じられない。徳川宗家の娘として、どこまでも凜と美しく己の死と向かい合うその姿があまりにも眩しく、伊東は瞼と閉じ、口を開いた。

「私の経験からしますとあと七日から十日ほどで再び熱が上がります。これは発疹が化膿して膿疱となるからなのですが・・・・・・そこから先は私にも解りかねまする」

「では、身の回りの始末や辞世の和歌は早めの方が良さそうじゃな」

「姫君様!縁起でもないことを!」

 盛姫の言葉に風吹が気色ばむが、盛姫は艶然と微笑み風吹を宥めた。

「武家の娘が己の始末もせずに身罷る事の方がよっぽど質が悪い。風吹、暇を持て余しているであろう颯達に命じて、妾の形見分けをさせよ。そして風吹・・・・・・墨を磨ってくれぬか。皆への最後の言葉はそなたが磨った墨で書かせてほしい」

「姫、君・・・・・・さま」

 気丈な風吹の声が湿り気を帯び始め、嗚咽が漏れ始めた。その嗚咽はいつまでも続き、さすがに痺れを切らした伊東が余計な一言を零してしまう。

「風吹殿、私が言うのも何ですが、姫君様に残されいる時間は極めて短い。いつも以上に迅速な行動を・・・・・・」

「そなたに言われなくとも解っておる!では、私は手筈を整えて参ります!」

 思わぬ所を伊東に見られた気恥ずかしさもあったのだろう。風吹は伊東をきっ、と睨み付けると即座に行動に移った。



 それからの七日間はあまりにもめまぐるしかった。女官達は泣きじゃくりながら形見分けの品々を整理し、表屋敷にばれないように――――――これは表藩邸から連絡が行き、国許で忙しく働いている斉正に気を遣わせないようにと盛姫が命じたものである――――――こっそりと僧侶を呼び、加持祈祷を行わせる。子供達は真っ赤な疱瘡玩具に囲まれて息を潜め、黒門は異様な空気に包まれていた。

 そんな中、ただ一人盛姫はゆったりと大事な人一人一人に遺書をしたためていた。一番ありがたいのは書いたものが全て無駄になることだが、今の盛姫の体力では病から生還するのが難しい――――――それは盛姫自身が一番よく判っている。
 兄である将軍を始め風吹を始めとする女官達、そして斉正を支えてくれている佐賀の家臣達――――――そして最後に斉正への遺書を書き始めた。すでに発疹が化膿し始め、熱っぽさに頭がぼんやりする中、盛姫は一言一言をしたためる。

「姫君様、すでに殿への御遺書はお書きになられたのでは?」

 遺書の宛名を見て風吹は心配そうな表情を浮かべた。すでに熱によって思考力が無くなりつつあるのか――――――そう思ったのである。しかし、盛姫は悪戯っ子のような笑顔を見せ、遺書を書き続けた。

「あれは『藩主・鍋島斉正』に対しての遺書じゃ。これは我が良人、『貞丸』に書いておる私的なもの――――――だから覗き込んではならぬ、恥ずかしいではないか」

 盛姫の指摘に風吹は慌てて書面から目を離した。

「この書状は、貞丸以外誰にも見られとうない。そうじゃな・・・・・・あの琴柱箱の中なら誰も覗かないじゃろう」

「あの、と申しますと、『月影』の琴柱が入っている、葵の御紋の琴柱箱のことでしょうか?」

「そうじゃ。その旨皆に伝えて欲しい。あの琴柱箱を最初に開けて良いのは貞丸じゃと」

 不治の病と闘っている人間とは思えぬ、まるで唄うような声音で風吹に頼むと、盛姫はさらさらと和歌をしたためた。



沫雪に 儚く散りし 紅梅は  とわに想いし 有明の月



 沫雪に消えゆく己が命の儚さ、散りゆく紅梅を自分、そして有明の月を斉正に喩えた歌である。

「熱の所為かのう。まともな歌が思い浮かばぬ」

 そう笑いながらも満足げに筆を置くと、盛姫はようやく床に就いた。



 遺書が書き終わった安心感からだったのか、それとも元々の病状の進み方だったのか、盛姫の容態は遺書を書き終えたその日の夜から急激に悪化した。
 表屋敷から斉正に連絡が行き、佐賀にいる斉正を徒に心配させてはならないと、今まで極秘扱いだった盛姫の病状もここにきてようやく表屋敷に公開、藩邸を上げての加持祈祷の祈りに満ちていった。

 だが、三日三晩苦しんだ後盛姫は呼吸器、そして肺にまで出来てしまった膿疱により呼吸不全に陥ったのである。

「風吹・・・・・・妾の、副葬品は・・・・・・解っておろうな?」

 高熱と、息苦しさに翻弄されつつ、斉正は風吹に問いかける。

「ええ。殿から頂戴した硝子玉のみ――――――でございますね。」

 風吹の返事に盛姫は満足げに頷いた。

「そうじゃ。それ以外のものは・・・・・・なら、ぬ」

 そう微笑みかけ、瞼を閉じた瞬間、風吹の手に握られていた盛姫の手から急に力が抜ける。今まで苦しげに上下していた胸もいつの間にか動きが小さくなり、風吹の目の前で動かなくなった。苦しげだった息もいつの間にか止まっている。

「ひ、め・・・・・・ぎみ、さま?」

 恐る恐る風吹が声を掛けるが、その声に盛姫は全く反応しない。傍に控えていた伊東が急いで脈を取るが、すぐさま手を離し首を横に振った。

「残念ながら姫君様は、お隠れに・・・・・・」

 その瞬間、風吹は盛姫に縋り付き、子供のように大声で泣き出した。



 弘化四年二月三日、佐賀公鍋島斉正正室・盛姫逝去。享年三十七歳――――――佐賀藩の黎明期をようやく迎えた矢先の死であった。



UP DATE 2011.04.13

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ずっと予告していた盛姫の死――――――とうとうこの時を迎えてしまいました。書く方としても、それこそこの話を書き始める前から覚悟は決めていたのですがやはり実際に書くとなると辛いものが・・・・・これが現時点で2年近くにわたる『盛姫』との付き合いの重さなんだとつくづく思いました。(正直芹沢鴨の暗殺死のほうが楽だった・・・・あれはある意味男の生き様だったしなぁ。)

盛姫が最後に風吹に頼んだ『副葬品』ですが、この硝子玉は『徴古館』さんのHPで見かけたものなんです。(現在はHPがリニューアルされてしまって硝子玉も琴柱箱も引っ込められてしまいました・泣)前々からこの話に使おうと仕込んでおいたものですが、ようやく使うことができました(^o^)。あとはもう一つの仕掛けの琴柱箱ですが、これに盛姫はごくごく私的な遺書、というより最後の恋文を仕込みました。この仕掛けはいつ開かれるのか(少なくとも直後ではございません・笑)そちらも気を長くしてお待ちくださいませね。

次回更新は4/20、盛姫逝去の続報が次々と入ってくる佐賀で斉正が取る行動&盛姫の埋葬場所について書かせて戴きます。
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