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「葵と杏葉」
葵と杏葉・外伝

疱瘡玩具~葵と杏葉・外伝

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 それは正月の慌ただしさが一段落した、一月半ばのことであった。質素ながら温かで、平穏だった佐賀藩邸に突如『疱瘡』という名の悪鬼が入り込んだのである。その悪鬼は瞬く間に藩邸内に広がり、事もあろうに一番罹患してはならぬ人物に牙を剥いたのだ。

「颯殿!伊東の診立てでは姫君様はやはり・・・・・・疱瘡だそうです。すぐに御子達を姫君様のいる部屋から一番離れた部屋か、別の屋敷に移すよう指示が出ました」

 責姫と濱が颯らを相手に貝あわせをしていた所へ梓が息を切らせて飛び込んできた。その声に颯の腕に抱かれて眠っていた淳一郎がわっ、と大声で泣き出し、濱は手にしていた蛤をぽろり、と落とす。そんな濱に対し大丈夫だと穏やかに宥めた後、颯は厳しい表情で梓に尋ねた。

「承知しました。では私は姫様達を奥の部屋にうつします。あとは一度疱瘡に罹ったことのあるおなご衆を藩邸内からかき集める必要がありますね。ところで風吹様は?」

 実質的に黒門を仕切っている風吹の動き次第で颯の動きもまた変わってくる。万が一風吹が盛姫の看病に付きっきりになるならば颯が黒門内の全てを指示しなければならない。そして案の定颯の考えていたとおりの答えが梓から返ってきた。

「風吹様は姫君様のお側に付き従うとのことです。事によっては疱瘡に罹り、命を落とすかも知れぬから、後のことは颯に任せると・・・・・・」

 そこまで告げると梓は言葉を失った。その視線の先には表情を強張らせた濱がいた。母親が命を落とすかも知れない――――――その一言に今にも泣き出しそうである。

「母上は・・・・・・どうなっちゃうの?」

 多少やんちゃなところはあるが、まだ十歳の子供である。濱は目に涙を滲ませながら颯に尋ねた。

「大丈夫。風吹様が相手では、さすがの疱瘡神も逃げ出しますよ。それよりも責姫様、お濱ちゃん、あなた方は奥の部屋へ参りましょう。姫君様や母上様のお邪魔をしてはなりませぬ」

 優しいが、有無を言わさぬ口調で颯は二人を促し、傍に控えていた配下の女官に命じた。

「佐賀公が江戸を留守にしている今、若や姫達を疱瘡に罹らせては黒門の恥じゃ。すぐに奥部屋の準備を」

「承知いたしました!」

 女官達は即座に部屋を飛び出し、颯は抱えていた淳一郎と共に責姫と濱を促し普段は使用されていない奥部屋へと移動した。



 颯と三人の子供達が奥向きの部屋に通された時、責姫と濱は一瞬怯んだ。

「お部屋、真っ赤っ赤・・・・・・」

 そう、奥部屋は疱瘡棚を中心に真っ赤な玩具や絵で埋め尽くされていたのである。

「これは疱瘡神除けのお守りです。そのうち慣れますから我慢しましょうね」

 颯は赤色の洪水に怯んだ二人の姫を促し部屋へ入れた。



 『疱瘡神除け』とは擬人化した疱瘡を追い出すための呪いの一つである。疱瘡神は犬や赤色を苦手とするという伝承があるため、張子の犬人形や鯛に車を付けた鯛車、猩々の人形を飾ったり、赤い御幣や赤一色で描いた鍾馗の絵をお守りにしたりするなどの風習があった。また、疱瘡を患った患者の周りには赤い品物を置き、未患の子供には赤い玩具、下着、置物を与える風習もあった。今回はこの風習に従って子供達を『赤いもの』で守ろうとしたのである。
  疱瘡神除けに赤い物を用いるのは、疱瘡のときの赤い発疹は予後が良いということや、健康の象徴である赤が病魔を払うという俗信に由来するほか、生き血を捧げて悪魔の怒りを解くという意味もあると考えられている。

「それにしても短い時間でよくぞここまで疱瘡玩具を揃えたな」

 颯は赤絵を手に取りながら女官達に問う。『赤絵』とは赤色だけで描いたお守りもあり、絵柄には源為朝、鍾馗、金太郎、獅子舞、達磨など、子供の成育にかかわるものが多く描かれている。
 為朝が描かれたのは、かつて八丈島にに配流された為朝が疱瘡神を抑えたことで島に疱瘡が流行しなかったという伝説に因る。また、『もて遊ぶ犬や達磨に荷も軽く湯の尾峠を楽に越えけり』といった和歌もが赤絵に書かれる事もあったが、これは前述のように疱瘡神が犬を苦手とするという伝承に由来する。
 そういった赤絵もところ構わずぺたぺたと壁に貼り付けてあり、壁が見えないほどである。何もここまで・・・・・・と内心颯は思ったが、その思いを表情には出さなかった。

「はい。巷でも疱瘡は流行しております故、あちらこちらに疱瘡玩具が売られておりました」

 目に痛みを覚えるほどの真っ赤な玩具達に呆気にとられながらも、颯はすぐさま子供達に赤い、疱瘡よけの着物を着せ始めた。



 平安時代の『続日本紀』によれば、疱瘡は天平七年に朝鮮半島の新羅から伝わったとある。当時は外交を司る大宰府が九州の筑前国筑紫郡に置かれた為、外国人との接触が多いこの地が疱瘡の流行源となることが多く、大宰府に左遷された菅原道真や藤原広嗣らの御霊信仰とも関連づけられ、疱瘡は怨霊の祟りとも考えられた。
 近世には疱瘡が新羅から来たということから、三韓征伐の神として住吉大明神を祀ることで平癒を祈ったり、病状が軽く済むよう疱瘡神を祀ることも行われていた。寛政時代の古典『叢柱偶記』にも『本邦患レ痘家、必祭二疱瘡神夫妻二位於堂一、俗謂二之裳神一(『我が国で疱瘡を患う家は、必ず疱瘡神夫妻お二人を御堂に祭り、民間ではこれを裳神という』)』と記述がある。
 医術が発達していなかった当時、大名家であってもこれ位のことしか出来なかった。勿論種痘を導入する前の佐賀藩においても同様である。ただひたすら呪いのみに頼る疱瘡よけが、ただひたすら黒門内で続けられることになったのは言うまでもない。



 疱瘡よけのまじないが効いのか、それとも女官達の素早い判断が功を奏したのか、子供達三人は疱瘡に罹ることなく時は過ぎていった。だがそうなってくると退屈してくるのが子供というものである。一つの部屋に一日中押込められていればうんざりしてくる。さらに食事もひたすら赤いものばかりが続き、それも子供達、特に濱を辟易させた。

「え~またお赤飯なの?」

 こちらも疱瘡よけのまじないとして毎日出されている赤飯に対し濱がふくれ面をする。たまに食べるには嬉しい赤飯だが、毎日三色赤飯ではさすがに飽きてくる。

「我慢なさいませ。ほら、姫様は黙って食べておいでですよ」

 颯の言葉に責姫の方を向くと、確かに責姫は出された赤飯を黙々と食していた。目を丸くして責姫を見つめる濱に対して、責姫はいったん箸を置くとまるで姉のように濱を諭し始めた。

「・・・・・・母上様が以前仰っていたの。藩が貧乏だった時はもっと色んなものがご飯に混じっていたって。もしご飯に何が混じっていても、それは全て佐賀や近隣の農民が私達のために作ってくれたもの。それを粗末にしては罰があたるでしょう。私達は我慢しましょう、濱」

 責姫の、子供らしからぬその言葉――――――そこは人の上に立つ事を宿命づけられた者の言葉である。その差を思い知らされ濱は顔を真っ赤にして俯いてしまった。その時である。

「颯殿、ちょっと・・・・・・」

 梓が颯に声を掛けてきた。その声は明らかな泣き声であり、不吉な予感を与える。だが、責姫は唇を噛みしめ、ぎゅっと握った拳を振るわせながらも一粒の涙も見せようとしない。

「姫様・・・・・・大丈夫ですか?」

 今度は濱が責姫に声を掛けるが、責姫は濱の方を見ようともせず、ただ真っ直ぐに視線を梓や颯の方に向けながら小さな声で答えた。

「母上様が病に倒れた今、淳一郎を・・・・・・江戸藩邸を守らなきゃいけないのは私なの。だから、私がしっかりしなきゃ・・・・・・」

 小さな声で呟いたその言葉は、幼いながらも感じている、『佐賀藩の姫』としての覚悟であった。



 颯と梓の話し合いの後、すぐさま盛姫の『形見分け』が行われた。とは言っても元々それほど持ち物が多くない盛姫である。着物以外は斉正に、そして着物は責姫や濱、そして女官達に下された。その中で一つだけ妙なものがあった。

「ねぇ、颯。これは何?」

 責姫が不思議そうに手に取った物、それは斉正が盛姫のために作った硝子玉であった。

「確か殿が姫君様の為にお造りになられたものだったと・・・・・・ちょっと聞いてきますね。」

 颯は硝子玉を持って黒門へ向かったが、暫くすると手ぶらで帰ってきた。

「あれは差し上げられません、って姫君様からのお言葉です」

 颯は少し涙ぐみながらその事を子供達に伝えた。

「あれは・・・・・・浄土へ・・・・・・お持ちになるのだと」

 それが颯の精一杯であった。その場にしゃがみ込み嗚咽し始める。

「母上様は・・・・・・助からないの?」

 がたがたと震える濱の横で責姫が尋ねた。その幼いかんばせは青ざめてはいたが、震えてはいない。確実に己を押さえつけ、藩主の娘――――――否、江戸藩邸を預かる者としての責務を果たそうとしていた。

「疱瘡が・・・・・・喉にまで入ってしまい・・・・・・あれではもう・・・・・・」

 それが颯の限界であった。颯はその場に崩れ、泣きじゃくる。さすがにそれ以上颯からは何も聞けないと責姫も諦めの表情を浮かべた。

「済まぬな、颯。もう、よい。妾も・・・・・・覚悟を決めよう」

 泣き出したいのを必死に堪え、唇を噛みしめながら責姫は颯を労った。



 盛姫が疱瘡により命を落としたのはその五日後であった。実際の手配や準備は江戸家老や颯らを中心に行われた。本来ならば風吹が幕府と佐賀藩の橋渡し役をするところだが、一度も疱瘡に罹ったことがないのに盛姫の看病をしていたため、風吹もまた疱瘡で倒れたのである。泣きじゃくり、風吹が寝ている部屋に向かおうとした濱を責姫が必死に止めた。

「風吹は大丈夫。だって・・・・・・」

 責姫は濱を落ち着かせるため、にっこりと笑顔を見せる。

「濱が作った犬の仔の人形があるんだよ・・・・・・きっと風吹を、濱の母上を守ってくれるよ」

 深い悲しみが佐賀藩邸を包み込む中、佐賀藩江戸藩邸の小さな女主人は気丈に幼なじみの娘を慰める。己の悲しみをただひたすら押し殺して――――――だが、それを見守り、責姫の悲しみを知っていたのは真っ赤な疱瘡玩具達だけであった。



UP DATE 2011.04.27


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改革編『さらば、愛しき人・其の貳』の責姫、濱sideにあたる『疱瘡玩具』です。悲しみに暮れる佐賀藩邸の中、ただ一人気丈に盛姫の死に耐える責姫ですが、彼女も本当は悲しくてしょうがないんですよね。彼女が心置きなく泣けるのはもう少し後、斉正が江戸にやってきた時になりそうです。


医療が現代ほど発展していなかった江戸時代、病気の治療にもかなり『おまじない』が重要な位置を占めていました。その中でも『疱瘡』こと天然痘は特別だったらしく、疱瘡を追い出すための『疱瘡玩具』や『赤絵』がかなりあったんですよねぇ。ちょっとググって戴ければ当時の疱瘡玩具が沢山出てきます。
その中でも特に有名なのが犬張り子&鯛車でしょうか。あと、もしかしたら赤べこも疱瘡玩具の一つかも知れません(うろ覚えで申し訳ないんですけど^^:)
ちなみに疱瘡玩具は疱瘡に罹ってしまった子にも与えられます。もしかしたら病気で寝込んでしまって遊べない子供のために病でも遊べるものを・・・という親心から出来たものかも知れませんね(^^)。色々調べると興味深いものが出てきそうです。

話は変わりますが、とある地方では疱瘡に罹ってしまった子供や若者を『疱瘡山』に隔離したという風習があったそうです。他に疱瘡をうつさないため・・・・・だったらしいのですが、山の中では遊び放題(笑)病気だから農作業などは免除されますからねぇ。しかも同年代の若者が罹ることが多い病気ですので若者同志楽しんでいたとか・・・・それ位の楽しみがなければ病気と闘えませんよね。
今も昔も病気との闘いは大変だったようです。


次回更新は5/11、開国編の開始です。(早速種痘の話になります)
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M様、ご来訪及びコメント誠にありがとうございますm(_ _)m 

初めまして。管理人の乾小路と申します。
このようなネットの辺境に足をお運び戴きありがとうございます。
また、帰省中とはいえお返事遅れてしまいましたこと、ご容赦くださいませ。

あわわ、 鍋島播磨の血筋のお方でいらっしゃるのですね(滝汗)。
佐賀藩に関しての知識もないまま聞きかじった閑艘公の偉業に惚れ込み、さらに藩史に登場してくる人々全てが魅力的であったため恥知らずにも拙い小説をWEBに晒しております。
M様の方がご存じかと思いますが、閑艘公及び藩士の方々が残した佐賀藩の偉業の割に、歴史の上では何となく軽んじられているような気がいたしまして・・・・拙い駄文ではありますが、少しでも薩長土肥の中で一番先進的だった佐賀藩の偉業を伝えられれば、と思っております。
また、佐賀に対しての無知故にご子孫及び一族の方々に不快な思いをさせてしまうかも知れません。その時はご遠慮なくご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

『七草爪』に対しても拍手でのお言葉、ありがとうございました。あの風習は関東、特に江戸を中心としたものらしく恥ずかしながら神奈川育ちの私も色々調べて初めて知った風習です。
佐賀の風習を知らない分、盛姫サイドの『江戸の風習』で何とか持たせているようなもので(苦笑)。少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。

外伝二編に対してご丁寧なコメントありがとうございました。宜しければ以後ご贔屓のほどよろしくお願いいたします。

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