FC2ブログ

「葵と杏葉」
葵と杏葉・開国編

葵と杏葉開国編 第一話 種痘・其の壹

 ←拍手お返事&いちごのお菓子 →夏虫~新選組異聞~ 第三章 第三話 進退伺・其の参
 伊東玄朴から種痘接種の進言を受けた斉正は、すぐさま長崎にいる藩医・楢林宗建を佐賀城に呼び出した。
 元々斉直の侍医であった宗建は、若手の邪魔になってはならないと滅多に佐賀城に上がることは無くなっていたが、斉正のあまりにも急な呼び出しにただならぬものを感じたのだろう。普段なら使者を送った十日後ほどにやって来る宗建が、今回ばかりは使者を送って五日もしないうちに慌てて佐賀城にやって来たのである。

「殿、この度は姫君様の御逝去、如何ともしがたく・・・・・・」

 斉直時代の習慣が抜けきらぬのか、しゃちほこばった型どおりの挨拶をしようとする宗建を斉正は途中で止める。

「宗建先生。来て戴いて早々に申し訳ないが、こちらを検証して戴きたい」

 斉正の言葉と同時に、傍に控えていた松根が伊東からの手紙を楢林に差し出した。その手紙を楢林は怪訝そうに手に取り、松根に促されるまま中を読んでゆく。

「宗建先生、そこに書かれている種痘とは如何なるものか、教えて戴きたい。疱瘡に罹らなくなる唯一の方法らしいのだが、城の中でこの手紙の内容を理解出来る者がいないのだ。それ故に宗建先生のご足労戴いたのだが」

 目の前で伊東の書状を食い入るように読み進める宗建に、斉正は今回の呼び出しの説明をし続ける。だが、楢林は斉正の言葉を殆ど聞いてはいなかった。それ位伊東の進言書に集中していたのである。そして、読み進めていく内に宗建のその顔にみるみる泣き笑いの、何とも言えない表情が広がってゆく。

「やはり、老体に鞭打って登城して正解でございました。ようやく・・・・・・ようやく殿が種痘に興味を示してくださるとは!」

 ぽろぽろと涙を零しながら、しかしこれ以上はないという宗建の歓喜の表情に、むしろ呼び出した斉正が驚く。

「・・・・・・ということは、その手紙に書かれている内容は本当なのですか?」

 俄に信じられないと松根が横からぽろりと零したその刹那、宗建はきっ、とまなじりを吊り上げて声を荒らげた。

「本当も何も!日の本中の蘭医が熱望して止まないものですぞ、この牛痘による接種は!ああ、これで大勢の子供達を目の前で死ぬのを見なくても済みまする・・・・・・どれだけ蘭医が牛痘による種痘を切望しているか!」

 とうとう感極まってわんわんと泣き出す宗建を、斉正や松根、そして茂真らが宥めなくてはならない状況に追い込まれた。

「宗建先生、落ち着いたらで構いませんが、できれば『種痘』や『牛痘』とやらについてもう少し詳しくお聞かせ願いたい。もし有効なものであるならば、今度の阿蘭陀船入港の際にその『牛痘』とやらを注文したいと思うのですが」

「殿・・・・・・ありがとうございます!拙い説明ではございますが早速簡単に説明させて戴きます。実は・・・・・・」

 簡単に、と言いながらも長々と半刻近くに及ぶ講義が始まったのであった。



 伊東玄朴の進言、そして楢林宗建の力説に納得した斉正は弘化四年六月終わり、長崎港に入港した阿蘭陀船に対し『牛痘苗』の注文をした。勿論阿蘭陀側は大歓迎でこの注文を受け、優秀な指導医と共に牛痘苗を日本に持ってくると力強く約束した。

『いつになったら日本で種痘が本格的に行われるのかと思っていたところだったんですよ。ちょっと痛いですけど、あの程度の痛みで一生疱瘡の恐怖から解放されるのですから。サガ公、是非とも日本中に種痘を広めてください。人々が貴方のような悲しい思いをしなくても良くなるように』

 斉正の注文を受けた領事館の大使は力強く斉正の手を握る。その力強さに斉正は改めて自分から盛姫を奪った病を撲滅する決意を新たにした。



 時は瞬く間に過ぎ去り、佐賀藩の参勤の季節となる。例年ならば急くように江戸へ向かう斉正だったが、今回ばかりはその足取りは重かった。江戸に到着してしまえば、否応なく盛姫の死というものを突きつけられてしまう。それが嫌で仕方なかったが、斉正の気持ちとは裏腹に参勤行列は飛ぶように江戸へ到着してしまった。

「済まぬ。藩邸に行く前に増上寺に立ち寄って欲しい」

 品川宿を過ぎた時、思い詰めたように斉正が近くに侍っていた松根に声をかける。この場所に――――――盛姫の墓所の目と鼻の先に到着するまでなかなか言い出せなかったその一言に、松根は頷く。

「承知いたしました――――――皆の者、増上寺へ!」

 良く通る松根の声に、参勤の行列はそのまま増上寺へと向かっていった。



 盛姫の墓参りを終えた後、斉正はようやく江戸藩邸に入った。

「主がいなくなると・・・・・・こうもうら寂しくなってしまうものなんだな」

 駕籠から降り、黒門を見やりながら斉正は呟いた。掃除こそ行き届いているが、人影のない黒門はやはりどこか寂しい。それ以上にいつも女官達に怒られながらも斉正を出迎えてくれた盛姫の姿が無いことに、斉正は胸を締め付けられる。先ほど盛姫の墓所を訪れたばかりなのに、つい盛姫の姿を黒門に見つけ出そうとしてしまう自分に斉正は自嘲した。

「ところで子供達は?」

 出迎えた江戸家老に対して斉正は訊ねる。

「藩邸の奥向きにいらっしゃいます。そちらの方が何かと目が行き届きますので」

「そうか。ではまずそちらに行こうか」

 家臣達や盛姫付きの女官達が世話をしてくれているとは言え、子供達だけでは心細かっただろう。特に責姫は生まれたばかりの幼い弟を抱えながら『江戸藩邸の主』としての役割も果たさなければならなかったのだ。
 奥向きに詰めている女官の案内で、奥向きに出向いた斉正は子供達のいる部屋へ通される。そこには責姫と淳一郎、そして濱の三人が居た。どうやら風吹あたりが子供達を一つの部屋に籠もらせ、斉正を待たせていたらしい。

「健子、淳一郎、濱。帰ったぞ・・・・・・母上が居ない中、待たせてしまって済まなかったな」

 三人の姿を見て斉正は思わず顔をほころばせた。そしてその笑顔を見て、優しい父の声を聞くなり責姫の目にみるみるうちに涙があふれ出す。

「ち、父上さまぁ!」

 今まで我慢していたのだろう。突如斉正に駆け寄り、大声で泣きながら斉正に縋り付く。

「健子・・・・・・よく頑張ったな」

 斉正は泣きじゃくる娘を強く抱きした。まだ九歳という幼さながら、責姫は『江戸藩邸の主』として気を張っていたのだ。その緊張の糸が父親の顔を見た瞬間切れてしまったのだろう。それこそ実の母親のように可愛がってくれた盛姫が亡くなってから、家臣の前では一度も泣かなかった責姫が、斉正の腕の中で泣き続ける。

「えっく・・・・・・父上さまぁ・・・・・・ひっく・・・・・・」

 半年間我慢し続けた涙を流し続ける娘と共に、斉正の心にも新たな悲しみが沸き上がる。

(国子殿は・・・・・・もう二度と私達の許へ帰ってきてはくれないのだ)

 幼い娘を抱きしめながら、斉正は盛姫の死をようやく受け入れることが出来るような気がした。



 愛しい者の死は確かに悲しく、辛いものである。だが、その悲しみに暮れている暇は今の斉正にはない。江戸に参勤した次の日、長崎の海防に関する話もあり、斉正は早々に老中首座・阿部正弘に謁見を申し入れた。一通り海防に関する話をし終わり、ほんの少し緊迫した空気が緩む。

「肥前守、この度は姫君様が疱瘡によりお気の毒なことに・・・・・・大樹公も嘆いておられましたぞ」

 普段、それほど私的な会話をしてこない阿部だが、さすがに徳川宗家の血を引く姫君の死に対し悔やみの言葉を口にする。

「お気遣い誠にありがとうございます。ところで、我が妻を私から奪った疱瘡に関わる件なのですが」

 斉正は年下の老中に対し、顔色を伺うように尋ねる。

「・・・・・・今度我が藩に於いて牛痘を輸入することになりました。つきましては江戸に持ち込む許可を戴きたいと。それを我が娘、息子で試した後に広めたいと思っております」

「ぎゅうとう?それは一体どういうものか?」

 阿部の質問に斉正はかいつまんで説明をする。

「そんな事をして・・・・・・本当に大丈夫なのか?」

 薄気味悪そうな表情を露骨に浮かべ、阿部は斉正に尋ねる。

「もちろんでございます。台湾や阿蘭陀の植民地などではこの方法で疱瘡に罹るものは格段に少なくなっているとの事です。長崎に詰めております我が藩の藩医や阿蘭陀領事館の医師にも確かめましたので、江戸に持ち込んだからと言って危険はございません。どうか、牛痘を江戸に持ち込む許可を・・・・・・」

 勢い込む斉正だったが、阿部は斉正の申し出に待ったをかける。

「・・・・・・しばし待て。私一人では判断が付きかねる。長崎の件は時間がかかるが、種痘の件については数日以内に返事を出す故、今日は下がれ」

 だが、その表情には明らかな否定の色が色濃く滲んでいた。



 斉正が帰った後、阿部は他の老中や御殿医達を呼び出し、斉正の申し出について協議し始めた。

「何と佐賀公がその様なことを・・・・・・」

「牛の疱瘡を人間に打つなどと・・・・・・気味の悪い。牛になってしまうではないか!」

「姫君様を亡くされて気がふれてしまったのか・・・・・・仲の良かったご夫婦だったからお気の毒に」

「間違ってもそんなものを江戸に入れてはなりませぬ!」

 さすがに得体の知れないものを江戸城下に持ち込むとなると意見は慎重である。むしろ『入り鉄砲』の方がまだすんなり賛成するのではないかというほどの反対の嵐だ。だが老中首座の阿部は、御殿医の漢方医達が異常なまでに強く種痘に反対の態度を取る事に引っかかっていた。

(もしかしたらこやつら、牛痘とやらの効能を知っているのではないのか?)

 もし牛痘による種痘が確かなもので、疱瘡に対して効果が見られたら、蘭方を見る人々の目が変わるだろう。誰だって病で死にたくないし、痘痕によって醜くなりたくもない。そして蘭方がもてはやされるようになれば困るのは漢方医達である。

(保身のために反対しているということもあり得るな)

 とりあえず長崎で試し、そこで結果を出した後で江戸に持ち込んでも遅くはないのではないか――――――阿部の心境は固まった。



 数日後、江戸に牛痘を持ち込むことはまだ罷り成らぬとの老中の言葉を聞き、斉正はがっくりと肩を落とす。

「だが、長崎及び佐賀藩領内において種痘とやらを試すのであれば不問に致す。江戸に種痘を持ち込むのは長崎で種痘が成功した後でも良かろう」

 年上の斉正を宥めるような口調で、阿部は種痘の江戸持ち込みを諦めるよう説得するが、それで諦める斉正ではなかった。

「では我が息子、淳一郎を一時佐賀に連れ出す許可をいただけないでしょうか」

 思いもしなかったその言葉を聞き、阿部は目を丸くする。

「気は確かか、肥前守?」

「ええ、勿論でございます。我が子を病の一つから確実に守れる方法があるのならば、それに縋りたいと思うのが親心でございます」

「しかし・・・・・・牛になってしまったらどうするのだ?巷ではそういう風に言われているそうではないか。何もようやく誕生した世嗣にそんな怪しげなものを・・・・・・」

 気味悪そうな表情を露わにする阿部に、斉正はそれは俗説ですと笑い飛ばした。

「淳一郎は武士の子でございます。これしきのことで怯えていては跡を継がせることなど出来ませぬ。ですが、やっぱり法度に引っかかるのでしたら・・・・・・」

「いや、今回は特別に許そう。安全も解らぬうちに牛痘とやらを江戸に持ち込まれては大騒ぎになる!」

 牛の疱瘡の瘡蓋を江戸に持ち込まれ、変な病が流行するよりは、大名の子を一人、法度を破って国許へ帰すほうがまだ被害は少ない。そもそも斉正には娘が一人藩邸にいるから『人質』としての役割はその娘に担わせればよいだろう。万が一、種痘に失敗し、斉正の息子が死んでもそれは自業自得である。

「ありがたき幸せに存じます」

 斉正は笑顔を浮かべると、深く頭を下げた。



 老中首座、すなわち幕府から正式な許可を取り付けた斉正は、種痘を受けさせるために淳一郎を佐賀へ連れていくことになった。

「健子、濱。心細いだろうが、しっかり留守を守っておくれ」

 斉正は江戸を任せる二人の幼い娘達に声を掛ける。

「ご安心を。責姫様は私、濱が責任を持ってお守りいたします」

 自信満々に言い放つ濱に対し、斉正は極上の笑顔を向けた。

「さすが我が『側室』、どこかへ嫁にやるとしても婿選びが大変だな。迂闊な者を濱の婿には出来ぬ」

 斉正の褒め言葉に濱も嬉しげに頬を染める。

「・・・・・・そうやって口の上手いところは本当に父親譲りなんですから。責姫様にご迷惑を掛けるんじゃありませんよ、濱!」

 浮かれる濱に対し、きつい一言を放ったのは淳一郎を抱いている風吹であった。道中の淳一郎の世話を任されたのである。

「折角殿様に褒められたのに・・・・・・母上なんて大嫌い!」

 い~っ、と歯をむき出す濱に対して斉正も責姫も笑いが止まらない。

「では濱、健子を頼んだよ」

 斉正は濱の頭を撫でた後、責姫を抱きしめた。

「お前には苦労をかけるが・・・・・・来年の秋まで健やかでいるのだぞ。母上の墓参の後、父は淳一郎と共に佐賀へ向かうから」

「はい・・・・・・父上様」

 斉正の言葉に泣くまいと思っていた責姫の目から涙が溢れる。これから本当の意味で『佐賀江戸藩邸の主』としての重責が責姫にのしかかるのだ。その重責に負けぬよう、責姫は父の温もりをしっかりと自分の心に焼き付けた。



UP DATE 2011.05.11

Back   Next
 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
ランキング参加中。お気に召しましたら拍手代わりに是非ひとポチをv

  
こちらは画像表示型ランキングです。押さなくてもランキングに反映されます。
(双方バナーのリンク先には素敵小説が多数ございます。お口直しに是非v)






久しぶりの『葵と杏葉』ですv久しぶりだったんで書き方を忘れているかな~と思ったらとんでもない(笑)。開国編に入り資料が増えてきた分どうやって話をまとめるか、どの部分を削っていくかという嬉しい悩みに悩まされました。文章力があれば史実を全て書き込みたいのですが悲しいかな文章力と資料解析力が残念なカンジなので・・・・とりあえず桜田門外の変までをこの開国編30話でまとめていきたいと思っております。

今回は種痘導入を決めるところまでを取り上げました。この当時、牛痘への認識は老中・阿部の科白の如く『そんなもの身体に入れたら牛になる。』的なものだったそうです。確かにウィルスという概念もワクチンという考えも無かった当時、牛の天然痘から取った瘡蓋を人間に・・・・なんて不気味以外何でもないでしょう。それでも実際台湾などでは成功しているのですから、効果を知っている人間にとって欲しくて欲しくてしょうがなかったと思います。

次回からは輸入した牛痘がどのようにして佐賀に根付いていったか、そして江戸に牛痘を持ち込む際どのようにして日本中に広まっていったかを書いていきたいと思います。(斉正の意向もあったのか、医者の派閥を超えて牛痘はあちらこちらに分けられて、各地で種痘が行われることになります。その速度が半端じゃ無い・笑)


次回更新は5/18、今回あまりきちんと書けなかった斉正の墓参り風景&牛痘導入後の苦闘&その後の成功を中心に書いてゆきます。
関連記事
スポンサーサイト




 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ 3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ 3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ 3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ 3kaku_s_L.png 雑  記
総もくじ  3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ  3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ  3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ  3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ  3kaku_s_L.png 雑  記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【拍手お返事&いちごのお菓子】へ  【夏虫~新選組異聞~ 第三章 第三話 進退伺・其の参】へ
  • Tag List 
  •  * |

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【拍手お返事&いちごのお菓子】へ
  • 【夏虫~新選組異聞~ 第三章 第三話 進退伺・其の参】へ