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「葵と杏葉」
葵と杏葉・世嗣編

葵と杏葉世嗣編 第十九話 茂義の妻・其の壹

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 武士にとって主君の命令は絶対のものである。たとえそれが受け入れがたいものであったとしても――――――。


 新年の挨拶と共に藩主・斉直自ら茂義に対して下したその言葉は、茂義にとって青天の霹靂であった。請役への再任はともかく、まさか婚姻の話が出るとは露ほども思わなかったのだ。そのような話は微塵も聞いていなかったし、噂さえ無かった。茂義は動揺を押し殺し藩主の言葉にただ聞き入る。

「茂義よ、くだんの件に伴うそなたの働き、誠にあっぱれである。褒美として請役への再任と我が娘、寵姫との婚姻を許そう。時期は来年の春、二月頃がいいじゃろう」

 請役、すなわち家老職でありながら主君の娘を妻に、というのは望んでも難しいことであり、大変名誉なことである。だが、今回の婚姻に関しては一概にそうとも言い切れなかった。

 そもそも斉直が茂義に自分の娘を嫁にと言い出したのは、茂義と斉正、さらにはその後ろ盾である黒門との関係が密接になりつつあったからである。
 元々茂義は教育係として、そして頼れる兄分として斉正と仲が良かったが、黒門が関わってくるとなると話は別である。いざ何かあれば黒門、すなわち徳川将軍家の意向を汲んで斉直に不利な働きをしかねないのだ。それは斉直の失脚に直結し、息子・斉正へ全ての権力が移ってしまうことを意味する。
 それを防ぐにはさらに強い絆、つまり婚姻によって茂義を縛り付けてしまうに限ると、斉直本人および取り巻きの側近達は考えた。その相手として白羽の矢が立ったのが、斉直の娘であり斉正の異母姉にあたる寵姫なのである。

「ありがたき幸せ、ですが・・・・・・」

 婚姻を理由に自分を曲げるほど茂義の意志は軟弱ではない。藩主やその取り巻きの思惑など一蹴する事は容易かったが、それ以外にもこの婚姻にはもう一つ大きな問題があった。茂義は言いにくそうに、だがはっきりとその事を指摘する。

「寵姫様のお加減は如何なものでしょうか?昔から病弱な姫君であらせられた故、それだけが心配でございます」

 風吹の顔が頭をよぎったが、あえてそれを払いのけ、茂義は斉直に寵姫の身体のことを伺った。斉正より二歳年上の異母姉は元々身体が弱く、他の大名家からの打診はおろか佐賀藩からの働きかけさえ出来なかった程なのだ。この時代の大名家の子供はひ弱であったことが知られるが、寵姫はその傾向が特に甚だしかった。
 外出した次の日には――――――大名の姫故に外出と言ってもせいぜい先祖の墓参か花見くらいなのだが――――――必ず寝込んでしまう、そのようなか弱い姫が夫婦生活に耐えられるとは茂義には思えない。

「案ずることはない。そもそも寵姫自らそなたとなら婚姻をしても構わぬと申しておる」

 満足げに斉直は返事をしたが、そうは思えなかった。自分の恋心を封じるだけならまだしも、この婚姻は病弱な寵姫の寿命をさらに縮める可能性が極めて高い。

(誰にとっても不幸な婚姻でしかないものを)

 だが、それを言葉にすることは許されない。茂義はただ黙って斉直に従うことしかできなかった。



 茂義と寵姫の婚姻の話はもちろん江戸藩邸にも伝えられた。長崎警護絡みの不祥事以来、めでたい話が無かっただけに江戸藩邸、特に寵姫が住まう奥向きは上に下にの大騒ぎである。もちろん斉正もその例外ではない。母親が違えど姉の結婚であり、しかも信頼する茂義と義兄弟になれるのだ。そのはしゃぎっぷりは寵姫本人以上である。

「国子殿、茂義とは本当の意味で兄弟になれるんです!これほど嬉しいことがあるでしょうか!」

 嬉しげに盛姫にまくし立てる斉正に対し、盛姫は斉正に気付かれない程度に嬉しさ半分困惑半分の複雑な表情を浮かべた。その原因は勿論風吹である。
 この知らせを聞いてからというもの、風吹は表向きには平然としていたが、物心ついた頃からの付き合いである盛姫には風吹の今までにない落胆振りが手に取るように判った。
 人を射貫く力強い視線は影を潜め、焦点さえ合っていないように見える。白粉の為判りにくいが、顔色も良くないに違いない。時折唇を噛みしめ小刻みに震えている様が、なまじ気の強さで鳴らしている風吹だけに余計に痛々しかった。

「では、黒門からも寵姫に祝いの品を贈った方が良いな。やはり反物あたりが無難かのう。貞丸の姉君ならば使者は颯か瑞希で充分・・・・・・」

 さすがにこの役を風吹に任せるのは酷であろう。さらに身分との兼ね合いもあり、御台所への謁見も許される風吹では位が高すぎる。そういった事情を鑑みながら盛姫が他の侍女を呼ぼうとしたその刹那、なんと風吹自らが盛姫に対し名乗りを上げたのである。

「そのお役目、私が勤めさせて頂きます。姫君様の名代、迂闊なものに任せる訳にいきませぬ」

 きりりとまなじりをつり上げたその瞳ときつく引き結んだ唇は、今にも泣き出しそうなのを堪えているとしか見えない。おそらく想いを寄せる相手の妻となる姫が、どのような人物か自分の目で確かめたいのだろう。むしろ風吹自らの意思で奥向きに乗り込まれるよりは『盛姫の名代』という足枷付きで行かせた方が事を荒立てないに違いないと盛姫は踏んだ。

「・・・・・。そなたは言い出したら聞かぬからな。本当に構わぬのじゃな、風吹?」

 盛姫は今一度念を押す。出来るなら前言を撤回して欲しい、そう思いながらの問いだったが、風吹は気遣いは無用ときっぱりと答えた。

「御意。このお役目、受けさせて頂きとうございます」

 そうでなければ風吹は納得できないのだろう。盛姫は肩を竦め、渋々風吹に自分の名代を命じるしかなかった。



 三反の豪奢な絹織物を手に、風吹は盛姫の名代として藩邸の奥向きに上がったのは、盛姫とのやり取りの数日後であった。

「この度は佐賀藩請役、鍋島茂義殿とのご婚約、誠におめでとうございます。こちらは我が盛姫君様よりのお祝いの御品にございます」

 感情を押し殺した声で型どおりの挨拶を済ませ、風吹は祝いの品を差し出す。

「お祝いのお言葉とお品・・・・・・誠にありがとうございます」

 上座に鎮座し、風吹の寿ぎの言葉に寵姫は言葉を返した。その声は風吹が想像していたものよりも遙かにか細く、儚げなものである。

「ありがたく頂戴いたします。本当でしたら私自ら黒門に出向き、姫君様に御礼を申し上げなくては・・・・・・コホッ・・・・・・ならぬのですが・・・・・・コホコホッ」

 寝込んでいたところを無理に起きてきたのであろう。白絹の寝間着の上に豪奢な掻取を肩に重ねていたが、その掻取にさえ押し潰されそうなほど弱々しく侍女に支えられていなければ倒れ込みそうである。
 勿論白粉など出来る訳もなく、その化粧っ気のない顔の色は透き通るように青白く、手折れば儚く折れてしまいそうな水仙の如き雰囲気を醸し出していた。
 武芸を嗜み、健康的な風吹自身とは正反対の姫君、それが寵姫である。そんな寵姫を目の前にし、風吹はぎゅっ、と拳を握りしめる。

「お気になさらぬよう。我が姫君様は物事にこだわらぬ気質故・・・・・・」

 そう言いながらも風吹の心の中は押さえきれない苛立ちにざわざわとさざめきたち、それを悟られぬよう風吹はさりげなく俯いた。

(何故・・・・・・このような病弱な者が請役殿の妻に・・・・・・いくら藩主の命令だとしてもこの軟弱さ、夫婦生活に耐えられるとも思えぬ)

 表面を取り繕いながらも、心の中にわき上がるどす黒い感情を抑える事が出来ない。お門違いの嫉妬だということは風吹自身が一番よく判っていたが、だからといってそれを消し去れるほど風吹は老練ではない。茂義自らが選んだ女性ではない事は百も承知だが、その事実さえも風吹の嫉妬心を消すことは出来なかった。

(自分の方が請役殿にふさわしいのに・・・・・・!)

 そう思ってしまう自分の浅ましさに辟易しながら、風吹は葛藤を続ける。だが、そんな努力も寵姫の何気ない一言で一気にあふれ出しそうになってしまったのだ。

「後日改めて・・・・・・茂義に頼み・・・・・・」

 茂義――――――その言葉に風吹の肩が一瞬跳ね上がる。周囲に気付かれこそしなかったが、我慢に我慢を重ねていた風吹がとうとう態度に自分の苛立ちを現わしてしまったのだ。

(茂義――――――請役殿の名を呼び捨てにするか、この女は!)

 寵姫にとって茂義は家臣に当たり、名を呼び捨てにすることは何ら咎められることはないのだが、風吹にとってそれは耐え難い屈辱である。自分は一度だって茂義の名を呼んだことがないのに、寵姫はいとも容易くその名を呼ぶのだ。
 現代と違い名前、特に諱を呼ぶことはその相手を支配したのと同等の意味を持つ。男女の関係ならば夫婦のように密接な関係を持つ相手でなければその名を気安く呼ぶことは許されないのだ。

(悔しい・・・・・・悔しい!)

 幕臣の娘である風吹と、陪臣である茂義が結婚をする事は諸法度で禁止されている。自分と茂義の関係はあくまでも私的で秘められたもの――――――それは風吹も理解している。だが感情はそう簡単に割り切れるものではない。風吹は自分の忍耐が限界に近づきつつある事を悟った。

「分かり申した・・・・・・では我が姫君様にそのように伝えておきまする」

 このままこの場にいては自分がどうなってしまうか判らない。風吹は一例をするとそそくさとその場を後にした。



 寵姫への挨拶から帰ってきてから、風吹は一人部屋に閉じこもり泣き続けた。盛姫の従者としての仕事を放棄してはならないと自分自身を叱咤するが、止めどなく溢れ続ける涙を止めることが出来ない。自分を哀れんでの涙なのか、それとも茂義を夫にできる寵姫に対する憎しみの涙なのか自分でも判らない。

「風吹、聞こえておるか。妾じゃ」

 襖越しに盛姫の声が聞こえてくる。その声は風吹を労うように優しく、穏やかであった。

「ひ、め・・・・・・さま」

 答えようとするのだが、涙で声が詰まって言葉にならない。

「そなたには三日間休暇を与える。その間に・・・・・・少し心を休めよ。そなたはいつも無理をするのじゃから、少しは自分を労らぬとな。妾のことは気にするでないぞ」

 それだけ言うと、盛姫はその場を去っていった。

「姫君様・・・・・・申し訳・・・・・・」

 離れてゆく衣擦れの音を聞きながら、風吹の目には再び涙があふれ出したのだった。




(風吹が・・・・・・あれほどまでに心を乱すとは)

 自室に戻り、盛姫は幼い頃から自分に仕えてきた侍女の、初めて見る取り乱し様に考え込んでしまった。

(確かに風吹と茂義は互いに想い合っているようではあったが)

 それは周囲から聞いていた話でもあるし、風吹の態度からも何となく判る程度であった。だからその感情は自分達――――――盛姫と斉正のような、淡い想いでしかないと思い込んでいたのだ。だが、風吹のあの取り乱し方は尋常ではない。

(妾も・・・・・もし、貞丸に側室が出来るようなことがあれば、あんなふうに取り乱してしまうのだろうか?)

 その瞬間、盛姫の胸にちくり、と何かが刺さったような気がした。針よりも尚小さく、微かに感じられるささくれのような小さな棘。そんな小さな棘でも一度存在を認識してしまったら最後意識せざるを得なくなる。

(側室・・・・・・そんな事はついぞ考えたことはなかったが)

 斉正はまだ十四歳であり、側室を侍らせるようになるにはまだ時間が必要だが、盛姫に子供が産まれなければ間違いなく側室を取らなければならない。当たり前のことだが、盛姫は今、まさにその事に気がついたのである。

(妾は・・・・・・妾にとって貞丸は・・・・・・)

 どのような存在なのか。茂義に対する風吹のような激しい感情を抱いているのかと言えば、それとは違う。だが、弟のような存在なのかと聞かれればそれともまた違うような気がする。斉正に側室をという話が持ち上がったら、江戸城の御台所のように泰然自若としていられるかどうか極めて怪しい。

(そもそも夫婦とは何なのじゃ・・・・・・?)

 風吹とは違う、人の心の迷宮に盛姫もまた脚を踏み入れてしまったのである。甘さを伴ったその苦しみの名が『恋』と言う名を持つことに気がつかぬまま、盛姫の自問自答の日々は続いていくのだった。



 風吹の嘆き、盛姫の苦悩を置き去りに日々は無情にも過ぎてゆく。そして不如帰が鳴く五月の初め、結納の為に江戸に茂義がやってきたのである。それぞれの心の中に抱えた迷宮は互いに絡みあい、より複雑な様相を示し出し動き出していく。その行く先がどこなのか――――――それを知る者は誰もいなかった。



UP DATE 2009.10.21

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かなり古めですがBGMはシュガーの『ウェディング・ベル』で。やっぱり『くたばっちまえ、ア~メン♪』のフレーズがぴったり来ると思います。
ここにに来てようやく恋愛小説部分が出てきました。私の悪い癖なのですが、導入が長すぎ(苦笑)。
この話では茂義、風吹、そして盛姫が心の迷宮をさまよいます。脳天気なのは斉正くらいでしょうか(爆)。奴はまだかぞえで十四歳、いわゆる中学一年生ですからまだ早いでしょう。それに斉正は『理系男子』なので、特に精神的な成長が遅いかも・・・・・(別に理系君を悪く言っている訳ではありません。周囲にいる理系君が非常にガキっぽい、もとい少年の心を持ち続けているので・・・・・時折『いい加減大人になれ!』と怒鳴りつけたくなります。)なので斉正の『心の葛藤』はしばらくありません。(きっぱり。)
そして今回の新キャラ寵姫。風吹との対比を際立たせる為に『病弱の姫君』として書かせて頂いております(史実でもかなりの若さで亡くなっておりますが、ネタバレになるのでここまででv)。なので、その病弱な姫君に対しての茂義の態度がどんなものになるか(無下には出来ないでしょう)・・・・・そして、それを風吹が知れば確実に血の雨が降るだろうな~。今回は泣き続けている風吹ですが、そんな大人しいだけのオナゴじゃありませんしvある意味書くのが楽しみであります。

次回更新は10月29日、盛姫の心の葛藤と結婚準備の為江戸にやってきた茂義と風吹との痴話喧嘩あたりが中心になるんじゃないかと・・・・・たぶんギャグになると思います。



《参考文献》
◆武雄市歴史資料館HP
 http://www.epochal.city.takeo.lg.jp/lib_his/history/his-top.html
◆近世武雄史談 鍋島茂義とその時代
 武雄市図書館・歴史資料館編  2007年3月31日発行
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