FC2ブログ

「葵と杏葉」
葵と杏葉・世嗣編

葵と杏葉世嗣編 第二十話 茂義の妻・其の貳

 ←幕末歳時記 其の拾陸・玄猪の祝(大久保利通&満寿子) →横浜慕情 浜猫の唄・其の参
 皐月の風と共に武雄鍋島家からの結納品を携えた仲人が江戸藩邸にやってきた。そして本来結納には顔を出すべきではない茂義本人までもが、のこのこと結納の使者と共にやって来たのである。
 もちろん茂義が江戸に来たのは自らの結納の為ではなく、江戸でやらなければならない仕事の為なのだが、江戸への交通費を削る為とはいえあまりにも非常識である。別々に江戸に向かえば武雄藩の家格に見合った共揃えを二つ揃えなければならず、二倍の経費がかかるとしてもだ。
 にも拘わらず茂義が結納の一段と共にやって来たのは、それはとりもなおさず『敵状』が気になるからに他ならない。

「おい、茂義。おめぇ自ら江戸に出てくる必要はねぇんだぞ。親父と一緒に霜月に来るとばかり思ってたら、のこのこ江戸に出てきやがって」

 異母妹の結納後に行われる宴会にでも出席する為か、藩邸に顔を出していた直孝が茂義の顔を見るなり指摘する。

「仕事に決まってるだろう!結納に顔を出す花婿がどこにいるって言うんだ、馬鹿馬鹿しい。それよりも何故あんたがいるんだ、餅ノ木の」

 珍しく羽織袴を身に着ている直孝に対し、茂義は胡散臭げな視線を投げかける。

「腹違いとはいえ、かわいい妹の結納に顔を出しちゃいけねぇ、って決まりはねぇだろう」

 ふふん、と鼻で笑いながら直孝は茂義に近づいていく。

「それにしても、本当に仕事なのか?本当はもっと気になることが・・・・・・」

「あ、あ、ある訳ないだろう!俺は本当に別件で江戸に来たんだ。それがたまたま結納に当たっただけで、別にふぶ・・・・・・」

 そう言いかけた茂義だったが、背後に不穏な空気を感じて思わず口を閉じる。

「それは溶姫君様と加賀の婚礼祝儀の事でしょうか?でしたら手紙のひとつでも寄こしていただければ黒門である程度見繕っておきましたものを」

 夏場であるにも拘わらず茂義の全身に悪寒が走るほど、その声は冷ややかであった。

「お、おぅ。風吹、殿・・・・・・黒門からこちらに来るとは・・・・・・珍しいこともあるものだ」

 風吹に対してやましい事などこれっぽっちも無いはずである。茂義自身の婚礼だって藩主の命令だし、そもそも旗本の娘である風吹と佐賀藩の請役とは言え陪臣である茂義とは結婚する事は出来ない。
 それなのに、この風吹の冷ややかな声音は何なのだ。茂義は憮然とした――――――かったのだが、いかんせん完全に風吹の気に呑まれてしまっている。そもそも風吹に対し普段は呼び捨てなのに、つい『風吹殿』などと敬称を使ってしまっている事からもそれは歴然としている。

「黒門と表との連絡事はいくらでもございます。特に若君のお姉上のご婚儀ともなりますれば普段以上に往来は多くなるに決まっているではありませぬか」

 一歩、また一歩と茂義に近づいてくる風吹に対し、茂義は無意識に後ずさりしてしまう。

「それとも、請役殿には私に知られてはならない秘め事でもおありなのでしょうか?」

 怖い――――――茂義は本気でこの場から逃げ出したかった。直堯がよく細君と女性関係について喧嘩をしているのを他人事のように聞き流していたが、まさか自分がその当事者になるとは思ってもいなかった。
 というより、寵姫の方が正室の立場であり、風吹とはたった一度、しかも仕事の上で関係を結んだだけである。側室でさえない風吹を相手にこの状況は一体何なのであろうか。まだ婚礼どころか結納さえ行まだなのに、恐妻に浮気現場を取り押さえられた亭主のようにびくびくしなくてはならぬとは・・・・・・そう思っても風吹に対して強く出ることが出来ない。

「いや、そんなことは・・・・・・」

 茂義の額からつつっ、と一筋、冷や汗が流れる。

「そう言えば、ここ最近請役殿は和歌をお習いになっているとか」

 気のせいだろうか、風吹の声がさらに冷たく、低くなってゆく。

「な、何故その事を・・・・・・」

 この婚礼が決まってから、確かに茂義は和歌を習い始めていた。それは身体の弱い寵姫の数少ない趣味であり、そのような未来の妻に対して返歌のひとつでも返せるようになりたいという茂義の優しさからの行動であった。だが、その事を何故風吹が知っているのか?茂義は必死に思い当たる節を考える。

「若君様御自らがお教え下さいましたよ、それはそれは嬉しそうに。寵姫様、和歌がお得意でございますものねぇ。まぁご夫婦で仲のお宜しいこと」

(しまった!そっちか!)

 確かに斉正への手紙に『寵姫と結婚するに当たり男として恥ずかしくない程度に和歌を習い始めた』と書いている。もし斉正の口から漏れるとしても、盛姫を通じてそれなりに婉曲に伝えて貰えるとばかり思っていた自分が甘かった。まさか斉正自ら風吹に言ってしまうとは想定外である。

「いや、そういう訳じゃ・・・・・・そもそも男がどんな分野であっても妻に後れを取るなんてみっともないではないか・・・・・・」

 どんな言い訳を並べ立てようとも、冷ややかな怒りを纏わり付かせた風吹の前では効き目がない。いっそ普段のように怒鳴り散らして貰った方が茂義としてもやりやすいのだが、そうではないところが風吹の本気の怒りを表している。
 もう駄目だ、いっそ土下座でもして許しを請おうと茂義が覚悟したその瞬間、意外なところから助け船が差し出されたのである。

「まぁまぁ風吹殿。本日は目出度い席、ここは私に免じて許してやっていただけませんでしょうか」

 笑いを必死にかみ殺しながら、直孝が風吹と茂義の仲裁に入る。犬も食わない夫婦喧嘩よりも非道い痴話喧嘩がどれほどのものになるか見てみたい気もあったが、さすがにこれから始まる結納のこともあり、不本意ながら二人の間に入ったのだ。

「・・・・・・請役殿、餅ノ木に感謝なさいませ」

 風吹としては甚だ面白くないが事情が事情なだけにしょうがない。風吹は捨て台詞を残し、ぷいっ、とそっぽを向いて部屋を出て行ってしまった。

「いや~蛇に睨まれた蛙っていうのはこういう事を言うんだな!」

 風吹の足音が遠のいたのを確認してから、直孝が思わず吹き出してしまう。

「煩い!」

 その表現があまりにも的確すぎて、茂義はむっとする。

「あ、間違えた。あんた自身、蛇は駄目だからわざわざ蛙に例えることもねぇか。しかも鬼より怖い凶悪な大蛇とくれば・・・・・・」

 茂義の先程の情けない姿と今現在のふくれっ面の落差のあまりの激しさに、とうとう直孝は腹を抱えて笑い出した。

「・・・・・・どうせ、冬場にのこのこ出てきたのろまな青大将さえ触ることが出来なかった人間だ。怒り狂った大蛇に手を出せる訳がないだろう。そもそも・・・・・・」

 茂義は根本的な疑問を呟く。

「なんで俺があいつに対してびくつかなければならないんだ?」

「そりゃ浮気をすりゃ大抵の女子は怒り狂うからな。直堯のところだってちょっと女官に声をかけただけで、奥方にねちねち言われるんだから」

「浮気じゃない!この件は殿に命じられてだな・・・・・・」

「その割に今まで習いもしなかった和歌なんぞ習いやがって。下心が見え見えじゃねぇか」

 直孝の指摘に茂義は何も言えなくなった。

「ま、安心しろ。そのうち風吹殿は俺の妻になって貰うからそれまで辛抱しろ」

「待て!それは聞き捨てならん!」

 風吹を諦めることが出来ればこれほど苦しまないし、風吹に対してもまた違った態度を取る事が出来る。そうではないからいち早く風吹の様子が知りたくて、非常識を承知で結納の使者と共に江戸にやってきたのである。それだけに直孝に負ける訳にはいかない。

「確かに妻を娶らなければならなくなったが、だからといって風吹を諦めた訳じゃない。この件に関しては餅ノ木の、あんたと正々堂々と戦わせて貰う」

「望む所よ!」

 茂義の宣戦布告に対し、直孝は不敵な笑みを浮かべてそれを受ける。風吹をめぐって男二人の本気の戦いは、今まさに始まろうとしていた。



 茂義と寵姫の結納は藩内での事であるにも拘わらず、斉直の意向で派手派手しく行われた。
 結納品の品名と数量を記載した目録書に引き続き、長寿連想させるおめでたい贈り物の象徴である長熨斗(ながのし・のしあわび)、末永く幸せを願うための寿留女(するめ)、男性の力強さを象徴する勝男武士(かつおぶし)、子孫繁栄を表す子生婦(こんぶ)、雌雄一対の目出鯛の肴五種、家庭円満の象徴である家内喜多留(やなぎだる)に白髪になるまで夫婦仲良くとの友白髪(ともしらが・白い麻)、男持ちの白扇と女持ちの金銀扇子の一対からなる末広(すえひろ)に水引で飾り付けられた帯一本に小袖一重の五荷が『たのみのしるし』として寵姫側に引き渡される。結納の質こそ斉正・盛姫の結納より劣るものの、斉直の注文で用意させられた小袖や帯は大名振りてんこ盛り、法度ぎりぎりの豪華なものであった。
 結納祝の宴は藩邸にいる男衆が集まって行われていたが、その輪の中にもちろん茂義も入っていた。ただし主役にも拘わらず昼間の事もありいささか荒れていたが・・・・・・。

「請役殿、もう少し御酒の方を控えられた方が」

 さすがに見かねた配下の者が茂義に忠告したが、茂義は聞く耳を持とうとしない。

「何をふざけたことを。佐賀の男たるもの、この程度の酒量で音を上げるわけないだろう!」

 とはいうものの、すでに一升近く呑んでおり、酔いもかなり回っている。ろれつは回らず配下の者を追っ払う手もふにゃふにゃと頼りない。

「おい、無粋な事は止めておけ。今日は祝いの席だ。ぱ~っといこうぜ、ぱ~っと!」

 そう言ったのは直孝であった。ちゃっかり異母妹の結納祝いに参加している風を装いながら、幕府の密偵として法度に違反した宴を行っていないか監視していたのだが、その本来の仕事以上に面白いものが目の前にあるのだ。

「ほらほら、あんたが主役なんだからもっと呑め!」

 直孝は茂義の前にやってくると茂義が手にした杯になみなみと酒を注ぐ。

「兄上、やりすぎなのではありませぬか?」

 茂義の隣に陣取っていた斉正が、生来の勘の良さで『何となく茂義の様子がおかしい』と感じ、兄の悪さを止めようとする。

「気にするな、貞丸。男にゃ呑まなきゃやってられねぇ夜があるんだよ」

 そんな斉正に対して、直孝がまぁまぁと肩を叩く。

「祝いの席なのにやってられない・・・・・?」

 直孝の言っている意味が分からず斉正は不思議そうな表情を浮かべた。男と言ってもまだ十四歳、恋に苦しむ男心を知るにはまだ少し早い。

「・・・・・・ま、あと五年もして側室の一人や二人侍らせるようになれば判るさ」

 手酌で酒を注ぐと、直孝はぐいっと酒を一気に飲む。

「私は側室なんて持ちません。国子殿がいれば充分です!」

 直孝の言葉に、斉正はむきになって反論した。

「へぇ、いっちょ前に言ってくれるじゃねぇか」

「だって国子殿だけですもの、外国船の話をしても嫌な顔をしないで聞いてくれるのは!」

 その一言に直孝は勿論、茂義や周囲の者も一斉に笑い出す。

「な、何がおかしいのですか?」

「いや・・・・・・やっぱりまだガキだよな、貞丸は」

 直孝はそう言って斉正の耳許に口を近づける。

「お前達、まだ閨事はやってねぇんだろ?そういう口は嫁を抱いてからほざきやがれ」

 酒が入っていることもあるが、さすがにこの手の話をさらりと斉正に言ってのけるのは茂義ではなく直孝の務めだろう。さすがに斉正も気がつき、顔を真っ赤にする。

「あ、あに・・・・・兄上・・・・・・」

「まだ『大人の証』が無ぇうちはしょうがねぇ。俺だって十五の夏になってようやくだったからな。無理はするなよ」

 そう斉正に語りかけた瞬間、直孝は気がついた。

「おい、請役殿はどこに行った?」

 先程まで茂義が座っていた場所には誰もいなかった。

「さぁ、厠じゃないでしょうか」

 この宴会ではいちいち誰がどこに行ったか気にするものなど誰もいない。直孝はさりげなく茂義が座っていた場所に触ってみる。

(こりゃ、厠なんかじゃねぇ。かなり長いこと席を外していやがる)

 夏場にも拘わらず、茂義が座っていた場所はすっかり冷めて、周囲の畳と変らないまでになっている。

(あれだけ呑んでいたから、厠で倒れているのかも知れねぇ)

 さすがに心配になり直孝は席を立つ。

「兄上、私もご一緒させて下さい」

 だが、直孝は頭を振る。

「御世継ぎが席を離れたら、騒ぎがますます大きくなる。おめぇはしばらくここにいてくれ。何かあったらすぐに戻る」

 そして直孝はすっと席を立った。



 その頃茂義は、ふらつく脚で黒門へと向かっていた。

「・・・・・こっちが黙っていればいい気になりやがって、風吹の奴!」

 しらふでは敵わない為か、酒の力を借りて風吹の許へ乗り込もうというのだろう。門番が止めるのも聞かず、黒門の中へ入ってゆく。

「おい、風吹!いるんなら出てきやがれ!話をつけてやる!」

 酒の勢いのまま、茂義は玄関から入り込み、ずんずんと奥へと入っていった。



UP DATE 2009.10.28

Back   Next


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
INランキング参加中。
お気に召しましたら拍手代わりに是非ひとポチをv


  
こちらは画像表示型ランキングです。
押さなくてもランキングに反映されます。
(双方バナーのリンク先には素敵小説が多数ございます。お口直しに是非v)






どうして私が書く男性ってヘタレなんでしょうか(爆)。別に茂義は何にも悪くないのに、嫉妬に荒れ狂う吹雪の前に出てきてしまった為びくびく怯えております。しかも何ヶ月もつもりに積もったものがそのまま茂義への攻撃になっていますので(爆)。
また、和歌を習いだしたことも風吹の怒りの炎に油を注いじゃっていますが、この事(婚約を機に茂義が和歌を習いだした)は史実です。建前上は『妻になる人に負けたくない』と言うことなんですが、それでも趣味を合わせてくれるって嬉しいじゃないですか、合せて貰う方としては。しかし、それが他の女子の為だと・・・・・・ねぇ。

次回は黒門に乗り込んだ酔っぱらい茂義と風吹のやりとりが中心となりますが、色っぽい展開になるのかバイオレンスな展開になるのか(笑)。これから考えたいと思います。それと盛姫の心の動きもだ・・・・・今回二人の痴話喧嘩で出番を取られてしまったので少しは取り上げたいです。貞丸クンも『側室なんて持ちません』宣言していることですし(爆)。次回は11月5日更新予定です。



《参考文献》
◆武雄市歴史資料館HP
 http://www.epochal.city.takeo.lg.jp/lib_his/history/his-top.html
◆近世武雄史談 鍋島茂義とその時代
 武雄市図書館・歴史資料館編  2007年3月31日発行
◆Wikipedia 結納
関連記事
スポンサーサイト




 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ 3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ 3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ 3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ 3kaku_s_L.png 雑  記
総もくじ  3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ  3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ  3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ  3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ  3kaku_s_L.png 雑  記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【幕末歳時記 其の拾陸・玄猪の祝(大久保利通&満寿子)】へ  【横浜慕情 浜猫の唄・其の参】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【幕末歳時記 其の拾陸・玄猪の祝(大久保利通&満寿子)】へ
  • 【横浜慕情 浜猫の唄・其の参】へ