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「横浜慕情(大人向け)」
横浜慕情~虔三郎と結衣

横浜慕情 白蛇の恋・其の肆

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それまで和やかだった部屋は瞬時に緊張に包まれた。

「り・・・・龍太郎兄さん・・・・・。」

 しばしの沈黙の後、虔三郎が呻くように声を絞り出す。三人の視線の先に立っているのは明豊堂の主人、滝沢龍太郎その人であった。僅かに白髪が交じった髪と目の色以外、虔三郎とよく似ているその男は、厳しい表情のまま部屋に入ってくる。

「だ・・・・・旦那様、騒ぎ立ててしまって誠に申し訳ございません。」

 微かに怯えを含んだお栄の言葉に気がつき、結衣は慌てて三つ指を付いて頭を下げた。そもそも自分のような者がこの場にいて良いのだろうか--------------あまりにも場違いな場所にいる自分に対し、結衣は自問自答する。虔三郎の『明豊堂本家に』という言葉に舞い上がり、のこのこやって来てしまった自分の迂闊さを後悔するが、それは遅すぎた。

「龍太郎兄さん、義姉さんのせいじゃありません。俺が結衣・・・・・あの・・・・・妾の着物の見立てを義姉さんに頼んで・・・・・。」

 そんな結衣を護ろうと、虔三郎は結衣を背後に隠し、龍太郎の機嫌を取り持とうと言い訳をする。しかし、龍太郎は不機嫌そうな表情のまま虔三郎をひと睨みし、虔三郎の言い訳を止めさせた。

「虔、お前は厳しい修行で何を学んだ?今は別の商売をして呉服から離れているとはいえ、見立ての基本まで忘れたのか。いくら義理の姉とは言え人に見立てを頼むとは何事だ!」

 鋭く、厳しい言葉に虔三郎はしゅん、とうなだれる。確かに龍太郎の言うとおりであった。明豊堂に引き取られて以来、龍太郎を恨むほど厳しい修行を強いられ、どのような客に対しても瞬時に望む品物を出せるようにまで鍛えられたのである。それだけに龍太郎の怒りは至極当たり前のことであったし、虔三郎もその点を反省しなくてはならない。
 だが、それと同時に虔三郎は龍太郎の怒りの矛先が自分が怖れていたものとずれていることに気付かされる。

(龍太郎兄さんは・・・・・何故結衣の事を一言も言わないんだ?)

 騒々しい品物選び、そして虔三郎が自分で見立てなかった事を叱りはするが、結衣の存在そのものに関して龍太郎は一言も触れないのだ。

(あえて無視を決め込んでいるのか、それとも別に気にも留めていないのか・・・・・。)

 何せ結衣を手に入れた経緯が経緯だけにできれば龍太郎には触れて欲しく無かった。実状はともかく、身売りと言う名の人身売買は禁止されている。だが、明治三年に政府が中国人に子供を売ることを禁止したのを皮切りに明治五年には横浜で人身売買禁止令、政府から娼妓解放令が続々と出されたにも拘わらず相変わらず身売りはおこなわれているのだ。
 そして虔三郎が結衣を手に入れた手段もこれに近いものであるだけに、龍太郎にばれたら反対されるのは目に見えている。

(原のおやっさんに奪われるか、それとも龍太郎兄さんに引き裂かれるか・・・・・。)

 龍太郎の思惑が読み取れないだけに虔三郎の苛立ち、焦りは募ってゆくが、ここで短気を起しては元も子もない。そのらしくもない忍耐がのちに結衣を、そして虔三郎自身を救うことになるとはつゆほども思えぬ状況の中虔三郎は俯き、唇を噛みしめながら龍太郎の小言を黙って聞くことしかできなかった。



 ひとしきり虔三郎を叱りつけた後、龍太郎は意外な行動に出た。何と虔三郎がろくに紹介をしない状況の中、龍太郎自らが虔三郎の背後にいる結衣に直接声をかけたのである。

「あなたが加藤結衣さんですか?お初にお目にかかります。私の弟が色々とご迷惑をかけているようですが・・・・・。」

 それまでの厳しく怖い口調はどこへやら、意外なほど丁寧な口調で龍太郎は結衣に語りかけた。その問いかけに一番驚いたのは結衣である。

「あの・・・・・明豊堂の旦那様、何故私の名字を・・・・・・ご存じなのでしょうか?」

 確か虔三郎は結衣のことを兄には話していないと言っていた。それなのに何故結衣の名字まで知っているのだろうか?結衣は状況が判らず混乱する。

「龍太郎兄さん、何故そんな事まで・・・・?」

 虔三郎も龍太郎に尋ねるが、結衣と違うのはある程度の種明かしを知っている事である。間違いなく人を使って結衣の近辺を--------------虔三郎と出会う過去に遡って調べ上げたのだろう。もしかしたら虔三郎以上に龍太郎は結衣の事を把握しているかもしれない。

「今まで特定の女も作らずふらふらしていたどこぞの馬鹿が女を囲ったんだ。兄としてその相手を調べるのは当たり前だろう。まぁ、出来の悪いお前が自分で選んだにしては悪くはない、ってところかな。」

 『どこぞの馬鹿』だとか『出来の悪い』という言葉にむっとしたものの、結衣に対して『悪くはない』という評価を貰え、虔三郎はほっと胸をなで下ろした。ほとんど虔三郎を褒めることがない龍太郎の『悪くはない』というのは、最大の褒め言葉と思って間違いないのだ。兄の言葉に笑顔がほころびかけた虔三郎であったが、世の中そんなに甘くはない。

「横浜奉行所の同心の娘さんを選んだところだけは昌次郎より遙かにましだが・・・・・人身売買だけは戴けないな。五十鈴楼から一連の騒動のことは聞いているぞ。」

 ばれていた--------------冷や水を浴びせるような厳しい龍太郎の言葉に、虔三郎は再び俯いた。

「有名無実の法律だが、法は法だ。今回だけは許してやるが、二度と人身売買に関わることがないようそろそろ金貸しからは足を洗え。別にそんなものをやらなくても商売はうまくいっているんだろ?」

 探るような龍太郎の問いに、否、と答えられる訳がない。裏家業で動く大きな金に未練が無いと言えば嘘になるが、結衣とのことを不問にして貰う以上この分野からの撤退はやむを得まい。

「・・・・・はい。」

 逡巡の後、虔三郎は龍太郎の問いに諾、の返事をした。何を犠牲にしても結衣だけは諦めることは出来ない--------------昨日までの虔三郎なら絶対にしなかったであろう『結衣』という選択肢を取ったのである。その返事に龍太郎は満足げに頷いた。

「そんなものに手を出したら本業がおろそかになる。いいな、以後金融で新規の客は取るんじゃないぞ。」

 厳しい口調のまま龍太郎は言い放つと、今度は妻のお栄に向かう。

「お栄、お前の若竹の訪問着と牡丹の帯を。それと唐獅子の帯留めが店の方にあったはずだからそれも持ってきてくれ。この頃着ることは無いが、まだ若竹はあるんだろう?」

 龍太郎の言葉にお栄も『ああ、あれ!』という表情を浮かべ、にっこりと笑った。

「確かにあれならば色味が派手じゃないしお結衣さんにも似合うかも知れませんね。ただいま持ってきますね。」

 まるで自分の事のように嬉しげに、お栄は龍太郎に言われたものを取りに部屋を出た。その指示に驚いたのは他でもない虔三郎であった。

「兄さん、義姉さんの牡丹の帯って言ったら相当なものでしょう?それを貸して貰えるのはありがたいですけど、いくら何でも・・・・・それにあの帯に合わせる着物だってそれなりのものになるはず・・・・・・。」

 自分達には分不相応だと言いかけた虔三郎の言葉を龍太郎が遮る。

「安心しろ。あの帯は元々傷が付いて売り物にならなかった。そもそも高価な売り物を身内に着せる呉服屋がどこにいる?お前も呉服屋で修行をした身なら少しは自覚しろ。呉服屋が着物道楽で身上を潰したら物笑いの種だ。」

 小言を装った龍太郎の言葉だったが、その言葉の裏側に隠された真意にようやく虔三郎は気付きはじめた。

「あの・・・・・・身内って・・・・・。」

 龍太郎があえて『身内』と言ったことに対し、虔三郎は恐る恐る尋ねる。妾はあくまでも奉公人であり、身内とは普通言わない。しかもよくよく考えてみれば龍太郎は自分の妻の持ち物を結衣に貸しだそうとしているのである。もしかしたら・・・・・という期待が頭をもたげてくるのは仕方ないだろう。そしてそんな虔三郎の腹の中を見透かしたような、これ以上はないという厳しい言葉が龍太郎から叩き付けられた。

「・・・・・虔三郎、何故ここにお結衣さんを連れてきたんだ?籍を入れることができなくても、一生を共にする覚悟をしているからこそ連れてきたんだろう。だったらとことんまで意地を張らないか!そんなことじゃ原のおやっさんにお結衣さんを横取りされるぞ!」

 龍太郎の厳しくも嬉しい言葉に嬉しさを感じつつも、この兄はどこまで自分たちの事を調べたのだろうと思うと空恐ろしくなる。そして自分自身の甘さも痛感した。商人としてはもとより、一人の男として一人の女を護りきる覚悟--------------兄の叱咤に自分は商人としても、一人の男としてもまだまだ半人前なのだと思い知らされる。

「旦那様、虔さん、お待たせしました。お結衣さん、ご免なさいね。この二人喧嘩腰で話すから居心地悪かったでしょう。」

 重苦しくなりかけた空気を破るように、お栄が畳紙に包まれた着物を持ってきた。

「私が若い頃に着ていたものだから、今の人からするとだいぶ地味なんだけど・・・・・。」

 そう良いながらお栄は畳紙を開くと、虔三郎と結衣の目に初夏らしい、爽やかな白緑が飛び込んできた。

「竹に虎の意匠の友禅なんだけど、虎はそれほど大々的に描かれている訳じゃ無いから結構地味なのよね。だからこそ使い勝手が良かったんだけど。」

 笑いながらお栄によって広げられた着物は、確かに意匠の割には地味だった。地味ではあるが、明るい白緑はやはりある程度若くなければ着こなすのは難しいだろう。だからこそお栄も最近ではこの着物を着なくなってしまったと笑いながら結衣の肩にそれをかける。

「・・・・・やっぱり見立ては龍太郎兄さんにはかなわねぇな。」

 結衣の肩に着物が掛かった瞬間、虔三郎は悔しげに呟いてしまった。派手すぎない、白緑の竹林は結衣の整った容姿を引き立てこそすれ、霞ませることは一切無かった。だが、さすがに原の所に乗り込むには地味すぎる。

「だから・・・・・あの牡丹の帯か。」

 総刺繍のその帯はお栄のお気に入りで、五月の終わりから六月になると必ず一度は見るものであった。土台が地味ながらしっかりしたものなので帯だけが浮く事もない。

「しかし・・・・・この帯のどこが傷物なんですか、龍太郎兄さん。

 虔三郎が不満げに問うたら、お栄はくすくすと笑いながら帯の裏を見せた。指し示されたその場所には一寸四方の傷があったが、表からは全く見えない場所である。

「熟練の職人さんの手によるものなんだけど、どこに引っかけたのか傷が出来ちゃっていたのよね。身につけるのは問題無いんだけど売り物にはできなくて。」

 お栄の言葉を引き継いで今度は龍太郎が語り始める。

「季節的に牡丹は少々早いが・・・・・『天地開』は西洋の花々の王と言われているそうだから、それに対抗するとしたら百花の王・牡丹しかないだろう。」

 龍太郎の思わぬ言葉に虔三郎は目を丸くする。

「に・・・・・兄さん、何故そんなことまで知って・・・・・。」

「料亭で原さんが自慢げに話していただけさ。一昨日にも商工会の会合で顔を合わせてきたばかりだ。新しい物が好きな人だから、人に見せたくてしょうがないんだろう。」

 龍太郎は組んでいた腕を解きながら続ける。

「あとは原さんがこの着物の意味を勝手に解釈してくれるだろう。」

 龍太郎は意味深な言葉に虔三郎は首を傾げたが、それをいちいち説明してくれるほど世話焼きでないことは虔三郎が一番知っている。龍太郎の言葉の意味はそのうち解るだろうと虔三郎は龍太郎の言葉にただ黙って頷いた。

「・・・・・・・今回の招待、一世一代の大勝負だと思って行ってこい。もし会長にお結衣さんを取られそうになったら、とことんまで逃げればいい。お前の部下や本家のことは一切心配する必要は無い--------------俺が責任を持つ。」

「え・・・・・!」

 思わぬ龍太郎の申し出に虔三郎は勿論、結衣も驚愕する。だが龍太郎とお栄は二人とは対照的にむしろ穏やかな笑みさえ浮かべていた。

「旦那様の仰るとおり・・・・・なかなか身を固めようとしなかった虔さんが選んだ相手ですもの。ここで手を離してしまったら虔さんは一生後悔するでしょう。だったらおがんばりなさいな。もし、二人とも無事に明豊堂に帰ってきたら・・・・・。」

 お栄は龍太郎に視線を送り、龍太郎の言葉を促す。龍太郎は一瞬照れくさそうな、渋い表情を浮かべたが、ここはやはり自分が言うべきだろうと虔三郎に向かった。

「・・・・・きちんと籍を入れることを許してやる。お前のことだ、俺たちに遠慮をしていつまでもこのままで居るつもりだったんだろうが、外国との交渉も多くなるこれからの時代そう言う訳にもいかないだろう。詳細は二人して帰ってきてからだが、そのつもりでいろよ、虔。」

 ぶっきらぼうだが、優しさを滲ませた兄の言葉に虔三郎と結衣はこみ上げるものを感じつつただただ感謝することしかできなかった。



UP DATE 2010.06.08

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『白蛇の恋』その四です。一瞬どうなるかと思った龍太郎の反応ですが、前科が前科(爆)だけに結衣との関係は認めざるを得なかったというのが本音でしょう。龍太郎の持ってきた見合いを全部蹴散らし、特定の娼妓さえ持たなかった異母弟がこれぞ、という女性を本家に連れ込んでくるんじゃあねぇ(笑)。虔三郎の男としての覚悟を感じ取ったのだと思います。さらにはあらかじめ結衣の身辺も調べているという裏設定(爆)。昔は就職とかでも興信所らしき人が調べに電話を寄こしてきましたからねぇ。(近所のお兄ちゃんがどんな人かって何件かかかってきたことがあります。)妾ともなれば余計でしょう。まぁ結衣は元・武士の娘ですし呆れるくらい地味な子なので龍太郎兄さんのお眼鏡に適ったんだと思います。
本家の後ろ盾は得たものの、二人の前には原という存在が・・・・・この続きに関しては『杏葉館秘帖』『江戸愛宕山陰陽師』の後になりますのでしばしお待ち下さいませ。(ある程度熟成が必要なんですよね~・笑)


次週は杏葉館秘帖、『水妖』の章になります。このシリーズはとりあえず四大精霊(火、風、水、土)でまとめるつもりですので、次回の『水』、さらに次の『土』の二話、できましたらお付き合いの程宜しくお願いいたします。
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