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「横浜慕情(大人向け)」
横浜慕情~虔三郎と結衣

横浜慕情 細雪の温もり・其の参

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分厚く、どす黒い雲から清らかな細雪が降りしきる。その降り方はますます激しくなりまるで霧のように辺りの視界を真っ白に染め上げてゆく。それだけ降っていれば幾ら細雪とはいえ寒くて仕方がないはずだが、不思議な事に虔三郎はその寒さをまったく感じなかった。否、それ以上の衝撃に周囲の寒さなど気にする余裕もないと言った方が正しいかも知れない。

「昌次郎の野郎が・・・・・・いえ、兄が・・・・・・何故、人を殺したのですか!」

 今にも目の前にいる藤田に掴みかからんばかりの勢いでにじり寄る虔三郎を、隣にいた飯田屋が押しとどめた。

「明豊堂さん、気持ちは解りますけど落ち着いて・・・・・巡査殿、少しお時間があるようでしたら、場所を変えてもう少し詳しいお話をお伺いしたいのですが宜しいでしょうか。」

 こんなところで立ち話をしていては凍えてしまうし、何よりも道ばたで話して良いような内容でもない。飯田屋は近くの料亭に席を取っていますので、と藤田に提案する。

「そうしていただけるとありがたい。我々としてもできるだけ詳しく話を伺いたいし。」

 藤田は隣にいた連れに目配せをする。藤田より十歳ほど若い巡査は少しほっとしたような笑みを虔三郎達に向けた。巡査らしからぬその笑顔は彼をさらに若く見せる。

「・・・・・だったら酒を出さないでくれよ。藤田さんは大トラで困るんだ。」

 冗談とも本気とも付かぬ一言にその場の空気が和んだ。仕事は出来るが無愛想な藤田の相棒としては彼ほどの適任者はそうそういないのだろう。巡査らしからぬ愛想の良さに、強張っていた虔三郎の表情もほんの少しだけ和らいだ。



 降りしきる雪の中、五人が料亭に到着したのはそれから五分後だった。転がり込むように座敷に入り込むと、皆、雪に濡れた外套をいそいそと脱ぎ始める。

「幾ら大トラと言ってもお銚子の一本くらいなら大丈夫でしょう?このままではお互い凍え死んでしまいます。」

 若い巡査が断る前に飯田屋がさっさと燗酒を注文してしまう。

「まぁ・・・・・一本くらいなら・・・・・。」

 若い巡査は渋い顔をする。どちらが先輩でどちらが後輩か判ったものではない。

「安心しろ、本間。勤務中に潰れるようなへまはしない。」

 後輩の物言いがよっぽど癪に障ったのか、むすっとした表情のまま藤田は相方を睨んだ。

「・・・・・で、『明豊堂さん』。」

 藤田があえて屋号で虔三郎を呼んだとき、店のものが熱燗を持って入ってきた。やはり『滝沢』の名を出すのはまずいのか----------虔三郎の顔がますます強張る。

「では、とりあえず一杯空けましょう。お結衣さんも一口くらいなら大丈夫ですよね。」

「はい。ではお言葉に甘えて頂戴いたします。」

 結衣の言葉を確認すると飯田屋が音頭を取り、皆杯を空けた。じんわりと広がっていく熱燗の熱に、いかに自分達の身体が冷え切っていたか理解する。

「・・・・・で、兄は何故・・・・・。」

 小さな猪口を空けるなり、虔三郎は急くように藤田らに事情を尋ねる。

「----------活動資金の横領だ。仲間が集めた活動資金をあんたらの兄さんら三人が横領していた。その事が発覚し、それを咎めた男をよってたかって殴り殺した、って訳だ。」

 藤田は二杯目をくいっ、と空けながら虔三郎に状況を説明した。

「・・・・・残念ながら思想の違いなんて高尚な理由じゃない。それだけは確かだ。」

 三杯目を手酌で注ぎながら藤田は話し続ける。酒の所為なのか、普段寡黙な男がだんだんと饒舌になってゆく。それはむしろ虔三郎達にとってありがたかったが、後輩の本田は余計な事を喋りはしないかと横ではらはらしている。

「あんたも普通選挙権獲得のための署名を集めているらしいが、奴等がそんな動きをしていたという話は未だ聞かない。まぁ兄弟が犯罪を起こしたというのは俄に信じられないだろうが・・・・・。」

「いえ、信じますよ。残念ながら不肖の兄ですから・・・・・素行の悪さ故長兄に勘当を喰らった男です。悲しい事ですけど、俺は藤田さんのお話を信じます。」

 苦しげに吐き出す虔三郎に寄り添うように結衣がその震える肩に手をかけた。しかし、そんな結衣の手も心なしか震えている。結衣にとっても義理の兄になる男が殺人を犯したというのは信じられない事なのだろう。なまじ一度顔を合わせているだけにその衝撃は大きいのかも知れないと虔三郎は納得した。

「勘当を受けているとなると自宅に戻る事はないか。」

 どうやら実家を当てにするんじゃないかと期待していたのだろう。露骨に困ったような表情を浮かべて藤田が腕組みをする。

「可能性は極めて低いが・・・・・万が一奴が横浜に戻ったならば、こちらに一報を入れてくれないか。横浜は管轄外だからやりづらいんだが、そこを狙われるかも知れない。」

 藤田の言葉に虔三郎は強く頷いた。

「解りました。では電報で宜しいでしょうか。」

「それが一番早いか・・・・では頼む。おい、用事はもう済んだんだ。そろそろ出るぞ!」

 藤田はそう言い残すと、出てきたばかりの料理を名残惜しそうに見つめる本間を引き連れて部屋を後にした。

「・・・・・厄介な事になりましたね、明豊堂さん。」

 飯田屋が気の毒そうな表情を浮かべる。

「ええ・・・・何かやらかすとは思っていましたが、まさか人を殺めるとは思ってもみませんでした。二、三日中には兄の許にも東京市の巡査が出張してくるかも知れませんし・・・・・横浜の馴染みの巡査にも声を掛けておかないといけませんね。」

 たとえ横浜の親族がいなかったとしても昌次郎が横浜に来る可能性は極めて高かった。外国に逃亡するにも、よその土地に逃げるにも船が一番手っ取り早い。警備が厳しくなっている東京市の港よりも、横浜の方がまだ逃げおおせる可能性は高いし、船の大きさも数も東京市の港とは比べものにならない。

「あの・・・・・差し出がましいようですけど、本家に電報を打ってきましょうか?」

 結衣が恐る恐る虔三郎に訊ねる。

「・・・・・そうだな。『マサ、ケイサツザタ』と打っておいてくれ。いきなり人を殺したとあっちゃ兄貴だって心臓が止まっちまうだろう。だが心の準備はして貰った方が良いかもしれない。」

「承知しました。」

 結衣は一礼すると部屋を出て行った。

「・・・・・良くできた奥方ですね。」

 結衣が出て行った後、飯田屋が感心したように結衣を褒める。

「まぁな。あんたの清十郎ほどじゃないが。」

 虔三郎は混ぜっ返すと、すっかりぬるくなってしまった燗酒を口に含んだ。

「・・・・・まさかあいつと正式な結婚が出来るとは思ってもいなかったけどな。」

「色々あるみたいですね。」

 含みを持たせた虔三郎の物言いに飯田屋が探りを入れるが、虔三郎はそれを軽くいなす。

「まぁ、そんなところだ。俺が片っ端から縁談を蹴散らしたんで兄貴も諦めてくれたんだろう。」

 虔三郎は満面の笑みを浮かべながら酒の追加を頼もうとした。

「お待たせしました。」

 仲居が燗酒を持ってきたのである。その後に続いて結衣が戻ってくる。

「お結衣さん、ありがとうございます。頼んでくださったんでしょう?」

 飯田屋が自分の至らなさを詫びると同時に結衣に礼を言う。

「ええ、そろそろ無くなりそうだったもので・・・・・藤田さん、でしたっけ。意外とするするお飲みになるのでびっくりしました。」

 仲居が盆に乗せている銚子を見つめながら結衣は笑顔を見せた。



 ゆるゆるとした宴が終わり、飯田屋が帰った後、二人は早々に床に入った。寒さ故か、それとも先ほど聞いた藤田の話故か解らないが、身体の奥底から沸いて出てくる震えがなかなか止まらず、虔三郎はなかなか寝付けない。

「結衣・・・・・。」

 とうとう寝る事を諦め、虔三郎は結衣の名を呼んだ。

「はい、何でしょう。虔三郎様。」

 隣の布団から結衣が上体を起こす。どうやら結衣も寝付けなかったらしい。結衣が起きていてくれた事にほっとしながら虔三郎は布団の中から結衣の手を取る。

「こっちに来い、結衣。」

「・・・・・はい。」

 ぶっきらぼうながら、心なしか不安げな色を滲ませている虔三郎の声に結衣は素直に従い、虔三郎の布団へ潜り込んだ。その身体は虔三郎の心を癒すぬくもりに満ちていたが、何故か結衣は小刻みに震えていた。

「結衣・・・・・寒かったのか?」

 てっきり寒がっているのかと思い、虔三郎が結衣をさらに強く抱きしめる。

「それも・・・・・ございます。しかし、それ以上に・・・・・。」

 結衣が虔三郎の瞳をじっと見つめた。出会った頃こそ恐ろしいと思っていた暗緑色の瞳だが、今ではその瞳の色に安らぎを感じる。

「あの方が・・・・人を殺めたなんて・・・・・。」

 先ほどの話を結衣は持ち出した。殺人なんて別世界の事件だと思っていた者にとって知人がそれを犯すことは恐怖以外何ものでもない。怯える結衣に虔三郎は『俺が守ってやるから。』と囁きながら額をくっつける。

「ああ、確かに奴はろくでなしだが・・・・・せいぜい人の金をだまし取る位の小悪党だと思っていた。それが人殺しをするとは思わなかったぜ・・・・・。」

 虔三郎は夜気に晒され冷えている結衣の唇に己の唇を重ねた。

「・・・・・あんな野郎に気を取られて眠れないのもばからしい。付き合って貰うぞ、結衣。」

 虔三郎は結衣の寝間着の袷に手を突っ込むと、その雪のように白い肌をなで回し始める。

「はい、虔三郎様。」

 くすり、と笑い結衣は虔三郎の背に腕を回した。気丈に振る舞っているが、これほど落ち込み、不安に囚われている虔三郎を結衣は初めて見る。あまりにも頼りない自分であるが、少しでも虔三郎の不安を和らげる事が出来ればと結衣は母親のように虔三郎を抱きしめた。



UP DATE 2010.12.21

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だんだんと昌次郎の影が色濃くなってきました(>_<)勘弁して欲しいですよね、実の兄が・・・・・なんて。

本当は結衣が怯えて・・・・という設定にしたかったのですが、何故か虔三郎がへこんで・・・・・っていう話の流れになってしまいました(苦笑)。ま、良くある事ですよ。書いているうちに話の流れが変わってしまうなんて(おいっ。)
幸いな事に、というべきなんでしょうか。昌次郎が捕まる前に虔三郎達が事情を知る事ができたのは良かったと思うのですが、この事が後の悲劇へと繋がってゆきます。次回更新は12/28、東京から横浜への帰宅、そして次の章へと続く前振りとなります。誠に勝手ながら年末年始仕様で一応普段より1時間遅い夜12:00~更新とさせて戴きますね。(出来上がったら早めにUPしますが、色々と難しそうなので・笑)
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