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「葵と杏葉」
葵と杏葉・世嗣編

葵と杏葉世嗣編 第二十二話 雪華の君・其の壹

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 それは百年も前の討ち入りの日を彷彿とさせる、ちらちらと粉雪が舞い散る日の事であった。ある意味この日ほど不意打ちに相応しい日も無いだろう。忠臣蔵の討入りの日という云われもあるが、江戸城を始め諸侯、旗本、御家人、寺社、町人全てが夜を徹しての煤払いと宴会により疲れ果て、気怠い空気さえ漂っている師走十四日である。監視の目をすり抜けるのも普段より容易い。
 前日の煤払いでいつもにも増して清められた盛姫の御住居に、悲しいほど華やかな討入びとが不意を突いて訪れたのは、そんな日の午前中であった。



 夜を徹しての煤払いの次の日ではあるが、仕事納めはまだ先のことである。さすがに商家では店者が眠い目をこすりこすり商売をし、役人も欠伸をかみ殺しながら出仕をしているが、佐賀藩には全く関わりのないことであった。二年に一度の斉直の江戸出向とも重なり、佐賀藩邸では特に派手な宴会が前日から夜通しで行われていた

「めでた、めぇ~でぇ~たぁ~あぁ~の、若ぁ~松ぅ~様あぁ~よぉ~おぉ、枝ぁ~もぉ~」

 と、調子外れの図太い声が黒門の中にまで聞こえてくる。その様子からすると、そこそこの役職にある者が『胴上げ』の被害に遭っているのだろう。
 佐賀藩は他の藩に比べ特にこの『煤払い後』の行事が派手らしく、十三日当日には奥女中達も藩の幹部を捉まえて胴上げをしたり、身体のあちらこちらを抓ったりと江戸城大奥並みの大騒ぎをする。どうやらこれは派手好きな斉直の提案によるものらしいが、日頃接することがない男女が交流出来るこの行事は、双方からおおむね好意的に受け入れられている。

「男衆は元気じゃのう」

 徹夜まではいかないまでも、昨日の夜かなり遅くまで起きていただけに、盛姫も相当眠そうである。

「昨日からかなり呑んでいる筈なのに、まだ宴を続けていますからね。二十五日からの年忘れや新年の年礼が思いやられます」

 そんな小言を呟く風吹もまた、真っ赤な目をしばたたかせながら欠伸をかみ殺している。確かに風吹が言うように、二十五日の役所の仕事納めが終わった途端、江戸の全ての武家屋敷において、大晦日までの五昼夜にわたる大宴会が『年忘れ』の名目で行われる。さらに年が明けると『年礼』と称して留守居役やその配下が挨拶がてら行く先々で酒を振る舞われるのだ。
 正月二日目から仕事がある町人は主人が気を遣って居留守を使い『礼帳』だけで済ませる事ができたりするが、なまじ暇な武士だとそう言う訳にも行かない。行く先々で酒や食事を振る舞われ、自分がどこにいるのかも判らなくなるほど呑まされた挙げ句、芸者や幇間に担がれて屋敷に戻る者も少なくない。

「それはそれで面白そうじゃが・・・・・・」

「姫君様、もう少しお言葉を慎んで下さいませ。佐賀に嫁いでからというもの、羽を伸ばしすぎでございます」

 そんな風吹の言葉に対し、そなたもであろうと盛姫が言い返そうとしたその時である。

「姫君様、大変でございます!よ・・・・・・よ・・・・・・!」

 女官の颯が、宴よりもなお騒々しく盛姫の前に転がり込んできたのだ。姫君に使える女官としては多少そそっかしく、慌て者の颯ではあるが、ここまでひどい騒ぎを起こしながら盛姫の前に転がり込んできたのは佐賀に嫁いできてから初めてである。

「騒々しい!姫君様の御前であるぞ!」

 着物の裾を踏んづけ、転びそうになりながら盛姫の御前に転がり込んだ颯に対し、風吹が一喝した。だが、普段は風吹に叱られるとしゅん、と落ち込んでしまう颯もこの時ばかりは風吹の一喝を無視し、泡を食って盛姫に事の次第を報告する。

「よ、溶姫君様が・・・・・・いらっしゃって・・・・・・今、黒門の外に・・・・・・」

 颯の報告に盛姫は勿論、普段は冷徹といった方が似つかわしいほど冷静な風吹も驚愕する。

「何だと?加賀からの先触れはなかったのか?いくらあちらの方が身分が上でも無礼であろう!」

 佐賀三十六万石に対し加賀は百万石、従四位に対して加賀は三位の家柄であり、身分こそ加賀藩の正室である溶姫の方が上であるが、それでも連絡無しの不意の訪問は非礼に当たる。否、訪問者の身分が高ければ高いほど迎える方の準備もそれなりに必要となる分、むしろ身分の高い方が訪問の連絡を怠ることは許されないのである。

「それが・・・・・・どうやら加賀殿にも内緒で来られたみたいで・・・・・・」

「婚礼を挙げてひと月も経っておらぬのにか?」

 颯の言葉に盛姫が眉を顰める。実母のいる江戸城ではなく、こちらに使者も寄こさずに訪れるくらいだから、かなり根の深い問題を抱えているのかも知れない。

「颯、とにかくこの雪の中いつまでも溶姫を待たせておく訳にはいかぬ。大広間の上座に溶姫を案内せよ」

 姉であっても身分は妹である溶姫が上である。公の謁見の間に溶姫を通すよう指示を出すと、着込んでいた濡れ羽色に白い勘平霰をあしらった木綿の綿入れを肩から滑り落とす。さすがに木綿の普段着で『加賀の御守殿』の前に出ることは、姉に当たる盛姫であっても憚られる。

「とりあえず貞丸と請役にだけこの事を伝えよ。義父殿にばれたら余計に騒ぎが大きゅうなる。妾は急いで着替えをするから、瑞希を・・・・・・」

「その必要はありませぬよ、姉上様。先触れも寄こさずこちらに出向いたのは妾ですから」

 不意に部屋の外から声がして、その場にいた全員が声の主の方へ振り向く。

「諧子(ともこ)・・・・・・」

 普段着は普段着でもこちらは加賀友禅、真朱(まそお)の地色に松竹梅をあしらった派手な打掛を身に纏った小柄な女性は、他でもない溶姫その人であった。



 異母姉妹でありながら、この二人ほど全く似ていない姉妹というのも珍しい。元別色女の母を持ち、大柄で健康的な盛姫に対し、溶姫は破戒僧の隠し子でありながら将軍側室までのし上がった母親譲りの妖艶な雰囲気を持つ。そんな溶姫は大広間の上座に鎮座すると物珍しそうに辺りを見回した。

「大広間と言うからどれほどのものかと思いきや、意外と狭いのですね。まぁ、佐賀如きではこの程度が限度でしょうが」

 周囲を見回しながら溶姫はちくりちくりと毒を吐く。

「それに姉上のその服!徳川の姫ともあろうものが木綿を身につけさせられるとは情けない。やはり藩主がろくでもないと・・・・・・」

「そなたは我が婚家にけちをつけに、わざわざ本郷から出向いてきたのかえ、諧子」

 最初こそ何が溶姫にあったのかと様子を伺っていたが、さすがに腹に据えかねたのか盛姫は鋭く切り返す。

「そもそもこの屋敷の造りも妾のこの着物も妾の我儘を佐賀が通してくれてるから叶うておるのじゃ。諧子にとやかく言われとうない」

 盛姫が溶姫を諱で呼ぶことでも察せられるように、この二人は決して仲が悪い訳ではない。否、むしろ美代の方を敬遠して自分の子を溶姫らに近づけない側室が多い中、盛姫は御台所や実母・八重の方の反対を押し切る形でこっそり溶姫と遊んでいたくらいである。だからこその叱咤でもあるのだ。

「それに来訪の先触れも寄こさず突然やってくるとはいくら何でも無礼であろう?父上様でさえ来訪時にはひと月前には使者を寄こすというのに。加賀の目があるのは判るが礼儀は礼儀、守らねば自分も相手も困ることになる」

 さすがに俯く溶姫に対し、盛姫は声音を和らげさりげなく加賀の名前も出す。他家へ嫁いだ異母姉の許へ駆け込んでくるにはそれなりの理由があるのだろう。そう簡単に漏らすことができない種類の悩みかも知れないが、ここを訪れることで気晴らしになってくれれば――――――そう盛姫が思った瞬間である。

「・・・・・・やはり姉上だけです。妾をそうやって叱ってくれるのは」

 ほろり、と溶姫の目から涙が零れ落ちたのだ。

「皆、母に気兼ねして妾を腫れ物に触るように扱ってきた中で、昔から姉上だけは普通に接してくれて・・・・・・」

 泣きじゃくり、言葉に詰まりながらも溶姫は語り続ける。

「何があった、諧子。加賀がそなたにどんな仕打ちをしたというのじゃ?」

 そんな盛姫の問いに、溶姫はただ首を横に振る。

「・・・・・・去年、大奥で姉上夫婦を間近に見て、妾も嫁げば姉上のように幸せになれるとばかり思うておりました。だけど」

 溶姫の目からぽろぽろと涙が零れだし止まらなくなる。

「我が夫、加賀は妾に対して礼節は尽くしてくれます。でも・・・・・・金沢の雪より尚冷たい人なのです」

 泣きじゃくりながらも溶姫は、少しずつ事のあらましを語り始めた。



 今や大奥において飛ぶ鳥を落とす勢いを誇るお美代の方の長女・溶姫と、加賀百万石の藩主・前田斉泰との婚礼は、婚礼慣れしている江戸っ子でさえ度肝を抜くほど華やかなものであった。
 御守殿――――――三位以上の婿と結婚した場合にのみ許される御守殿を作る為に、文政九年末『溶姫君様御住居御門前』の町屋の引き払いを命じた大騒動から始まる。ちなみにこの『御門』とは現在東京大学に残っている赤門のことで、朱色も鮮やかな切妻造の薬医門である。
 町家の住人への保証や引っ越し先の問題など、予想していた以上の騒動を振りまきながらも何とか騒動が一段落した文政十年四月末、前田斉泰が御白書院において老中列座の中、溶姫が十一月二十七日に本郷加賀藩上屋敷に入輿するとの命を受け取った。
 これによって婚礼への準備が本格的になるのだが、佐賀藩ほどでないにしろ加賀藩でも財政は逼迫している。後に『御家中半知(知行・俸禄を半分にすること)にするしか手はないが、それを止める代わりに全力で節約に励め』と触れを出さねばならぬほどだったのだが、そんな財政事情を考慮してくれるほど幕府は甘くない。
 搾り取れるところからとことん搾り取り、節約できるところはとことん節約し、ようやく出来上がった御守殿に調度が運び込まれるようになったのは十一月に入ってからであった。

 連日江戸城から本郷の加賀藩邸に向かう調度行列は、お美代の方の意向もあり今までのどの姫のものよりも派手であり、江戸っ子は勿論、江戸城に参勤の挨拶に出向いた斉直をも驚かせた。後に『婚礼の派手さまで加賀に負けるとは』と悔しがったと言うがそれは蛇足である。
 調度だけの行列でもこれである。婚礼行列そのものは後々の語り種になるほど華やかで大々的なものであった。五十二名の御殿女中と共に本郷へ向かう婚礼行列が通る際には見物していた女子衆の溜息と歓声が沸き上がり、お達しにより家の中で待機していなければならなかった男衆の想像をいやが上にもかき立てる。そのあまりの騒ぎにより後日その婚礼行列を描いた浮世絵まで販売される事になったのだが、異常とも言える熱狂振りに取り締まる方も大目に見ざるを得なかったほどである。どれもこれも目を見張るものであったが、その華やかさの裏には加賀藩の並々ならぬ努力と犠牲があったのだ。
 そうとは知らず、加賀藩邸に入った溶姫は姑にも愛想良く接し、加賀に溶け込もうと努力をした。しかし財政逼迫の元凶でもある溶姫に対し加賀の家中は心を開こうとはしなかった。否、家中の者以上に夫である斉泰自身が溶姫に対して心を開こうとはしなかったのである。
 それが表面化したのは新婚初夜、一連の『儀式』を済ませると、斉泰は早々に溶姫の寝所から退出しようとしたのだ。『夜の勤め』の際、藩主は一晩妻の許に泊まっていくと聞かされていた溶姫は勿論、溶姫付きの女官も斉泰のこの行動には驚愕した。

「何故一晩ご一緒にいて下さらぬのですか?」

 溶姫が何気なく問いかけると、返ってきたのは冷たい返事であった。

「この婚姻はあくまでも幕府と加賀のための義務でございます。義務を果たせばこの場から去るのは至極当然だとそれがしは考えますが」

 今まで蝶よ花よと育てられ、他人からの悪意から隔絶された大奥で育ってきた溶姫にとって、夫からの冷たい仕打ちは受け入れられぬものであった。だが、そんな溶姫に対し、斉泰はさらに冷たく言い放ったのである。

「加賀百万石の面子にかけて不自由はさせませぬのでご安心を。ですが、それ以上のものはご容赦下さいませ」



----------母上仕込みの手練手管でそれがしを籠絡しようとしても無駄ですよ。



 斉泰の背中はそう言っていた。夫に拒絶され、後に残された溶姫はただ呆然と夫の立ち去った後を見つめることしかできなかった。



UP DATE 2009.11.11

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すっごくすっごくくだらないこだわりですが、今回盛姫が着ている『勘平霰』の文様は、山東京伝著『小紋雅話』に掲載されているもので、忠臣蔵の『早野勘平』由来の文様です。安いものを身につけていてもセンスはあるぞ、って所を見せたかったので(笑)。いわゆる『大炊模様(雪の結晶の模様)』が世の中に出回る直前なので、どんな文様のものを着せようか苦労しました(^^;(『大炊模様』については第八話中に書きます。)
ある意味この話の中で一番姫君らしい姫君、溶姫がようやく登場です。かなり派手好きな姫君で、しかもお付きの女中達が相当お高くとまっていた為に加賀藩での評判はすこぶる悪いのですが、結構彼女に同情したい点もあるんですよね。
母親のお美代の方ほど権勢欲が強い訳でもありませんし、徳川の威光を振りかざす女中達に傅かれ、自分の思いを通すことさえ難しい状況です。(ほややんとした姫君が叩き上げの大奥女中に叶うはずもありません。風吹なんてかわいい方です。)
買い物ひとつとっても姫君が値切るなんてもってのほかで、その事がさらに婚家の財政を逼迫させ、ますます憎まれてしまうという悪循環・・・・・ごくごく普通の女の子ではそう簡単に逃げ出すことが出来ない泥沼です。
後に幕府から二万両の借金を引き出す才能を持った盛姫に比べると溶姫はあまりにも普通の女の子で、こういう内助の功も明治維新時の両藩の明暗となって現われちゃったのかな、って思わざるを得ません。

次回は斉正登場、いっちょ前にオトコゴコロを語らせるつもりだったりします(笑)。



《参考文献》
◆大奥 女たちの暮らしと権力闘争  清水昇・川口素生著  新紀元社
◆大江戸の姫さま  関口すみ子著  角川選書
◆Wikipedia 溶姫
◆Wikipedia 専行院
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