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「葵と杏葉」
葵と杏葉・世嗣編

葵と杏葉世嗣編 第二十三話 雪華の君・其の貳

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 百年前の討入りの日と同じように江戸の街にはらり、はらりと雪が舞い散る。昨日の煤払いの喧噪が信じられぬほど外も、そして黒門の内もたった一部屋の例外を除いて冷たい静寂に包まれていた。その一部屋とはもちろん溶姫を案内した大広間である。
 かき集められるだけかき集めた火鉢に炭を熾している所為か、不自然な暑さと熾火の臭いで息苦しささえ感じる。だが、それ以上に息苦しさを感じたのは溶姫の不幸な結婚生活の話であった。

「・・・・・・お家の為の婚礼という加賀の言い分も解ります。でも、何故身体を重ねながらあのような冷たい態度を取る事が出来るのか、妾には理解できませぬ」

 一通り語ると張り詰めていた緊張の糸が緩んだのか、溶姫はわっ、と声を上げて泣き出してしまった。その容姿故大人っぽく見られがちの溶姫だが、その泣き声は十五歳の少女に似つかわしい、幼いものである。あまりの痛ましさに声をかけることも出来ず、盛姫は泣き続ける溶姫を見つめることしか出来なかった。
 そんな溶姫の泣き声だけが部屋に響く気まずい雰囲気を打ち破ったのは、やはり頼りになる側近である。

「姫君様、代わりのお飲み物をお持ちいたしました」

 話が一段落したのを見計らって風吹が中に声をかけたのだ。風吹の絶妙な間合いでの声かけに盛姫はほっと胸をなで下ろす。

「よきにはからえ」

 盛姫の声と共に風吹が、それに引き続き颯と瑞希が部屋に入る。二人の目の前にある冷めた茶の入った湯飲みを取り替え、新しい茶を鍋島焼きのあでやかな湯飲みに淹れなおした。ふわりと立ち上る湯気と共に、深みのある緑茶の香りが鼻孔をくすぐる。その香りに誘われて茶を口に含めば、暖かさがじんわりと喉を通り胸に染み渡ってゆく。火鉢の熾火とはまた違う、優しい暖かさに心の強ばりも解けそうな錯覚に二人は囚われた。

「姫君様、この問題、溶姫君様だけで解決できるような性質のものではございませぬ。下手に気を持たせる事を言わぬ方が溶姫君様の為です」

 淹れたての茶を口に含んだ盛姫の背後から風吹が小声で盛姫に告げた。

「・・・・・それはどういう事じゃ?」

 溶姫を刺激しないよう、視線を溶姫に向けたまま盛姫は風吹の言葉の真意を問う。

「溶姫君様に付き従って城から佐賀藩邸へ入った御殿女中達、あれがくせ者でございます」

 溶姫付き、というよりは元・お美代の方付きの女官といった方が正しいかも知れない。彼女らの横暴ぶりは大奥でも問題になっていた。なまじお美代の方が将軍の寵愛を受けているだけに、盛姫の実母・お八重の方は勿論御台所でさえ手を焼いていたのである。それを思いだし、盛姫が微かに眉を顰めたその時である。

「姉君に耳打ちしているその方、何を話しておる!」

 普段であればお付き女官の耳打ち如きに気を散らす溶姫でないにも拘わらず、風吹の短い耳打ちにさえ神経を尖らすほど溶姫の精神は参っていた。苛々と爪を噛む仕草にもそれは現われている。

「・・・・・・諧子、女官達に目は行き届いておるのか?」

 盛姫自身、以前『御通抜け』において父である将軍に注意を受けた事がある。



――――――そなたに『将軍家』は重すぎるやもしれぬ。だが、格下の者に軽んじられる対応は慎むように。ゆめ『将軍家の娘』であることを忘れぬでない。



 これはそのまま今の溶姫にも当てはまる言葉であった。どれほど幼くても『葵の御紋』を背負う者は、それに恥じない行動を取らなくてはならない。例え頼りになる側近の女官であってもそれは同様である。

「どういう意味でございますか、姉上様。まるで妾が女官達の管理さえできぬ『うつけ』とでもいわんばかりの口の利き方、得心がいきませぬ」

 いかにも心外だとばかりに溶姫は盛姫と風吹の二人をきっ、と睨む。だが溶姫の睨みに臆する二人では勿論無い。ここぞとばかりに風吹が溶姫に対し口を開く。

「恐れながら申し上げます。姫君様付きのお女中の中にはお美代のお方様の御意を組んでいるものも多くおられます。私が江戸城におりました時分にも『加賀如きに姫君をくれてやるのは口惜しい』と漏らしているのを聞き及ぶ事数知れず」

 それを聞いて溶姫の顔色がさっ、と青ざめる。どうやらこの事は溶姫の耳には入っていなかったようである。風吹の言葉にわなわなと唇が震えている。

「それもこれも姫君様を思えばこその女官達の言葉にございます。ですが、見下された加賀はそうは思わぬでしょう。姫君様のお気持ちを配下の者に是非お伝え下さいませ。すれば加賀の誤解も・・・・・・」

「もう、遅いわ」

 熱く解決策を語る風吹の言葉を遮り、寂しげに溶姫は呟いた。

「妾は初夜の後・・・・・・早々に松江に加賀への不満を漏らしてしもうた」

 松江とは溶姫の一番の側近であり、盛姫に対する風吹のような存在である。ただ、時には盛姫さえ叱りつける風吹と違い、松江は溶姫に対して限りなく甘く、溶姫の言葉を全て信じてしまう盲目的なところがあるのだ。
 そんな松江が溶姫の愚痴を他の女官達に漏らしてしまったら結果は火を見るよりも明らかである。溶姫の愚痴は松江によって尾鰭が付けられ、それがさらに女官達の間で悪意をもって膨らんでいくことで加賀を見下す態度へと表れてしまう。
 そんな態度を取られた加賀も黙ってはいない。仮にも百万石を誇る大大名であり、家臣の矜持も佐賀など比べものにならぬほど高い。赤門の女官達に軽んじられた加賀の家中の者達は赤門を毛嫌いし、溶姫の夫でもある藩主にあること無いこと吹き込むだろう。そんな悪循環にはまり込んでしまっているのだ。
 出口の見いだせない難問に盛姫も風吹も目を閉じ、首を横に振る事しかできない。

「母上があらゆる手を尽くし、姉上様を押しのけ妾を加賀に嫁がせてくれたのじゃから文句を言ってはならぬのは解る。じゃが・・・・・・貧乏でも妾は夫に好かれたいのじゃ。歳の順番通りじゃったら妾がここに嫁いでいたのに・・・・・・姉上ばかり何故・・・・・・」

 佐賀に嫁げば無条件に愛されると思う辺りが短絡的で子供っぽいが、溶姫にはこれが精一杯なのだ。その時である。

「御守殿様、御住居様、ご歓談中誠に失礼いたします。佐賀世嗣、斉正がぜひともご挨拶をさせていただきたいと申しておるのですが」

 松根の声が外の渡り廊下に面している障子の向こう側から聞こえてくる。普段は許可など取らず、そのままふらっと黒門にやってくる斉正だが、さすがに溶姫がいるところに普段通りに入る訳にはいかない。十人そこそこしかいない黒門の使用人が全て溶姫の接待に右往左往していた為、仕方なく松根が障子の外までやって来て訪問報告をする形になったが、本来これも許される事ではないのだ。この事からもいかに溶姫の訪問が急であり、黒門が混乱しているかよく判る。

「かまわぬ、若君をこちらにお通しせよ」

 松根の声にいかに自分達の余裕が無かったかを思い知らされ、風吹は苦笑を浮かべながら松根に許可を出した。



 鳥の子色をしたしじら織の熨斗目に御留柄の胡麻柄小紋、通称鍋島小紋をあしらった憲法黒の麻裃も凛々しく松根の先導で現われた斉正は、盛姫の下座に座り一礼をする。

「加賀の御守殿様においてはご機嫌麗しゅう」

 型どおりの挨拶をした後、斉正は盛姫に向き直った。

「国子殿、この場は私が取り持ちますから着替えをなさってきて下さい」

 普段はこういう気遣いが全く出来ず、事ある毎に松根に小言を言われている斉正だが、さすがにこの場で木綿の着物はまずいと思ったのだろう。木綿の普段着のままでいる盛姫に着替えを促す。

「済まぬ、貞丸」

 斉正の気遣いに感謝をしつつ、斉正にだけ聞こえるよう耳許で囁くと、盛姫はすっ、と立ち上がった。

「御守殿、申し訳ないが着替えの為しばし席を空けさせて貰う。では御免」

 良人の前ではさすがに溶姫の諱は口には出せず、『御守殿』という俗称で溶姫に語りかけたのち、大広間を退出した。

「夫婦とはごく普通にああいう仕草をするものなのか?佐賀よ」

 溶姫は盛姫の気配が完全に消えたのを確認してから斉正に尋ねる。斉正が盛姫に見せた気遣いや、盛姫のさり気ない耳打ちは普通の夫婦にとってあまりにも当たり前すぎて気にも留めない行為である。
 だが、金沢の雪よりなお冷たい良人を持つ溶姫にとって、それは欲しくても手に入れられないものなのだ。今まで欲しいものを全て手に入れてきた溶姫だけに、そんなささやかな幸せを手に入れている姉に対しどす黒い嫉妬心がわき上がってくる。

「御住居が佐賀に嫁いでからすでに二年か・・・・・・そなた御住居をどう思うとる?」

 姉がいない今なら斉正の本音が聞けるかも知れないと、溶姫はわざと意地悪な質問をぶつけた。

「将軍家の、さらに三歳も年上の嫁御じゃ。不満の一つや二つはあろう。姉上には黙っておくから正直に申してみよ」

 婚礼をして半月ですでにこれだけの不満が自分にはあるのだ。二年も結婚生活を続けていれば不満の一つや二つはあるだろう。不幸なのは自分だけではない、同じ徳川家の姫である盛姫だって疎まれていると溶姫は思いたかったのだ。だが、斉正の答えは溶姫の望むものではなかった。

「困りました。どんなに思い返しても、御住居に不満などひとつも・・・・・かの人は私の理想の女性なのです」

 本当に困り果てた表情に、二人の幸せな結婚生活が滲み出る。その表情がますます溶姫を意固地にさせる。

「御住居・・・・・・姉上とて我儘いっぱいに育った徳川の姫じゃ。そちに無理難題を言う事もあるじゃろう。まさか一度もないのかえ?」

 どんなことでも良いとばかりに根掘り葉掘り溶姫は斉正に聞こうとする。

「いえ、御住居はそう言ったことは一切言いませぬ。むしろ年が下である私の方が我儘を言う事が多いかもしれません」

 だが、溶姫が熱くなればなるほど斉正の答えはますます溶姫の望むものから離れてゆくのだ。良人に対し我儘を言わぬ妻に、妻に対し何一つ不満のない良人、そのような関係がこの世にあると思うだけで腸が煮えくりかえりそうなほど悔しいのに、それが自分に一番歳が近い姉夫婦となればその悔しさはさらに倍増する。

「歳が三つも上ということに不満はないのかえ?男というものは若い女子が好きだと聞いておるが」

 ある意味自分の良人と同じくらい思い通りにならない斉正に、溶姫の不満がますます募ってきていることは誰の目から見ても明らかである。
 しかし、一見気遣いが出来そうに見えながら、実のところ周囲の空気を全く読まない斉正である。というより十四歳の少年に対し、大して興味もない女性に対しお世辞を言えというほうが無理なのである。溶姫の苛立ちに平然としている本人よりもむしろ付き従ってきた松根や風吹を始めとする盛姫付きの女官達がハラハラし、大広間には異様な緊張感が漂い始めた。

「それはそれぞれの趣味趣向でしょう。私は年増・・・・・・もとい、年上の女性の方が安心できます」

 異母兄や茂義が冗談半分に言う『年増好み』という言葉を思わず漏らしそうになって慌てて言葉を呑み込んだ。だが、呑み込む言葉が間違っていた。

「それぞれの趣味趣向・・・・・・つまらぬ!男の考えることなど妾には理解できぬ!」

 結局斉正から自分が望む言葉を引き出すことが出来ず、溶姫はふくれる。さすがにここまで態度に表されれば朴念仁の斉正も気がつかざるを得ない。このままでは盛姫に対しても申し訳ないと――――――とどのつまりは『国子殿』の為というか自分がこの件で盛姫に怒られたくないからなのだが――――――ようやく溶姫の機嫌直しに取りかかる。

「・・・・・・僭越ながら、男というものは己を立てて貰いたいもの。申し訳ございませんが御守殿様はそういうことが苦手とお見受けいたしますが」

「・・・・・何が言いたい?」

 斉正が自分の機嫌を直そうとしているのか、それともさらに怒りを増幅させたいのかいまいち真意が判らず、溶姫は眉を顰める。

「全てに完璧を求められる御守殿様にとって、我ら大名如きは取るに足らないものかも知れませぬ。ですが、どんな下らぬものでもひとつくらい良い部分を持っている物でございます。そのひとつを見つけ出し、褒めて貰いたい――――――しょうもないと思われるかも知れませんが男などそんなものでございます」

 黙って斉正の話を聞く溶姫に対し、斉正はさらに話を続ける。

「御守殿様は土居大炊守をご存じでしょうか。これから私が話すことは大炊守からお聞きした話の受け売りです」

 そう前置きをして斉正は、つい先日の大雪の日に聞いた話を溶姫に話し始めた。



UP DATE 2009.11.18

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まずは注意から。締め切った部屋で火鉢を使ってはいけません。というかガスでも何でも直接炎がでるものを扱う時はきちんと換気をして下さいませね。(描写では締め切っているように見えますが、江戸時代の屋敷です。密閉性はたかが知れています・笑)
あははは・・・・・十四歳のお子ちゃまにオトコゴコロを語らせるという無謀をやってしまいました(苦笑)。しかも空気読まないし(爆)。よく考えてみれば今回出ている登場人物は全員十代、十代には十代の見方がありますものね。むしろ大人よりもしっかりした理想(いや、妄想なのか)を持っていたりしますのでここはあえてこのまま語らせちゃいたいと思います。
冷静に考えれば溶姫の良人・前田斉泰の方がイケメンだし、(表面上の石高は)お金持ちだし、オタクじゃないし・・・・・少なくとも斉正よりは条件が良いんですけど、人の家の芝生は青く見えるんでしょうかねぇ。『努力をせずに人をうらやましがっているばかりでは幸せはやってこない』事を溶姫が理解できるのは果たしていつのことになるのやら・・・・・。お姫様育ちだけにかなり難しいかも知れません。

次回は蘭癖大名つながりの土居大炊守とのエピソードを交えながら溶姫の慰めの仕上げと参ります。



《参考文献》
◆江戸時代武家社会使用裃柄 http://www.i-koubo.co.jp/shinsaku/iki.html
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