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「葵と杏葉」
葵と杏葉・開国編

葵と杏葉開国編 第六話 理由ありの姫達・其の参

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 普段から仲の良い井伊直弼だけでなく、昨日入輿したばかりの筆姫の同母兄・松平慶永まで佐賀藩邸に来ると聞いて斉正の表情は強張った。

「秘密裏に・・・・・・と思ってやったが、あれはやっぱりまずかったか」

 斉正は腕を組んで唸る。書状――――――それは事情により初夜は共に出来なかったが、筆姫を佐賀藩の名において大事に守るとの旨を書いたものだったが、それを託したものがまずかった。
 斉正はそれを犬張子――――――盛姫との婚礼の際も問題になった、初夜の時に供される犬張子の中に、使用済みの紙の代わりに入れて田安家へ返したのである。
 正式な書状として出してしまっては却って大事になりかねないと思い、犬張子の中に隠し入れたのだが、もしかしたら却ってまずかったのかも知れない。

「確かに御三卿の田安家と佐賀はそれほど付き合いもなかったから、福井公はちゃかぽんに口利きを頼んだのかもしれないな」

「・・・・・・でしょうね。井伊殿に同情を禁じ得ませんよ、まったく。そもそも『犬張子』の中に初夜のお印ではなく、あんな失礼極まりない書状を入れて返せば、大抵の家は怒りますって」

 そしてそれは、斉正のその行動を止めることが出来なかった松根達佐賀藩側の家臣や、筆姫側の女官の落ち度でもある。下手をすると自分を含め複数人の責任問題になりかねないと松根も困ったような表情を浮かべる。

「しかし、訳も解らずこんな処に連れてこられたあの子に無理強いするのも気が引けるし・・・・・・」

 筆姫の愛くるしい仕草は責姫や濱が幼なかった頃を彷彿とさせた。斉正にとってはその思い出が盛姫と暮らした幸せな時と重なり、むしろ好ましかったのだが、家臣としては勘弁して欲しいと松根がぼやく。

「殿はお優しすぎるのです!いくらおつむに多少問題があろうとも筆姫様はすでに十八、田安家も覚悟の上で寄越したのでしょう。それを無下にされては矜持に関わります!」

「そうは言うけどな、松根。五つの童のような純粋な笑みを目の前にしたら、そんな気は起きぬ・・・・・・つくづく国子殿の時は皆に助けられていたと痛感するよ」

「・・・・・・という事は、殿はあの時から大して成長なされていない、ってことですね」

 嫌みをたっぷり含んだ松根の言葉に、斉正は仕方ないだろうと肩をすくめる。

「否定はせぬ。だけど、私は筆姫が私を・・・・・・佐賀のこの環境を受け入れることが出来るまでずっと待つつもりだよ。国子殿が私の成長をずっと待っていてくれたように」

 筆姫の同母兄の来訪に困ったと言いながら、筆姫を抱くつもりは全くもって無さそうな主君に、松根は諦めの溜息を吐いた。



 そんな騒動の中、井伊直弼と松平慶永がやってきたのは昼八つ過ぎの事であった。

「閑叟殿、すみません、急にやってきてしまって」

 慶永を控えの間で待たせ、先に斉正の前にやってきたのは『ちゃかぽん(茶・歌・鼓)』こと井伊直弼であった。狸のような愛嬌のある顔に困惑の表情を浮かべながら、斉正に急の来訪を詫びる。

「いや、こちらは別に構わないのだが・・・・・・また頼まれて嫌と言えなかったんだろう、ちゃかぽん?」

「あ、ばれましたか」

 直弼は頭を掻きながら笑った。養子の口もなく、父の死後、十七歳から三十二歳までの十五年間を三百俵の捨扶持の部屋住みとして過ごした苦労人は、頼まれるとどうしても否と突っぱねることが出来ず、ついつい厄介事を引き受けてしまうのである。
 この年、左近衛権少将に遷任したにも拘らず、前の職である玄蕃頭を兼任させられたのも、『断れない』性格が災いしたものと思われる。確かに聡明で何事もそつなくやりこなすのだが、これではいくら身体があっても足りないだろう。

「しかし、あれは断れませんって。『ただ一人の妹の行く末が心配です。ぜひ佐賀公への口利きを!』って溜間の皆の前で土下座されてしまったら、どうやって断れって言うんですか」

「ちゃかぽん・・・・・・本当に済まない。」

 まさか何に関係もない直弼が、自分の婚礼のとばっちりをこんな形で受けるとは思わなかった。斉正は災難に遭った友人に素直に謝った。



 慶永が斉正の前へやってきたのは直弼との話が終わってすぐのことだった。まだ二十歳の青年の顔は緊張に青ざめ、唇が硬く引き結ばれている。そこまで慶永を追い込ませてしまった事に斉正は罪悪感を感じずにはいられなかった。その時である。

「佐賀公!この度の件、誠に申し訳ございませぬ!平に、平にご容赦くださいませ!」

 いきなり斉正に対して頭を下げたのである。

「え・・・・・・あ、あの面を上げてください、福井公」
 
 むしろ苦情を言われるものだとばかり思っていただけに、斉正は勿論、立ち会っていた井伊直弼も目を丸くする。

「いいえ!幕府からの命とはいえ、我が妹を・・・・・・佐賀公もすでにお解りになっておられますように妹は・・・・・・」

「それ以上は止めましょう。井伊殿も驚いておられます」

 筆姫の障碍の事を口にしようとした慶永を、斉正はやんわりと窘める。

「あ・・・・・・申し訳ございませぬ。つい頭に血が上りまして」

 慶永も斉正の気遣いに気が付き、耳まで顔を真っ赤にして詫びた。

「その・・・・・・つまり、あのような者では妻としての務めもままなりませぬでしょう。もし、お許しがいただけますのであれば、私めが妹を引き取りますので・・・・・・」

 どうも自分が想像していた話と慶永の口から出てくる話がまったくかみ合わない。もしかしたら、と思い、斉正は慶永に思い切って訊ねる。

「・・・・・・もしかして、福井公は今朝方田安家へ出した手紙を読まれてこちらに来た訳ではないのですか?」

 こんな偶然がありえるとは思えなかったが、今朝、犬張子の中に忍ばせた手紙とは全く関わりなくこの青年はここに来たのかも知れないと斉正は推測したのだ。

「え・・・・・・手紙とは?何か田安の家へ出されたのですか?」

 案の定斉正の推理通り、慶永は怪訝そうな表情を浮かべる。

「私は・・・・・・貴殿と妹の祝言を知ったのもつい一昨日のことだったのです。気の毒な妹を政治の道具に使われた事を腹立たしく思って来ただけです。佐賀公にも多大なご迷惑をおかけしておりますし」

「そうですか・・・・・・どうやら色々と行き違いがあるようですね。ちゃかぽん、これから聞くことは一切他言無用と心得てくれないか?」

 どうやら一度話を整理しなければならなさそうだ。そうなるとかなり込み入った話を直弼の耳に入れることになってしまう。斉正は一つ年下の友人に他言無用を頼み込む。

「勿論ですとも。それに、私の頼まれたら断れない性格を知っているのは閑叟殿の方でしょう」

 狸顔に満面の笑みを浮かべて直弼は頷いた。

「じゃあ、少し話を整理をしてみましょうか。やはり幕府は筆姫を私への懐柔策に利用した訳ですね?」

 斉正の鋭い質問に慶永は一瞬言葉を詰まらせたが、それでもきっ、と正面を向いて斉正の問いに答えた。

「それは否定いたしません。実家の田安も、そして私も攘夷を強く望んでおります。その点では貴殿と我々は意見を異にしておりますが・・・・・・それ故、田安を中心とした攘夷派は我が妹を使って貴殿を懐柔しようとしたのでしょう」

 まだ少年のあどけなさを残しながらも、自分の意見をしっかり述べる慶永に、斉正は頼もしさを感じる。

「ただ、それは筆姫がごく普通の姫であれば・・・・・・という事になりますね。」

「ええ。残念ながら妹はおつむの成長が幼子のまま止まっております。私にしてみれば同母から生まれた、たった一人のかわいい妹ですが、他所に嫁いでしまえば厄介者扱いされるのは目に見えております・・・・・・どうか、妹を引き取らせてください!」

 そして慶永は再び頭を下げるが、斉正は申し訳無いが、と前置きする。

「確かに『懐柔の道具』としてはあの子は役に立たないのかも知れません。しかし、筆姫は来るべくして私の許に来てくれたような気がするのです。もし宜しかったら今から顔を見せましょうか?私が書いた手紙の内容も、あちらに行けばすぐにお解りいただけると思います」

 斉正の思いがけない申し出に慶永は目を丸くする。

「し、しかし、佐賀公の奥向きに・・・・・・」

「構いませんよ。国子殿、もとい先の妻が生きていた時は家中の男達も何かと出入りしておりましたし、私は気にしませんから」

 斉正の言葉に慶永はほっとした表情を浮かべた。そして『そろそろ自分は引き上げようか』と腰を上げようとした直弼に、斉正は待つように頼んだ。

「久しぶりにちゃかぽんの鼓を聞かせてくれても良いじゃないか。きっと黒門にいる筆姫や、こちらの奥にいる私の娘達にも聞こえるだろうし」

「私は男芸者がわりですか。私の断れない性格を知っていて無茶を言うんですから、閑叟殿は」

「今更だろう。下手な男芸者より良い腕を持っているのに。絶対に帰ったりするなよ、ちゃかぽん!」

 斉正はそう言い残すと慶永を連れて黒門へ向かった。



 先触れに続いて斉正と慶永は、黒門の新たな女主人に面会する為に大広間に通された。

「やすこ!兄が来たぞ!」

 女官と共に人形遊びをしていた筆姫の顔を見るなり、慶永は駆け寄り、筆姫を抱きしめる。

「あ~に~さ~まぁ~」

 自分を心配して来てくれたすぐ上の兄に抱きしめられて嬉しかったのか、筆姫も人形を放り投げ、無邪気に笑った。

「篠川、こちらに来てから姫の調子は?場所が変わって怯えたり不機嫌になったりしなかったか?」

 筆姫をあやしながら、慶永は筆頭女官の篠川に筆姫の状態を急くように質問するが、篠川は至って落ち着いた風情で慶永の問いに答えた。

「佐賀公のお心遣いで何ら変わりなく」

 その答えを聞いて慶永はほっとする。その時である。

「ととさまぁ~」

 何と、慶永の背後にいた斉正に気が付いた筆姫が兄の腕を離れ、斉正に抱きついたではないか。斉正は飛びついてきた筆姫を受け止めると、まるで赤子をあやすように筆姫を軽く揺すりながらあやし始めた。その姿はさながら本物の父娘のようである。

「どうやら私を父御と勘違いしているのかも知れませんね。私も娘が一人増えたみたいで、心が安らぎます」

 その時慶永はあることに気が付いた。

「あの・・・・・・もしかして」

 いわゆる普通の『夫婦の営み』をしていたら、筆姫はここまで斉正に対して無防備でいられないのではないか――――――そう言いかけた慶永に対し、斉正は先に自分から白状した。

「ええ、私はまだこの子を『妻』として抱いてはいませんよ。こんな幼子のような姫に対して、男の欲望を押しつけるなんてできないでしょう。実はその旨を田安へ書状を出したんですが、てっきりそれによって矜持を傷つけられたのかと思って・・・・・・」

「いいえ。異母弟の田安もほっとしておるのではないでしょうか。どうもあれは上から強く言われると逆らうことができないので心配なのです。今回も佐賀公のように理解のある御方の許へ嫁ぐことができたから良かったものの」

 慶永は筆姫の頭を撫でてやりながら呟く。

「私自身、福井へ養子にやられてからも、気の毒な妹のことは心配でなりませんでした。父が存命中の時は父がやすこを守っておりましたが、案の定父が亡くなってすぐこれですから・・・・・・佐賀公、ご迷惑をおかけしますが、我が妹、やすこをお願い致します」

 慶永は改めて斉正に対して深々と頭を下げた。

「ところで福井公、少々お伺いしたいのですが『やすこ』・・・・・・とはどのような字を?」

 斉正は筆姫の諱さえも田安から聞いてないと白状する。

「健康の健の字です。せめて身体だけでも健やかであれと父が願いを込めたと聞いておりますが」

「なるほど、奇遇ですね。読み方が違うのですが、私の娘も同じ『健子』なんですよ。親の願いなんて変わらないものです」

 じゃれつく筆姫をあやしながら、斉正はもう一人の『健子』を守ってゆくことを、若い義兄に誓ったのだった。



 夕刻、折角来て貰ったからということで斉正と直弼、慶永の三人は佐賀藩邸で食事をすることになった。

「なるほど。という事は、ここにいる事でむしろ筆姫様は落ち着かれているということなのですね」

 直弼の言葉に斉正と慶永は頷く。

「よっぽど佐賀公はおなごの扱いに長けているのか、妹は私より佐賀公に懐いていましてね。兄としては甚だ面白くないですけど、むしろ異母弟が藩主となってしまった田安にいるよりは安心できます」

 先程の緊張が嘘のように慶永は饒舌になり、上機嫌に杯を口に運んでゆく。

「そう言われると面はゆいですが、ほっとしました」

「あとは閑叟殿の娘御ですか。何だったら溜間の連中にちょっと声を掛けてみましょうか。もしかしたら是非嫁に、と言い出す大名家もあるかもしれませんよ」

 直弼の言葉に、今まで『とうの立った花婿』の顔だった斉正が急に父親の顔になる。

「そうだとありがたいが・・・・・・年が明けてようやく十二だし、そんなに急がなくても構わないぞ、ちゃかぽん」

 どうやら責姫が他の誰かに早々に取られてしまうのも面白くないらしい。何となく先程の慶永の気持ちが――――――妹が自分ではなく他の男に懐いてしまって面白くないという気持ちが解ったような気がした。

「それは父親の言い分でしょう。次に江戸にやってくる時、『花嫁の父』になっている可能性は大きいんですからね。覚悟しておいた方が良いですよ、閑叟殿!」

 直弼の言葉に三人は大笑いをする。のちに敵味方に分れ、それぞれの立場で戦うことになるとは欠片も思いもせず、三人は酒を酌み交わし続けた。



UP DATE 2011.06.15

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訳ありの姫達もとりあえず何とかなるのかしら・・・・・濱ちゃん以外(^^;)
筆姫はとりあえずこのままの状況で良さそうですし、責姫の方はおせっかいな小父さんが知人に話を付けてくれそうですし(まだ詳細は明らかにできませんが、責姫ちゃんの旦那様になる人は溜間の大名なんですよねぇ・笑)
理由ありの濱ちゃんの苦労はまだまだ続きそうですが、応援の程よろしくお願い致します。

・・・・・と、言いながら次回から男臭い展開に(爆)。次回から取り上げます義祭同盟(しばしば松下村塾と対比される佐賀の結社)では副島種臣や大隈重信、江藤新平など次代を担う若手がうじゃうじゃ出てきますし、大砲鋳造に関しても若手技術者がばんばん出てきます。さらにその後には黒船来港が・・・・・合計六話、向こう一ヶ月半は色気控えめ、幕末動乱色濃厚気味になりそうです。せめて途中に責姫の婚礼くらい入れたいんですけどねぇ・・・・・。

次回更新は6/22、『義祭同盟と鉄の大砲』が開始です。
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