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「葵と杏葉」
葵と杏葉・世嗣編

葵と杏葉世嗣編 第二十四話 雪華の君・其の参

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 静かに降りしきる雪はいつの間にか黒門を真っ白に染め上げる。囀る鳥の声も、子供達の遊ぶ声も雪に吸い込まれてしまうのだろう、不可思議な静けさが押しつつんでいた。先程まで異様な熱気に包まれていた大広間にもその不可思議な静けさがそろり、そろりと手を伸ばしつつあるようで、溶姫の怒りも徐々に鎮まってゆく。
 そのような静寂の中、子供にしては少し低めの、だが大人と言うにはまだまだ高い斉正の声だけが大広間に響き、普段より余計に大きく聞こえた。

「土居大炊守――――――そう、あの有名な『雪の殿様』です。あのお方から私は『雪』を通して人としての物の見方を教わってきました」

 三河国刈谷藩主・土井利徳の四男でありながら古賀藩へ養子として迎えられ家督を継いだだけではなく、奏者番、寺社奉行と出世街道を邁進している大炊守だが、それ以上に雪の研究者として有名な人物である。その雪への傾倒は有名で、着物から刀の意匠から始まって懐紙に至るまで雪の文様を漉き込んでいるとお喋り雀たちの話題になっていた。のちにこの雪の文様が『大炊模様』として季節を問わず江戸庶民の間で大流行するのだが、この時は大炊守本人及び従者が身につけている程度である。

「私如きの拙い話、溶姫君様にはお耳汚しかも知れませぬが、御拝聴よろしくお願いいたします」

 そう前置きをした後、ようやく斉正の話は始まった。



 それは数日前の事であった。

「若君様、大炊守様から使者が来ております。今日は『約束』を果たすのに良い日だから道が埋まらないうちに来られたし、と」

 時刻は明け七つ前、夜も明けきらぬどころかまだ闇夜といった方がいいだろう。それにも拘わらず、やけに嬉しげに報告に来た松根が斉正に土居大炊守からの使者が来たことを知らせにきたのだ。その賑やかすぎる松根の報告を聞いた斉正の目もいっぺんに覚める。

「そうか!昨晩はかなり寒かったがやはり降ったか。これだけ寒ければ大炊守様が仰っていた美しい『雪華』とやらが見られるに違いない」

 斉正は立ち上がり、即座に着替えを持ってくるよう小姓に伝える。

「あ、それと父上には内密にな。ただでさえ加賀公の婚礼の派手さに怒り心頭なのに余計怒らせとうない。申し訳ないが国子殿にも工作の手配を頼んでおいて欲しい」

 そう付け加えることも忘れなかった。盛姫と結婚して早二年、嫌でも婚家側すなわち徳川家関係の付き合いも多くなる。さすがに年上女房だけあって盛姫もあまり斉正に無理はさせなかったが、噂に高い『蘭癖大名』に関してだけは別であった。
 斉正の一番の興味は勿論『船舶』だが、その他の分野も決して興味が無い訳ではない。従兄である島津斉彬を始め、九州に領地のある大名とは今までも付き合いがあったが、そうでない大名とはさすがに交流が無かった分、盛姫の気遣いを他所にむしろ斉正が積極的に付き合いをしたがった。例えそれがご機嫌伺いの軽い挨拶だけだったとしても、斉正にとっては貴重な出会いなのだ。半ば呆れる盛姫を他所に、大名の子とは思えない貪欲な積極性で斉正は人脈を増やしていった。
 特に当時の寺社奉行土井利位は古川藩家老の鷹見泉石の協力の下、二十年にわたり雪の結晶を観察していることで有名であった。雪の結晶を『雪華』と命名し、観察結果を『雪華図説』『続・雪華図説』にまとめ出版したのだが、私家版で出版数も少なかったにも拘わらず掲載されている結晶図は意匠として取り入れられ、出版から数年後には雪華模様の衣装が流行した。なお雪華模様の別名『大炊模様』は利位の官職からとられている。
 今も雪の結晶を顕微鏡で見るのは何かと面倒くさいのだが、江戸時代の大変さは現代の比ではない。まず雪が降りそうな夜、黒地の布を屋外に置いて冷却することから観察の準備は始まる。この布は降雪を受ける為のものであるが、充分に冷やしておかないと結晶が融けて崩れてしまうので重要な点である。
 そしてこの冷やしきった布で降雪を受けたら形を崩さないように注意し、専用の器具で黒漆器に入れる。吐いた息が試料にかからないよう注意しつつ、『蘭鏡』(オランダから渡来した顕微鏡の意味)で観察する。整った形の結晶が観察されるには、大きな結晶が形成され、なおかつ牡丹雪のように癒合しない零下十度から零下十五度の気温が必要となる。
 この条件を満たす日に巡り会うまで何日間も待たされるものだが、徳川家の姫君に紹介された手前、土居としてもそんな苦労を斉正にさせる訳にはいかない。『ここぞという日に使者を寄こす』と約束して三ヶ月、ようやくその日がやって来たのであった。



「おお、この寒い中がんばってよく来たな。すぐに見ることが出来るようにしておいたぞ」

 斉正が到着するや否や、雪華文様の羽織を着込んだ土井利位は豪快な笑顔で斉正を出迎えた。傍にはもちろん家老である鷹見の姿もある。

 本当ならば土居の屋敷に一泊できればいいのだが、江戸の法律で武家の外泊は禁止されている。それ故に冷え込む早朝、しかも雪の中やって来たのだがこれも『蘭癖』の血がなせる技か、大名の子息とは思えぬ我慢強さを見せ斉正はやってきたのである。

「だって私はたった一日、それも大炊守がお膳立てをして下さったところを蘭鏡で覗くだけですから。二十歳の頃から手探りで雪の観察を続けられてきたあなた様に言われたくございません」

 斉正は寒さで真っ赤になった頬を膨らませて反論する。頬だけではない、鼻の頭や耳までも寒さですっかり赤くなってしまっている。

「それもそうか。確かに一日我慢するのと二十年間どっぷりはまり込むのとでは違いすぎるか」

 土居は斉正の反論に腹を立てるどころか、むしろ愉快げにからからと笑うと、庭園に面した廊下に斉正を案内した。

「申し訳ないが火鉢は使えぬ。せっかくの『雪華』が解けてしまう」

 雪の観察になると人が変るのか、打って変わって真剣な口調で斉正に注意を促す。

「あの・・・・・・前々からお伺いしたかったのですが『雪華』、とは?」

 斉正が疑問に思うのはもっともである。当時日本では雪のことを『六弁の花』という事はあったが『雪華』という言葉はまだ存在していなかった。なぜならば・・・・・・。

「私の造語だ。蘭鏡を覗けば判る」

 『雪華』、この言葉を作ったのは他でもない土井利位なのである。中国では、古くから雪の結晶が六角形をしていることが知られており、前漢の時代には韓嬰が雪の結晶についてふれた詩を残している。日本には中国からの知識が輸入され、平安期には雪の結晶が六角形であることが知られていたが、実際に観察した者は土居以前には誰もいなかったのである。顕微鏡で雪の結晶を自分の目で見た感動そのままに名付けた『雪華』、それは土居の自負に他ならない。

「あ、それから息を吹きかけぬよう。人の息は暖かいのですぐに雪華が融けてしまうから、重々注意するように」

 その時すでに土居自らが雪を黒漆器に入れていた。斉正は慌てて懐紙を口許に当てた。それと同時に静かに、だが素早く土居は顕微鏡に雪の入った黒漆器を装着させ斉正を促す。

「うわぁ・・・・・・美しいものですね」

 普通に見るだけでも雪は美しいものである。だが、その美しさとはまた違う、幾何学の美がそこにはあった。だが、それを見ることができたのもごく一瞬、斉正の漏らしたため息で美しい結晶はあえなく形を失ってゆく。

「若、そんなに美しいのですか?」

 斉正よりむしろ松根の方が雪華に興味があるらしい。斉正の驚嘆の声に我慢しきれず、つい主君を押しのけるように顕微鏡を覗き込んだ松根であるが、そこには何も――――――融けてしまった雪しか残っていなかった。がっくりと肩を落とす松根であったが、それを見逃す土居ではなかった。

「雪華は吉原の花魁よりも歌舞伎役者よりも美しいぞ。何なら今まで私が見てきたものを全部見せてやろうか」

 今も昔も研究者と言うものは『研究の成果』を誰かに見せて感心して貰いたいものである。すでに古川藩の家中は殿の道楽に感動しないどころかむしろ迷惑がっている節があるだけに、純粋に興味を持ってくれそうな松根は絶好の獲物となってしまったのだ。

「本当ですか!」

 だが、たとえ獲物であっても本人がそれを望んでいるのであれば何ら問題は無い。松根は嬉々としてその提案を受け入れた。



「これほども・・・・・・違うものなのですか?」

 二十年近くの集大成を見て松根も、そして斉正も唖然とする。土居の細かいところにこだわらない性格の為なのか、それとも顕微鏡の解像度によるものなのかは判然としないが、土居が描きのこした結晶の図は実際の結晶と比べるとだいぶ簡略化されていた。それでも土居の二十年間の研究成果が損なわれることは一切無い。

「同じように見える雪なのに、これほどまで違う姿を見せるとは・・・・・・」

 特に松根は食い入るように図説を見つめている。

「そういうところが女性と似ているから面白いのかも知れぬがな」

「それは?」

「殿、子供相手にお戯れは・・・・・・」

 さすがに鷹見が止めに入るが、土居は全く気にしない。

「同じ人間であっても毎日毎日違った一面を見せるように、雪も毎回毎回違った一面を見せるのだよ」

 土居は降りしきる雪の中、空を見上げ嬉しそうに呟く。

「こういう天気の時にはきっと美しい結晶が現われるに違いないと思っていても期待はずれだったり、逆に期待していなかったのに意に反して珍しい結晶に出会えたりする事もある。妻女も同じだ・・・・・・高価なものを与えれば喜ぶかと思えばそうでもなかったり、逆に炉開きの日に貰ってきた小さな饅頭に喜んだりと、相変わらず不思議なことばかりだ。両方とも二十年ほどの付き合いだが全く判らぬ」

 高価なものを与えても土居の妻が喜ばなかったのは、妻の許可無く国許に側室を置いたからであると二人は帰り間際に鷹見に教えて貰ったが、『何故饅頭如きで大名の奥方が?』ということは皆目分からなかった。結局雪も、女心も二人にとっては謎のまま楽しい時は過ぎていったのであった。



「・・・・・・確かに加賀公は雪のように冷たいお方なのかも知れませぬ。ですが、よくよく相手を観察し、じっくり付き合っていけばいつか雪華のように美しい一面に出会えるかも知れません。大炊守のように二十年もかかってしまうかも知れませぬが」

 決して上手い説明ではないが、ひたむきさだけは伝わる斉正の話はここで一区切り付いた。

「雪華・・・・・・なんという美しい言葉じゃ」

 御簾の向こうで溶姫の眼からぽろり、と涙が零れる。勿論斉正からそれを見ることは出来なかったが、心なしか湿った声でそれは察することが出来た。

「妾もいつか・・・・・。我が殿の雪華を見ることができるじゃろうか」

 くすん、と鼻をすする音が微かに聞こえる。大炊守が雪華を追いかけた月日のように長く、困難な道のりが溶姫の前に広がっているが、それは溶姫自らが切り開いてゆかなければならないのだ。

「きっと見ることが出来ますよ。私も、そして国子殿――――――御住居も御守殿様の幸せを願っております」

 あどけなさが残る斉正の笑顔に溶姫の心が微かに痛む。溶姫の夫である加賀公に比べたら美男でもなく、頼りなく見える斉正だが、溶姫の目には以前大奥で見た時そのままに斉正は『理想の良人』であった。いつか自分の夫も自分に対してこのような笑顔を見せてくれる日が来るのだろうか――――――晴れやかな斉正の笑顔の裏にに盛姫の幸せを感じながら、雪華より儚い期待にすがりつく溶姫であった。



 その後、戻ってきた盛姫と三人での歓談を済ませたのち、溶姫は静かに降る雪の中しずしずと帰っていった。これ以後、溶姫自身一生懸命努力したのだろうか。正室が世継ぎを産むことが少なくなっている時代にありながら二人の男児に恵まれ、上の子は加賀十三代藩主となっている。
 そして下の子は何故か溶姫の強い要望により、斉正の母方の実家である鳥取藩池田家へ養子に出されている。残念ながらその子は病により鳥取へお国入りを果たす前に亡くなってしまったが、特に縁もゆかりもない鳥取藩へ我が子を養子に出した溶姫の真意は謎のままである。



UP DATE 2009.11.25

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実は父親に隠れてとんでもないことをしている貞丸クンですが、藩主になった直後にやらかした史実に比べたらまだかわいいものです。とりあえず安全圏での行動だし。この人の行動を見ていると父親とはまた違った意味で家臣や嫁が苦労していると思うこの頃です。

『ラブラブな』と形容される新婚生活ですが意外とそんな事はなく、環境が違う中で育ってきた二人がどうすり寄り、どこに妥協点を見いだしていくかというある意味夫婦生活の中で一番大変な時期なのです。
そこを耐えて長く夫婦生活を続けていくか、それとも諦めるかは各夫婦の自由なのですが、この時代の上つ方はそう簡単にはいかない(笑)。今回の溶姫をかなり我儘なお姫様と思われた方も多いかと思いますが、彼女のような感情を持つのは決して珍しいことではなく、どんな仲の良い夫婦でもちらりと頭の中をかすめる事はあるものです。
蛇足ですが、鳥取藩への養子のエピソードはうぃきに記載されていたものですが、実際の思惑はどうだったんでしょうね。確かに池田家は有力な大名との姻戚関係がありますが、そこまでして加賀藩が関係を持ちたがるほどだとは思えないんですが・・・・・。大人の事情が色々あるんでしょうね~。


 誠に申し訳ございませんが、家庭の事情(大掃除だとかヘルパーさんがお休みとる間の介護だとかその他諸々)により、今年の『葵と杏葉』の更新はこれが最後となります。
 次回更新予定は1月1日、ブログサイトに移転しての新作UPです。ちなみにブログとは言っても小説専用のテンプレートを使用しておりますので、読みやすさは今と同じかむしろ読みやすいかも知れません。
(特に字の大きさは普通のブログよりも大きめです。設定にもよりますが、このサイトより読みやすいかと・・・・・大きい字が苦手という方には普通のブログ表示も出来るようになっています。)




《参考文献》
◆Wikipedia  土井利位
◆Wikipedia  雪華模様
◆Wikipedia  溶姫
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