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「葵と杏葉」
葵と杏葉・開国編

葵と杏葉開国編 第七話 義祭同盟と鉄の大砲・其の壹

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 斉正が『国学』のことを聞いたのは、男三人で杯を交わしていた時であった。

「一度騙されたと思ってかじっててみて下さいよ。これからの世の中、絶対に国学は必要不可欠な学問になります!蘭学好きのお二方にはなかなか理解して戴けないかも知れませんが・・・・・・国を護る攘夷にはあの思想が必要なんです!」

 酒席で若い慶永が口に出したもの、それは若者の間に流行し始めている新たな学問であった。若さ故の情熱のまま、年長の二人に力説するその姿は、藩主になりたての頃の斉正によく似ている。

「へぇ、国学、ですか」

 二十歳近くも年下の義兄の言葉に斉正は何となく返事を返していた。しかし斉正が国学の本当の勢いを知ったのは、事もあろうに国許に帰ってからであった。



 そして慶永から国学の話を聞いてから四ヶ月後、就封で佐賀に入った斉正を待っていたのは、弘道館の教授の一人である枝吉神陽が発起人となり、中断されていた『義祭』を執り行う為の結社を創るという報告であった。

「ぎ、さい・・・・・・同盟?」

 茂真が告げた聞き慣れない言葉に、斉正は小首を傾げる。

「ええ、要は楠木正成、正行親子の忠義を讃えようという事だそうです。やはり弘道館だと儒教に縛られてしまって、国学の講義をおおっぴらにやることは難しいですからね」

 茂真の『国学』の言葉に斉正はぴくり、と反応を示す。

「国学、ですって?」

「ええ。このご時世、やはり儒教だけでは限度があると考えるものは多いようです。他国でも国学が浸透しているようですし・・・・・・取りあえず枝吉に私塾として国学をやらせてみようかと」

 どんなものか判らぬが、幕府から特に禁令を出されている学問ではないし、取り入れられるものであれば取り入れた方が良かろうというのが茂真の意見であった。

「なるほど。確かに弘道館では色々と面倒な事になりそうですけど、私塾なら問題ありませんしね。では、兄上。枝吉に許可を出してやってください」

 この時、斉正はこれを単なる学問の流行だと軽く考えていた。だが、この小さな芽が徐々に大きくなり、不穏分子の台頭や倒幕への動き、そして兄・茂真がこの事で窮地に立たされる原因になろうとは欠片も思わなかった。

「ところで兄上。台場建築の件なのですが・・・・・・結局佐賀単独で行うことになりました」

 少しがっかりした口調で、斉正は江戸での首尾を茂真に報告する。

「やはり幕府の協力は得られませんでしたか」

 幕府の消極的姿勢は前々からの事だっただけに、茂真も特にがっかりした様子は見られない。

「ええ、福岡も及び腰でしたしね。でも単独でも許可を貰えただけ良しとしましょう。以前だったらそれさえも許されなかったでしょうから・・・・・・外国船が多く出没しているのに、幕府はなかなか動いてくれようとしないんですよね」

 もし盛姫が生きていたら、大奥からの働きかけで少しは違った結果が得られていたかもしれない。そんな事をちらっと思ってしまい、斉正は首を振る。さすがに筆姫に盛姫と同じことを求めることはできないし、もしかしたらそれを見越して幕府は筆姫を斉正に押しつけたのかも知れない。

(筆姫の、穏やかな暮らしを乱してしまったのは私の罪なのだな)

 自分が佐賀にいる時のことは義兄である慶永に頼んであるが、やはり心配は尽きない。そんな筆姫に幕府との調停役などもってのほかであった。

(私は・・・・・・本当に恵まれていたのだな)

 自分のやりたいことを察し、先回りして手筈を整えてくれた『ただ一人の妻』はもうこの世にはいないのだ――――――斉正は改めて盛姫の存在の大きさを痛感した。



 義祭同盟とは、佐賀藩士枝吉神陽が嘉永三年に佐賀城下で設立した結社である。南北朝時代の武将楠木正成、正行親子の忠義を讃える祭祀いわゆる『義祭』を執り行う崇敬団体であるが、実際は国学者である枝吉が尊王論を広げるための私塾であり、政治結社的な面が強かった。楠公義祭同盟とも呼ばれ、しばしば長州の松下村塾と対比される結社でもある。

 『義祭』の始まりは寛文二年に遡る。佐賀藩士だった深江信渓が楠木正成・正行父子の忠孝を鑑として広く顕彰すべきと発起し、この父子が京都の仏師法橋宗而に『楠公父子桜井の駅決別の像』の製作を依頼したのである。
 翌三年、完成した父子像を佐賀大和町北原・永明寺に安置し、毎年祭祀を行ったのだが、当時の藩主や重臣らおよそ二百人が参加する大規模なものであった。
 しかし、信渓没後祭祀を継いだ次男・元久が浪人に落ちたため、祭祀は途切れてしまったのである。また永明寺も天明三年廃寺となり、楠公父子御尊像は高傳寺にに移された。その後文化十三年には座所を梅林庵に移し、像の修復が行われ、祭祀も一旦再開されたが長くは続かなかった。

 そして時代は下り、国内に尊王思想が広がり始めた嘉永年間、これを知った『日本一君論』を主唱する国学者・枝吉神陽が発起人となり、嘉永三年のこの年、尊王派の同盟である義祭同盟が結成されたのである。



 楠公が戦死した忌日の五月二十五日、枝吉神陽に呼応した同志三十八人が梅林庵に集まり、深江信渓の子孫・俊助が祭主で初回の楠公祭が行われた。

「おう、江藤じゃないか!お前も義祭同盟に参加するのか!」

 江藤又蔵の姿を見つけた大隈八太郎が江藤に近寄り肩を抱く。

「わぁ!吃驚した。大隈先輩じゃないですか。ええ、弘道館に通えなくなった後も枝吉先生には大変お世話になっておりますし、今回も枝吉先生のお口添えで参加させて戴くことになりました」

 細身の、鋭い目の少年は満面の笑みを浮かべて大隈に答えた。江藤又蔵、後に維新の十傑と謳われる江藤新平と、後に総理大臣にまで上りつめ、早稲田大学を創設する大隈八太郎こと大隈重信は互いの参加を喜ぶ。

「それにしてもすごい面子だよなぁ。これだけの人たちを集めることが出来たのはやはり枝吉先生の人徳かな」

 集まった者達の顔を見ながら大隈は感心する。後の内務大臣で枝吉神陽の実弟・副島種臣や北海道開拓使主席判官になる島義勇、戊辰戦争の参謀になる木原隆忠など明治維新に於いて活躍し、さらに明治政府の中枢で活躍する面々が多数参加していたのだ。

「そういえば請役殿も義祭同盟に興味を示しておられたとか・・・・・・」

「本当ですか、大隈先輩?」

「俺も又聞きなんだが・・・・・・もし参加して下さったら、俺達にも出世の機会が出てくるかも知れないぞ」

 大隈の妄想に近い想像に江藤は苦笑を浮かべる。しかしこの三年後の嘉永六年、大隈の想像通り、鍋島茂真ら藩上層部の人間も参加したのである。その際、神陽は茂真に御尊像を龍造寺八幡宮境内に移祀することを提案し、安政三年に実行されることになる。



 一部の藩士が国学にのめり込む中、斉正は台場建築ともう一つの計画に着手しようとしていた。斉正の目の前には火術方の責任者、本島藤太夫と田代孫三郎が控えていた

「湾口部の伊王島と神ノ島・四郎島に台場を築き、大砲百門を据える幕府からの許可が下りた。そなたたちを責任者に台場建築に早速取りかかって欲しい。国の存亡がかかっている故、金に糸目は付けぬ。それと・・・・・・」

 斉正は口を一旦きりりと引き結ぶ。

「鋼鉄の大砲は作ることが出来そうか?」

 斉正のその問いに対し、本島が渋面を作った。

「極めて難しいかと。今現在も試しに作っておりますが、青銅製の大砲を作るのと違い、温度がどうも・・・・・・」

 佐賀領内で採掘できる石炭では鋼鉄をまんべんなく溶かすには温度が低すぎる上に、材料の鉄も不純物が多い。日本刀には向いている国内産の鋼鉄だが大砲造りには向いていない

「やはり『反射炉』を作らないと難しいのか・・・・・・」

 斉正は腕を組んで考え込む。オランダの技術書『鉄熕鋳鑑図』によって反射炉の存在は日本にも知られていたが、あくまでも書物の知識であり、翻訳さえ殆ど出来ていないのが現状である。

「邦次郎殿のところで小さな奴を作ったいたが、あれではさすがに大砲を作るまでは難しいだろうし・・・・・・でも技術的には一緒か」

 外国から大砲の輸入を制限されている現在、必要な大砲は自分で作らなくてはならない。だが、その資料となるものはたった一冊の本だけという心許ないものだが致し方がない。

「・・・・・・判った。本島、台場建設と大砲の鋳造の責任者としてそなたを任命する。必要な経費、材料は遠慮無く申し出るように。変なところで手を抜かれて後で泣きを見るよりは、その方が安上がりだ。頼んだぞ」

「御意」

 本島と田代は緊張の面持ちのまま、深々と頭を下げた。



 長崎の台場工事は予算や人員を集める為、嘉永四年に起工することが早々に決定した。この計画は本島藤太夫や田代孫三郎を責任者に、石工棟梁武富清右衛門らが担当。現場作業員が延べ二十一万人、石工も延べ十八万人を要する大工事となる。
 そして反射炉の方は本島藤太夫を責任者に、『鋳立方』が新たに創設された。江戸で伊東玄朴に学んだ蘭学者・杉谷雍助、漢学にも洋学にも通じた田中六郎、代々藩の大砲製造を担ってきた鋳物師・谷口弥右衛門、『肥前忠吉』の刀鍛冶・橋本新左衛門、藩随一の算術家・馬場栄作、そして経理会計に堪能な田代孫三郎が顔を揃え、後に『鋳立方七賢人』と呼ばれる事になる面々である。そして本島は斉正の命を果たす為、すでに小型反射炉のある伊豆韮山へと脚を伸ばした。



 斉正の紹介状を携えた本島は、江川英龍直々に出迎えられ、彼の庭に建設されたという反射炉を早々に見せて貰った。

「これが噂の反射炉の実験炉です。本当に小さなもので恥ずかしいのですが」

 そう謙遜しながらも自慢げに見せてくれたのは極めて小型の反射炉であった。

「これが・・・・・・!」

 小さいとは言っても人の背丈ほどはあろうか。火は入っておらず、本島は反射炉の中を覗き込んだり、周囲をぐるぐる回って姿形を観察する。

「これで作れるのはせいぜい大砲一門くらいの鉄の融解が精一杯で・・・・・・大量生産を考えると九間(約16m)ほどの高さの反射炉が必要でしょう」

「き、九間!そんなに高くしなければならないのですか!」

 その大きさに本島は目を丸くする。『鉄熕鋳鑑図』の翻訳がまだ終わっておらず、実際の高さを知らなかったとはいえ、そこまで大きなものだとは思ってもいなかった。せいぜい五、六間くらいの大きさだとばかり考えていた本島は、思わず頭の中で予算の増額を斉正に申請しなければ、と考えてしまった。

「ええ、私も初めて知った時驚きましてね・・・・・・『鉄熕鋳鑑図』にはそう記されておりました。しかし、貴殿ならきっとやりぬくでしょう。何せあの佐賀公がわざわざ私の元に送り込んでくるくらいですから。もし先に巨大反射炉の製造に成功したらご教授、お願いしますよ」

 冗談半分の江川の言い方だったが、一年も経たない内にこの言葉が真実になるとは思いもしなかった。そしてそれ以上に江川の言葉に重圧を感じたのは本島であった。

(九間・・・・・・本当に大丈夫なのだろうか?しかし、殿の期待に応える為にはやるしかない!)

 不安に押しつぶされそうになりながらも、本島は反射炉製造への覚悟を新たにした。



UP DATE 2011.06.22

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ここへ来て話が一気に幕末色に染まり始めました。まぁ、前の話から松平慶永(春嶽)やら井伊直弼が出てきておりますが、今回は江藤新平に大隈重信、そして副島種臣など明治政府の中枢に顔を連ねる面々が登場です。これ以外にもかなりの人物が『義祭同盟』には参加しておりまして・・・・・松下村塾と比較されるのがよく判ります(^^;)もし興味がございましたらちょっとググってみてくださいませねvたぶんこの話に登場するのは江藤君と大隈君ぐらいだとおもいますので・・・・・。
(全部書ききれる自信もありませんし、『義祭同盟』に参加している面子を本格的に書いたらそれだけで別の話がかけてしまいます・苦笑)


そしてこの時期、藩としては海防の為の台場建築と反射炉の建築をほぼ同時進行で行っております。私としてはむしろこっちの方が興味が・・・・一応理系女子のなれの果てですし(爆)。
この時点では韮山の方が技術的に進歩していたのですが、この技術指導を受けて佐賀では実用炉の製造を成功させます。詳細は次回からの本編にてvで、この反射炉が完成し、台場が完成した直後に黒船がやって来るという・・・・・。ジェットコースターのような歴史について行けるよう頑張って勉強しながら執筆してゆきますv


次回更新は6/29、反射炉の製造に取りかかりますが失敗に次ぐ失敗で・・・・・応援の程よろしくお願い致します(^o^)
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I様、ご来訪ありがとうございますm(_ _)m 

初めまして、管理人の乾小路と申します。
おお~I様は白石鍋島家所縁のお方なのですね。義祭同盟を取り上げるに際してやはり白石鍋島河内直暠様を外すことは出来ず、勝手にお名前を使わせて戴きました。
残念ながら六代前のご先祖様は拙宅では未だ取り上げておりませんが、ちょっとだけWEBで調べさせて戴きましたらなかなか興味深いお方でv
いつになるか判りませんが、いつかフェートン号事件の話も書きたいと思っておりますので、もしかしたらその時にご登場を願うかも知れません。(ざっと調べただけですので間違っていたら申し訳ございませんが、フェートン号事件の時代にご活躍をされていたと・・・武雄の鍋島茂義公と行動を共にしていたようですので、そのあたりも駄文書きには心そそられるものでした。)

この様な辺境サイトに来て戴いただけでなく、コメントまで残してくださり誠にありがとうございました。宜しかったらまたのご来訪、お待ちいたしております(^_^)
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