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「葵と杏葉」
葵と杏葉・開国編

葵と杏葉開国編 第十三話 責姫の結婚と濱の直訴・其の壹

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 五年間の長崎警備の専任――――――老中首座・阿部の発言はあまりにも突飛で、比較的柔軟な思考の持ち主である斉正でさえ、最初意味が理解出来なかった。

「五年間も、ですか?」

 しかも参勤や他の公役も行わなくても良いという、信じられない特別待遇である。ペリー来航の際には各人に意見を求めたが、元々強硬な攘夷論者である阿部らしい、大胆な計画だ。
 確かに亜米利加や露西亜が立て続けに開国を要求してくる事態は今まで無かったし、二年に一度の参勤でもそれに煩わされるよりは、より敵方の情報に詳しい斉正に腰を落ち着けて対応に当たって貰った方が心強い。

 またこれは斉正の与り知らないことであるが、長崎御番に従事し大名の中で一番海外事情に詳しい斉正を江戸から遠ざけようとする思惑も阿部にはあった。
 斉正は蘭学という趣味を通じて井伊直弼など開国派の大名達と仲が良い。長崎御番で培った『知識』を開国派に利用されては攘夷派にとって不利になることは明らかである。攘夷強硬派の阿部にとって、長崎警備を強化し、なおかつ江戸から邪魔者を遠ざけるにはこれ以上良い方法はないだろう。

「佐賀よ、頼まれてくれるな?」

 それは訊ねる形を取っているが、れっきとした命令であった。斉正に拒否という選択肢はない。

「承知いたしました。この命に代えて長崎を夷狄どもから守りきって見せます!」

 斉正としても力で無理矢理開国を迫る国に対しては攘夷を決行するつもりである。阿部の隠れた思惑などつゆ知らず、斉正は長崎を守る事をここに宣言したのだった。



 阿部の命を受けた後、斉正はその足で溜間へ向かった。そこには親友の井伊直弼と、彼に縁を取り持って貰ったある人物が出仕しているはずである。最低限の礼儀として、その二人だけには今回の命令を知らせておかなくてはならない。

「失礼つかまつる。井伊掃部頭と松平大和守は・・・・・・」

「おお、佐賀公!この度はどうも!」

 斉正の姿に気が付き、近寄ってきたのは松平大和守こと川越藩主・松平典則であった。まだ十八歳と若い藩主なのだが、故あって水戸藩・徳川斉彬の許から三歳しか年の違わない養子を送りつけられている。そしてその養子・八郎麿が事もあろうに責姫の婚約者なのだ。
 実のところ直弼は、未だ側室をたった一人しか侍らせていない典則を責姫の夫に、と動いていたらしいのだが、何の手違いか水戸公に押しつけられた典則の養子・八郎麿と責姫が結婚することになってしまったのである。

「三月の祝言、今から楽しみですな」

 外国船が立て続けに日本近海にやって来る中、養子の婚礼は川越にとって久しぶりの嬉しい出来事らしい。まるで我が事のように喜ぶ典則に対し、斉正は言いにくそうに口を開いた。

「その件なのですが、実はお願い後ございまして・・・・・・少々婚礼の日程を早めて戴けませんでしょうか」

 斉正の深刻そうな表情に、若い藩主は不思議そうな表情を浮かべる。準備に手間取り、祝言を遅らせてくれと言う申し出は良く聞くが、早めてくれと言うのは極めて珍しい。

「早める分には別に構いませんが・・・・・・どうなさったのですか?」

「実は先程、老中から長崎警備専任を仰せつかりまして。五年間、あちらに詰めることになったのです」

「それは・・・・・・!」

 典則は勿論、二人の話に耳をそばだてていた周囲にいた者達も驚愕する。

「なのでせめて我が娘と川越殿のご子息がうまくやっていけるか、いち早く祝言を挙げ、様子を知りたいのです。万が一娘に粗相があって離縁となった日には、改めて相手を探さなくてはなりませぬし・・・・・・」

「ああ、それは無いでしょう。お互い顔を見知っておりますし」

「え?」

 典則の信じられない一言に斉正の顔が強張った。自分が佐賀にいる間に何があったのか・・・・・・すでに責姫と八郎麿が互いを見知っている件と言い、結婚相手が目の前にいる典則から八郎麿になった件と言い、斉正には状況が全く読むことができない。

「おや?佐賀公は何も聞いていらっしゃらないのですか?掃部頭が見合いの日時から全てお膳立てをしてくれたものですから、てっきり佐賀公もご存じなのかと・・・・・・」

 典則言いかけたその時であった、小用を足してきたのか直弼が溜間に帰ってきたのである。

「おお。肥前守!こんなところでめずらし・・・・・・うわわっ!」

 斉正は直弼に詰め寄り、腕を強く掴んだ。その掴み方に斉正の怒りが如実に表れている。

「すみません川越公、祝言の話は後ほど!ちょっとこやつに聞きたき事がありますゆえ!」

 作り笑顔を浮かべたまま、斉正は直弼の腕を掴んで溜りの間から退出した。



「ちゃかぽん!見合いのお膳立てとは何だ、見合いとは!町人や下級武士でもあるまいし!」

 誰もいない控えの間に直弼を引きずり込むと、斉正は直弼を頭ごなしに怒鳴りつけた。斉正が怒るのも尤もである。当時見合いとは町人、または下級武士が行うものであり、大名が行うものではないのだ。

「やだなぁ。見合いをお膳立てしたなんて人聞きの悪い」

 怒り心頭の斉正とは対照的に、狸顔にへらへらと人を食ったような笑みを浮かべながら、直弼はのらりくらりと斉正をかわす。

「じゃあ何で川越公の養子とうちの娘が見知っているんだ!しかも川越公もその事を知っていたぞ!」

「ああ、その事ですね。それは墓参じゃないでしょうか。あちらも徳川の血を引く御方ですから、増上寺に行くことくらいあるでしょうし」

 直弼の言葉に、斉正の表情はますます険しくなってゆく。

「・・・・・・国子殿の命日、川越公に漏らしただろう?」

「さあね。ただ、鍋島の姫君は養母・孝盛院の月命日には必ず墓参するとは告げましたが。それと川越公もまだ若いですのでね、話に乗ってくれましたよ・・・・・・ただ、川越公自身は己の結婚に消極的でしたからねぇ。それだけに八郎麿殿が相手ならばと喜んでいましたっけ」

 睨み付ける斉正に対し、してやったりという笑みを直弼は浮かべた。

「・・・・・それか!八郎麿殿が娘の相手になった理由は!」

 つまりこういう事である。典則にはすでに側室がおり、あえて正室を娶らず仲睦まじく暮らしていたところに直弼からもたらされたのが責姫との縁談であった。
 折しも幕府を通じて御三家の一つ・水戸藩から養子を押しつけられていた典則は、押しつけられた者同士くっつけてしまおうという魂胆から八郎麿と責姫を井伊に頼んで引き合わせたのだろう。

「ご明察!やはりばれましたか」

「まったく人の娘を・・・・・・ちゃかぽんに頼むんじゃなかった」

「でも、本人同士は気に入っているようですよ」

「・・・・・・何故そんな事が判る?」

「そりゃ川越が呆れたように八郎麿の惚けぶりを教えてくれますから。鍋島の娘御は父親に似ず相当美しかったようですね」

「うるさい!」

 憮然としたものの、向こうの、しかも本人が責姫のことを気に入っているとの報告に関しては悪い気はしなかった。問題は八郎麿の実の父・斉彬の存在だろう。正直斉正もあまり得意な相手とは言えない。
 だが、婚約者に先立たれ、悪い噂を立てられた責姫本人を望んで娶ってくれるのなら文句は言えない。

「覚えてろよ、ちゃかぽん。いつかこの貸しは返して貰うからな!」

 自分の感情だけで婚約を反故にする訳にはいかない。しかし、直弼にはしてやられたという気持ちがどうしても拭えず、苦々しげに斉正は吐き出した。



 藩邸に帰ってきた斉正はその足で責姫と濱が居る奥向きへと向かった。

「父上様、お帰りなさいませ!」

 婚礼の際に持ってゆく衣装の反物を選んでいた責姫は満面の笑みを浮かべて斉正を迎える。その傍で濱や他の女官達も頭を下げた。十五歳になったばかりの責姫はだいぶ幼さが抜け、年頃の娘らしい美しさを備え始めている。春と秋の違いこそあれ、盛姫が斉正の許へ嫁いできたのも十五歳の時だった。その当時を思い出しながら斉正は責姫達の前に座った。

「健子、濱。お前達に言っておかなくてはならないことがある」

 改まった様子の斉正に対し二人は怪訝そうな表情を浮かべる。

「先程の登城で、老中から五年間の長崎警備専任を仰せつかった。五年間、江戸に戻ることは出来なくなるからそのつもりでいてくれ」

 斉正のその言葉に二人の表情が強張った。特に濱の顔は傍目からも明らかなほど青ざめている。

「五年間も・・・・・・それほど外国船は多く日本にやってきているのですか?」

 二年に一度しか父親に会えない生活に慣れているとはいえ、さすがに五年間は長い。責姫は心配そうに斉正に訊ねた。

「ああ、かなりな。しかし健子、お前のことは婚家に頼んできた。しかし慣れない生活、辛いこともあるだろう。何かあったらすぐに佐賀に手紙を・・・・・・」

「父上様、それなら大丈夫でございます。八郎麿さまはお優しい御方ですので」

 父としての斉正の心配を他所に、無邪気に言い放った責姫の無神経な言葉に斉正の眉がぴくり、と動く。

「・・・・・・何故、結婚前の婚約者の人となりを知っておるのだ?」

 怒りを含んだ斉正の声に、さすがにまずいと思ったのか、責姫は口籠もる。

「僭越ながら申し上げます」

 助け船を出したのは濱であった。今年で十六歳になる濱であるが、いつの間にかこのような機転を利かせる事ができるようになったのだろうか。母親の風吹を彷彿とさせる間合いに斉正は内心舌を巻く。

「おおよそ半年ほど前になりましょうか。孝盛院様の月命日に墓参した折、偶然八郎麿様も墓参しておりまして・・・・・・野良犬に襲われそうになりました我らを、八郎麿様御自らお助けくださったのです」

 一瞬、だいぶ成長したと思わせた濱だったが斉正のその考えは甘かった。八郎麿の事を話すその口調は昔のまま、夢見る乙女のものである。
 そもそも『今まで出会わなかった相手と同じ日に墓参』だとか、『野良犬に襲われそうになった』偶然などそうそうあるはずもない。その野良犬も若君が追い立てることが出来る程度の、仕込まれた『野良犬』だったに違いない。
 どうも自分の与り知らぬところで事が進んだ為、ひがみっぽくなっていることは否めないが、大方自分の予想であっているだろうと斉正は思う。

「しかも母上様の墓前で出会うなんて・・・・・・これはきっと母上様が巡り合わせてくださったに違いありません」

 どちらかというと、実年齢より物事を覚めた目線で見る責姫でさえ、夢のような出会いにうっとりしている。

(ちゃかぽんめ・・・・・・完全に娘達を騙して!)

「川越公も父上様と同じく海防警備をしております。八郎麿さまは長崎にて御番を努めていらっしゃる父上様を尊敬していると仰っておりました」

 不機嫌な斉正をどうにか宥めようと責姫は必死だったが、最後の一言でようやく斉正の表情が微かに緩んだ。

「そうか。確かに川越公は江戸湾の警備に携わっているものな。そうなると川越公の世嗣の妻はお前でなくては務まらぬか・・・・・・だが、大変だぞ」

 直弼のやり方は気に入らないが、川越藩としては場所は違えど海防を任された者同士、繋がりを持ちたいという気持ちもあったのだろう。
 そして佐賀としては婚約者に先立たれ、相手探しに苦労した責姫の嫁づき先が見つかるという、それぞれの利益になる婚礼である。

(問題は八郎麿の実父、水戸公か)

 直弼や典則など溜間詰大名は主に開国派が占めている。否、開国派の先鋒が彼ら溜間詰大名と言っても過言ではない。それに対して八郎麿の実の父・徳川斉彬は強硬な攘夷派である。養子に出した息子の婚姻にとやかく口を出してくるとは思えないが一抹の不安は拭えない。
 そんな心配をおくびにも出さず奥向きを退出したあと、斉正は松根に呟いた。

「松根。責姫の婚礼だが、本人達はともかく周囲がややこしいことになりそうだ」

 自分と盛姫の結婚も何かと周囲が煩かったが、まさか自分の娘までその様な目に遭うとは思ってもみなかった。せめてもの救いは互いの人となりを知っていて、相性が良さそうなことだけだ。

「夫婦仲がよければどんな困難も超えていけるだろう」

 そう呟きながら、斉正は筆姫の待つ黒門へと向かった。


 だがそこには、もう一人の強硬な攘夷輪者が待ち受けていたのである。



UP DATE 2011.08.03

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スミマセン、長崎警備の詳細、あまり書けませんでした(苦笑)。

五年間江戸の地を離れ、国許で長崎警護に専念することになった斉正です。それに伴って心配になってくるのは斉正に関わってくる三人の女性達。そのうちの一人、責姫に関しては(ちゃかぽんの工作によって)嫁ぎ先が決まりましたので問題無いのですが・・・・・自分の知らないところで話が動いていた事を知った斉正パパとしてま甚だ面白くないようです(爆)。しかも解釈次第では盛姫公認(何せ出会いは盛姫のお墓の前ですから・爆)というのも斉正にとっては面白くない一因なのかも。この責姫&八郎麿の出会いについては来週外伝として書かせて戴きますね。(さすがにこの話だけじゃ説明不足ですし・苦笑)

あと残りは妻の筆姫と濱ですが・・・・・筆姫は兄・慶永任せれば良さそうですが、政治的にはちょっと厄介な相手なんですよねぇ、慶永って。ちなみに彼も水戸斉彬と並ぶ攘夷派です。こう考えると斉正の親戚関係って色々ややこしいものがあるんですよねぇ。私も今回調べて始めて知りましたが(おいっ)。
親友・直弼や責姫の嫁ぎ先である川越藩が属する溜間の大名達が開国派、一方娘婿の実父と妻の実兄が攘夷派という状況の中、バランスをとり続けなければいけない斉正・・・・・書いている方が胃が痛くなりそうです(^^;)


来週8/10は責姫と八郎麿のなれそめ、外伝『作られた偶然』を、再来週は本編に戻り筆姫の今後を中心に書きたいと思いますv
(少しは濱の心情も入れ込みたいんですが・・・・・できるかな・苦笑)
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