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「夏虫~新選組異聞~」
夏虫・第三章

夏虫~新選組異聞~ 第三章 第十六話 明保野亭事件・其の肆

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「会津の・・・御国の為に・・・切腹いたします。」

 決意に満ちた柴司の言葉は兄・幾馬によって即座に会津藩上層部に通達された。そして翌十二日朝、柴の切腹が決行されることになったのである。
 柴に何ら落ち度はないが、こじれてしまった土佐との関係は柴が切腹をしない限り修復する事はできないだろう。藩としても苦渋の決断であったが致し方がない。

「いっそこの老人が代わってやることができたらどれほど良いか・・・・・柴司、上様からも切腹のお許しが出た。最後の晴れ舞台、しかと務めるがよい。」

 目に涙を浮かべながら家老の横山が申し渡す。その言葉に弱冠二十一歳の若者は晴れやかな笑顔を見せ深々と頭を下げた。



 明け烏がもの悲しげな声で鳴き始める頃、柴は切腹前の沐浴を始めていた。柴は次兄・寛次郎が盥に張られた水の中に湯を足してゆくのをじっと見つめる。これは遺体の湯灌に使う水と同じやり方であり、湯に水を足してゆく普通のやり方----------生きた人間のやり方とは逆の方法である。この事からもすでに柴は死者と同様の扱いを受けていると云えよう。
 清めの沐浴が終わった後は髷を結うのだが、これもいつもとは違う方法となる。普段より根を高く結い、普段とは逆、つまり元結を左巻に四巻し、髷を下に折り曲げるのだ。いつもと違う髷の結い方に苦戦しながらも、寛次郎は弟の髷を丁寧に結い上げた。

「髷はこんな感じだろう。そろそろ裃をつけろ、司。」

 寛次郎の促しに柴は頷き、左前に合わせた白無地の小袖の上に浅葱色の切腹裃を着込んだ。こちらも普通の裃と違い襞は外襞、小袖は首を打ち落とし易い様に後襟を縫い込んでいる。

「兄上、司の身支度が調いました。」

 僅かに湿った寛次郎の声が部屋の外で待っていた幾馬へ語りかける。その寛次郎の報告に呼応し、幾馬が公用方の手代木にその旨を伝えたのは朝四つ半のことであった。



 夏の日差しが藩邸の庭に張り巡らされた白幕に眩く反射する。組頭両人、親類縁者が立ち会う中、柴の切腹の儀式は始まった。
 柴の切腹の場所に二間四方の殯を結い、南北に口を開いておくのだが、その南側の門を『修行門』、北は『涅槃門』と呼ぶ。そして、そこには逆さに返した白縁の土色畳が二畳、撞木(丁字型)に敷き、縦の畳に浅黄色の布六尺四幅が敷いてある。場合によってはその上に白砂を蒔く場合もあるが、今回は急な切腹だった為かそれは用意されていなかった。
 さらにその四隅に四天を付け、畳の前に白絹を巻いた女竹を高さ八尺、横六尺の鳥居形に立て、四方に四幅の布を張るのだ。この白幕がいやが上にも切腹の雰囲気を醸し出すのだが、それをさらに強調するのが後方に立てかけられた逆さ屏風である。

「これより切腹の儀を始める。柴司、中へ。」

 検使役の一人が白幕の外に控えていた柴に声を掛けると、切腹人である柴が涅槃門から白幕の中へ入ってきて、検使役と対面するような形で座に座った。そして続けて修行門から介錯人である三番目の兄・外三郎と鞘引の平坂三郎が白幕の中に入ってくる。
 柴の前にはかわらけと塗りの盃二組、湯漬け、『身切れ』の意を含んだ香の物三切れ、塩、味噌の肴、そして逆さ箸が並んでいる。これが柴にとって最後の食事となるのだが、柴は酒のみを所望した。

「では・・・・・。」

 平坂が銚子で作法通り、左酌にて酒を盃に注ぐ。柴がそれを飲み干した後、平坂が膳を下げ四方(四つ穴のある三宝)に載せた切腹刀を差しだした。

「そなたの望み通り、扇子腹ではなく、本物の刀だ。」

 検使役が重々しく柴に語りかける。その切腹刀はどうやら藩上層部のものらしく、刃紋も美しい、見事なものであった。九寸五分の刀の柄は外され、紙が二十八回、逆巻によって刀身に巻かれているその短刀を柴は手に取る。

「重ね重ね、ありがたき所存にございます。心残りはございませぬ。」

 柴は検使役ににっこりと微笑んだ。まだあどけなさの残るその顔に怯えの欠片は微塵もない。柴は一旦短刀を四方に置き直すと改めて検使役に黙礼し、右から肌脱ぎを始めた。それと同時に介錯人の外三郎が柴の後ろに回り、介錯刀に水柄杓で水を掛けて清め始める。

「兄上、私が良いと言うまで介錯はしないで下さいませ。」

 柴は外三郎の方を振り向きもせずそう言い残すと左手で刀を取り、右手を添えて押し頂く。

「承知。」

 外三郎は刀を八双に構えながら柴の願いに応えた。柴はそれを確認すると切腹刀の峰を左に向け直し、右手に持ち替える。そして左手で三度腹を押し撫でたその瞬間、柴の手にある短刀が柴の腹に突き刺さったのである。

「おおっ!」

 その場にいたものが一斉にどよめいた。夏の熱を帯びた風が微かに血の臭いを孕み、藩邸の庭を通り過ぎてゆく。柴はそのまま左から右へ真一文字に刀を引きながら苦しげな声で外三郎に最期の頼みをする。

「あに・・・・うえ、介錯・・・・を・・・・・。」

 その瞬間、外三郎の水に濡れた刀が夏の陽光を跳ね返し翻った。



 それは見事な『抱き首』であった。切腹の介錯において首の皮一枚を残して斬ることを抱き首というのだが、この形に斬るのが介錯人の礼儀とされる。抱き首ならば勢い余って首が畳の外へ飛んでしまうこともなく、土砂に汚れることもない。また『身体を分割するのは親不孝』との儒教思想の影響や、胸にぶら下がる首の重みで体を前に倒すために抱き首にするとも言われる。

「兄上、白屏風を!」

 弟の血に染まった刀を手にしたまま、外三郎が兄たちに柴の亡骸を隠す白屏風を求めた。その言葉より早く幾馬と寛次郎、その他数人が、表裏白張り白縁の屏風をめぐらせ、柴の亡骸を周囲から隠した。

「こちらが・・・・・柴司の首にございます。」

 平坂が涙にくれながら首を検視役に見せる。

「会津藩士らしい・・・・・見事な切腹だったな。惜しい若者を亡くした。」

 検使役が柴の顔を見つめながら思わず本音を零してしまうほど、その切腹は見事なものであった。享年二十一歳、あまりにも若すぎる死である。検使役でなくとも柴の死は惜しすぎると感じざるを得なかった。

「では・・・・・。」

 平坂が柴の首を絹布で包むとそれを幾馬に渡す。本来であればこの検使役検分によって切腹の儀式は終了する筈であった。普通なら柄杓の柄を胴に差し首を継ぎ、敷絹で死骸を包んで棺に納めれば済むことなのだが、今回はそうは行かない事情がある。

「これから司の首を土佐に見せて参ります。これで騒動は終了するでしょう。」

 幾馬の言葉に検使役も納得し、強く頷いた。その後、幾馬は公用方の手代木と共に柴の首を持って土佐藩邸に出向き、その首を半ば強制的に実検させることになる。



 柴の切腹によって一触即発の状態にあった会津藩と土佐藩の関係はようやく修復を見た。しかし、柴の死は会津藩にとって極めて遺憾であり、惜しまれるものであった。
 京都黒谷金戒光明寺の会津墓地にある柴の墓碑銘には、上記の続柄や事件の経緯とともに『----------死ぬことが難しいのではなく、立派な態度で死に臨むことが難しいという。柴司などは、本当に立派な態度で死を迎えた者だというべきだろう』だとか、『もし柴司が六月十二日に死ぬことなく、禁門の変に参戦していたなら、どれだけ活躍したであろうか。これはとても残念なことである』とその死が惜しまれている。そしてそれは会津藩だけの思いではなく、新選組の者達も同様の念を抱いたのである。

「何だって!柴は務めを果たしただけじゃねぇか!何で土佐に義理立てしてあんな若くてやる気のある奴が死ななきゃならねぇんだ!」

 柴の切腹を伝えに来た柴外三郎に対し土方が気色ばむ。

「我らも思いは同様です。何故弟が死ななくてはならないのかと。ですが・・・・・。」

 外三郎も思い出したのか、ぽろぽろと涙ぐみながら土方や傍にいた近藤に訴える。

「それが・・・・・藩なのです。大きな力の前には正義さえ押しつぶされてしまう、それが悔しくて・・・・・。」

 目を真っ赤にしながら外三郎はさらに続ける。

「明日、司の葬儀がございます。あいつは・・・・・新選組との仕事に誇りを持って取り組んでおりました故、最後に見送ってやってくれませんでしょうか。」

 柴は事あるごとに新選組との仕事を嬉しげに兄たちに語っていたと外三郎が懐かしそうに呟いた。確かに柴たちは藩に恥じない手柄を立てようと、地道な巡察にも一切文句も言わず一生懸命仕事に取り組んでいたのを土方は思い出す。あと数年もすれば藩にとっても無くてはならない存在になっていたに違いない。

「判った。明日、必ずあいつの葬儀に参加する。」

 たった数日の短い付き合いであったが、強い印象を新選組に残した若者であった。その若者との最後の別れ----------葬儀に参加すると、土方は近藤が口を開く前に即答したのだった。



 次の日、柴の葬儀が黒谷においてしめやかに執り行われた。新選組からは土方や井上ら柴と特に懇意だった幹部五名が葬儀に参列する。

「今一度、司の顔を見てやってください。」

 幾馬に促され土方達が柴の亡骸が納められた棺を覗き込んだ。着替えをし、真っ白な死装束を身につけた柴は、切腹したにも拘わらず穏やかな、ほっとしたような表情を浮かべている。その表情が余計に悲しみを誘う。

「早まった真似をしやがって・・・・・馬鹿野郎!」

 柄杓の柄によって繋げられた首を撫でさすりながら、土方は珍しく涙を流した。それは他の隊士達も同様で、柴の身体を撫でさすりながら大声で泣いていた彼らの姿が幾馬の書簡によって残されている。もし、自分達と組むことなく会津藩士として藩の仕事に従事していたら死ぬことは無かったのかも知れないと思うと、さらにその悲しさは増したのであろう。この葬儀の際、武田と浅野藤太郎によって弔歌が詠まれ、五人とも墓所まで柴を送り届けたと記録されている。



 思わぬ行き違いにより将来有望な若者が不幸な死に方をし、会津藩や新選組が悲嘆に暮れている最中、遠く長州において新たな動きが起こっていた。
 奇しくも柴司の葬儀と同日の六月十三日、池田屋の報が長州藩内に通達されていたのである。池田屋における被害の報告に激怒した若手に押し切られる形で長州藩内では直ちに京都進発が決定、十五日の来島又兵衛を先発に続々と進軍を開始した。

 およそ一ヶ月後、京都市街に甚大な被害を及ぼすことになる蛤御門の変の、これが第一歩であった。



UP DATE 2011.08.12


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明保野亭事件の、悲しすぎる結末です。大きな力の前じゃ小さな正義は潰されちゃう、っていう悪しき例ですよね、この事件(>_<)柴司クンには心からのお悔やみを申し上げます。

今回は時間が無かった上に50行ほど書き直しという大ボケをかましてしまった為、いつもに比べると少々短め&大雑把感は否めないのですが唯一切腹についてはまじめに取り上げてみました。(葵と杏葉でも茂義が切腹直前までやらかしているのですが、結局寸止めでしたので・・・・。)

今回のような様式が出来たのは大体江戸中期頃らしく、それまでは色々な方法があったそうです。というか、武士の死=切腹というのも鎌倉時代かららしい・・・・。そして調べているうちに源義経も切腹で死んだというのも実は今回初めて知りました。てっきり討ち死にかと(^^;)ちなみにこの時『武士の自害の仕方はどのようなものが良いのか?』とお付きに聞いているそうですので、この時期は切腹に特にこだわりは無かったようです。
ちょっと話が横道にそれましたが、今回改めて切腹を調べて見ると色々奥が深いな~と。特に幕末は扇子腹ではなく、本物の刀を使った切腹が復刻しているようですので、又機会がありましたらさらに深く調べて見たいな~と思います。

次回更新は8/19、長州藩の襲撃に備え、出陣いたしますv
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