FC2ブログ

「葵と杏葉」
葵と杏葉・開国編

葵と杏葉開国編 第十九話 切磋琢磨・其の壹

 ←烏のまかない処~其の拾肆・秋刀魚 →夏虫~新選組異聞~ 第三章 第二十二話 非行五ヶ条・其の貳
 長崎海軍伝習所における伝習は、ペルス・ライケンら第一次教官達の下、精力的に行われた。
 この伝習所では単に軍艦の操縦などを学ぶだけでなく、造船や医学、語学などの様々な講義が用意されていた。それ故にこの後、日本の西洋学問の礎になった部分も多分にある。

 特に一年後に来る第二次教官・ポンペによる医学伝習は、物理学・化学に基礎を置く日本の近代医学の始まりとなったし、派生した長崎養生所・長崎英語伝習所は、後の長崎大学の基となった。さらに併設された飽浦修船工場や長崎製鉄所は、長崎造船所の前身となったほどである。
 そんな華やかな功績を残した第二次教官達ほどではないが、彼らの教えを受けるまでの下地を作ったという意味では第一次教官達も忘れてはならない存在だ。

 特に航海術・運用術を教授することになったライケンはスパルタ教育で鳴らし、教えられるだけの全てを伝習生達に叩き込もうとした。また医学・舎密学の担当だったファン・デン・ブルークは、医師としての仕事は殆ど無かったものの、他の様々な技術領域において日本人に協力し、鋳造工場、反射炉、造船所、蒸気機関とその製造所、硫酸やその他化学物質の製造などに携わった。
 他の教官より少々早く来日していたファン・デン・ブルークは、日蘭/蘭日辞書の作成をし、安政三年からは古川俊平ら長崎海軍伝習所の何人かの学生に写真術を教え始めた事でも知られる。ただ、商館長で駐日オランダ理事官を兼務していたヤン・ドンケル・クルティウスと非情に折り合いが悪かった為、後任のポンペと入れ替わりでバタヴィアに送り返されたのは余談である。
 その他には造船学・砲術担当のスガラウェン、船具学・測量学担当のエーグ、算術担当のデヨング、 機関学担当のドールニキスとエフエラールスなどの教官が指導に当たった。



 そんな伝習所において人数的に多数派である幕臣達と佐賀藩士達は、教官の阿蘭陀人達が呆れるほど対照的であった。

「冗談ではない!拙者は武士だぞ!何が悲しくて船大工の真似をせねばならぬのだ!」

 そう言い出したのは幕臣の浜口興右衛門であった。それ以外にも測量なら学ぶが医学などまっぴら御免だと言出す者や、そもそも自分は立身出世の為に伝習所にやってきたのだと嘯くものまで現れる始末である。
 彼らも多くの幕臣から選ばれた精鋭で、決して出来が悪い訳ではないのだが、いかんせんそれぞれの目的がばらばらであった。阿蘭陀人から直接西洋の学問を学べる機会のありがたさを感じていたのは中島三郎助やヘダ号の建造に直接携わった石井修三くらいであろう。
 そんな中島等と要領ばかり良い勝海舟の争いは絶えることなく、矢田堀が仲裁に入ることもしばしばであった。

 一方、佐賀藩士達は幕臣達より半年も早く阿蘭陀人達から講義を受けていることもあり、阿蘭陀人達にはおおむね好評だった。
 そもそも彼らは斉正によって『学ぶことだけを考えていればよい』とその身分を保障されていたし、それ以上に現在日本が置かれている危機を肌で感じている。自分達が学ばなくては国を守ることはできないという、大きな目的を持っていたのだ。
 ただひたすら学問に没頭できる環境を整えられた佐賀藩士と、第一に己の立身出世に気を配らねばならない幕臣とでは自ずと伝習に対する態度も違ってくるのは当然だろう。

『サガ公の部下の方がショーグンの部下より優秀である』

 暫くすると阿蘭陀人によってそう評価され始めてしまった幕臣達だったが、その評価を甘んじて受けるほど幕臣達は大人しくはなかった。否、『将軍直属』という身分による矜持だけがやたら高かったと言うべきかも知れない。
 最初こそあれは嫌だこれはやらないと文句を言っていた幕臣達だったが、次々と結果を出し、評価を高めてゆく佐賀藩士達に焦りを感じたのか一人、また一人と伝習を真面目に受け始めたのである。

『これを利用しない手はない』

 なかなか言うことを聞かない幕臣達に手を焼いていた阿蘭陀人教官達は、幕臣達と佐賀藩士達を互いに競わせることでやる気を引き出そうと考え、事あるごとに両者を比較し始めた。それにより互いが負けん気を起こして互いを高めあい、二年後その成果が如実に表れる出来事が起こる。



 長崎伝習所における佐賀藩士達の活躍は勿論佐賀城にももたらされ、斉正を始めとして家臣達、そして弘道館の若者達が沸き立つ。そんな中、蒸気船製造主任になった茂義が斉正の前にやってきた。

「久しぶりだな、茂義。蒸気船の製造の方は順調にいきそうか?八月一日に蒸気機関車の模型を見せて貰ったきり、音沙汰が無いから心配しているんだが」

 斉正は満面の笑みを浮かべながら茂義を労う。茂義のその頭にはだいぶ白いものが混じり、目尻の皺も深くなってはいたが、その眼光は相変わらず鋭かった。

「まぁまぁ焦るな。精煉方の奴等も今は伝習所に詰めているんだから暫く時間はかかるさ。その代わり、阿蘭陀人教官達にみっちり造船を学んでいるから安心しろ」

 茂義の頼りがいのある一言に、斉正は安心しきった笑みを浮かべる。

「そうか。じゃあ伝習が終わる頃には・・・・・・」

 しかし斉正の口から言葉が零れた瞬間、茂義はちょっと困ったように眉を顰めた。

「おい貞丸。伝習生に頼まれたことで、ちょっとお前の力を借りたいんだ。手数を掛けてしまって申し訳無いのだが・・・・・・濱から『大系 化学の理論と実践』を取り戻してくれないか?」

 茂義の口から思わぬ書物の名前と思わぬ頼みが飛び出して、斉正は唖然とする。

「はぁ?何故濱がそんなものを?」

 『大系 化学の理論と実践』とはイペイが著した化学所であり、大名の側室が読むようなものではない。怪訝そうな斉正に対し茂義は口をへの字に曲げ、暫くしてから口を開く。

「実は・・・・・・風吹の奴がやらかしたんだ」

 大仰に溜息を吐くと、茂義は事の顛末を話し出した。



 それは半月前の事である。武雄藩邸に詰めていた茂義の許に、先触れもないまま与賀の武雄下屋敷に居を構えている風吹がやってきた。

「何だ、先触れも出さないで。急に俺に逢いたくなったのか?俺が出向くのを待てないなんて」

 茂義は茶化すが、尼僧姿の風吹はふん、と鼻を鳴らすと茂義の所に来た用件を言う。

「一ヶ月ほど、阿蘭陀語、そして外国船に関する書物を貸してもらいに参っただけでございます!何も貴方様に会いに来た訳ではございませぬので、勘違い成されませぬよう!」

 どんなに年を取っても、尼僧姿になっても風吹は風吹である。相変わらずの居丈高な口調で言い放つと、茂義の隣に控えていた彼の小姓をひと睨みし、蘭学所を持って来いと脅す。風吹の脅しに怯え、目で茂義に助けを訴える小姓に対し、茂義は席を外すよう促すと、風吹に対して己の言分を怒鳴りだした。

「いくらお前でも貸せるものと貸せないものがある!阿蘭陀関連の書物は佐賀藩の機密だ、迂闊に貸せる訳がないだろう!」

 風吹を突っぱねる茂義だったが、風吹は一通の手紙を茂義に差し出しながら言い返した。

「濱の・・・・・・いいえ、佐賀藩主の側室の教育の為であってもですか!」

 苛立たしげな風吹を怪訝に思いながらも、茂義はその手紙を読む。そこには孤閨を嘆く濱の悲嘆がつらつらと書かれてあった。

「我が娘ながら情けない!今、藩が何をなそうとしているか見ようともせず、努力もしようとしないなどと・・・・・我が姫君様は事あるごとに千代田に足を運び情報を得て、殿の道楽について行こうと蘭学をも学んでおりました。その半分の努力もせずに・・・・・・ああ、嘆かわしい!」

「いや、盛姫君は特別に変人・・・・・・もとい努力をなさる方だったから・・・・・・」

 確かに孤閨を嘆き、母親に手紙で訴える濱にも問題はあるのかも知れないが、比べる相手が盛姫では濱に分が悪すぎる。茂義は少々小声になりながらも娘を庇うが、得てしてこの様な喧嘩は女の方が強い。

「ですから我が娘を鍛えるのです!とりあえず十冊!阿蘭陀語のいろはを学べるような書物と、船舶の書物!殿に合わせるには最低限のものだけで構いませぬから一ヶ月ほど貸してくださいませ!」

「い、一ヶ月!」

 風吹の無茶苦茶な言葉に茂義は目を丸くする。

「一ヶ月では長いのですか?でしたら半月で構いませぬけど」

 しれっ、と言い放つ風吹に対し、さすがに腹に据えかねた茂義は反論を唱え始めた。

「おい、無茶を言うな!蘭学寮の学生だってそう易々と読めない本だぞ!それを一ヶ月で十冊も読めるはずが・・・・・・」

「それをやらせるのです!貴方様に似て濱は甘やかすとつけあがります。厳しすぎるくらいで丁度良いのです!本当に父親というものは娘を甘やかすのですから!」

 風吹の最後の一言にかちん、ときた茂義は風吹ににじり寄る。

「俺に似て、とは聞き捨てならぬ!そもそもお前こそ、自ら武雄くんだりまで足を運んで、娘の為に書物を借りに来ているではないか!濱を甘やかしているのはお前だ!」

 茂義は歯をむき出して威嚇するが、そんな事で怯む風吹ではない。

「とにかく!一ヶ月で必ずお返ししますので宜しいですね!」

 風吹の強引な方法は借りる、というよりむしろ強盗に近いかも知れない。茂義の言分などろくに聞かず、風吹はごく初歩的と思われる本を七冊と専門的な本三冊ほど持ち帰ってしまったのである。



 茂義から事の顛末を聞いた斉正と傍に控えていた松根は思わず笑ってしまった。

「やっぱり茂義と風吹は変わらないのだな。うらやましいものだ」

 斉正の一言に、茂義はむっとした表情を浮かべる

「・・・・・・実はその中の一冊,イペイの『大系 化学の理論と実践』を伝習所の奴が閲覧させてくれと言い出してな。数日待たせてはいるんだが、さすがに待てない。申し訳無いがお前から言い含めて返してもらえないか」

 おおらかな気風の江戸藩邸と違い、佐賀奥向きへの家族の出入りは禁止されている。これは側室達に家族が言い含め、政治に口出しするのを禁止する為である。
 それは斉正の信頼が厚い茂義であっても例外ではない。否、むしろ変な勘ぐりを避ける為に、他家以上に濱への接触をしないよう気を遣っている。そんな茂義に対し斉正は微笑みながら頷く。

「判った。その件は私の方で取り返してこよう。茂義、今夜は与賀に行くのか?」

「・・・・・・仕方ないだろう。濱の件の説明もしなくてはならないし」

 口の中でぶつぶつ文句を言う茂義の態度があまりにもおかしく、斉正は吹き出してしまう。

「風吹に投げ飛ばされないようにな、茂義」

 そんな斉正のねぎらいの言葉さえも、今の茂義にとってはあまり慰めにはならなかった。

「甘いぞ、貞丸。これからは大砲の時代だ。尼姿に騙されて迂闊に近づこうものなら、あいつは自ら大砲をぶっ放してくる」

「ははは。風吹は砲術を学んだのか?」

 斉正は冗談のつもりで言ったが、茂義はまなじりをきっと吊り上げ文句を言う。

「学んだどころじゃ無い!下手な若造よりよっぽど覚えが良いぞ。まったく大人しく黄表紙にでもうつつを抜かしていてくれれば良いものを、暇に飽かせて砲術の本など読みあさりやがって・・・・・・濱はあの女から生まれたんだ。お前も気をつけろよ、貞丸!」

 どうあがいても風吹には勝てない茂義は、悔しげに斉正に零す。

「なるほどな。では、濱の成果を確かめがてら頼まれたものを取り返してこよう」

 斉正はそう告げるとそのまま立ち上がり、本丸の奥向きへと向かった。



「あ、殿!どうなさったのですか、こんな早いお時間に」

 思わぬ時間にやってきた斉正に濱が頭を下げる。その傍には一冊の本が書見台に乗せられ広げれれていた。

「その本は?」

 斉正が書見台に広げられていたその本を指し示す。

「はい、父から借り受けましたイペイの『大系 化学の理論と実践』でございます。ただ描かれている図を眺めることだけしかできませんが」

 横には阿蘭陀語と日本語を対比させた書き付けがあったが、さすがにそれだけで読むことは難しいだろう。

「確かに濱にその本は難しいな」

 斉正は濱の頭を撫でてやりながらにっこりと微笑む。

「実はそなたの父御がその本を返してくれとやってきてな。申し訳無いがその本は諦めてくれないか」

 その瞬間、濱は少しだけほっとした表情を浮かべた。さすがに風吹も斉正の命ならば無理強いは言わないだろう。

「はい、勿論でございます。父上が必要としているのでしたら母上も諦めてくれますよね!」

 濱はそそくさと本を閉じ、斉正に手渡した。

「その様子では相当手こずっていたようだな、濱」

 斉正は手にした蘭学所を愛おしげに撫でながら濱に尋ねる。

「はい、それはもう大変で・・・・・・母上が私の為を思ってしてくれたのはありがたいのですが、蘭学書は私には難しすぎます。でも・・・・・・」

 濱はしょんぼりとうなだれる。

「あと半月ほどしたら、母上が中に何が書かれているか聞くからと・・・・・・」

 斉正は風吹が砲術の本を読んでいると嘆いていたのを思い出した。あの気の強い風吹のことである。盛姫も亡くなり、淳一郎の乳母としての仕事もひと段落したのを機会に蘭学を学んだのだろう。特に軍事関係の書物なら発音は出来なくても、意味をくみ取る事くらいできるのかもしれない。

「そうか・・・・・・よし、今夜から一緒に読んで阿蘭陀語を教えてやろう」

「本当ですか!」

 斉正の思わぬ提案に濱の表情が途端に明るくなった。

「ああ、日によるが、時間が空いたら必ず見てやろう。そうすれば少しは何とかなるだろう」

 斉正の提案に濱は嬉しげな笑みを見せた。しかしこれこそ風吹の本当の狙いであった。濱が阿蘭陀語に苦戦していれば必ず斉正が助け船を出すだろう――――――風吹の本当の企みだとも知らず、濱は必死に蘭学を学び、斉正がそれを指導することとなる。



UP DATE 2011.09.21

Back   Next
 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
INランキング参加中。
お気に召しましたら拍手代わりに是非ひとポチをv


  
こちらは画像表示型ランキングです。
押さなくてもランキングに反映されます。
(双方バナーのリンク先には素敵小説が多数ございます。お口直しに是非v)






伝習所の事、もう少し書くはずだったのですが・・・・何だか茂義&風吹夫婦に乗っ取られてしまった感が(^^;)
このCPが出てきてしまったら他の登場人物は敵いません(笑)。
さらに今回からのタイトルも、最初は『若者達の切磋琢磨』だったのに、『若者達の~』が抜けてしまいました。いや、おっさんたちも頑張っていましたしねぇ(^_^)なので、世代、性別を超えて頑張っているぞということで単純な『切磋琢磨』とさせて戴きました。

今回の話では伝習所の連中も気にして欲しくはあるのですが、それ以上に注目して戴きたいのは斉正と濱の距離感でしょうかね。濱に対して遠慮気味だった、というか罪悪感さえ感じていた斉正が、『蘭学』を教えるという行為を通じてほんの少し距離を縮めました。これはやっぱり大奥育ちの風吹ならではの手練手管でしょう。何だかんだ言って娘に甘いのです(笑)。問題はここからですね~。濱のがんばり、応援してやってくださいませv


次回更新は9/28、彗星の如く江藤新平が現れ、とんでもない提言書を提出いたします。
関連記事
スポンサーサイト




 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ 3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ 3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ 3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ 3kaku_s_L.png 雑  記
総もくじ  3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ  3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ  3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ  3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ  3kaku_s_L.png 雑  記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【烏のまかない処~其の拾肆・秋刀魚】へ  【夏虫~新選組異聞~ 第三章 第二十二話 非行五ヶ条・其の貳】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【烏のまかない処~其の拾肆・秋刀魚】へ
  • 【夏虫~新選組異聞~ 第三章 第二十二話 非行五ヶ条・其の貳】へ