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「葵と杏葉」
葵と杏葉・開国編

葵と杏葉開国編 第二十四話 買った船、造った船・其の参

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 それは一橋派と南紀派の間に挟まれ、悶々とした日々を送っていた斉正にとって、とてつもなく嬉しい知らせであった。

「佐賀の伝習生達が独自にカッター船なるものを造りたい申し出ているのですが、お許しを頂けますでしょうか?」

 中村が告げたその一言に、斉正は俄に信じられぬと驚愕の表情を浮かべる。

「カッター船・・・・・・コットルのことだな?我が藩の伝習生だけでそんな事が本当に可能なのか?中村、詳細を話せ」

 斉正は思わず身を乗り出し、中村に詳細を話すように促した。



 カッター船とは小型船舶の一種であり、幕末期の日本では阿蘭陀語読みのコットル船と呼んでいた。帆船の中では最も小型のもので、日本語で『端艇』または『短艇』と訳される。主な役割としては人員や軽貨物の運搬に使用されるが、武装する事も少なくない。
 マストの前後に縦帆を備え、バウスプリットに一、二枚の前帆を持つ。スループなどに比べると、マストが船の後部寄りに位置するのが特徴である。

「確か港内連絡用の小脚船・・・・・・スループはうちの藩士達も既に造っていたな?」

 斉正が尋ねると中村は深く。

「ええ、オランダ人教官のヘルフィン船匠長の指導の下、幕府の伝習生達が製作したのに対抗して、佐野達が製作しました。しかし、今回のコットルはそれの比ではございません」

 長崎海軍伝習所では、船の操縦だけでなく洋式造船などの教育も行われていた。そして最初に建造されたのは斉正が言ったように八本櫂の帆走・漕走併用の小型船・スループである。これは港内連絡用の小脚船であり、碇泊中の練習艦『観光丸』への移乗や帆走練習船に使われていた。
 ちなみにスループ製造作業にあたった伝習生には『鳳凰丸』や『君沢形』(ヘダ号)の建造経験者が含まれている。

「・・・・・・話によると、幕府伝習生が製造し、五月二十五日に進水したコットル『長崎形』は七丈ほどの船で、伝習所総監の永井殿の要望によって大砲の設置場所も用意されているとのことです」

 中村の話に斉正は勿論、傍に控えている松根も感心する。

「そうなると有事の際は武装して、軍艦として使える、って事ですね」

「そうなんですよ、古川殿。幕府のコットルには長崎製の六ポンド青銅砲四門と一ポンド旋回砲四門が搭載可能なんだそうです」

 はしゃぐ中村に対し、ただ一人、請役の茂真は気になることがあるのか渋い表情を浮かべる。

「しかし中村、『長崎形』は資材調達の難航で作業がしばしば中断したそうだな。その為に工期が長くなって完成まで七ヶ月もかかったそうだが」

 茂真の指摘に中村は一瞬ばつの悪そうな表情を浮かべたが、開き直ったのかさらに『都合の悪い事実』を口にした。

「ははは、請役殿にかかってしまえば隠し事はできませんね。その通り、確かに『長崎形』の完成には七ヶ月かかっております。それと、カッター船一隻を作るのに二千両ほどかかるのですが、製作期間の長さ以上にそちらの方が少々問題でして・・・・・・」

 だんだんと声が小さくなっていく中に対し、斉正は慰めるように優しく声を掛ける。

「資金の事は気にするな。取りあえず手付けとして半額の千両くらいならすぐに何とかなるし、飢饉でなければ来年の年貢が入れば残りの支払いも目処が付く。むしろ藩士達がやる気になっているこの時期を逃す方が問題だろう。コットルの製作を進める方向で調整をするように」

 一番の懸案だった予算において、心強い斉正の一言を貰えたことで中村の表情が緩んだ。

「ところで中村、完成はいつ頃になるのだ?何なら何度か製造現場を見学しに長崎に行くのも良いな」

 それこそ今にも飛び出しそうな勢いの斉正を押しとどめるのに周囲は必死になる。

「幕府の『長崎形』が起工から進水まで七ヶ月かかっておりますが、藩士達も長崎形の製造に関わっている分、もう少し要領よくやってくれるでしょう。半年かかるとしても来年の五月半ばくらいには・・・・・・」

 製作の途中どんな事があるか判らないが、少なくとも幕府伝習生よりは早く仕上げることが出来るだろうと中村は太鼓判を押した。

「確かにそれ位はかかるかも知れないな。だが、焦らせることはない。船は水に浮かべ、自由自在に走らせてこそのものだ。慌てて作って沈んでしまうのでは元も子もない」

 そう言いながら明らかにそわそわしだしているのが誰の目から見ても判る。それを見て中村は、伝習生達にかかる重圧を思い、心の中で苦笑いを浮かべた。



 斉正の許可を受け、伝習生達は早速長崎大波止にてカッター船の製作に取りかかった。斉正が非常に楽しみにしているというのもあったが、それ以上に彼ら自身が楽しみにしていたし、何よりも幕府伝習生に負けてなるものかという負けん気が勝っていた。スループの製作の時もそうだったが、佐賀藩士としては幕府伝習生よりも早くから阿蘭陀人教官から船舶のことを学び、人数的にも経験的にも幕府伝習生に勝っているという自負があったからである。
 そんな彼らの手助けをする為、ホイセン・ファン・カッテンディーケを筆頭に阿蘭陀人教官の指導下で佐賀藩独自のカッター船製造作業は行われた。そしてその作業は阿蘭陀人教官や斉正ら藩幹部を驚かせるほど順調だったのである。
 斉正を始め藩としてはそれこそ五月から六月くらいに完成するものかと思っていた。だが、伝習生達の負けん気と熱心さは斉正らの予想を裏切り、自分達のカッター船を四月十一日に完成させたのである。その知らせは早飛脚で佐賀にいる斉正の許にも届けられた。

「進水式は四月十五日だそうです。勿論殿も進水式には・・・・・・」

「立ち会うに決まっておろう。何を世迷い事を言っておるのだ、井内?」

 井内の言葉に斉正も、そしてその場にいた者達も大声で笑った。

「申し訳ございません、聞くだけ野暮でした。あ、それと伝習生達から殿にお頼みしたいことがあるとの事なのですが」

「何だ、頼み事とは?」

 斉正は小首を傾げる。

「船の命名を是非ともお頼み申したいと伝習生達全員が望んでおります。本当に小さな船でありますが、藩士達が始めて作った洋船です。是非とも殿に船の魂とも言える命名をお願いしたいと・・・・・・進水式の時に行います命名式までと、時間は短いのですが」

「何だ、そんな事か。それならばとうに幾つか考えておる」

 だが、この場で言う気は毛頭ないらしい。家臣達が目で訴えるのだが、斉正は知らぬ風にそれを無視した。斉正は井内にだけその名前を囁き、長崎に伝えるよう命じる。

「――――――御意。では早速長崎に先触れを出しましょう」

 井内は斉正の命を受けると、早速動き出した。



 安政五年四月十五日、佐賀藩士達が製作したカッター船の進水式が行われた。勿論藩主の鍋島直正自らも臨席している。全長21.8m・船幅5.8m・排水量50トンと、先年購入した飛雲丸に比べるといささか小さいカッター船だが、『自分達の手で作った』という感動は格別のものがある。
 そして進水式の前に行われる命名式において、斉正は初めて藩士達が造ったカッター船へ付ける名前を披露した。

『晨風丸』

 力強い文字で絹布に書かれたその文字を斉正は披露する。

「晨風――――――夜明けの風ですか。佳き名前ですね」

 立ち会っていた藩士達がお世辞抜きで次々に称賛する。これから新しい時代を迎える日本、そして佐賀の船としてこれほど似つかわしい名前はないだろう。幕府のカッター船『長崎型』と比して仰々しい感じもしないではないが、斉正の、そして作り上げた藩士達の気概を感じさせる佳い名前である事には変わりはない。

「これからこの名前に恥じぬ魂をこの船に入れてゆくのは他ならぬお前達だ。造っただけで安心せず、操縦にも力を入れるように!」

 斉正の言葉に、その場は俄に沸き立った。そして命名式の後、支綱切断の儀式が行われ、続けて進水式が行われる。
 後世では新しく作られた縁起物の銀斧を用いることが多くなるが、当時はそんな風習が日本になかった為、純粋に西洋式に行われた。
 さらに進水式ではシャンパンなどを船体に叩きつけるのだが、これは十八世紀前半に赤ワインの瓶を船体に叩きつけた事が起源とされている。1811年、当時のイギリス皇太子ジョージ四世が軍艦の進水でその役目を婦人にあてるよう決めたことからその方法が伝統として確立していたが、さすがに今回はそういう訳にもいかず、斉正がシャンパンの瓶を割ることになった。

「殿、絶対に瓶を割ってくださいね。船に叩きつける瓶が割れないとその船は不幸になると言われているんですから」

 心配げに斉正に訴える松根に、斉正が笑顔で答える。

「安心しろ、松根。藩士達が技術の粋を集めて造った船だ。こんなところで失敗したら藩主の沽券に関わるだろう」

 そういうと斉正は阿蘭陀商館からこの為に寄贈されたシャンパンの瓶を船体に叩き付けた。

パリン!

 大きな破裂音と共にシャンパンの瓶が割れて晨風丸の進水式が始まった。それほど大きくない晨風丸は造船台から進水台を滑り、船尾側から水面に入水する。これは、船首側から進水すると勢いが付きすぎてしまい、場合によっては転覆してしまう恐れがあるためである。そろそろと進水していった晨風丸は転覆することもなく、無事長崎の海に浮かぶことが出来た。

「ようやく・・・・・・藩でも洋式船を作ることが出来るようになったのだな」

 これから蒸気船を購入したり、さらに大きな帆船を購入することもあろう。だが、この小さな船は自分達の手で作った特別な船なのだ。斉正は長崎の海に浮かんだ小さな船を見つめながら感慨に耽ったのだった。



 晨風丸の進水式も無事終わり、ほっとひと息吐いた斉正の許に江戸からある知らせが届いた。

「へぇ・・・・・・ちゃかぽんが大老に」

 それは四月二十三日、井伊直弼が大老に就任したという江戸藩邸からの知らせであった。天保十二年に辞任した直弼の兄・井伊直亮以来、十七年ぶりの大老である。

「やはりこのご時世、大老も設置しないことには事が先に進まないんだろうな」

 斉正は傍に控えていた松根に語りかけた。

「彦根公が大老、ですか。そうなると南紀派が力を増す上に開国派が一気に条約締結に動き出しそうですね」

 直弼が大老になったという喜びはもとより、一橋派と南紀派の力の均衡が崩れ、八方塞がりの状況が動き出すのではないかと松根は期待しているらしい。

「確かにな。義兄上や健子の義父上には申し訳無いが、やはり時勢は開国、そして紀伊殿へと向かうんだろう。まあ、ちゃかぽんならうまくやってくれるだろう」

 楽天的に構える斉正だったが、この直弼の大老就任が後に大きな問題を引き起こし、さらに請役である茂真の運命にも及んでくることになろうとは思いもしなかった。



 そして直弼が大老に就任してから二ヶ月後の六月十九日、穏便に開国へと国を導いてくれるのではないかという斉正らの期待に反し、直弼は強硬手段に打って出る。何と朝廷による勅許無しに日米修好通商条約を無勅許調印したのだ。そしてこの事は、さらなる悲劇の序章でしか無かったのである。



UP DATE 2011.10.26

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『買った船、造った船』の造った船、『晨風丸』の話です。買った船と違って佐賀藩が造った船の名前には『風』の字がついているんですよね(^^)この後に作る蒸気船『凌風丸』にも風の字が入っておりますし・・・・好きだったんでしょうかね、この字が。
幕府の伝習生に対抗して作った晨風丸ですがそれなりに活躍したようで、後の戊辰戦争に参戦しておりますv

そして井伊直弼が大老になりました。この就任がどんな結果を招くのか・・・・・次回からは『安政の大獄』へと突入します。そしてその影響は佐賀藩請役・茂真にも及びそうで・・・・・詳細は連載にてお楽しみくださいませV
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